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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第十章 復讐するは
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ニ十五 雨

 トリ川に近い北側のゼルデンから、南西の果てにある夜森までは、二百キロほど離れていた。

 エイナとアデリナは馬で移動していたが、それでも四日の行程となる。


 現在の帝国で〝辺境〟と言えば、それは夜森周辺を意味する。

 本当は、コルドラ大山脈の東部の方こそ、辺境という名に相応ふさわしいのだが、一般の帝国民にとって、東部は存在そのものが認識されていない。

 彼らの意識の中では、夜森こそが最後の未開地フロンティアであった。


 夜森に関しては、サラーム教の大国であるトルゴル王国も、自国の領土だと主張しているし、実際に小競り合いが何度も起きている。

 歴史的な経緯からするとトルゴルの言い分が正しいのだが、多くの国々は帝国の実効支配を認めていた。


 トルゴルが夜森を無価値と軽視し、数百年の支配構造を通して何の投資をしなかったのに対し、帝国は積極的に開拓民を募集し、農地化を進めていった。

 そうした姿勢の違いを、各国は評価したのだろう。


      *       *


 夜森へ向かうエイナとアデリナの旅は、淡々として面白みのないものだった。

 ひたすら細い街道を進み、途中の村々で一夜の宿を借りる。その繰り返しである。

 そんな旅も三日目となり、翌日には夜森北部に達する見込みとなった。


 彼女たちは、街道沿いにあるパヘスという小さな村で、一泊することにした。

 まだ午後の二時過ぎだったが、この先は夜森に至るまで、もう泊まれるような村はないのだ。

 この日は朝から強い雨が断続的に降っていて、二人ともずぶ濡れになっていた。無理に先を急いで、野宿を選択する気にはとてもなれなかった。


 街道はパヘス村を切り裂くように突っ切っていた。先に道路が整備され、そこに開拓民が集まってできた村なのだ。

 村は周囲に木柵で巡らせていて、入口には二本の柱が立つ門があった。

 ここが辺境の最前線であった昔に、害獣から村を守った名残りなのだろう。

 ただ、現在は門に扉はなかったし、門番もいなかった。



「何かしら、これ?」

 村の入口で馬を止めた二人は、雨に打たれながら無人の門を見上げた。

 二本の太い柱とそこに渡されたはりに、実をたわわにつけた麦の束と、色とりどりの花が飾られている。

 近くの野から摘まれたばかりなのだろう、雨に濡れながらもしおれずに、武骨な門柱を彩っていた。まるで収穫祭のような装いである。


「変ですね。今は小麦の刈り取りの最中で、まだ終わっていないはずです。王国だったら、収穫祭はもっと先なのですが……。

 帝国では違うのですか?」

 エイナはアデリナに訊ねたが、帽子を目深に被った彼女は、小さく首を横に振った。

 その拍子に、幅の広い鍔に溜まった雨水が、だらだらと流れ落ちる。


「帝国も同じよ。秋のお祭りは、九月下旬から十月の初旬にやるのが普通だわ。

 何か分からないけど、地域特有の祭りなのかしら?」


 あれこれ想像しても、答えが見つかるはずもない。エイナたちは華やかな門を潜り、村の中へと入っていった。


      *       *


 王国も帝国も同じだが、集落の中央には規模の違いはあっても、必ず広場がある。そしてそこには、〝役屋〟があるのが常だった。

 役屋というのは、村役場と公民館・集会所を兼ねたような公共施設のことだ。

 村を訪れる旅人は、最初にこの役屋を訪ねるのが決まりとなっていた。


 役屋前の杭に馬をつなぐと二人は短い階段を上がり、エイナは軍用の外套を、アデリナはトレードマークの黒い帽子とマント、そして肘まである革グローブを脱ぎ、木の手すりにかけた。

 どちらもぐっしょりと濡れて重く、ぼたぼたと水滴を垂らしている。


 ぴったりとした革のズボンとベストに包まれたアデリナの身体は、しっかりと筋肉がつきながら、無駄な肉がなく引き締まっている。

 水を吸った革は艶めかしい光沢を帯び、その肉体を煽情的に強調していた。


 エイナの顔立ちは、アデリナとよく似ていた。特にぽってりとした唇や、黒目がちの大きな目は瓜二つである。

 それならば、せめてあの長い足も、いや、あの豊かな胸も、いやいや、あのきゅっと上がったお尻だって、遺伝してもいいはずだ……エイナはそう思わずにいられない。


 娘の恨めしそうな視線に気づいたアデリナは、「やだ、顔に何かついている?」と訊ねたが、エイナはぶんぶんと首を振った。

 例え実の母親でも、自分の劣等感は恥ずかしくて明かせない。


 役屋の中に入ると、村長と思しき人物のほかに、何人かの男たちがいた。

 この雨で農作業も休みにしたのだろう、何かの噂話に興じているようだった。


 彼らの視線は、アデリナに釘付けとなった。

 それはそうだろう、見事な体型をはっきりと見せる男装の美女である。

 しかも革ベストの下には、下着のような袖なしブラウスしか着ておらず、谷間がくっきり浮かぶ白い胸元と、肩から先の生腕を惜しげもなくさらしているのだ。


 それは男性として当然の反応であったが、またしてもエイナはへこんでしまう。

 少しの間を置いて、彼らはようやくエイナに目を向けた。

 帝国軍の士官用制服に肩の短マントは、田舎の人間でも魔導将校だと、ひと目で分かる。そんな人物がこの辺鄙な村に現れるのは、絶対にただ事ではない。


 村長は慌てて立ち上がり、机を回って迎えに出て、彼女たちを応接へと案内した。

 外套を戸外で脱いだとはいえ、二人の衣服は中まで濡れていたので、他の村人が慌てて乾いたタオルをソファの上に敷いてくれた。


 エイナは村長に身分証を提示し、自分たちは夜森の開拓村に向かう途中だと明かした。

 そして、今日はこの村で一泊したいので、宿を借りるのと、馬の世話を頼みたいと申し出た(当然報酬は約束した)。

 村長は二つ返事で引き受けた。彼に断るという選択肢は存在しないからだ。


 好奇心の塊りとなった他の村人たちはいそいそと働き、熱いミルク入りの紅茶を沸かしてくれた。

 夏とはいえ、雨で身体が冷え切っていた二人には、甘露と思えるほどのもてなしである。


 彼女たちがありがたくお茶をいただいていると、村長が遠慮がちに訊ねてきた。

「それであのぉ、大変不躾なことをお訊ねしますが、中尉殿のお連れのご婦人は、もしかして……アデリナ様ではありませんか?」

 

 名を呼ばれたアデリナは、カップから唇を離して顔を上げた。

「あら、マントも帽子も脱いでいるのに、よく分かったわね?」

「いや、その……もの凄い刀を背負っていらっしゃるので」


 確かに彼女は、マントは脱いでも刀を背にかけたままだった。それで座っているので長い刀がつっかえ、旗指物のように頭上に突き出ていたのだ。

 剣を片時も離さないという習慣が身体に染みついていたので、アデリナはまったく意識していなかった。


「ああ、確かにこれは目立つわね。でも、それだけじゃないんでしょ?

 この村にも、あたしが帰ってきたっていう噂が届いているの?」

「はい。どの村でも、アデリナ様がゼルデンの吸血鬼を皆殺しにしたという噂で、もちきりになっています」


「この辺りでは、被害はないの?」

「昨年まではあちこちでありましたが、アデリナ様が現れてからは、ぱったりと止んでおりまして、感謝するしかありません」


「そう、それはよかったわ。

 ところで、話の続きだけれど、あたしと中尉さんは、どこに泊まればいいのかしら?

 雨さえしのげるのなら、納屋でも厩でも構わないんだけど」

「とんでもございません!

 魔導士様とアデリナ様がお越しになったのは、村の名誉とするところです。

 どうか、わが家にお泊りください。むさくるしいですが、部屋数だけはやたらにあるのです。

 ただ……」


「ん? 何か問題があるの?」

「実はその、数日前から客人が泊っておりまして……、いえ、もちろんお二人とは別室ですから、そこは心配いりません。

 できるだけ顔を合わせることのないよう配慮いたしますし、食事の時間もずらすようにします。

 ですから、その……お気を悪くされなければよいな、と思いまして」


「別に顔を合わせたっていいし、同じ食卓で構わないわよ。

 どうしてそんな心配をするの? その客人って何者?」

「ええと、ご婦人には少し申し上げづらいのですが……その男、パッサブ市から来た女衒ぜげんでございます」


 女衒ぜげんとは、女性をスカウトして売春宿に紹介する、いわば〝人買い〟である。

 パッサブ市は帝国西部の要衝で、国内有数の大都市である。

 そんな都会から、南部の辺鄙な寒村にまで女衒がやってくるというのは、ちょっとした驚きだった。


 アデリナがわずかに顔をしかめた。

「村の入口もそうだったけど、この広場にも飾り付けがしてあったわね。

 ひょっとして、村の娘が売れたことのお祝いなのかしら?」


「ちょっと待って! 嘘でしょ、そんな!

 娘の身売りを村中で祝うなんて、正気の沙汰とは思えないわ!!」

 エイナが血相を変え、テーブルにカップを叩きつけて怒鳴った。

 村長は顔を真っ赤にして視線を逸らせ、俯いてしまった。


 アデリナは村人に気づかれないよう、テーブルの下で手を伸ばしてエイナの腿をつねった。

「おほほ、ごめんなさいね!

 中尉さんは良家のお嬢さまで、庶民の暮らしには疎いのよ(大嘘)。許してあげてちょうだい」


 アデリナは早口で弁解すると、今度はエイナをたしなめた。

「中尉、村には村の事情というものがあるの。何も知らないよそ者が、正義を振りかざすのは失礼よ!」


 そして、再び村長に向き直る。

「明日にでも出発するのかしら。あの飾り付けは、村中で見送るためのものよね?

 その女衒、ただ者じゃないんでしょ。どこか名のある娼館の人間じゃないの?」


 村長はアデリナの援護に、ホッとしたように顔を上げた。

「はい、翠玉楼の専属だという触れ込みです」

「まぁ……! それは凄いわね」


 アデリナが驚いたのは無理もない。

 翠玉楼といえば、帝国の男なら誰でも一度は耳にしたことのある、超高級娼館である。パッサウ市が発祥の地であるが、あまりにも有名になったため、帝国に本拠を移したという経緯がある。もちろん、パッサウ市の娼館も営業を継続していた。


 翠玉楼は庶民には高嶺の花で、よほど名のある貴族や豪商でも、信用できる常連の紹介がなければ、門前払いを喰らうような場所だ。

 それほどの娼館との契約となれば、恐らく両親にはかなりの支度金が払われたはずで、恐らくは村そのものにも、一定の金額が積まれたのだろう。

 村をあげて祝うのも、うなずける話であった。


「だけど、どうしてこんな……言葉が悪くてごめんなさいね、こんな辺鄙な村に翠玉楼の女衒が目をつけたのかしら。

 その売られる娘って、よほどの美人なの?」

「いや、それが……」

 村長は額の汗を拭った。


「ハンナは……その娘はハンナと言いますが、確かに気立てがよくて、可愛らしい子です。

 ですが、よその村にまで噂が広がるほどかと言われれば、全然そんなことがないのです。

 私も不思議に思って、その女衒の男に聞いたのですが……」

「ふんふん、何て言ったの?」


「彼はあちこちの小学校を訪ねては、成績のよい女の子の名前を調べているそうです。

 ハンナのことも、ゼルデンの巡廻教師から聞いたと言っておりました」


 帝国では国民に対し、子どもを小学校に通わせるよう義務付けている。

 その代わりに授業料から教材まで、すべて国の負担となっている。


 ただ、田舎の村には学校がないのが当たり前で、農家にとって子どもは重要な労働者であった。

 そのため、学校がある町が拠点となり、そうした村々には教師が派遣され、冬の農閑期の間だけ、役屋や村長の家などで教室を開くのが普通だった。


「それだけ?」

「はい、それだけです」


 謎は残ったが、取りあえずこれは自分たちとは関りのない話である。

「分かったわ。

 さっきも言ったとおり、女衒が同じ家に泊っていても、あたしたちは一向に構わないわ。どうせ一夜だけの話だもの。

 身なりのよい都会の女衒より、ずぶ濡れで臭い女二人の方がよほど迷惑よ。

 泊めてくださるなら、何も文句は申しませんことよ」


      *       *


 二人が案内された村長の家は、本人が言うだけあってかなり大きな田舎屋敷だった。

 家には村長夫妻を含めた三世代が同居しており、見るからに賑やかで活気にあふれた家族だった。

 驚いたことに、彼の屋敷では宿屋にあるような乾燥室(サウナのような小部屋)も備えていて、エイナたちの汚れ物は、さっそく村長の女房に奪い取られていった。


 エイナの軍用背嚢もそうだが、馬用の振り分け鞄も厳重な防水処置が施されており、荷物が濡れないことになっている。

 ただ、実際には予備の下着や衣服まで湿っていたので、乾燥室の存在は実にありがたかった。


 村長の家族も、南部では伝説的な吸血鬼狩りと、軍の魔導将校が一度に泊まるということで、全員が舞い上がるほどに興奮していた。

 家の子どもたちは、エイナとアデリナのスカートにまとわりつき、われ先に遊んでもらおうとした。


 彼女たちがいつものいかつい姿だったら、多少は警戒されたのだろうが、普段着の綿のエプロンドレスに着替えた二人は、近所の若いお姉さんにしか見えなかったのだ。


 都会では石造りの家が主流を占めていたが、この村のような田舎では、茅葺の木造家屋が常識である。

 天井が高く、家自体が湿度調整機能に優れているので、外がうるさいくらいの豪雨でも、家の中の空気はしっとりとして涼しく、気持ちがよかった。


 子どもたちの相手は際限がなく、さすがのエイナたちも疲れてきたところで、夕飯の準備ができたとの知らせがあった。


 大きな食堂に行ってみると、食卓にはすでに村長一家が勢揃いしていた(子どもたちは別の部屋に連れていかれたようだ)。

 そして、彼らとは明らかに雰囲気の異なる男が、末席に座っていた。


 男は三、四十代だろうか、口髭を蓄えていることもあって、年齢が読みづらい。

 身に着けている服も決して贅沢なものではないが、都会的で洗練された雰囲気を醸し出している。

 彼が翠玉楼の女衒なのは、まず間違いない。


 食事が始まる前に、村長は両者を互いに紹介した。

 女衒の男はハンメルと名乗り、エイナとアデリナの美しさを詩的な表現で誉め称えた。いかにも女を扱うことにけた、如才ない態度である。


 出された料理は田舎の家庭料理だが、肉と野菜がたっぷり使われ、もてなしの心が十分に伝わってくるものだった。

 食事に満足し、お茶とデザートの焼き菓子が出されると、アデリナがおもむろにハンメルに話しかけた。


「ハンメルさんは、この村のハンナという娘の家と契約を結ばれたとお聞きしました」

「はい、ご理解のあるご両親で、大変ありがたいことです」


「あなたが娘さんを選ぶ基準は、学業の成績だというのは本当ですか?

 素人考えでは、顔立ちが美しくてスタイルのよい娘を選びそうなものですが……。

 後学のために、ぜひお教えいただけないかしら?」


 ハンメルは首を傾け、少し考え込んだ。

「これは商売上の秘密ですから、普通は教えないものです。いかに南部で勇名を馳せるアデリナ様であってもです。

 ですが、私たち女衒という人種は、どうしようもなく美女・・に弱いのです。ですから、ここだけの話ということで、お答えしましょう」


 男の言葉に、アデリナは悪戯っぽい笑みを返した。

「あたしのことは美女じゃなくて、美少女・・・と呼んでくださらない?

 南部人なら、誰でも知っている常識よ」


 すかさず村長が口を挟んだ。

「アデリナ様が美少女と名乗られた時は、『おいおい』と返すのが礼儀とされているのです。また南部に来るつもりなら、覚えておくべきでしょうな」

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