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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第十章 復讐するは
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二十四 第二の襲撃

 二日目の夜も、三日目の夜も何事もなく過ぎ去った。

 異変があったのは四日目のことで、本来の襲撃予定日より二日前倒しになったいうことになる。


      *       *


 無理に眷属を生み出したことで、回復のためにベラスケスは多くの血を必要としていた。

 新たに生まれた眷属もまた、自らの手足となる第二世代を十分な体力がないままに作らされ、血に飢えている事情は一緒である。

 北東地区から生贄を連れてくるはずの部下が帰らず、当てにしていた血が手に入らなかった彼らは、相当に焦っているはずである。


 エイナは知らなかったが、彼女が南部で最初に入ったポテル村で吸血鬼を討ったことも、これに大きく影響している。

 これまで手を出さなかった辺鄙な村で、部下が討たれたという事実は、ベラスケスと幹部たちに重く受け止められた。


 新米の手下が最初の襲撃で、予想外の抵抗(娘の父親に農具で尻を刺された)にあったのはまだいい。

 だが、いざ出直してみたら、どうやって手配したのか、村人は吸血鬼狩り(彼らはエイナのことを、そう判断していた)を雇って待ち構えていたのだ。


 このため、ゼルデンという人口の多い町で安定的に人間をさらう一方で、危機意識の薄い辺鄙な村を任意に奇襲するという両面作戦は、あっさり頓挫してしまった。

 やむなく供給源を町に絞った矢先に、またしても待ち伏せを喰らったのだから、吸血鬼たちが混乱するのは当然であった。


 普通ならいったん襲撃を取りやめ、何が起きているのかを慎重に探るべきところだが、ベラスケスとその部下たちにはその余裕がなかった。


 だから、彼らは第二の襲撃を早急に実施するだろう――アデリナはそう読んでいた。ここまで引き延ばすのは、相当の我慢だと言えるだろう。


      *       *


 エイナが意識して吸血鬼を待ち構えるのは、これが三度目となる。

 その経験を通して、彼らが出現する気配をはっきり感じられるようになっていた。


 部屋の片隅の闇から抜け出してきた吸血鬼は、かなり慎重になっているようで、なかなか動かなかった。

 じっと寝たふりをして待っていると、十分も経って、ようやくベッドに近づいてきた。

 毛布が軽く持ち上げられ、そこからするりと冷たい手が滑り込んでくる。

 ちょうど、エイナの腰のあたりである。


 連れ去る前に、熟睡している少年の股間をまさぐり、楽しもうとする意図が透けて見えた。

 鋭く尖った爪が微かに腰に触れた瞬間、エイナはその手首を掴んで捻じりながら、渾身の力で引っ張り込んだ。

 同時に身体を回転させ、全体重を裏返った相手の肘にかける。


 べきっ! というにぶい音とともに関節を破壊され、吸血鬼は獣のような咆哮をあげた。同時に恐ろしい力で無理やり腕を抜き、壁際まで飛び下がった。

 それを合図に、アデリナが扉を開けて飛び込んできた。


 部屋の中は大魔力を投入した明かり魔法で、隅々まで照らし出されている。

 女の吸血鬼は牙を剥き、爪の伸びた指を鉤状に曲げて身構えたが(肘をやられた片腕はぶら下げたままだ)、アデリナは襲ってこなかった。


 その代わりに、女吸血鬼は予想外の方向から、目に見えない攻撃を喰らった。

 空気の塊りが彼女の身体を吹き飛ばし、すぐ後ろにあった石の壁に激しく叩きつけた。エイナが準備済みの圧縮空気弾を放ったのだ。


 女が飛ばされた距離は、わずか五十センチに過ぎない。それなのに、高い崖から突き落とされ、地面に激突したような衝撃を受けた。

 凄まじい圧力で、内臓が破裂し、全身の骨が一瞬で砕けた。

 特に重い頭部は柘榴ざくろのように割れ、目、耳、鼻、口、あらゆる穴から鮮血と脳漿が噴き出した。


 一方、飛び込んできたアデリナは、肩に担いだ物干し棹のような太刀を抜き、女には目もくれずに床を薙ぎ払った。

 部屋の隅には、さっきまで女吸血鬼が這い出てきた、闇があったはずだった。

 しかしそれは強烈な光で消滅し、代わりに床から男の首が生えていた。


 その男は、恐らく闇の通路から頭だけを出して、部屋の様子を窺っていたのだろう。

 ところが、身体を潜めていた闇が消えたことで、男の首だけが取り残されてしまったのだ。

 身体は逃げようともがいても、外に出ている頭が引っかかって身動きできない。しかも首を絞められているため呼吸ができず、鬱血して思考も働かない。


 こうなると、畑に成っているキャベツを刈り取るようなものである。

 アデリナの長刀が一閃すると、目を剥いた男の頭部が、ころんと床の上に転がった。

 床に残った首の切り口は、邪魔な頭が取れたことですぽんと吸い込まれ、床には何も痕跡が残らなかった。


 アデリナは立ち上がり、ぶんっという刃鳴りをさせて血を飛ばすと、壁際で崩れ落ちている女吸血鬼のもとへ向かった。

 彼女は、踏みつけたカエルのようになった女の髪の毛を手に巻きつけると、無造作に持ち上げた。

 全身を潰されてもまだ息があり、再生を始めているのは、腐っても吸血鬼である。


 アデリナは髪を巻きつけた片手で軽々と女を持ち上げると、その首に太刀を当て、何の躊躇ためらいもなく引き切った。

 エイナはその凄惨な光景を片目で見ながら、リヒャルト夫妻を呼びに部屋を出ていった。


 ガウンを羽織った夫妻がやってきた時には、部屋中に飛び散っていた血飛沫ちしぶきや内臓は、あらかた蒸発して灰になっていた。

 アデリナの両手には、どうにか形を成している男の頭と、ぐずぐずに崩れた女の頭部がぶら下げられていた。

 彼女はそれを夫妻の目の前に突き出し、崩壊の過程を確認させた。奥方は真っ青な顔で、必死に吐き気をこらえている。


「吸血鬼は、四つの地区それぞれにひとりだと聞いています。

 それが二人とは、どういうことなのでしょう?」

 比較的冷静なリヒャルトが、アデリナに訊ねた。


「北東地区の担当が討たれたことで、敵は待ち伏せを警戒しながら、まだ半信半疑だったのでしょう。

 それで、他の地区担当の吸血鬼をつけて、人間がどういう手を打っているのかを、探らせたのだと思います。

 こちらとしては、一度に二人を処理できて幸運でした」


 アデリナは笑って見せたが、その表情にはどこか疲れが感じられた。

「ただ今回の件で、殺したと思っていたアデリナが生きていて、そして戻ってきたことに、ベラスケスは気づくはずよ。

 もう、こんな楽な戦いはできない……やれやれ、だわ」


 リヒャルトは一代で財を成した商人だけに、きもの据わった男だった。

 彼は不敵な笑みを浮かべ、アデリナをからかった。

「おやおや、あなたからそんな弱音が聞けるとは思いませんでした」


「そりゃあ、あたしだって人間・・だもの」

「美少女剣士でも……ですか?」


 アデリナは一瞬で虚勢を取り戻した。

「もちろんよ! 今のはちょっとした冗談よ、冗談!

 愛と正義の美少女剣士が、それしきでへこたれるはずがないでしょ?」


 エイナは溜息を洩らしながら、手の甲で母の肩を叩いた。

「おいおい」


      *       *


 二人はそのまま客用寝室に泊まらせてもらったが、翌朝早くにリヒャルトの家を出た。

 向かったのは、次の襲撃予定地の南東地区である。

 これで三度目だから、もう慣れたものである。まずは町の世話役の家を訪ね、この地区の候補を検討した。

 こちらも街道南側の新興地区であるため、その数は十軒と少なかった。


 ここでも世話役の男が案内を買って出てくれたので、調査は滞りなく進んだ。

 吸血鬼の痕跡を発見したのは六軒目、まだ午前中のことである。

 その家の十七歳になる次女の部屋に足を踏み入れると、アデリナは鼻をひくつかせ、美しい顔をわずかにしかめた。


「ああ、やっぱりね……」

 彼女はそうつぶやくと、不安そうにしている母親の方に向き直った(父親は仕事で不在だった)。


「昨夜、吸血鬼を二人殺したんだけど……」

 まるで寝る前に酒を一杯ひっかけたというような口調だった。


「そのうちのひとりは、この家のお嬢さんを狙っていた男ね。

 安心していいわ。もうお子さんが襲われる心配はないから、避難先から呼び戻して構わないわよ」


「本当かい? 部屋を見ただけで、そんなことが分かるのかね?」

 一緒についてきた世話役が、驚いたように訊ねた。


「間違いないわ。

 昨夜に嗅いだばかりの血の臭いを、あたしが忘れるとでも?

 吸血鬼狩りのアデリナの名にかけて保証するわ。この地区にもう吸血鬼は現れないわ」


      *       *


 エイナとアデリアは、念のために残る四軒も確認し、それぞれの家の者に脅威が去ったことを説明した。

 最後の家の調査を終えると、二人はそこで世話役とは別れ、軍の出張所へ向かった。

 責任者であるヤン中尉に、これまでの経過を説明するためである。


「ああ、その前に」

 馬上で揺られながら、アデリナはエイナの方を振り向いた。


「お腹が空いたわ。もうお昼を回っているものね。

 錆猫亭だっけ? あの未亡人の食堂に行きましょう」


      *       *


 錆猫亭はやはり美味しかった。

 当面、吸血鬼のことは心配しなくていいという解放感もあって、余計にそう感じたのかもしれない。


 自家製のでたソーセージにキャベツの酢漬け、ジャガイモのスープと、出されたのはごく家庭的な料理だったが、十分に満足できるものだった。

 女主人はお喋りを期待した顔で、何度もテーブルにやってきたが、アデリナは話にのらず、黙々と食事を続けた。


 その代わり勘定を済ませる時、アデリナはマントの中から何かを取り出し、彼女の掌の上に乗せた。

 それは木彫りのネコだった。くるんと丸まって、目を閉じて眠っている姿である。

 戸惑う主人に、アデリナは帽子の陰から笑いかけた。


「お料理が美味しかったから、チップみたいなものよ。ちょうどこのお店の名前とも合っているしね。

 〝アデリナが手彫りのネコ置いていった〟って言えば、少しは客寄せになるかもしれないわよ」


 夜通し吸血鬼を待ち伏せる時など、アデリナはよく暇潰しに、小刀で木を削っていた。

 エイナも何度か見せてもらったことがあるが、姿勢や表情は違っても、常にネコの彫刻であるのは変わらなかった。

 不思議に思って、エイナは彼女に訊いたことがある。


「どうしていつもネコなんですか?」

「好きなのよ。だって、可愛いでしょ」

 アデリナは笑って答えたが、それ以上のことは教えてくれなかった。


 エイナの記憶では、家でネコやイヌを飼ったことはなかったはずだ。

 今ではその理由がよく分かるが、母はネコ好きで、本当は今でも飼いたいと思っているのかもしれない。


      *       *


 軍の出張所では丁重に迎え入れられ、すぐに所長室へ通された。

 ヤン中尉は突然の訪問に驚きながらも、歓迎の姿勢を見せてくれた。


「ようこそ、シュトルム中尉殿」

 彼はエイナの偽名で呼びかけてきた。


「お二人の活躍は、我々の耳にも入っております。

 昨夜も、南西地区で二人の誘拐犯・・・を討ったそうですな」


 吸血鬼の存在を認めていない軍であったが、裏では情報集めに躍起になっていたに違いない。

 エイナもそれは分かっていたから、淡々と事実関係を説明した。


「そうすると、次は残る北西地区ということになりますな?」

 中尉が満足そうにうなずくと、不意にアデリナが口を開いた。

 ここでは軍人のエイナが話を担当し、アデリナは基本的に無言で通すはずだった。


「北西地区には行きません。その必要はなくなりましたからね」


 ヤン中尉はいぶかし気な表情を浮かべた(エイナも平静を装っていたが、内心では驚いていた)。

「どうしてですか?

 今のシュトルム中尉殿の説明では、昨夜成敗した二人目の賊は、南東地区を縄張りにしていたはずです。北西地区は無関係でしょう」


「昨夜の件で、ベラスケスは吸血鬼狩りの正体に気づいたはずよ。

 男の首は刎ねたけど、身体の方は闇に取り残されたの。

 闇の中では時間が停滞するから、命が断たれても身体は崩壊せずに長時間保たれるの。それを調べればすぐに分かることよ」


 アデリナの長刀には〝破邪の力〟が宿っていて、吸血鬼がこの刀で切られると再生が妨げられる。

 真祖を除く吸血鬼は、首を刎ねられると絶命する。彼らの身体は切られても元に戻るが、頭部の再生だけは不可能だからだ。

 それでも首の切断面には再生反応が現れる。血管が塞がって血が止まり、薄い保護膜が形成されるのだ。


 しかし、アデリナの刀はそれすら許さず、傷口は新鮮なままだ。

 ベラスケスにとっては、誰にやられたか一目瞭然である。


「吸血鬼狩りが手強いと知れば、奴らは三下ではなく、直系眷属を送り込んでくるのが常道よ。

 ただ、現在ベラスケスの元にいる眷属は急造で能力も低い上に、相手がこの私であれば、返り討ちに遭うのが目に見えているわ。

 彼らはもう、この町には手を出さないでしょうね」


 ヤン中尉は訊かずにはいられなかった。

「では……お二人は、これからどうされるのですか?」


 アデリナは静かに答えた。

「町を出るわ。例えこの先、千年待ったとしても、こんな好機は訪れないもの」


 彼女の声が一段低くなった。

「ベラスケスの糞野郎を狩ってやる!」

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