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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第十章 復讐するは
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ニ十三 香りの記憶

 翌朝、夜明けとともに目覚めたエイナに対し、アデリナは「今日でこの宿を引き払う」と宣言した。

 この町に出現した吸血鬼は四人、彼女たちはそのひとりを倒したに過ぎない。

 町を安全にするためには、まだまだ時間がかかるはずで、そのためには拠点が必要なはずだ。


 そう抗議しても、アデリナは譲らなかった。

「駄目よ。昨日のことは、すぐに町中に知れ渡るわ。

 そうなったら、ここにも野次馬が押し寄せて、宿に迷惑をかけるもの」

「では、今夜からどこに泊るのですか?」


「平気、平気。

 なんたって、あたしは美少女・・・剣士アデリナよ。家に泊めたら末代までの自慢になるもの。泊めてくれる家なんて、いくらでも見つかるわよ」


「おいおい」

 エイナは力なくつぶやいた。


「やぁね、エイナちゃんったら、元気が足りないわよ。そこは全力で突っ込むところよ。

 元気があれば、何でもできるんだから」


 エイナは溜息しか出ない。

 自分の記憶の中にある母は、知的で穏やかな優しい女性であり、こんな性格ではなかったはずだ。


 思えば、両親と暮らしていた少女時代は幸せだった。

 ありがちな話だが、彼女にとって母親は理想の将来像で、自分は大きくなったら、父親のお嫁さんになると固く信じていた。

 もしその夢が叶ったら、最愛の母から夫を奪う結果になるのだが、幼い少女はそこまで考えが及ばない。


 エイナは食堂に行く前に、ロビーのカウンターで宿を出ることを告げ、軍票を切って費用の清算をした。

 対応してくれた宿の主人は驚き、「どうするつもりですか?」と心配してくれたが、エイナは肩をすくめるしかない。

 彼女も知らないのだから、答えようがないのだ。


 彼はどこから聞きつけたのか、すでに昨夜の討伐のことを知っていた。

「まぁ、正直に言えば助かります。外に出れば分かるでしょうが、もう野次馬が集まっています。

 多分、昼過ぎにはもの凄い数になるでしょうな」


 そう言いながらも、主人はえびす顔だった。

 短期的な騒ぎさえ我慢すれば、吸血鬼狩りのアデリナが泊った宿という評判は、経営の助けになるだろう。

 それに、エイナが切った軍票の金額には、十分な〝色〟がついていた。

 これは、世慣れたアデリナの助言(「迷惑料よ」)の結果である。


      *       *


 朝食を食べ終えた二人は、町の南西街区へと向かった。

 宿の前には十人以上の野次馬が集まっていて、アデリナの姿を見ると歓声をあげた。

 ただ、近寄りはするが、行く手を遮ったり、話しかけてくる者はいない。

 アデリナの隣りには、エイナという軍の魔導将校がいるからだ。


 帝国では魔導士が非常に尊敬されているが、同時に恐怖の対象でもあった。

 魔法を見たことのない田舎の人間は、魔導士様の機嫌を損ねると、地獄の業火で骨も残さず焼き殺されると、本気で信じていたのだ。


 それでも町の住民たちは、感謝と期待の声を上げずにはいられなかった。


「アデリナ様! 軍の魔導士様!!」

「ゼルデンを救いにきてくれて、ありがとうございます!」

「俺たちがついている。頑張ってくれ!」

「そうだ! 吸血鬼は皆殺しだ!!」


 アデリナは黒い帽子を目深に被っているので、その表情は窺えなかったが、片手を軽く上げてその声に応えてみせた。

 それだけでも、早朝から詰めかけた野次馬には、十分な収穫だった。

 これで数週間は、酒場で話のタネに困ることがないからだ。


 南東地区にある宿から、隣接する南西地区までは三キロほど、エイナとアデリナは馬に乗っているので、ゆったりとした並足でも、三十分ほどしかかからない。

 二人は南西地区の世話役をしている、グスタフという男の家を訪ねた。

 彼の元にも昨夜の情報は届いていて、予告なしの訪問にも関わらず快く迎え入れられた。


 吸血鬼に狙われる可能性のある家の調査は、各地区の世話役にも依頼されていて、その結果はすでに集まっていた。

 南西地区から提出された名簿は、全部で八軒であった。北東地区が二十三軒だったのに比べると、ほぼ三分の一という少なさである。


 これにはちゃんと理由がある。

 街道を挟んで北側が、もともとの集落であったのに対し、南側は町が大きくなってから人が集まり、新たに開発された地区だった。

 当然、裕福な商家は昔ながらの北側に多く、南側は仕事を求めて移住してきた労働者が多かった。


 アデリナはグスタフに対し、今日中に候補の家を全部回るつもりだと伝えた。

 世話役は驚きながらも、それなら自分が案内に立つと申し出てくれた。

 これは正直にありがたかった。


 作成された名簿には、一応の略図が付いていたが、初めての土地であるから迷う可能性がある。

 候補と推定された家には、アデリナが調査にくることが知らされていたが、グスタフが同行していた方が、すんなりと受け入れられるはずだ。


 実際に回り始めると、どの家も子どもを避難させた後だった。

 そして、全員が昨夜の事件のことを、もう知っていたのだ。


      *       *


 比較的早い順番で見つかった北東地区とは真逆で、吸血鬼の痕跡を発見したのは、一番最後の家だった。

 その家は平屋の木造家屋が多い周囲と違って、石造りの二階建てで、外塀まで巡らせていた。

 家の主人はリヒャルトという穀物商で、一代で財を成した、いわゆる成金であった。


 幸いなことに、リヒャルトは用事で在宅しており、驚きながらもエイナたちを迎え入れてくれた。

 彼には三人の子があり、長女は十九歳でもう他家へ嫁いでいた。

 その下の長男は十六歳、末っ子の次女は十四歳だという。もちろん、二人とも親戚の家に避難済みで不在だった。


 子どもたちの部屋を見せてもらったアデリナは、リヒャルト夫妻に断言した。

「狙われているのは息子さんの方です」


 アデリナによれば、吸血鬼の臭気は両方の部屋に残っていたものの、濃度がまったく違うらしい。

 次女の部屋はちょっと覗いた程度なのに対し、長男の方は部屋の隅々まで歩き回り、壁や窓に触れた痕跡があった。


「恐らく、女の吸血鬼でしょう。

 息子さんは十六歳だそうですが、あまり外交的な性格ではないですね?」


 アデリナの質問に、奥方が青ざめた顔で答える。

「ええ、あの子は小さな頃から内気で、家で本を読んでいる方が好きなんです。

 でも、どうしてそんなことまで分かるんですか?」

「男の吸血鬼が処女を狙うように、女の吸血鬼は童貞を好みますからね。

 少なくとも、息子さんにはまだ〝悪い虫〟がついていないってことです。ませた子なら、もう遊んでいる年頃ですからね。

 とにかく、今夜から息子さんの部屋を見張ります。しばらくご厄介になりますが、よろしいですね?」


 奥方は慌てて何度もうなずいた。

「えっ、ええ、もちろんです!

 ただ、困ったわ。まだ何も準備をしていなくて……。

 あの、確かこの地区が襲われるのは、六日先だと聞いていましたが、違うのですか?」

「それは、何もしなければの話です。

 あたしたちは昨夜、北東地区の吸血鬼を滅ぼしました。

 ベラスケスは今ごろ、帰ってこない手下の身に何が起きたのか、首を捻っているでしょうね。なぜ待ち伏せされたのか、理解できないからです」


 アデリナは帽子を上げ、奥方の目を真っ直ぐに見て、ゆっくりと言い聞かせた。

「思い当たるとすれば、同じ周期で人をさらっていたことです。

 だから、今度はわざと襲撃日をずらしてくる可能性が高いのです。

 ですが、血に飢えている彼らは待つことができない。周期を変えるなら、早くするしかありません。

 だから、こちらも早目に待ち伏せをする。……お分かりですか?」


 奥方は歯をがちがち鳴らしながら、ようやくうなずいた。

 夫のリヒャルトは落ち着いており、アデリナの話をよく理解できたようだ。


「分かりました。私どもはできる限りの協力をいたします」

「いえ、ご夫妻は普段どおりに過ごされて構いません。そして、夜は部屋から出ないでください。

 今夜から、中尉が息子さんの身代わりでベッドに入り、私は部屋の前で待機します。何かあった場合は、お二人をお呼びしますので、安心してお休みください」


「あと、あの……」

 エイナが遠慮がちに、アデリナのマントを引っ張った。


「何かしら、中尉さん?」

 アデリナが〝エイナちゃん〟と呼ばないのは、夫妻の前で猫を被っているだけだ。

 赤い唇に悪戯っぽい微笑が浮かんでいることに、エイナは諦めに似た感情を覚えた。


「ということは、前回と同じ作戦でいくということですか?」

「そうよ。手の内はバレていないから、もう一度くらい使えるわ。

 別に問題はないと思うけど?」


「いえ、それがあるんです」

「どんな?」


「私が囮でベッドに入るということは、つまり、その……匂いで気づかれないように、息子さんの下着をつけなきゃいけないんですか?」

「ああ、それかぁ」


 アデリナはちらりと奥方の方を見た。

 彼女は慌ててうなずく。

「はい。お言いつけどおり、息子の寝巻と下着は、洗濯をせずに(・・・・・・)取ってあります」


「う~ん、さすがにそれは、教育上の問題があるかしら?」

「そそそ、そうですよ! 教育というより、乙女の純潔の問題です!」


「違うわよ。自分の下着を見ず知らずの若い娘が穿いたと知ったら、息子さんの精神衛生上、絶対によくないって話よ。

 乙女の純潔なんて、犬にでも喰わせればいいわ」

「ひっ、酷い!」


「まぁ、下着は勘弁してあげるから、パジャマだけは着なさい。

 それと、夕方のうちにシャワーを借りて、全身くまなく洗うこと。

 ちゃんと洗えているか、あたしが確認するわ」

「い、いやぁーっ!」


 ミヒャエル夫妻は目を丸くして、二人のやり取りを聞いていた。

 いくらアデリナが名高い吸血鬼狩りでも、相手は権威ある軍の魔導士官である。

 それが年の近い母娘のように(実際そうだが)じゃれ合っているのだから、驚き呆れるのは当然であった。


      *       *


 長男(レオンという名だった)の部屋で、男物のパジャマを着たエイナは、毛布を頭から被ったまま、まんじりとせずに夜を過ごしていた。

 着用は免除されたが、袋に詰めた下着はベッドの上に置かれていた。

 そこから微かに伝わってくる、年頃の少年の匂いが気になり過ぎて、眠気を感じるどころではなかった。


『ああ、これってキノコの匂いだ』


 唐突にそんな記憶が浮かんできた。

 前にシルヴィアに連れられて、王都の料理屋で食事した時のことである。


 彼女は食道楽で、美味しいと評判の店を食べ歩くのが大好きだった。

 女性ひとりで食事するのは恥ずかしいので、エイナはいつも付き合わされた。


 その日シルヴィアが頼んだ料理は、固めに茹でた麺をガーリックオイルで炒め、仔牛の肉を煮込んだソースがたっぷりとかかったものだった。

 それだけで美味しそうだったのに、給仕の男性は皿の上で、板のような道具に白い塊りを擦りつけた。

 白い薄片を料理の上に数枚落とすと、給仕はお辞儀をして去っていった。


「えと、あの……シルヴィア? これ、何かしら? すごい匂いがするんだけど」

 エイナは周囲に聞こえないよう、小声で訊ねた。


 シルヴィアは特に驚く様子もなく答えてくれた。

「キノコよ。トリュフっていうんだけど、初めて?」


 エイナはこくこくとうなずく。

 辺境で暮らしていた時は、森で採れたキノコが当り前に食卓に並んだが、これは彼女が知っている種類ではない。


「これは白トリュフね。黒いのもあるのよ。

 めったに採れないらしくて、とっても高価なの。香りがよくて、食欲をそそるでしょ?」


 シルヴィアは嬉しそうに微笑んで、ソースを絡めた麺を口に運んだ。

 エイナの方も友人の手前、美味しそうな表情を作って食べ進めた。


 だが、キノコの匂いは食欲をそそるどころか、むしろ吐き気を覚えるものだった。

 彼女はキノコが好きなのだが、この匂いだけは駄目だった。

 独特の青臭さからは、なぜか性的なものが感じる。なぜそう思うのか、エイナは自分でも分からなかった。


 真っ暗な部屋の中で、エイナの嗅覚は、あの白いキノコの香りを確かに感じとっていた。

 そして、またしても妙な背徳感が蘇ってきて、なぜか頬が熱くなった。


 最初の夜は、何事も起こらずに夜明けを迎えた。

 空が白んでくると、もう吸血鬼が襲ってくる可能性はなくなる。

 エイナはベッドを抜け出すと、急いでパジャマを脱ぎ、自分の普段着に着替えた。

 一刻も早く、匂いの呪縛から逃れたかったのだ。


 エイナとアデリナは、リヒャルト夫妻に無事を伝えると、朝食も摂らずに二階の客用寝室に向かった。

 そしてベッドに潜り込み、夢も見ずにぐっすりと眠った。


 エイナが肩を揺すられて覚めたのは、昼前のことであった(アデリナはとっくに起きていた)。

 彼女たちは顔を洗い、着替えてから階下に降りた。

 まだ少し眠そうな顔で、もそもそとパンを咀嚼しながら、エイナはアデリナに自分が感じた匂いの話をした。


 娘の話を〝ふんふん〟と聞き流していたアデリナは、途中からにやにや笑いを浮かべた。

「そりゃあレオン君は十六歳だもの。それくらいは許してあげなきゃ。

 大人の女性は寛容であるべきよ」


 エイナには、母が何を言っているか分からなかったが、どうやら自分が揶揄からかわれていることだけは理解できた。

 つまり、これはアデリナが大好きな、アレ(・・)関係の話に違いない。

 エイナは顔を赤くすると、ごまかすようにミルクでパンを喉に流し込んだ。


 そして、二度とこの話題に触れない、そう決心したのだった。

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魔導士様の機嫌を損ねると、地獄の業火で骨も残さず焼き殺される 誰のせいやろなぁ.......
キノコ(暗喩)
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