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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第十章 復讐するは
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二十二 抜刀一閃

 アデリナの〝いかにも〟な恰好は、詐欺師と疑われながら、周囲の目を集めていたのは間違いない。

 ヤン中尉が勧めてくれた、裏通りの家庭的な食堂、錆猫亭でもそれは同じだった。

 客たちは食事をしながら、ちらちらと横目で彼女を盗み見し、耳をそばだてていたのだ。


 アデリナは、当然その視線に気づいており、十分に意識していた。

 その上で、彼女はアデリナだと名乗るとともに、軍出張所の指揮官と会っていたことも明らかにした。


 ゼルデン市民にとって、その意味するところは重い。

 もし彼女が詐欺師なら、軍が黙って帰すはずがない。それなのに所長と会い、地元民しか知らないこの食堂を紹介されたという。

 出張所はすぐ近くにあるから、嘘ならすぐにバレる。


『……ということは、本当の本物だってことか?』

 ほぼ満席だった食堂の客たちが、内心ざわついたのは当然である。

 アデリナたちが店を出るのを、彼らが黙って見送ったのは、エイナの存在に遠慮したからだ(帝国魔導士官の権威は、それだけ大きい)。


 エイナたちがいなくなった後、常連客たちは女主人にあれこれ訊ねたが、彼女だって初めての客だから、答えようがない。


 この数か月、急増した行方不明者を人びとは吸血鬼の仕業だと信じ、人が集まればその噂でもちきりだった。

 訴えても軍が何もしてくれない……それはいつもと同じだったが、いつまで待っても吸血鬼狩りはやってこなかった。


 不満を募らせていた食堂の客たちは、集団で出張所に押し寄せ、口々に喚きたてた。

『アデリナがこの町を救うため、戻ってきたというのは本当か?』

『彼女はどこに滞在している? 会うにはどうしたらいい!?』


 暴動になりかねない気迫に呑まれ、出張所の兵士たちはアデリナが本物で、大通りの麦倉屋に宿泊していることを教えてしまった。

 ヤン中尉は、なぜか緘口令を敷かなかったから、情報を洩らした兵士に罪はない。

 むしろ彼らだって、誰かに話したくてうずうずしていたのだ。


 これを聞いた者たちは、急ぎ家に戻ってこの大ニュースを家族に伝えた。

 この先は、女房たちの独壇場だった。

 女の噂話は、燎原の火のごとく町中に広がっていった。


 同日夕方には、ロブの店(この町で代々続く料理屋)にアデリナが姿を現した。

 料理長オーナーのロブは、アデリナの昔馴染みであったから、彼女が『間違いなく本物だ』と太鼓判を押した。

 すでに町中に広がっていたアデリナ復活の噂に、この情報が駄目押しをした。


 誰かが音頭を取ったわけでもないのに、夜明け前から宿屋の前に人びとが集まったのは、そういう事情であった。

 それは、アデリナが意図した結果でもあった。


      *       *


 宿に押しかけた者たちに依頼した結果は、予想以上に早く集まってきた。

 アデリナを知っていたカールが、町の世話役のひとりだったことも幸運だった。


『吸血鬼が狙われそうな家を教えてくれ』、そう依頼された世話役たちは、調査をする必要もなかった。

 彼らはただ、自分の女房に訊けばよかったのだ。


 主婦たちが握っているご近所情報は、恐ろしく正確で詳細だった。

 今回求められた、比較的裕福な家庭の事情となると、さらに情報の精度が高まる。

 午前十時過ぎには、北東地区における候補家庭のリストが、ほぼ出揃ったのである。


 その総数は二十三軒。予想したよりはかなり少なかった。

 年頃の娘や息子に独立した部屋を与えるだけの、経済的な余裕を持つ家はそれなりに存在した。

 結婚して家を出るまでは、年頃になっても両親と同じ部屋で寝るという慣習が、地方では強固に残っていたためだろう。


 エイナとアデリナは、すぐさま調査に乗り出した。

 各町内の世話人を訪ね、その案内で候補の家庭を回ったのだ。話は通っていたので、住民たちは協力的だった。


 子どもたちの寝室に足を踏み入れ、吸血鬼の臭いが感じられなければ、アデリナは即座に安全の判定を下した。

 涙を流して喜ぶ両親には必要な助言を与え、すぐに次の家に向かう。

 結局、午前中は八軒の家を回ったが、すべて問題がなかった。


「ビンゴだわ!」

 アデリナがエイナにささやいたのは、午後の調査を始めて六軒目の家だった。


「思いっきり臭いわ。男の吸血鬼ね」

 その言葉を聞いた家の主婦は震えあがった。

 彼女の夫は服飾関係の卸業を営むミハエルという男で、狙われていたのはエミリアという名の、十六歳になる一人娘だった。


「念のため、お嬢さんは親戚の家に避難させてください。

 吸血鬼は必ず倒しますが、部屋の一部を壊したり、汚したりするのは許してください」

 淡々と説明するアデリナに、母親は歯の根が合わず、何度もうなずくだけだった。


 目当ての家が見つかったとはいえ、残った候補を無視するわけにはいかない。

 エイナたちは午後いっぱいかかってすべての家を訪ね、その安全を確認した。


      *       *


 翌日、改めてミハエル夫妻の家を訪れたエイナたちは、半日を打ち合わせに費やした。

 狙われているエミリアは、隣の街区に住む祖母の家に避難することになり、念のためにエイナが護衛として母娘に付き添った。


 午後遅く宿に戻ると、アデリナは自分とニコル(エイナの父)が編み出した、連携手段をいろいろ教えてくれた。

 今回使用する作戦は、その中でもきわめて単純なものであった。


「吸血鬼に高い魔法耐性があることは、エイナちゃんも知っているわよね?

 それでも、熱や炎で攻撃する魔法は有効だと言われているし、実際あたしの経験でも、そうだと言えるわ。

 まぁ、結局のところ相手が真祖じゃない限り、魔法でも何とかなるのよ。一応はね」

「何だか、奥歯に物が挟まったような言い方ですね?」


「魔法は工夫しないと、使い勝手が悪いのよ。

 エイナちゃん、ポテル村で吸血鬼を倒したって言ってたけど、楽勝だった?」


 エイナは首を横に振った。

「いいえ。倒すことよりも、相手を外へ追い出すのに苦労しました。

 家の中だとファイア・ボールが使えなくて……」

「そうでしょ? だから、あたしみたいな物理攻撃が得意な前衛タンクがいる場合、魔導士は補助に回る方がうまくいくの。

 重力魔法なんか、その代表ね」


「それ、私は使えません」

「ニコルは普通に使ってたわよ?」


「不肖の娘ですみませんでしたね。

 真面目な話、お父さんみたいな天才と比べないでください」

「大丈夫。重力魔法が駄目でも、ほかにいくらでも手はあるわ。

 さっき話した明日の作戦は、基本技みたいなものね。初歩的な魔法だから、問題ないでしょ?」


「並行起動なんて初めてですけど、多分できると思います。

 夕食後に練習しますから、付き合ってください」


      *       *


 当日は朝から雨で、夏にしては肌寒い一日だった。

 ミハエルの家は、木造の平屋だが建坪は大きく、部屋数多かった。

 溺愛する一人娘にねだられれば、個室を与えたくもなるだろう。


 エイナたちは昼過ぎにはこの家に来た。

 打ち合わせ事項を再確認し、準備を点検すると、あとは夜まですることがない。

 それまでの間は、青ざめた顔をしている両親、特に母親の緊張を解きほぐすように努めた。


 早目の夕食をいただくと、エイナはエミリアの部屋に入った。

 軍服から下着まで脱いで全裸になると、彼女は用意されていた娘の服に着替えた。

 ベッドの上に畳まれていた寝巻と下着は、エミリアが実際に身に着けていたもので、あえて洗濯をしていなかった。

 これは、事前にアデリナが要請していたことである。


 同性とはいえ、他人が脱いだままの下着に触れることに、エイナは強い抵抗を覚えたが、アデリナはまったく取り合わなかった。


「吸血鬼は鼻がいいって、何度も言ったわよね?

 相手は一度下見に訪れていて、エミリアの匂いを記憶しているはずよ。

 違う匂いがぷんぷんしたら、簡単にバレて警戒されるわ。命がけの仕事を舐めないでちょうだい。

 それじゃ、あたしは扉の前で待機しているから、打ち合わせどおりにやるのよ」


 アデリナは部屋を出ると扉を閉め、廊下の床にべたりと座り込んだ。

 一方、寝間着姿となったエイナは、ベッドの上に潜り込んだ。

 外が雨なので、窓は鎧戸を閉めた上に雨戸を引いている。ランプを消すと部屋は真っ暗になった。


 彼女は毛布を頭まで引っ被った。

 ほんのりと湿っていた下着がエイナの身体で温められ、エミリアという娘の体臭がはっきりと感じられた。

 エイナは人よりも嗅覚が鋭いので、ろくに身体を洗えない軍隊生活では、いつも苦労してきた。

 男性はまったく異質な臭いなので、麻痺をして何とも思わなくなったが、女性の場合は、いつまで経っても慣れなかった。


 エミリアのそれも、別に臭いというつもりはない。ただ、どうしても生臭さを感じてしまうのだ。

 自分だって同じような匂いを出しているのだから、これは同族嫌悪というものなのだろう。


 エイナは毛布の中で目を開けたまま、聴覚に神経を集中させていた。

 それほど敏感ではないが、彼女も吸血鬼の気配を感じることができる。

 後は暗闇の中、ひたすら待つしかなかった。


 一時間以上は経ったはずだ。

 エイナの頭の中に突然、警報が鳴り響いた。

 何か音が聞こえたわけではなく、ぬめっとした粘液が床から溢れ出てきた気配がしたのだ。


 彼女は気取られないように、自然な呼吸を続けることに必死になった。

 最初に感じた不定形な気配は、すぐにはっきりとした人間のそれへと変わった。

 侵入者は、部屋に異常はないかを確かめるように周囲を見回し、それからベッドへと近づいてきた。


 毛布越しに肩に手が触れた瞬間、エイナは抱え込んだ片足を、思い切り蹴り出した。

 裸足の踵が鳩尾に沈み込み、一瞬遅れて相手が後方に吹っ飛んだのが、闇の中でもはっきりと分かった。

 それと同時に、空中に強烈な閃光が発生して、部屋の中を真昼のように照らし出した。あまりに強すぎる光で、すべてが色を失って真っ白に見える。


 壁まで蹴り飛ばされた男は悲鳴を上げ、目と腹を庇って床を転がった。

 同時に扉が乱暴に開き、アデリナが飛び込んできた。


 侵入者は目を庇っていた腕を下ろし、慌てて周囲を見回した。

 部屋を照らす強烈な光は、吸血鬼にダメージを与える太陽光ではなかったのだが、それに気づくのが遅れ、彼の命取りとなった。


 吸血鬼が必死で探しても、どこにも暗闇がない。

 明かり魔法による光源は複数あって、それぞれが位置を変えて部屋を多方向から照らしたので、吸血鬼が逃げ込める影の発生を許さなかったのだ。


 飛び込んできたアデリナは、姿勢を低くして背中を丸めた。

 長刀の鞘が撥ね上げられ、肩を滑って前に落ちてくる。

 アデリナはその長い柄を握ると、一気に刀身を引き抜いた。


 浅く湾曲した片刃が光を反射して一閃し、次の瞬間には吸血鬼の頭が、重い音を立てて床に転がっていた。

 エイナには、いつ吸血鬼が斬られたのかが分からなかった。アデリナが刃を抜く動作しか見えなかったのだ。


 首を刎ねられた吸血鬼は、完全に絶命していた。

 床と壁に飛び散った鮮血がどす黒く変色し、嫌な臭いのする煙を上げて蒸発を始めていた。


「ご両親を呼んできなさい!」

 アデリナの強い口調にエイナは我に返り、裸足のまま慌てて部屋を出ていった。

 敵を斃したら、速やかに被害者の両親を呼ぶことは、事前の打ち合わせで決められたはずだ。


 吸血鬼の死骸はすぐに崩壊を始め、あっという間に黒い灰になる。

 被害者の両親にそれを見せることで、討伐の確認をさせると同時に、安全になったと納得させる、大切な段取りである。


 両親は自分たちの部屋に籠っていたが、当然眠れるはずがない。

 エイナが外から呼ぶと、すぐに跳ね起きて出てきてくれた。

 彼らが娘の部屋に駆けつけると、吸血鬼の肉体は半分以上崩れて、白い肋骨や腰骨が露出していた。

 切り落とされた頭部の崩壊はそれよりも遅く、虚空を睨む瞳と目が合った奥方は、悲鳴をあげて気絶してしまった。


 父親のミハエルは、吸血鬼の最期を食い入るように見詰めていた。

 そして、すべてが黒い灰になると、こらえていた嗚咽を洩らした。

 幸いなことに奥方はすぐに目を覚ましたので、介抱はミハエルに任せ、二人は家を出て夜の町を宿屋へと帰った。

 もちろん、エイナは自分の服と下着に着替え直していた。


 まだ雨は止んでいなかったが、だいぶ小降りになっていた。

 時刻は夜の九時を過ぎており、飲み屋街でもない限り、通りに人の姿はない。


 道すがら、アデリナはエイナの働きをねぎらってくれた。

「初めての連係にしては、なかなか上手にできてたわよ」


 誉められても、エイナは釈然としない。

「でも、私がやったのは明かり魔法で部屋を照らしただけです。

 あまり役に立った気がしません」

「そんなことないわ。吸血鬼が逃げ込む闇を封じるのって、大事なことなのよ。

 闇に触れた瞬間に、吸血鬼は生みの親である眷属と連絡が取れるの。

 そうしたら、あたしが生きていたことが、ベラスケスにまで伝わってしまうでしょう?」


「明かり魔法で影を消さなくても、あの太刀筋から逃げられたとは、とても思えません」

「もちろんそうよ。でも、実際の戦いでは、何が起きるかなんて、誰にも分からないもの。

 どんなに自信があっても、保険はかけておく……それが生き延びるコツなのよ」


「経験のなせるわざですか……。

 私、自分の母親の実年齢を知るのが、だんだん怖くなってきました」

「知る必要なんかないわ。何なら、永遠の十八歳ってことにしておいてちょうだい」


 エイナは星の見えない夜空を見上げ、小声でつぶやいた。

「おいおい」

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― 新着の感想 ―
帝国は結構文明進んでるけど、上下水道はどうなってんのかな まだ主婦たちが文字通りの井戸端会議で街の裏ネットワークを形成してる感じなんだろうか
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