二十一 証明
ただならぬ雰囲気にも、アデリナはまったく動揺しなかった。
「その面倒なことって何かしら?
あたしに関係があるって口ぶりよね?」
従業員の男は、彼女を睨んだままだ。
「それを説明する前に、確認したいんですよ。
お客さん、本当に〝吸血鬼狩りのアデリナ〟なんですか?」
* *
アデリナという名前は、南部人なら子どもでも知っている。
彼女が活躍した期間は五年ほどと短かかったが、人々に鮮烈な印象を残した。
黒ずくめの姿はあまりにも有名で、素顔を見た者は少なかったが、黒髪に白い肌の美女だと言われていた。
彼女が忽然と失踪してから二十五年、その間に噂は独り歩きをして、伝説にまで昇華された。
そうなると、偽物が現れるのが世の常である。
実際に吸血鬼を狩る能力があって、自分に箔をつけるために姿を真似るというなら、まだ許される。
しかし、彼女たちの大半は、ただの詐欺師であった。
アデリナの名を騙る女たちは、吸血鬼に苦しむ村に取り入り、金品を要求した。
そして散々飲み食いをした挙句、金を持ち逃げをするのが定番であった。
アデリナの活躍期の終盤には、凄腕の魔導士との二人組になっていた。
そのため、詐欺は男女で現れた。主犯格の男が言葉巧みに金を巻き上げ、女の方は操り人形というケースが多かった。
こうした被害が各地で起こったので、特徴的な格好をしたアデリナがゼルデンの町を歩いても、市民は警戒して近寄ってこなかったのだ。
むしろ『偽物!』と罵声を浴びたり、石が飛んできても不思議ではない。そうならなかったのは、隣りにエイナという魔導士官が付いていたからだ。
宿の従業員も当然疑いを持ったが、何しろ彼女は軍のゲスト扱いである。文句を言えるはずもなかった。
* *
「本物よ。くだらないことを訊かないでちょうだい」
言葉では怒ってみせたが、アデリナは微笑を湛えたままだ。
男はようやく彼女から視線を外し、アデリナの方を向いた。
「中尉さん、軍もそれを認めている……ということですか?」
エイナはうなずいた。
「はい。彼女は本物のアデリナで間違いありません。
まさか軍の魔導将校が、詐欺師と同道するとでもお考えですか?」
従業員はいくらか納得したようだが、厳しい表情には変わりなかった。
「実は夜明け前から、宿の前に人が大勢集まっています。
『アデリナに会わせろ!』の一点張りで、いくら説得しても帰ってくれません。
お客さん、本物だと仰るなら、騒ぎを収めてもらえませんか?」
二人は思わず顔を見合わせたが、すぐにアデリナが男に向き直った。
「分かったわ。この宿に迷惑をかけるのは、私の本意じゃないもの。
任せてちょうだい」
彼女はそう言うと男を押しのけ、大股で土間を突っ切っていく。
エイナは慌ててその後を追った。
* *
分厚い木の扉を押し開くと、外には予想以上の人数が押し寄せていた。
ざっと見たところ、五、六十人はいるだろうか。いずれもごく普通の住民の姿で、女も結構混じっていた。
それを宿の主人が、額に汗を浮かべて宥めている。
黒づくめの姿でアデリナが出てくると、一瞬で場が静まった。
それは数秒しか続かず、群衆は口々に喚きながら、一斉にアデリナを取り囲んだ。
だが、アデリナはその囲みを、あっさりと抜け出してしまった。
こうした店舗の端の方には、必ず馬繋ぎ用の杭があって、馬の乗り降りをするための踏み台も据えられている。
彼女はその踏み台に上がり、狼狽えている群衆に声をかけた。
「みんな、こっちに来てちょうだい。そっちは出入口だから、宿の迷惑になるわ」
人々は一瞬、ぽかんとした。隙間がないほど詰めかけた人々の間を、彼女がどうやってすり抜け、いつの間に馬繋ぎ場まで移動したのか、理解できなかったからだ。
「静まりなさい!」
凛としたアルトが、早朝の通りに響きわたる。
ぞろぞろと移動してきた群衆は、口を閉じて彼女の言葉を待った。
すでに主導権はアデリナが握り、群衆は彼女に呑まれてしまった。
「あたしはアデリナ・ライエン。人は〝吸血鬼狩りのアデリナ〟と呼ぶわ。
あなたたちは、あたしに会うために、夜明け前から詰めかけたのよね?
どういう用なの? 一度に言われても分からないから、誰かが代表して事情を説明してちょうだい!」
群衆は互いに顔を見合わせ、がやがやと話し始めたが、そう時間をかけずに、ひとりの人物を前に押し出した。
五十代半ばと思われる初老の男で、日に焼けた精悍な顔をしている。
彼はアデリナのすぐ前に立つと、高い位置にある彼女の顔を覗き込んだ。
だが、目深に被った帽子の下は暗く、特に顔の決め手となる目が確認できない。
周囲のあちこちから、「どうだカール、本当にアデリナか?」という声が上がった。
カールと呼ばれた男は、被っていた自分の帽子を取って、両手で握りしめた。
「その……ご婦人に対して失礼だとは思うが、頼む! 帽子を脱いで顔を見せてもらえないか?」
アデリナは、黙って大きな帽子を取った。
ハッとするほど白い肌、潤んだ大きな黒目ときりりとした眉、高すぎない鼻、真っ赤な紅を引いた厚めの唇。
そして艶やかな黒髪は、太い三つ編みにして背中に垂らしている。
カールは目を大きく見開き、驚きの声を上げた。
「ああ、何てこった! この三十年間、ひと時も忘れたことがない。
俺の記憶そのままじゃねえか!?
だが、なぜ歳を取ってない、魔女だっていう噂は本当なのか?
いや、それ以前にあんた、本当に本物なのか!?」
厳しくなっていたアデリナの顔に、柔らかな笑みが戻ってきた。
「あら、あなた。あたしと会ったことがあるのね、どこの村?」
「……クリュン村だ」
「村のことは覚えているわ。確か殺したのは、女の吸血鬼だったわね?
でも、ごめんなさい。あなたのことは思い出せないわ」
「そうだろうな。俺はまだ若造で、あんたの馬の世話をしていたんだ。
荷物の積み降ろしもしたから、声もかけてもらったし、顔も見せてくれた」
「そうなの。でもごめんなさい、やっぱり記憶にないわ。
でも、安心して。あたしは間違いなく――」
彼女は言葉を切ると、片手でばっとマントを撥ね上げた。長いマントが肩にかかり、右の半身が現れた。
ぴったりとした革のズボンに編み上げの長ブーツ。黒の革ベストと長手袋。
大きく開いた胸元と、上腕部だけは白い素肌をさらし、黒ずくめの中で眩しく輝いた。
群衆から『ほぅ……』という、感嘆の溜息が洩れた。
その反応を待っていたように、彼女は言葉を続けた。
「噂の美少女剣士、吸血鬼狩りのアデリナよ!」
「おいおい!」
芝居がかった見栄を切るアデリナに、カールの呆れたような返しが入る。
彼は振り返ると、大きな声で断言した。
「俺の首を賭けてもいい、間違いなくこの女は本物だ!」
ぽかんとしていた市民たちは、カールの袖を引っ張り、小声で訊いた。
「おい、今の美少女……とかいう、恥ずかしいやり取りは何だ?」
カールはにかっと白い歯を見せた。
「そうか。あんたらは知らないんだな。
アデリナはな、よく自分のことを〝美少女〟って言うんだが、そんな時は『おいおい!』って、突っ込み返すのがお約束なんだよ。まぁ、一種の遊びだな。
これを平気でやるってことは、間違いなく本人だよ。普通の女なら、恥ずかしくてできないだろう?」
「なるほど……」
妙な納得が、波紋のように広まっていった。プロセスに多少の問題があるが、着地点は悪くない。
アデリナは改めてカールに問いかけた。
「あなたたちの目的は、私が本物なら、この町を襲っている吸血鬼の駆除を依頼すること……で、合っているかしら?」
「ああ、そのとおりだ」
カールの答えに賛同するように、多くの者が同時にうなずいた。
「金のことなら、皆で出し合うから何とかなる。
だからお願いだ、俺たちを救ってくれ!!」
「ああ、お金はいらないわ。
言ったでしょ、今回は軍がついているの。報酬はそっちから、たんまりふんだくるわ」
そして彼女は顔を上げ、今度は群衆に向かって声を張り上げた。
「ここにいる人の多くが、自分の子が襲われる不安を抱えているのよね?
でも、中には行方不明の家族を、必死で探している人だっているはずよ。
残酷なことを言うけど、攫ったのが吸血鬼なら、諦めるしかないわ。
あたしたち狩人が吸血鬼を滅ぼしても、攫われた者が戻ってきた例はないの。南部人なら、それをよく知っているはずよ」
数か所から女の呻き声と、すすり泣きが聞こえてきた。
「それなら、あたしは無力かしら? いいえ、そうじゃないわ。
吸血鬼を斃すことで、あたしは次の悲劇を防ぐことができる。
そしてもっと大切なのは、愛する家族を奪われた者たちの行き場のない怒りを、わずかでも晴らしてやることなの!
約束する。奴らには、必ず報いを受けさてやるって!!」
何人もの血走った目が、食い入るようにアデリナに向けられた。
彼らは流れる涙を拭いもせず、何度も大きくうなずいていた。
「現在、この町には四人の吸血鬼が出没しているわ。
奴らは街道と大堰で町を四つに区切り、自分の縄張りにしているようね。
そして、これまでの被害を分析した結果、各地区の次の襲撃日が判明したの。
最も切迫しているのは北東地区、襲撃日は明後日の夜よ!」
「おお……!」
驚きの声とともに、群衆のざわめきが大きくなった。
彼女がもうそこまで具体的に知っているとは、思っていなかったのだろう。
「何もしなければ、次は南西地区で九日後、南東地区が十二日後、そして北西地区が二十日後と続くでしょうね。
この三地区の人は当面安全だから、今日のところは帰ってもいいわ。
それより、北東地区に住んでいる人はどれだけいるの? ちょっと手を挙げてちょうだい!」
アデリナの呼びかけに、十五人ほどが挙手をした。その中には、カールも混じっている。
「じゃあ、その人たちは前に出てきてちょうだい」
先ほど手を挙げた者たちが、不安そうな顔でアデリナの前に集まってくる。
ほかの地区の人間は、その周りを取り囲んで見守っている。
彼らはアデリナが『帰ってもいい』と言っても、誰ひとり従わなかった。
皆、彼女がどうやって吸血鬼を見つけ、斃すのかを知りたいのだ。
「さっきも言ったとおり、襲撃は明後日の夜。だからもう時間がないの。
皆、手伝ってくれる?」
「何でも言ってくれ! 俺たちにできることだったら、何だってやる」
カールがそう請け負い、他の者たちも口々に同意した。
「ありがとう。
まず、北東地区といっても広いわ。この中から狙われている家を絞り込まなきゃいけないの。
これまでの被害者には共通点があってね、全員がひとりで眠っている時に襲われている――つまり、子どもに部屋を与えている、比較的余裕のある家が危ないのよ。
北東地区には、区長みたいな役職があるの?」
「いや、そういうのはないが、町内ごとの世話人だったらいる。全部で十二町内だな」
「じゃあ、手分けして彼らに事情を説明してほしいの。該当する家をリストアップできたら、あたしに報告してちょうだい。
急がせて悪いけど、お昼までにできるかしら?」
「お安い御用だ!」
カールが胸をどんと叩いた。
彼はすぐさま仲間たちと円陣を組み、誰がどの町内を担当するかの割り振りを始めた。
アデリナは、まだ残っていた他地区の者たちに、帰るように促した。
「当分の間、子どもたちは両親と同じ部屋で寝させるようにしてちょうだい。
それとベッドの側に、すぐに手に取れるような武器を用意しておくことね。武器といっても、干草を集めるフォークで十分よ。
分かったら帰ってちょうだい。そうでないとあたし、宿の人から怒られちゃうわ」
* *
「何だか私、ただ突っ立ってただけで、役に立ちませんでしたね」
エイナはフォークで皿をつつきながら、溜息を洩らした。
宿の前に押しかけてきた群衆はすべて解散し、エイナたちは食堂で遅めの朝食にありついていたのだ。
「そんなことないわよ。
エイナちゃんは、立っているだけでよかったの。後ろに軍がついている証拠なんだもの」
「そういえば、やけに軍のことを持ち上げてますよね。
オルロック伯と何か取引したんですか?」
「さぁ、何のことかしら?」
アデリナは固くて少し酸っぱい黒パンを、口に詰め込んだ。
「でも、不思議ですね。
どうして夜明け前から、町中の人が押しかけてきたんでしょう?
私たちがここに泊っていることも、知っていたってことですよね?」
「だから昨日言ったじゃない。狙われている家の特定なら、手伝いの人が来るから心配いらないって。
そのために、お昼は未亡人の食堂に行ったし、夕食はわざわざロブの店まで出かけたのよ。
ひょっとしてエイナちゃん、気づいていなかったの?」
「……あ!」