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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第十章 復讐するは
352/359

二十 料理屋

 それはヤン中尉がまとめてくれた、行方不明者の詳細リストだった。

「エイナちゃん、まだ読んでいないでしょ?

 今のうちに、ちゃんと目を通してちょうだい」


 アデリナはそう言うと、欠伸あくびをしながら大きく背伸びをした。

 そして、懐から煙管きせるを取り出し、煙草を詰めてエイナに向けて突き出した。


「私、煙草は吸いませんよ」

「知ってるわよ、そんなこと。

 そうじゃなくて、火を貸してってこと。魔法でちゃちゃっと出せるんでしょ?」


 エイナは少し顔をしかめ、いかにも〝仕方がない〟という表情で短い呪文を唱えて、指先に火を灯した。

 アデリナは身を乗り出して羅宇らう(先端の煙草を詰める部分)を火に入れ、空気を吸い込んだ。

 紫煙がゆらりと立ちのぼり、煙草独特の臭いが周囲に広がる。


 エイナはベッドから降りて、窓の鎧戸を押し上げた。

 戻ってくると、恨めしそうな視線を母親に向ける。

私の(・・)お母さんは、煙草なんて吸いませんでしたけど」


「エイナちゃんのために我慢してたのよ。感謝しなさい。

 でも、時々は隠れて吸ってたんだけどね」


 この世界では、喫煙習慣がごく当り前に広がっていて、その率も高かった。

 男性ほどではないが、女性の喫煙者も珍しくない。


「私……煙草は嫌いです。子どものころから」

「どういうこと?

 少なくとも、あたしはあなたの前じゃ吸わなかったし、ニコル(エイナの父)はもっと偉かったわ。彼、あたしが妊娠したって知った日から、きっぱり煙草を止めたのよ。

 家じゃ誰も吸わなかったんだから、好きも嫌いもないじゃない?」


「アイリ叔母さんとゴーチェ小父さんは、二人とも吸っていました。

 小父さんはよく、あたしの顔に煙を吹きかけて笑うんです。

 逃げようとすると殴られるから、黙って我慢するしかなくて……とても嫌だった」

「ああ、あたしが消えた後の話ね。

 悪かったとは思っているわ。でも、何度も言うようだけど、仕方がなかったのよ」


 エイナは小さく首を振った。

「分かっています。だから、気にしないでください」


 そして、エイナは黙って資料を読み始めた。

 アデリナは煙草を吸いながら、娘の姿を複雑な表情で眺めていた。


      *       *


 アデリナの方は、この資料に目を通していた。錆猫亭にいた時だ。

 エイナは食べるのがやや遅かったが、それ以上にアデリナは早過ぎであった。

 時間を持て余した彼女は、資料を読み始めた。


 エイナは呆れたような顔で母を見上げた。

「そんなに急いで食べなくても……料理は逃げませんよ」


 アデリナは視線を書類に落としたまま、答えた。

「早飯、早糞は武人のたしなみ――軍で教えられなかった?」

「そういう教官もいましたが、強制まではされなかったです」


「あら、王国軍はやっぱり緩いのね。帝国は徹底しているわよ。

 特に排便時って一番無防備だから、自然と身につくのよ。

 野糞している時に襲われてみなさい。丸出しのお尻を見られるのはともかく、ズボンとズロースを足首まで下ろした状態で、満足に敵と戦えると思う?」


 エイナは何も答えずに、黙って食事を続けた。

 これ以上この下品な話題を続けては、ほかのお客さんに迷惑だったからだ。


      *       *


「読み取るべきは、犠牲者の共通点でしょうか?」

 エイナはめくっていた書類を元に戻し、顔を上げてアデリナに訊ねた。


「そうよ。次の被害者を予測するには、まず把握しておくべき情報だわ。

 それで、何か分かった?」

「そうですね……まず、男女ともに被害に遭っていますが、年齢が十六歳から十八歳の未婚ということが共通しています。

 家族構成に特徴は見られません。ただ、比較的裕福な家庭が多いと思われます」


「あら、資料に被害家族の資産状況なんて書いていなかったわよ。

 どうしてそう思ったの?」

「襲われた場所がすべて被害者の個室で、ひとりで寝ていたとあります。

 親や兄弟姉妹と同じ部屋だと、騒がれる恐れがありますから、これはうなずけます。

 そして、子どもに個室を与えるなんて贅沢は、ある程度余裕のある家庭でしか、許されないと思います」


「合格よ。それだけ条件が絞れれば、かなり捜しやすくなるでしょ?」

「この町、四、五万くらいの人口ですよね?

 つまり、ひとつの街区で一万人以上、千数百世帯の住民がいるってことになります。

 次の襲撃まで猶予は三日。それまでに全部を調べるなんて、絶対に不可能です。

 もし可能だとしても、対象者は相当の数になるはずです」


「あら、あたしたち二人だけでやるなんて、誰も言っていないわ」

「あ、そうか! 軍の出張所に協力させるんですね?」


「残念、不正解よ。あたしヤン中尉に、何人兵を出せるか質問したでしょ?

 根こそぎ動員しても十三人よ。実際には六、七人が限度ってとこね。焼け石に水だわ」


「それじゃ、どうやって探すつもりですか?

 どうやって本命を特定するんですか?」


 エイナの声音に苛立ちが混じった。

 彼女はどうしても、アデリナが〝母親〟だという意識が抜けない。

 普段は穏やかでのんびりした性格なのに、どうしても肉親相手だと感情をぶつけやすくなる。


 だが、アデリナは肩をすくめてみせた。わざと挑発するような仕草だ。

「ちょっと落ち着きなさい。

 まず調査の件は、明日には手伝いが来てくれるから、心配しなくていいの。

 それと、その先の絞り込みのことだけど、裕福な家なんてそう多くないから、せいぜい三十軒前後だと思うのね。

 丸一日あれば回れる数よ。実際に見れば、吸血鬼が出るかどうかなんて、一発で分かるわよ」


「えっ……!」

 エイナから、思わず驚きの声が洩れる。

 その反応に気をよくしたアデリナは、ますます芝居がかった口調になる。


「もうっ、エイナちゃんったら! あなたの目の前にいるのは誰?

 美少女剣士〝吸血鬼狩り(ハンター)のアデリナ〟よ!」

「いや、その美少女っていらないですから。聞かされる私の方が恥ずかしいです」


「あなた、ポテル村で吸血鬼をったのよね?」

 いきなりアデリナの声が低くなった。


「え、……ええ」

 エイナはその気迫に、思わずたじろいでしまう。


「吸血鬼のこと、最初に気づいたのは誰?」

「えと、あの、アリッサさんが教えてくれました。吸血鬼の臭いがするって」


「アリッサ?」

「オルロック伯爵の眷属です。私の護衛についていた……」


「ああ、あの変態糞野郎の性玩物オモチャね、汚らわしい!

 ……まぁ、いいわ。吸血鬼は鼻がいいし、同族の臭いには敏感。

 だからダンピールのあたしも、その能力を受け継いでいるの」

「そう……なんですか」


「さて、吸血鬼は用心深いから、いきなりは襲ってこない。何日か前に、必ず下見に来るのよ。

 本当にひとりで寝ているかとか、部屋の間取りや脱出経路の確認ね。襲撃が三日後なら、下見は間違いなく済んでいるわ。

 つまり、あたしが気づくくらいの臭いを残していってるってこと。

 狙われている人の特定は、とても簡単なのよ」


 アデリナは煙管をぽんと手に打ちつけた。足元に置いた灰皿の中に、灰の塊りがぶつかり、潰れて広がった。


      *       *


 エイナはアデリナに連れられて、再び宿を出た。

 もう夕方になったので、早目に食事を済ませておこうという話になったのだ。


 アデリナは南部の大半の村を訪ねている。当然、その中心となるゼルデンは、よく知っている。

 そこで、自分が知っている美味しい店に、エイナを案内しようという話である。もちろんエイナに断る理由はない。


 問題は、彼女の記憶が二十五年も前のもので、その店がまだ存続しているかどうかだった。

 ただ、二人は運がよかったらしい。最初に向かった料理屋の軒先には明かりが灯り、ちゃんと営業していた。


 そこは、こじんまりとした農家風の家屋だったが、入ってみると外からの印象とは真逆の雰囲気だった。


 板張りのよく磨かれた床には、白いクロスがかけられた丸テーブルと、優雅な曲線を描く椅子が並び、客の訪れを行儀よく待っていた。

 壁には乾燥させたバラが大量に下がっていて、仄かな芳香が漂っている。すべての窓には、レースのカーテンがかかっていた。


 食事を楽しんでいる先客の身なりも洗練されて、いかにも裕福そうな感じを受けた。

 軍服姿のエイナと、黒ずくめで長剣を背負ったアデリナは無粋で、どう見ても場違いに見える。

 だが、アデリナはまったく気にする様子もなく、給仕の案内に従って席に着いた。


 給仕は黒革の表紙のメニューを差し出そうとしたが、彼女はそれを断って、慣れた様子で注文を伝えた。そして、最後にこう付け加えた。

「ここにくるのは、ずい分と久しぶりなの。

 料理長シェフはロブで変わりないかしら?」

「左様でございます」


「でしたら、食事が終わってから、ぜひご挨拶がしたいわ。

 彼に『アデリナが来た』って、伝えてくださいな」

「かしこまりました」


 給仕は丁寧にお辞儀をして、奥へと消えていった。

 アデリナは店内を見回すと、嬉しそうにエイナに語りかけた。


「ここも大分変わったわ。昔は本当に田舎家風のお店だったのよ。

 でも、料理長が変わっていないなら、ラビオリの味も変わっていないはずだわ。

 とても美味しいのよ」


 ラビオリは二枚の麵生地の間に挽肉や野菜、チーズを挟み、茹でてソースをかけた料理だ。

 本当はマウルタッシェンというのだが、エウロペ風の名の方が広まっている。

 アデリナが頼んだのは、これに歯応えのあるねじりパン、そして赤ワインであった。


 出された料理は、アデリナが自慢するだけのことはあり、本当に美味しかった。

 ただ、エイナはあまりお酒が得意ではないので、ワインの方はアデリナが独占することになった。


 大満足の食事が終わり。給仕が皿を下げると、入れ替わるようにして、白衣を着た老人が奥から出てきた。

 きれいな白髪と白い髭を蓄え、柔和な表情をした老人は、もう七十歳を超しているだろう。

 彼はテーブルの脇に立つと胸に片手を当て、アデリナに向かって丁寧に頭をさげた。


「これは驚きましたな。本当にアデリナだ。

 ですが、あなたはちっとも歳を取っていない。私は夢を見ているのかな。

 もしかして、実はアデリナの娘さん……とか言わないですよね?」

「嫌だわ。あたしは本物の美少女吸血鬼狩り(ハンター)、アデリナその人よ。

 あなたも南部人なら、聞いたことがあるでしょ? アデリナは殺した吸血鬼の血で、若さを保っている魔女だって噂。

 それと、あたしが戻ってきた噂も届いていないの?」


「まさか。あなたが暮れに戻ってきたという話は、誰でも知っていますよ。だけど、三か月前にまた、忽然と姿を消したとも聞きました。

 だから皆、戻ってきたのはあなたの亡霊ではないかと噂していたところです」

「あはは、お生憎あいにくさま。あたしはちゃんと生きているわ。

 幽霊が食事をするなんて話、聞いたことがないわ。

 実はね、結構大きな怪我をして、しばらく療養していたのよ。それが治ったから、もう一度戻ってきたってわけ。

 そしたら、またぞろ吸血鬼が出ているっていうじゃない?

 あらかた潰したと思ったのに、本当にゴキブリ並みにしぶとい奴らだわ」


「そうでしたか、それは皆も喜びますでしょう」

「まぁ、任せといて。この町を出るまでには、きれいに退治してあげるわ」


「ゼルデンには、どのくらい滞在されるのですか?」

「そうね、掃除には十日くらいかかるかな?

 大通りの〝麦倉屋〟っていう宿屋、知ってるわよね? あそこに泊まっているから、何かあったら訪ねてきてちょうだい」


「それでは、ほろほろになるまで煮込んだ、特製(タン)シチューでも差し入れに行きましょうかな?」

「わぁ! それって裏メニューよね? 楽しみに待っているから、絶対よ!」


 アデリナは立ち上がると、恰幅のよい料理長の身体を軽く抱きしめた。背は彼女の方が少し高い。

「行くわよ、エイナちゃん」


 声をかけられたエイナも、慌てて立ち上がる。

 料理長は少し遠慮気味に訊ねた。


「そちらの軍人さんは、肩のマントからして魔導士様のようですが……?」

「ああ、このはエイナ。

 あたしが怪我をして、しばらく休んでたって言ったでしょ?

 それを聞いた軍が、援護してくれることになったのよ」


「おお! では、ついに軍も動く気になったということですな!?」

「そういうことみたいね」


 料理長は数人いる給仕たちを呼んで、全員で外まで見送ってくれた。

 彼が約束してくれたシチューは、これまた絶品だったのだが、それは後日の話となる。


      *       *


 翌朝、夜明けとともに起きたエイナとアデリナは、顔を洗って着替えを済ませ、朝食を摂ろうと宿の食堂に向かった。

 この麦倉屋という宿は、既に説明したが、平屋で奥へ長い建物となっている。

 客室は長い廊下に面して、ずらりと並んでいた。


 二人は少し薄暗い廊下を、宿の正面に向かって歩いていった。

 真っ直ぐ進むと、大小のテーブルや椅子、ソファなどが並ぶ、広い土間に出る。

 ここは宿泊客が自由にくつろいだり、商談などもできるロビー的な空間で、様々な用に対応する宿のカウンターもある。

 それが通りから見た正面の右半分で、左半分は食堂となっていた。


 宿の食堂は宿泊客以外も利用でき、入口が別になっている(宿泊客は外に出ずとも、土間から入っていける)。

 特に美味いとか安いというわけではなく、いずれも〝そこそこ〟なのだが、結構繁盛していた。

 早発ちの客に対応するため、夜明けと同時に開店するためである。


 エイナとアデリナは、前の日もここで朝食を摂った。

 塩蔵肉の薄切りと目玉焼き、それに黒パンと山羊バター、タマネギのスープというメニューだった。

 これで銅貨二枚だから、それこそ〝そこそこ〟である。


 二人は「今朝も同じメニューにしよう」と話しながら、廊下を進んでいった。

 だが、ロビーとなる土間の手前で、彼女たちの足がぴたりと止まった。

 入口を塞ぐようにして、宿の従業員が待ち構えていたのだ。


 二人分の宿代は、エイナが支払うことになっていたから、彼女が主客である。

 宿は支払い主の身分は確認するが、その連れのことまでは訊かない。何かあったら、主客が責任を取るのが常識なのだ。


 それなのに、従業員の男の目は、最初からアデリナに向けられており、しかもあまり好意的なものではなかった。


 彼は少し背を屈め、鍔の広い帽子で隠れたアデリナの顔を、下から覗き込んだ。

「実は、朝っぱらから面倒なことになっておりましてね。

 お客さんにお訊ねしたいんですが……よろしいですかね?」


 その声には、有無を言わせぬ圧力があり、抑えた怒りが感じられた。

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