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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第二章 ケルトニアの魔導士
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十一 迎撃

 エイナを怒鳴りつけたケネスだったが、その目元は笑っていた。

 お陰でエイナは委縮することなく、気になって堪らないことを訊ねることができた。


「フォレスター大尉、ひとつ質問があるのですが?」

「何だ?」


「大尉殿は、私たちが危険を知らせてから、信じられない短時間で防御魔法を発動されました。

 事前に準備をしていたとは思えませんし、どうしたらあのようなことが可能だったのでしょうか?」


「お前の氷結魔法を見ていたが、圧縮二重呪文を使っていたな?」

「はい」

 エイナは素直にうなずいた。


「あれを三重にすれば、発動時間は半分以下にできる。

 俺もそれを使った。一流と言われる魔導士なら習得している技術だ」


 それは半ば予想していた答えだったが、疑問の半分しか解決してくれなかった。

「残念ながら、私はまだその技術を習得しておりません。

 私の教官が三重圧縮呪文を使ったのを見たことがありますが、あれは独特の、その……複雑な歌のような感じでした。

 ですが、フォレスター大尉殿の口から、そのような呪文は聞こえませんでした。

 第一、術の発動直前まで、大尉殿は私たちと会話を交わしていたはずです。呪文はいつ唱えていたのでしょうか?」


 ケネスは自分の頭を指さしてみせた。

「ここだよ。頭の中で唱えていた。コツさえ掴めば可能だと俺は思っているが、ほかにできる奴を見たことがないから、特殊な才能なのかもしれんな。

 まぁ、口で唱えた方が圧倒的に楽だから、わざわざ覚えようとする物好きはいないってことだろう」


「私は覚えてみたいです!」

 エイナの目が輝いた。彼女は知識欲――特に魔法に関しては極めて貪欲だったのだ。


「お前は見どころがありそうだから、機会があった教えてやるさ。

 その前に、さっき言った呪文に没頭する癖を直しておけ。

 頭の中で呪文を詠唱しながら会話をするには、意識の切り分けが必要となる。エイナの場合はそれ以前の問題だ」


「はい!」

 エイナは元気よく答えた。欠点を指摘されたことも、知らなかった技術の存在を知ったことも、どちらも嬉しかった。

 敬遠していたケネスが、いきなり頼もしい男性に見えてきたから現金なものである。


 エイナたちはその後もケネスを交え、今後の警備態勢について話し合っていた。

 着替えたサーラは話に加わることができないので、ベッドの上でカー君をじゃらして遊んでいた。


 やがて外からカンカンと鐘を叩く音が聞こえてきた。

 もうすぐ川港に着岸するという合図である。もう夕暮れが近くなっていたのだ。


 船上に出ると雨は上がっており、他の乗客は下船を待つ列を作っていた。

 エイナたちもその列に加わった。二人の娘は襲撃を警戒して極度に緊張していたが、ケネスとサーラは呑気にくつろいでいた。

 経験豊富な軍人であるケネスはともかくとして、サーラの度胸もなかなかのものである。


 川港には船客相手の商店のほか、食堂、貸しシャワー屋、簡易宿などが軒を連ねている。

 彼らは川港に宿を取ることも検討したが、一般乗客の接近が難しく守りやすいという理由で、船の個室での就寝を選択した。


 買い物を済ませると食堂で温かい食事を摂り(ケネスとサーラはビールも楽しんだ)、二時間ほどで船に戻った。

 個室に通じる通路には船員がいて、一般客が入らないよう見張っていてくれる。

 彼はエイナたちを確認すると、隣室の片付けと清掃が終わったことを教えてくれた。

 

 一行は二人ずつに分かれ、それぞれの部屋に入っていった。

 とんでもない一日だったが、それもようやく終わろうとしていた。


      *       *


 深夜二時を回ったころ、船底の一般客室では男たちのいびきだけが響いていた。

 中二階の個室には、しっかりとした隔壁によってそんな騒音も遮断され、静まりかえっている。

 昼間にネズミの襲撃があったばかりで、今夜はケネスも自重したらしく、エイナとシルヴィアを悩ませ続けていたサーラの喘ぎ声も聞こえてこなかった。


 清掃が終わった部屋ではあったが、ネズミの群れが開けた天井や床の穴は修繕されないまま、ぽっかりと黒い闇を覗かせていた。

 その天井の一隅から骨ばった細い指が現れ、天井の板を掴んだ。

 そのまま手が引き上げられると、四角い天井板の一枚が音もなく取り去られた。

 開いた空間から人の影が落ち、絨毯の張られた床に着地したが、まるで猫のように音を立てなかった。


 床の上にうずくまった人影はゆっくりと立ち上がった。部屋に灯された小さな燈明に照らされて、その姿がぼんやりと浮かび上がった。

 全身に黒っぽい布を巻きつけたような恰好で、痩せて背の高い男だった。


 二つあるベッドでは、薄い毛布を頭まで被った膨らみが微かに上下をしている。どちらも熟睡していて、男の侵入には全く気付いていないように見えた。


 立ち上がった男の顔は、黒っぽいフードに隠れてよく見えなかったが、少し戸惑っているようだった。部屋の両側にあるベッドのどちらに向かうべきか、迷っているのだ。

 だが、やがて毛布の膨らみが大きい方を第一目標と決めたらしい。

 相変わらず物音を立てぬまま、男は慎重に目的のベッドに歩み寄ると、片手を振り上げた。

 その手に握られた半月刀シャムシールが、常夜灯の頼りない光を反射してぎらりと光った。


 無造作に刀を振り下ろそうとした瞬間、男の視界がいきなり奪われた。

 ぶわっと毛布が撥ね上げられ、男の眼前を覆ったのだ。

 だが、振り下ろした腕の動きは止まらない。

 不気味な輝きを放つ半月刀シャムシールは、薄い毛布を易々と刺し貫いたが、その先で何かに受け止められた。

 ガチッという鈍い金属音は、剣による抵抗だと直感で分かった。


 男は予備動作なしに、いきなり後ろへと大きく跳び下がった。

 その誰もいなくなった空間へ、撥ね上げられた毛布を巻き込んだ蹴りが突き刺さった。

 逃げていなければ、もろに腹へ入っていただろう。


 蹴りが空振った次の瞬間、ベットからシルヴィアが飛び降りた。

 片手に抜身の長剣を握り、軍服を着用し軍靴も履いたままである。

 部屋の反対側でも、同時にエイナが飛び起きていた。彼女もまた右手に剣を構え、左手を前に突き出していた。


「シルヴィア!」

 エイナが鋭く叫び、剣を握った右手で自分の両眼をかばった。

 彼女の警告に応えるように、シルヴィアも同じを動きをする。


 壁際に後退した男は、ほとんど間を置かずにエイナの方へ突進しようとした。

 飛び込んできたその目の前で、白い光が炸裂した。

 音も衝撃もない。ただ、強烈な明かりがエイナの突き出した手の先に生まれ、部屋の中を白黒の世界に染め上げた。


 それは閃光魔法の一種だった。単純に爆発的な光を発生させるが、それ以外には何の害もない術である。

 ただし、強烈な光の爆発は網膜を焼き、まともに見てしまった者の視力をあっさりと奪う。最初から分かっていて目を庇ったエイナとシルヴィアは、言うまでもなく無事である。


 エイナに飛びかかろうとした男も、魔法の発現と同時に目を庇ったが、一瞬遅くまともに閃光を浴びてしまった。

 視力を失った男は再び壁際まで跳び下がり、その場に膝をついてうずくまった。


 すかさずシルヴィアが低い姿勢で突進した。

 男が視力を回復するまで、最低でも数秒はかかるはずだった。その間に敵を倒す覚悟である。

 三つ編みにした金髪が宙で踊り、ふうのような勢いで長剣が男の胴を薙ぎ払った。


 ガチッ!


 再び金属音が響き、男の三日月刀はシルヴィアの長剣を受け止め、そのまま上方に撥ね上げた。

 腕が上がり、がら空きとなった彼女の胸へ、今度は男の刀の突きが入った。

 左の乳房の下、正確に心臓の位置を狙った一撃である。


 シルヴィアは撥ね上がられた長剣を力任せに振り下ろし、すんでのところで敵の剣先を叩き落した。

 男の三日月刀は、シルヴィアの剣の圧力から逃れると、刀身を滑らせるようにして彼女の手首を狙ってきた。

 今度はシルヴィアが跳び下がる番だった。


『強い!』

 シルヴィアは血が噴き出すほどに唇を噛んだ。

 剣技には絶対の自信を持っていた彼女だけに、相手の技量が自分を上回っていることが本能的に理解できた。


「エイナっ! こいつ視力を失っていないわ、気をつけて!」

 そう叫ぶのが精一杯だった。


 男は猛然と打ち込んできた。刀の軌道が変幻自在で、受けるのが精一杯となる。

 シルヴィアは反撃の糸口が掴めないまま、じりじりと後退していった。

 だが部屋はそう広いわけではない。後退するにも限度があった。


 ただ、シルヴィアを追い詰める代わりに、男も無防備に背中をさらすことになる。

 エイナは敵の背後に回り込み、無言で後ろから切りつけた。

 気合を発しなかったのは、その間も呪文を唱え続けているためである。彼女はケネスに叱られたことを忘れておらず、呪文に没頭することなく動いてみせた。


 エイナはシルヴィアほど強くはないが、並みの男性兵士となら、互角に打ち合えるくらいの技量は持っていた。

 しかし、彼女の繰り出した必殺の一撃を、敵は易々と弾き返した。まるで背中に目がついているようで、振り向きもしない。


 エイナは弾かれた剣を素早く身体に引きつけると、敵の背中に向けてもう一度突進した。

 捨て身の突きも簡単にかわされ、彼女の剣は危うくシルヴィアを突き刺すところだった。


 男の動きは明らかに異常であった。閃光魔法で焼けた網膜は、そう簡単には回復しないはずである。それ以前に、背後から襲ったエイナの攻撃をすべて見切っているのが理解できない。


 自分がシルヴィアの助けになっていないと自覚したエイナは、打ち合う二人から距離を取った。

 彼女は剣士ではなく、魔導士である。閃光魔法を放った直後から、次の攻撃魔法の準備に入っている。ここは魔法攻撃に専念した方が得策である。

 だが、長く複雑な呪文はまだ半分にも達していない。発動までにはあと五分以上かかりそうだった。


 エイナは油断なく剣を構えながら、呪文に集中した。

『もっと早く、もっと早く唱えろ!』

 頭の中でそう言い聞かせても、もどかしいほどに呪文は進まない。

 構築された術式はすべて頭に入っている。だが、喉と舌は彼女がイメージするほど速く動いてくれないのだ。


 彼女のわずか数メートル先では、シルヴィアが必死の防戦を続けている。

 刀身が激しくぶつかり、時々火花が散っていた。

 エイナは焦っていた。親友が劣勢なのは見れば分かる。なぜ自分はこんなにも役立たずなのだ!


 彼女の頬には悔し涙が伝っていた。自分が情けなくて仕方がなかった。

 いま唱えているのは、圧縮多重呪文と呼ばれる複雑な発音で構成された術式である。

 高度な技術であるだけに、少しでも気を逸らせば、あっという間に崩壊するか暴走するかである。


 焦燥に駆られながらもエイナは呪文への集中を切らさず、同時にシルヴィアの戦いからも目を逸らさなかった。

 妙に醒めた意識の中で『自分はフォレスター大尉に指摘されたことが、今できている』という自覚が生まれていた。


『それならば、三重呪文もできるのではないだろうか?』

 そんな思いが、突然心の内に浮かんできた。


 三重呪文の理論は理解している。音楽に例えると二重呪文は和音である。二重唱を一人でこなしているようなものだ。

 そこにもう一音を加えるのであるから、理屈で言えば三重唱になるだけである。

 しかし実際に聴くと、酷く耳障りな不協和音そのものとなる。人間の能力の限界なのかもしれない。


 自分にそれができるのだろうか?

 いや、できるできないではない。やらねばシルヴィアは殺されてしまうかもしれないのだ。


 エイナは唱えている呪文に、すでに頭に浮かんでいる構文を無理やり重ねてみた。

 一瞬、舌がもつれて呪文が途切れそうになったが、ふいに頭の中に明確なイメージが湧き上がった。それはひどく懐かしく、どこかで聞き覚えのあるリズムと音階だった。


 喉が奇妙に拡がり、肺から空気が押し出され、舌が動いた。頭の中に浮かんだイメージを、身体が勝手に再現しようと暴走しているようだった。

 顎の付け根に激痛が走り、悲鳴にも似た不思議な旋律が響く。


 いきなり胸の辺りがすっと軽くなった。

 喉に詰まっていた食物が、すとんと胃の腑へ落ちたような感覚である。

 自分でも分かる。口を突いて出る旋律とともに、呪文が恐ろしい勢いで進んでいた。

 あと五分はかかるだろうと思っていた残りの呪文が、一分も経たないうちに終わってしまったのだ。


『できた!』

 喜びというよりは呆れたような感情だけ残ったが、とにかく詠唱は終わらせることができた。

 あとは敵に魔法を放つだけだったが、一つ問題があった。

 エイナ自身は、襲撃者から最大限距離をとって、部屋の隅まで後退していたが、シルヴィアと敵が近すぎるのだ。

 このままだと彼女が巻き添えになってしまう。

 

「シルヴィア、どいて!」

 エイナはそう叫んだが、それが無理難題だということは明らかだった。


 シルヴィアは壁を背にして防戦に努めていた。何度か敵の刀を受け損ねたのか、軍服のあちこちが裂け、血に染まっていた。

 相手から離れるには左右に逃れるしかないが、技量に勝れる敵が許してくれそうにはない。

 と言うより、襲撃者はシルヴィアに接近している限り、エイナが魔法を放てないということを承知しているようだった。


 エイナは魔法の発動態勢に入ったまま、じりじりと機会を待ち続けていた。 

 ふと任務を命じられた際、マリウスが口にした言葉が脳裏に甦ってきた。


『君たちの命より、護衛対象の安全が優先されるということを忘れるな』

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