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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第十章 復讐するは
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十五 ローファ村

 吸血鬼を取り囲んでいた村人は、呆然として立ち尽くしていた。


 この帝国南部は、もともとは森林地帯であった。

 それを数百年の歳月をかけて開拓し、広大な面積を農地化してきたのだ。

 王国でタブ大森林を切り拓いている、辺境のいわば先輩に当たる。


 タブ大森林同様に、北の大地を支配していたのは、スギの巨木を主体とした針葉樹林であった。

 広葉樹なら、秋に落葉して分厚い腐葉土が形成されるのだが、針葉樹の葉は落ちたとしても油分が多く、分解されにくい。

 しかも常緑のスギ類は年間を通して陽光を独占し、大地はその恵みにあずかれないから、必然的に酸性で痩せた土壌になりやすい。


 木を伐り、根を掘り起こしても、作物が育つ土を作るまでは、何年もかかる。

 南部の農民たちは、物成りの悪い畑を懸命に耕し続け、村を出ることなく一生を終えるのが定めだった。

 だから、彼らは魔導士の存在を認識していても、実際に会ったことはなく、魔法を見るのも初めであった。


 エイナが出現させた、直系数メートルのドーム状の結界、その中で荒れ狂う炎の奔流、超高熱が発生させる眩い白光。その視覚情報が入ってきても、脳が理解を拒絶してしまう。


 もし、魔法の結界が熱を遮断していなかったら、全員が(術者であるエイナを含めて)一瞬で焼け死んでいる。

 本当は、そんな危うい状況だったのだ。


 エイナは地面に残された灰を軍靴で土にこすりつけ、吸血鬼の肉体が滅んだことを確かめた。

 闇に逃げ込む隙を与えなかったことが、主たる勝因であった。

 彼女は明かり魔法を発動して周囲を照らし、飛び出してきた部屋の窓から中を覗き込んだ。


 吸血鬼の消滅を知らない父親は顔を引き攣らせ、ベッドの上で仁王立ちとなり、フォークを構えたままだった。

 娘のハンナは、背後からその腰にしがみついて震えている。


「吸血鬼は倒しました。

 奴らはああ見えて、とても用心深いのです。

 手下がられたと知れば、当分この村には近づかないでしょう。

 だから、もう安心して大丈夫です」


 エイナは窓の外から、できるだけ穏やかな声で、そう説明した。

 窓枠は壊れていたし、しとみの板は吹っ飛ばされて見当たらない。


『この程度の被害で済んだのだから、合格点をもらえるわよね?』

 エイナは心の中で、アリッサにそう呼びかけた。


 もちろん気位が高く、人間嫌いの彼女は、『うぬれるな、愚か者!』と叱るに違いない。

 そんな言葉でも、聞きたくなるのが不思議だった。


 事態を理解した父親は、大声で母親を呼び、娘を安心させようとしていた。

『この家族はもう大丈夫だろう』

 そう判断したエイナは、村人たちの元に戻ったが、彼らはまだ動けないままだった。


 ただし、その中でハンス村長だけは、自分を取り戻しているように見えた。

 エイナは村長に、ゲッツ父娘にしたのと同じ説明をした。

 吸血鬼が意外と用心深く、危険を冒すのを嫌うという知識は、母のアデリナから教わったことである。


 ハンスは安堵の息を吐き、エイナに敬礼をして丁寧に礼を述べた。

 その仕草は自然で、様になっていた。


「やはり、村長さんは軍務経験がおありなのですね?」

「俺は次男だったからな。徴兵で五年間、軍にぶち込まれた。

 ようやく帰ってきたら、兄貴が病死していて、家を継ぐことになったんだ」


「除隊時の階級は?」

「上等兵だ。結構向いていたんだろうな、除隊の時には『軍に残らないか?』って、引き留められたよ。

 あのまま軍にいたら、下士官くらいにはなっていたかもしれない。

 兄貴が死んだことを知っていたら、そうしていただろうな。

 おかげで貧乏(くじ)を引く羽目になって、弟には感謝されたよ」


「あら、村長になれたんですから、よかったじゃないですか?」

「戦場にいる方が、よほど気楽だよ」


「だったら今からでも志願して、再入隊したらよいでしょう?」

 エイナが意地の悪い提案をすると、ハンスは首を横に振った。


「もう手遅れですよ、中尉殿。

 うちの村はとびきり貧乏だ。日が昇ってから沈むまで、俺の肩には責任って奴がしがみついたまま、決して離れてくれないんだ。

 ちょっとでも気を抜いたら、潰されちまうよ」


 そして、彼はにやりと笑って付け加えた。


「それに夜は夜で、女房のでかい尻が俺に跨って潰しにくる。

 逃げる隙なんざ、どこにもないんだよ」


      *       *


 次の日の早朝、エイナは多くの村人に見送られ、ポテル村を出立した。

 ひたすら馬を進め、夕方前にたどり着いたのが、ローファという、ポテルより大きな村だった。

 村長はゲラルトという小柄な老人で、三十代のハンスとは対照的な人物だった。


 エイナは役屋でお茶のもてなしを受けたが、ゲラルトはしきりに彼女の目的を訊き出そうとした。

 もちろん本当のことは言えないが、情報収集が必要なことは、ポテル村で思い知らされたばかりである。


 彼女はわざとらしく左右を確認し、声を潜めてささやいた。

「ここだけの話だ。誰にも言うなよ?」

 この前置きは、とてもよく効く魔法の言葉だ。明日までには、村中に広がっているに違いない。


「最近、吸血鬼の被害が増加していることは、軍も把握している。

 私はその実態を調査するよう、命じられているのだ」

「本当でございますか!?」


 ゲラルトの目が輝いた。

 いくら吸血鬼の被害を訴え出ても、〝軍は何もしてくれない〟というのが、ここ南部の常識である。

 いまさら調査でもあるまいが、無視に比べれば大きな進歩である。


「ですが中尉殿、私たちが必要としているのは、調査ではなく軍の力です!」

 村長は、不意にともった希望に縋りついた。


 だが、エイナの返答は、その思いをはぐらかすものだった。

「ここはポテル村と交流があるのか?」

「ポテルですか? それは……まぁ、ございますよ。

 この周辺の村々の作物は、ゼルデンの町に集められますから、ポテルの衆もその道すがら、必ずこの村で泊っていきます。ですから、大体が顔見知りですな。

 それが何か?」


「実はな……」

 エイナはいっそう声を潜め、ゲラルトは自然と身を乗り出す。


「いずれ噂は伝わるだろうから、特別に教えてやる。

 私はそのポテル村に立ち寄ったが、そこで昨夜、吸血鬼をひとり始末した」

「何ですと! あんな所にまで出たのですか!?

 あっ、ああああ、ああ! それであなた様が……!?」


「理解したようだな

 軍がただの調査のために、わざわざ魔導士を派遣すると思うか?

 つまりは、そういう(・・・・)ことだ。

 ただし、いかに我々魔導士でも、戦いには情報が必要不可欠だ。だから調査という名目は、嘘ではないのだ」


 エイナの演技力は、二年半の軍隊経験で、かなり上達していた。

 この村では、軍の権威をかさに着た態度を取ることに決め、彼女はその役になりきっていた。


 尊大な口調は、マグス大佐がお手本であった。

 もしシルヴィアが聞いたら、エイナのおでこに手を当て、熱を計ろうとするだろう。


「それで、この村はどうなのだ?」

「はい。三か月ほど前のことですが、若い娘が襲われて命を落としました。

 奴らは一度でも襲撃に成功すると、そこを狩場に定めて次々に襲ってきます。

 私たちもすぐさま自警団を組織して、立ち向かおうとしました。

 ですが……」


「失敗したのか?」

「いえ、どういう偶然か分かりませんが、高名な吸血鬼狩り(ハンター)がふらりと立ち寄り、あっという間に討伐してくださったのです。

 それ以来、被害はぴたりと止んでおります」


 エイナは内心の動揺を押し殺した。

 三か月前といえば、アデリナがベラスケスの眷属と一対二で闘い、重傷を負う直前の話である。


「それは、アデリナ……だな?」

「軍はそこまでご存じでしたか、お見それしました」


「彼女はどんな様子だった?」

「噂どおりのもの凄い美人でした。

 深い胸の谷間といい、くびれた腰といい、いやはや、どこに目を遣ったらいいのか困るくらいで……」


『そんなことを訊いているのではない!』

 エイナは怒鳴りつけてやりたい気分だった。


 目の前にいる村長は若く見ても六十代、もしかしたら七十歳を超しているかもしれない。

 そんなエイナの祖父世代の男性が、自分の母親を性的な対象として思い浮かべ、鼻の下を伸ばしているのだ。

 嫌悪感で吐き気をもよおしそうだった。


 もっとも、村長はアデリナがエイナの母だとは知らないし、知ったとしても、絶対に信じないだろう。


 ダンピールであるアデリナの肉体は、二十代半ばで時を止めてしまっている。

 ひょっとしたら、実際の年齢は(娘であるエイナも知らない)、村長より上かもしれなかった。

 それくらい、彼女は吸血鬼に近い存在なのだ。


「違う。アデリナの態度に、何か変わった点はないかを訊いている」

 エイナは憮然とした表情で、ゲラルトに警告を与えた。

 村長もそれを感じたらしく、咳払いをして態度を改めた。


「そういえば……、体調がすぐれないのか、表情が険しかったような気がします。

 それに、ずい分とお急ぎのようでした。

 吸血鬼の首を一刀で切り落とすと、すぐに村を出ていこうとしたのです。

 いくら何でも変でしょう。真夜中にですよ?

 私が『報酬の話もありますから、今夜はどうかお休みください』と引き留めても、聞く耳を持ってくれませんでした。

 結局、報酬も受け取らずに、夜闇の中に消えてしまったのです」


 村長は探るような目で、エイナを窺った。

「ですから私どもには、あまりお話しできることがないのです」


 母が何かを急いで(あるいは焦って)いる……それは、オルロック伯も口にしていたことだ。

 エイナには、その理由が分からない。

 アデリナに会って、直接問いただすほかないだろう。


      *       *


 ローファ村は、ポテルより大きいといっても、農村であることに変わりない。

 村には宿屋などないから、エイナはゲラルト村長に宿の提供を依頼した。

 彼は自分の家に泊まるよう勧めてきたが、エイナはそれを固辞して、納屋を借りることになった。


 時期的に春撒き小麦の収穫が始まる直前で、倉庫用の大きな納屋は空っぽになっていた。

 むしろと干草の束を借りれば、広くて快適な宿ができあがる。

 気を遣う客用寝室より気楽であり、貧乏性のエイナの好みにも合っている。

 何より家人の耳を気にせず、アリッサと話すのに都合がよかった。


 夕食は、村長の女房が是非にというので、母屋でいただいた。

 女房はお喋り好きな婆さんで、しきりにエイナの個人情報を訊き出そうとした。

 下手に答えると帝国人でないことが露見してしまうので、エイナは任務を盾に黙秘権を行使した。


 旦那の村長とは違い、彼女には軍の魔導士官という権威が通用しない。

 あくまで〝女同士〟を盾にして迫ってくるから、始末に困るのだ。

 婆さんは生まれも育ちも話そうとしないエイナに、『なんとまぁ、偏屈な娘だ』と、内心憤慨していたに違いない。


 そそくさと食事を終え、逃げるように納屋に戻ると、案の定であった。

 干草の上で、アリッサが腕組みをしてふんぞり返っていた。


「遅いぞ、愚か者。いつまで私を待たせるのだ?

 これだから人間は好かんのだ」


 これが彼女の挨拶なのだ。エイナは軽くため息をつき、借りてきたランプを堅い土間の上に置いた。

 そして軍服とシャツを脱ぎ、柱に渡しておいたロープにかける。

 肌着姿になると、アリッサが座っている干草の横に、猫のようにごろりと寝転がった。


「その、ひと言目に怒るの……止めませんか?」

 エイナは控えめに抗議をしてみたが、アリッサは鼻でせせら笑った。


「人間であったころの私は、公爵令嬢なのだぞ?

 それなのに、貴様のはしたない恰好は何だ!

 文句を言われたくなければ、少しは敬意というものを示せ、愚か者」

「はいはい」


「……貴様、どうあっても殺されたいようだな?

 こんなことなら、オルロック様から許可をいただくべきだった。

 くっ、私としたが何たる不覚!」

「あら、黒死山のお館に帰ったのですか?」


「当り前のことを訊くな、愚か者。毎日の報告は、眷属としての義務である」

「伯爵様のことですから、お変わりないのでしょうが、アデリナはどうでした?」


「クソ忌々しいことに、ダンピールは元気だったぞ。

 気分が悪くなるから、それ以上奴の話はするな!」


 混血児ダンピールが親である吸血鬼を憎むように、吸血鬼もまた〝出来損ない(ダンピール)〟を激しく嫌悪していた。

 公爵令嬢らしからぬ悪態を吐きながらも、アデリナの様子を伝えてくれたのは、アリッサなりの優しさである。


 安堵の表情で微笑むエイナが、急に憎らしくなったのか、アリッサはわざとらしく顔をしかめた。


「お前、汗というか、……女臭いぞ。

 そういえば、今も肌着を替えなかったな? 不潔な奴だ」

「仕方ありませんよ。吸血鬼と違って、人間には体臭がありますもの。

 それに、どうせ寝汗をかくんですから、このままでいいんです。

 明日の朝、身体を拭いてから、ちゃんと着替えますよ」


「だったら、風呂に入ればよいではないか?」

「こんな田舎の村で、無茶を言わないでください。

 明日はゼルデンっていう、南部では大きな町に着くはずです。

 そこなら宿もあるでしょうし、三日ぶりにお風呂に入れますから」


「おお、ゼルデンか、それで思い出したぞ。伯爵様から貴様に、伝言を預かっておったわ」

「ひょっとして、私が臭いとか風呂に入れとかって、ここにつなげる前振りだったんですか?」


「何のことだ? それよりよく聞け。結構重要な報せだ。

 伯爵様はダンピール女を連れて、明日お館を出発されるそうだ。

 貴様とは、ゼルデンで合流することになろう……という仰せであった」

「そうですか、明日ですね!」


 エイナの表情が、ぱっと明るくなった。

 およそ一年ぶりである。ようやく母と再会できるのである。


 なぜだか知らないが、アリッサが得意気に小鼻を膨らませていた。

 エイナは、それに気づかない振りをしなければならなかった。

 元公爵令嬢をからかいたくて堪らなかったが、彼女は笑いを嚙み殺し、どうにか誘惑に耐えきってみせたのだった。

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