八 支援
母が今、どうしているのか……それは、エイナが一番知りたいことだった。
オルロック伯は突き刺すような視線を感じながら、話し始めた。
「吸血鬼の能力を受け継いだダンピールが強いのは当然で、これは説明するまでもないだろう。
ただし、強いといっても、それは〝人間にしては〟という話だ。
だから、我々真祖の直系眷属、君たちは第二世代と呼ぶのだったな――よりは劣るのが普通だ」
「それでも、第三世代の眷属だったら楽に勝てる。
そして、ダンピールという連中は、例外なく親である吸血鬼を、激しく憎悪している。
彼らが吸血鬼狩りとなるのは、必然といえるだろう」
「だが、彼らの末路は憐れなものだ。
大した力がない吸血鬼でも、殺し続けていれば嫌でも目立ってしまう。
結局は、第二世代の眷属に追われ、惨殺されるのがオチとなる。
ダンピールが吸血鬼を憎むように、我々もまた彼らを〝不名誉な存在〟として憎悪しているからだ」
「それなのに、アデリナが吸血鬼狩りとして名を馳せ、生き延びてきたのには、それなりの理由がある。
陛下はそれが何か、お分かりですかな?」
問いかけられたレテイシアは、すぐに答えた。
「先ほどから話に出ていたはずだぞ。
彼女には、魔導士の相棒がいたからだろう」
伯爵はゆっくりと首を横に振った。
「それは、アデリナが吸血鬼狩りとして、有名になった後の話だ。
普通は、そうなる前に殺されてしまう」
「アデリナは何が違ったのだ?
私たちが持つ、吸血鬼に関する知識は薄い。教えてもらえないだろうか」
オルロックは満足そうにうなずいた。
人間が吸血鬼に対して、謙虚に教えを乞う――これは実に正しい態度だ。
「血の違いだ。父親である吸血鬼が格上なら、その血を受けたダンピールも強くなる。
アデリナは私の血を引いているから、ベラスケスごときの眷属には、容易に負けなかったのだ」
「納得できんな、同じ真祖なのだろう。
吸血鬼にも、身分制度が存在するのか?」
「そんなものはない。
そもそも、真祖がどうやって生まれるのか、陛下はご存知のはずだ」
「私が?
いや、待て……まさか、ナイラのことを言っているのか?」
「いかにも」
伯爵が重々しく首肯したので、レテイシアは隣りのマリウスと顔を見合わせた。
そして、探るような口調で訊ねた。
「私が受けた報告では、ナイラの身体には〝青の宝珠〟が埋め込まれていたそうだ。
つまり……そういうことなのか?」
「そういうこと、ですな。
真祖だろうが眷属だろうが、吸血鬼の元となるのは人間だ。見ればわかるだろう。
そうでなければ、吸血鬼が人間の血、すなわち精気に依存する説明がつかない。
真祖とは魔石の力を借り、自らの意志で吸血鬼化した人間のことだ。
もっとも、赤城市を襲ったナイラという女は、呪術師に嵌められたようだがな」
「やはり、宝珠は魔石だったのだな?」
「その一種ではある。
魔石は膨大な魔力の塊りで、その系統ごとに色を変える。青の魔石なら水属性の魔力……といった具合だな」
「ところが、吸血鬼化を可能とする宝珠の色には、あまり意味がないのだ。
あれは、純粋な呪いの結晶だと言えば、分かりやすいだろう。
まぁ、かなり特殊なものなので、宝珠はめったに見つからないのだが、不思議なことに、この世界ではそうでもないらしい」
「実際、私自身は幻獣界で吸血鬼化した存在だが、ベラスケスを含めた多くの真祖は、この世界の生まれなのだ。
つまり、それが真祖としての格の違いだな。元になっている人間の能力に、別種と言っていいほどの差があるのだよ」
その場に沈黙が訪れた。
ややあって、それを破ったのはマリウスだった。
「伯爵殿は、どうしてナイラのことを知っているのですか?
あの事件は、我が国の南部で起きたこと。帝国最北部の伯爵の館とは、それこそ千キロ近く離れているはずです。
参謀本部は事件の関係者に緘口令を敷き、真相を知る者は、陛下を含めて十人にも満たない。
いくらあなたが真祖でも、そこまで詳しく調べるのは不可能に思えます」
「誰も〝調べた〟などとは、言っていないぞ?」
「……なるほど、そういうことですか」
マリウスはがくりと肩を落とした。
「どうした? 何がそういうことなのだ?
私には、さっぱり分からないぞ」
レテイシアがもどかしそうに、マリウスの腕を掴んで揺すぶった。
マリウスは笑っていた。半分泣きそうでもあった。
「私は前々から、黒蛇ウエマク様が、なぜあんなにも帝国の事情に通じているのか、不思議に思っていました。
陛下、つまり〝そういうこと〟なのです」
* *
「さて、アデリナの強さの理由から、だいぶ横道に逸れてしまった。話を戻そう。
――彼女は確かに強かった。
若い時もそうだったが、二十五年経った現在は、経験を積んだせいか、さらに強くなっている。見た目はあまり変わらんがな」
「ああ、ついでだから説明しておこう。
ダンピールは成長期が終わると、とたんに老化が鈍化する。
だから、単に容姿だけでなく、体力や反応速度も若いままであることが多いのだ」
「以前は、ベラスケスの直系眷属と戦えば、互角かやや不利といった力関係だった。
それが今では逆転して、一対一なら負けなくなった。
そのせいで驕ったのか、あるいは何かで焦っていたのか……南部に戻ってきたアデリナは、無茶をやり過ぎた」
「彼女は、吸血鬼出没の噂を追って、南部の村で第三世代を殺しまくった。
慌てて応戦に出た直系眷属も、返り討ちに遭った。
その代わり、吸血鬼狩りがアデリナだと、ベラスケスに知れてしまったがな」
「ベラスケスは、千年以上生きている。
吸血鬼に寿命があるのか、私にも分からんが、とにかく奴が若くないことは確かだ。
真祖が眷属を作る際には、かなりの量の血を分け与える必要がある。
血とは生命力そのものだから、それを大量に失うと、回復するのにかなりの時間がかかる。
若ければ数か月で済むが、歳を重ねるにつれて年月は長くなっていく。
今のベラスケスだと、ひとりの眷属を生み出すごとに、回復に三年を要しているはずだ」
「二十五年前、アデリナが魔導士と組んで暴れたせいで、ベラスケスは過半数の眷属を失ったのだ。
彼女が失踪して以来、奴は少しずつ眷属を増やしていき、最近になってようやく元の数に戻ったと聞く」
「ところが、去年のことだ。
この王国に派遣していた二人の眷属が、一度に滅ぼされるという事件が起きた。
犯人は当のアデリナと、そこにいるエイナ中尉だったのだが、ベラスケスはそれを知って、むしろ安堵したらしい」
「奴はアデリナが王国に逃亡したことを知っていて、あの手この手で抹殺しようとしていた。
相棒だった魔導士の殺害には成功したが、その直後にダンピールの方は行方をくらまし、奴は不安に駆られていたのだ。
ところが、厄介なダンピールは、いまだに王国にいてくれた。こんな喜ばしいことはないだろう?」
「それなのに、無情にもアデリナは戻ってきてしまった。
そして、三人目の眷属を殺されてしまった。
ぬか喜びしていたベラスケスは、ようやく事態の深刻さに気付いたというわけだ」
「まぁ、一応は奴も真祖の端くれだ。
数を減らした眷属たちに、単独でアデリナと戦うことを禁じ、常に二人一組で当たらせるようした。
真祖としての矜持も捨て、下賤なダンピール相手に、なりふり構わず挑んだというわけだ。
その後も、アデリナと眷属たちの戦いは何度も繰り返され、一進一退を繰り返していた」
「それが、五月のことだ。両者はとある村の郊外で、予期せぬ遭遇戦に陥った。
二対一の不利な戦いだったが、アデリナはついに二人の眷属を滅ぼした。
だが、それはとても勝利と呼べるような内容ではなかったのだ」
「実際には、どうにか相討ちに持ち込んだ……という方が正しい。
アデリナは深刻な深手を負っていた。生きているのが不思議なくらいだったぞ。
何しろ、首が半分以上ちぎれて、ぶら下がった頭が乳房に引っかかっていたくらいだからな」
「まるで、見てきたような口ぶりだな?」
レテイシアが疑念を挟むと、伯爵はにやりと笑ってみせた。
「見ていたさ、この目でな。
アデリナが南部に現れたという情報を掴んで以来、私は彼女の動きを見張らせていた。
そして、眷属からの一報を受けて、見物に行ったのだ」
「娘の助太刀でもするつもりだったのか?」
「まさか!」
オルロックはげらげらと笑った。
「私たちには、吸血鬼なりの掟が存在する。
どんな理由があろうと、吸血鬼同士が直接戦うことは、決して許されないのだよ」
「なるほどな。それで、アデリナはどうなったのだ?」
「私が回収して、屋敷に連れ帰った。
放置しておけば死ぬ可能性が高かったし、ベラスケスの仲間に見つかれば、確実に殺されていたからな」
「それは、ベラスケスに対する敵対行為にならないのか?」
「直接戦闘するわけではないから、まったく問題はない」
伯爵は平然とうそぶき、先を続けた。
「アデリナを保護したものの、私は他者を回復させる能力を持っていない。
だから彼女をベッドに寝かせて、その再生力に任せるしかなかった。
結局、彼女が意識を取り戻したのが、それから約一か月後、どうにか動けるようになったのが、つい二週間ほど前のことだ」
「私が出発する時には、自力で小便をしに行けるほどには回復していたな。
ただ、そこが私の屋敷だとを知ると、まだまともに歩けないのに、闇に潜って脱走しようとしたほどだ。
だから、彼女の部屋には結界を張り、その中に軟禁している状態なのだよ」
「では、母の命に別状ないのですね?」
エイナが安堵の息を吐き、初めて口を開いた。
彼女は護衛であり、この会談での発言は許されないのだが、誰も咎めなかった。
「ああ、後遺症の心配もない。
食事を摂れるようになってから、どんどん恢復しているし、あと十日も静養すれば、元に戻れるだろう」
「――さて、アデリナが南部に戻った以後の動向は、こんなところだ。
帝国としては、彼女の完全復活までに、エイナ中尉の派遣を間に合わせたいと希望している。
中尉が加勢すれば、ベラスケスの直系眷属はおろか、真祖本人にも迫れるのではないか……軍の連中は、そう期待しているのだ」
「勝手なことを……」
レテイシアは横を向いて、ぼそりとつぶやいた。
そして、気を取り直したように、伯爵の方に向き直る。
「話を蒸し返すようだが、貴殿がアデリナを保護したのは、帝国の指示だったのか?
それとも、父娘の情というやつか?」
女王の声音には、かなりの皮肉が混ぜられていた。
「助けたのは、その場の判断だ。
もし帝国が状況を知れば、そう指示するのが当然だからな。
そうでもなければ、私がアデリナを殺していたはずだ」
「そうまでして孤児院を開きたいか? 貴様も立派なクソだな」
「陛下のお言葉は高尚過ぎて、何のことか理解しかねるな。
この話題はこれまでだ。
その代わりに、ひとつ面白いことを教えよう。今回の交渉に至る、裏話のようなものだ」
「ほう、それは興味深いな。話してくれ」
* *
オルロック伯は再び話を始めた。
彼は話すのが嬉しそうで、顔には皮肉めいた笑みが広がっていた。
「帝国軍は、アデリナが南部に現れて暴れ出し、ベラスケスが窮地に陥ったことを知った。
吸血鬼駆逐の好機と捉えた軍参謀本部は、相当の決意をもって作戦を立案した。
ただその段階では、アデリナを支援するのは軍の魔導士であって、王国を巻き込むなど、露にも考えていなかったのだ。
もちろん、軍の参謀如きが、私の存在を認知しているはずもなかった」
「王国側の推論では、存在を認めていない吸血鬼の討伐に、大っぴらに軍を動かせない――との説明であった。
だが、帝国軍が秘密裏に軍を動かすことなど、珍しくもなんでもない」
「ただし、公式な記録が残らない作戦で、魔導士の犠牲を出すのは、さすがに拙い。戦死者の記録だけは、絶対に残るからだ。
もし何かの拍子で、不自然な魔導士の死傷が明るみに出た場合、立案に関わった参謀たちはが追及されかねない」
「彼らとて自分の身は可愛いし、参謀総長に迷惑が及ぶ事態となれば、もう金輪際出世は見込めない。
そこで、参謀たちは保険をかけることにした」
「通常こうした非公式作戦は、その性格から部内の決裁だけで実行できる。
これは、参謀本部だけに許される特権であった。
それなのに、参謀たちはわざわざ皇帝の上覧を願い出て、その承認を求めたのだ。
皇帝の許可を得て実施した作戦は、例え失敗したとしても、よほどのことがない限り、責任を追及されないからだ」
「そして数日後、予定どおりに決裁が下り、作戦計画書が戻ってきた。
ところが――だ」
「分厚い計画書の上には、ペラ一枚の鏡がついていて、通常はそこに承認印が押されて返ってくる。
それが今回に限り、いつもの『承認』という印影ではなく、『条件付承認』が押されていたのだ。
驚いた参謀たちが鏡をめくると、二枚目に指示書が付いていて、そこにはこう書いてあった」
「作戦はおおむねよしとするが、我が軍魔導士の動員は不可とする。
当該吸血鬼狩りへの支援は、リスト王国に派遣を要請せよ。
王国との交渉役には、オルロック辺境伯を指名する。
以上の条件をもって、作戦を承認する……とな」
「指示書の末尾には、皇帝の直筆サインがあったから、これは勅命だ。
参謀たちが、いかに慌てふためいたか、想像しただけでも愉快ではないか」
ここで、レテイシアが疑問を挟んだ。
「これは驚いたな。オルロック伯は、皇帝ともつながっていたのか?」
しかし、伯爵は笑いながら首を振った。
「いくら私でも、皇帝に取引を持ちかけるのは、さすがに畏れ多い。
現皇帝のヨルド一世とは、まったく面識がない」
「ほおぅ、そうか。
どこかの田舎女王なら気軽に誘いもしようが、皇帝ではそうもいかぬか。なるほど、なるほど……」
レテイシアは、わざとらしく頬を膨らませた。年輩の女性としては、少々似合わない素振りだ。
オルロック伯は『やれやれ』という表情で首をすくめ、マリウスやエイナたちに救いを求める視線を送った。
しかし、彼と目を合わせる者は、誰ひとりいなかった。