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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第十章 復讐するは
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七 メリット

「判断の根拠を述べよう……が、その前に、プリシラ。そこの棚から酒とグラスを取ってくれ。

 伯爵はいける口か?」

「たしなむ程度ですが、お付き合いいたしましょう」


 レテイシアの言いつけに、プリシラは眉をひそめた。

「陛下、まだ午前中です。

 大事な会談なのですから、終わってからになさいませ」

 プリシラが女王に意見できるのは、蒼龍帝の副官を務めてきた経験のなせる技だ。


「客人が杯を受けてくれるのだ、堅いことを言うな」


 プリシラはそれ以上抵抗せず、二人の前にグラスを置き、美しいガラスの瓶から琥珀色の液体を注ぐ。

 伯爵はグラスを口もとに近づけると、軽く回して香りを確かめたのち、少しだけ口に含んだ。


「ふむ……香ばしい穀物とナッツ、それに干した果実。ハチミツの甘い香りも感じる。

 陛下はよいケルトニア酒をお持ちだ」

「分かるか? 侍女も執事も下がらせたゆえ、肴が出せんのは許せ。

 ――さて、話を元に戻そう」


 レテイシアは、ケルトニア酒を一口飲み込んだ。


「帝国が吸血鬼の存在を、公式には認めていないことは、私も存じておる。

 まぁ、世界に冠たる軍事大国が、自国内で化け物のばっを許しているとなれば、けんに関わるだろうからな。それは理解できる。

 ただしその裏では、存在も被害も把握しているだろう。

 差し支えなければ教えてもらいたいのだが、帝国には何人の〝真祖が〟いるのだ?」


「五人だ。二十年ほど前にひとり増えたが、それ以前は何百年も四人の時代が続いていた」

「増えた?

 新たに誕生した、あるいは幻獣界からの転移ということか?」


 だが、伯爵は首を横に振った。

「どちらも違うな。人間の事情だよ。

 増えた吸血鬼というのは、エウロペ諸王国の東端を縄張りにしていたモルガンという女だ。

 二十年前、その地域が帝国に占領され、併合された。ただそれだけのことだ」


 レテイシアは少し驚いた表情を浮かべた。

「吸血鬼は、帝国以外にも存在していたのか?」


「当り前だ。餌となる人間がいる以上、捕食者である吸血鬼もいなくては、バランスが取れんだろう。

 エウロペ諸王国には他に二人、ケルトニア本国にも何人かいたはずだ。

 私が知る限り、この世界の真祖はそれだけだな」

「つまり、我が国や、南のサラーム教国にはいない……のだな?」


 伯爵は、また一口酒を含んでうなずいた。


「なぜだ?

 貴君の言葉を借りるなら、〝餌となる人間〟は、我が国にもサラームにも、もっと南の黒人国家群にだって、いくらでもいるのだぞ?」


 オルロックの答えは、至極単純だった。

「暑いからだよ。

 私たちは冷涼な気候を好む。私の屋敷だって山の中腹、それも洞窟の奧深くに築いているくらいだ。

 吸血鬼が快適な暮らしを望んだって、罰は当たらないだろう?」


「なるほど、了解した。

 話を戻そう。その五人いる吸血鬼の中で、南部のベラスケスだけが、公然と人々を襲っている……そうだな?」


 伯爵は再びうなずいて、空になったグラスに酒を注いだ。

「あいつは頑固だからな。昔気質といえば聞こえはいいが、気位ばかり高くて融通の利かない馬鹿だ」


 レテイシアは、彼の辛辣な評価は無視して、話を続けた。

「帝国としては、あくまで吸血鬼は民間伝承、迷信の類だということにしておきたい。

 彼らにしてみれば、貴君のようにうまく立ち回ってくれるなら、放置しても構わないわけだ。

 それなのに、ベラスケスだけが悪目立ちしている。これは非常に都合が悪い」


「帝国はベラスケスを排除したいが、認めてもいない相手に、大きな兵力を動かすことができない。

 秘密裏に処理しようにも、相手は吸血鬼だ。それ相応の戦力と、一定の犠牲を覚悟する必要がある。

 具体的には魔導士、それもよほどの実力者でないと、第二世代の眷属に勝てないだろう。

 さらに真祖を倒す段階では、何人もの上級魔導士を投入することになるが、ケルトニアと戦争中の彼らに、そんな余裕があるはずがない。

 帝国首脳部は、歯噛みをして見守るしかなかった」


「現実には、吸血鬼への対処は、民間の〝吸血鬼狩り(ハンター)〟に任すよりほかなかった。

 彼らは軍に属さない魔導士や、腕に覚えのある退役軍人だと聞く。

 実際に村に出現して人を襲い、さらっていくのは、ほとんどが最下級の第三世代眷属だ。

 吸血鬼狩りの実力は、それこそピンキリだが、相手が下っ端なら比較的楽に勝てる」


 オルロック伯は『ふんふん』と小さくうなずきながら、酒をちびちびと舐めていたが、ここで少し意地の悪い笑みを浮かべ、口を挟んだ。


「下っ端だとしても、大事な部下だぞ?

 それを失った上に、食糧まで断たれては、ベラスケスも黙っていまい。

 諸君が第一世代と呼んでいる、直系眷属が出張ってきたら、どうするのだ?」


 女王は肩をすくめてみせた。

「現実には、第一世代に勝てる吸血鬼狩りは、ほんの一握りの腕利きだけらしい。

 他の者はあっさり殺される。

 それぞれが持つ奥の手を使って、刺し違えられたらおんの字だが、成功する確率は高くないそうだ。

 それでも、眷属の方が返り討ちに遭う可能性はある――ということだ。

 ベラスケスのような、古くから生きている吸血鬼は、簡単に眷属を増やせないそうじゃないか。

 伯爵もそうなのであろう?」


 レテイシアの挑発するような問いかけに対し、オルロックは沈黙で応えた。


「ところがだ!」

 女王の声音が、一段高くなる。

 伯爵の片眉が、わずかに上がった。


「昨年の暮れあたりから、状況が変化した。

 ベラスケスの縄張りである帝国南部に、凄腕の吸血鬼狩りが現れた。

 ――いや、帰ってきたと言った方が正しいか」


「その狩人ハンターの名はアデリナ。魔法は使えないが、女だてらに凄まじい剣を遣う女だ。

 彼女は今から二十五年ほど前、南部で名を馳せた有名な吸血鬼狩りだった。

 それがある時期から、これまた凄腕の魔導士と組んで、手当り次第にベラスケスの手下を殺しまくった。つまり、彼女はやり過ぎたのだな。

 二人はベラスケスの怒りを買い、徹底的に追われたらしく、忽然こつぜんと姿を消し、いつしか忘れられていた」


「そのアデリナが、ひとりで戻ってきたのだ。

 相棒の魔導士はいなかったが、彼女は以前にも増した勢いで、ベラスケスの部下たちを狩り続けている。

 おかげで今年に入ってから、ベラスケスの戦力は激減し、彼の力は大幅に衰退している。」


「帝国にしてみれば、『好機到来!』の思いだろう。

 アデリナのかつての相棒のように、強力な魔導士に協力させれば、ベラスケスを滅ぼすことも夢ではない。

 だだしそれには、少なくとも異名持ち(ネームド)クラスで、吸血鬼との戦闘経験を持つ者が必要になる。

 帝国内でその条件を満たす魔導士は、マグス大佐とカーン少将しかいない。

 だからといって、軍が彼女たちを出せるか? とても無理だろう」


「そこで帝国は考えた。

 自軍の魔導士を出せないなら、他国の魔導士を使えばよい……とな。

 カメリアの報告によって、ベラスケスが王国に手を伸ばしているという情報は、彼らも把握しているはずだ。

 王国にとっても、彼が脅威であることは分かっている。

 そして、吸血鬼に対抗し得る魔導士が王国にいるか? という質問に対し、マグス大佐もカーン少将も、『エイナ以外にいない』と答えたに違いない」


「ただ、エイナは、まだまだ脆弱な王国魔導士の中で、奇跡のように出現した、文字どおりの虎の子だ。

 それを、他国の吸血鬼にぶつけるのだぞ? 王国が得る利益に比べ、背負うリスクが大き過ぎる。誰が考えても、この提案は拒絶すべきだろう。

 そこで、交渉役に選ばれたのが、オルロック辺境伯……というわけだ」


 伯爵はグラスを目の高さまで持ち上げ、軽く謝意を表した。


「恐らくだが、吸血鬼のことは、帝国貴族でも皇帝に近い者だけの秘密なのだろう。

 いつもの裏交渉に担ぎ出される侯爵たちは、吸血鬼の知識など、芝居でしか知らないはずだ。

 そこで白羽の矢を立てたのが、オルロック辺境伯だ。

 吸血鬼である貴君ほど、使者としてふさわしい人物はいない。

 しかも、伯爵は情報を武器にして、政権内部に喰い込んできた人物だ。

 我々に『うん』と言わせるだけの情報も、何かしら持っていると踏んだのだろう。

 実際、帝国の連中は知らないだろうが、我々は貴君にかなりの恩義を負っている。新たな情報は不要だろうな」


「それは、どうかな?」

 意外にも、伯爵は異議を唱えた。


「陛下は、エイナが〝虎の子〟の魔導士だと、自らお認めになったではないか。

 国と国との交渉事で、恩義などという情に訴えられて、『はい、そうですか』と応じるおつもりか?

 そんな寝言をほざいているようでは、この国はとっくに滅んでいるはずだ。

 別に隠さなくてもよいのですぞ?

 アデリナがエイナの母親だということくらい、私はとっくの昔に知っている。

 エイナは今すぐにでも、母のもとに駆けつけ、力になりたいと切望しているはずだ。

 下手をすれば、軍を脱走して帝国に向かう懸念すらある。

 諸君は最初から、この話に乗るしかないと、覚悟を決めていたのであろう?」


 女王はグラスに残っていた酒を、一気にあおった。


「ふう……。そこまで知っていたか。まぁ、あまり驚きはしないがな。

 ということは、アデリナの出自も、承知しているのだな?」

「ダンピール(吸血鬼と人間の混血児)だということか? 当然だ。

 ついでに言えば、アデリナの父が私だということも知っている。

 まぁ、これは彼女が吸血鬼狩りとして、有名になってから知ったことだがな。

 アデリナの母親は、私に黙って彼女を産んだのだ。もし知られたら、殺されると分かっていたからね。

 どうだね、エイナ・フローリー中尉。お爺ちゃんだぞ?」


 オルロックはげらげらと笑い声を上げた。あまり品のいい笑い方ではなかった。

 馬鹿にされたエイナは、むっとして黙り込んだ。


「やはり、感動の対面とはいかないか……。

 断っておくが、私は真祖たる吸血鬼だ。はっきりさせておこう。

 私の家族とは眷属であり、穢らわしいダンピール風情には、毛ほどの情も感じていない。

 当然、その子であるエイナに対してもだ。

 エイナが私の血を引いていることは、最初に会った時点で気づいていた。

 吸血鬼は、血の匂いに対して極めて敏感だ。ましてや自分の血の匂いなら、どんなに薄くともすぐに分かるのだよ。

 エイナ中尉も、私を祖父と思わなくていい。思われてはかえって迷惑だ。よいな?」


「さてと……」

 伯爵は視線を再びレテイシアに向けた。


「これまでの陛下の話には、まだ納得できない点がある。

 帝国と王国、それぞれにとっての利益は明らかとなった。だが、交渉役となる私のメリットとは何だ?

 その説明がないのは、私に対して失礼だろう」


 レテイシアは動じない。

「それは、伯爵自身が承知していることだ。わざわざ私が説明する必要などないだろう。

 普通に考えれば、帝国のお偉方に恩を売るだけでも、効果的な投資になると思うがな」


 だが、伯爵は小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「ふん、恩を売る……、またしても情か。いかにも人間の思考だな。

 何度も言うが、私は吸血鬼であって人間ではないのだ。

 もっと現実的、即物的に考えていただきたいものですな」


「分かった、分かった」

 とうとう女王の方が降参した。


「貴君は、こちらがすべての手の内をさらすまでは、許すつもりがないらしい。

 ――これは、我々の情報部が探り出してきた話だ。

 帝国はケルトニア以外にも、北方のアフマド族や南のトルゴル王国とも争っている。

 多数の戦死者が出るから、それに伴い孤児も増加する。

 そのため帝国内では、宗教団体や民間組織が経営する孤児院が、各地に建てられている」

「ふむ……それで?」


「帝国政府もこの動きは歓迎しており、一定の補助金も出して協力している」

「当然だな」


「ところで、最近になって、これらの施設が手薄だった帝国南部で、新たな孤児院建設の申請が出された。それも、同時に四か所もだ。

 さらに、この申請を行った団体は、同時に補助金の申請まで行っている。

 普通、新設の孤児院であれば、数年の経営実績を積み重ねてから、運営に対する補助が認められるのが常識だ。

 ところが、この四件に関しては、まだ未開設であるにも関わらず、来月の下院に補正予算が上程され、認可される見通しらしい」

「慈善事業に対する国の支援が、迅速に行われるのは、よいことだろう?」


「そうだな、同意しよう。

 話は変わるが、こうした施設では、孤児の面倒を見るのは十五歳までで、男女を問わず十六歳になると、働いて自立する決まりとなっている。

 もちろん、孤児院の方でも働き口を紹介して、孤児たちの自立を支援しているそうだ」

「よいことではないか」


「孤児たちは天涯孤独で貯蓄もないから、住み込みで働ける職場が人気だそうだ」

「そうだろうな」


「そのよい例が裕福な家の使用人で、特に貴族の邸宅に、執事やメイド見習いで雇われるのは、最もよい就職先だと言われているらしい。

 なにしろ信用のある職場だし、給与も一般より高い。

 その分、競争率が激しいから、希望者から選ばれるのは、成績優秀、容姿端麗な少年少女たちに限られる。

 地方で都会から離れているのが難点だが、どうせ帰る家も故郷もないのだから、彼らは喜んで孤児院を巣立っていく。

 年に一度くらいは、孤児院に『元気でやっている』という便りがくるが、それも数年経てば絶えてしまうのは、仕方がないことだろう。

 誰も不審に思わないし、彼らの安否を確かめようと思う人間など、どこにもいないはずだ」

「何ひとつ、問題はないというわけだ。

 しかし、よくそんなことを調べたものだな」


「なに、入札の公示や議事録を丹念に追っていれば、簡単に掴める情報だ。

 問題は、それをまったく別の事件と結びつける、発想力があるかどうかだな。

 その点では、今回は情報部のお手柄だろう。

 まったく、実にうまい手を考えつくものだ。貴君の頭脳には、脱帽せざるを得ない」


 レテイシアが口を閉じると、オルロック伯がただひとり、ぱちぱちと拍手を贈った。

「それが私とどう関係するのか、さっぱり分からんが、全体として、なかなか興味深い話でしたな。

 ただ、アデリナの動向については、少し情報が古くはないか?」

「ああ、実は帝国に潜入して探っていた召喚士は、今年の初めに帰還している。

 したがって、我々はその後の情報を持っていないのだ」

 女王は素直に認めた。


「王国諸君の推論は、大枠において間違っていない。

 ただ、いくつか不足している情報もある。まずは、アデリナのその後から、補足しよう」


 オルロック伯は、空になったグラスに、ゆっくりと水を注いだ。

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