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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第十章 復讐するは
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六 王宮会談

 王城の正門に当たる西大門を潜った伯爵の馬車は、王都の中心の小高い丘にそびえる王城へと向かった。

 大通りはあらかじめ交通規制がされており、配置された警備兵を横目に、人びとは道の端を遠慮がちに歩いていた。

 その中を二頭立ての大型馬車が、からからと車輪の音を響かせて走っていく。


 街全体を囲む大城壁とは別に、王城にも独自の城壁がある。

 その正門の分厚い扉は、出入りの多さ故に常に開かれていた。

 ここが閉ざされるのは、敵が間近に迫るような緊急事態に限られ、平和な王国ではめったに見られないことだった。


 だが、多くの市民が、それをたった一度だけ目撃していた。

 十数年前に起きた政変、俗にいう〝王の反乱クーデター〟の時である。

 敵国ではなく内紛が原因だったのは、何とも皮肉な話であった。


      *       *


 伯爵の馬車は、王城の正門を問題なく通過し、城内へと迎え入れられた。

 もう日は落ちかけていたから、女王への謁見は明日の朝ということになった。

 伯爵たちには城内に客用寝室が用意され、夕餉はルームサービスで届けられた。


 あくる日、いよいよ女王との謁見の儀式である。

 黒城での謁見は、ある程度儀礼を省いた簡易版であったから、伯爵たちは城に登城してすぐ、謁見の間に通された。

 しかし、女王が相手では、さすがにそうはいかない。


 一行は男女続きの控室に通され、そこで衣服を改める。 

 伯爵は礼服に着替え、肩から斜めに大綬サッシュをかけた。

 真紅の帯に黒の縁取りがされたもので、帝国の最高勲位を示すものである。

 吸血鬼である伯爵が、どんな勲功で授けられたのか、是非とも訊いてみたいところだ。


 二人の少女は上陸以来、いかにも夏向けの薄いドレスを身にまとっていた。

 襟ぐりや背中も大きく開いて、夜会服のように露出の高いものである。

 その方が、一般庶民を魅了しやすいという意図もあるのだろう。


 だが、今回ばかりは女王の御前である。

 大きなトランクから、美しい布地を重ねた重厚なドレスが引き出され、王国側の侍女の助けを借りて着付けが始まった。


 ひとりは血のような深い真紅のドレス、もうひとりは濃緑と、互いに補色の関係になっている。

 彼女たちは吸血鬼になる前、いずれも高貴な貴族の娘だったから、こうした着替えには慣れっこのようだった。


 これまでの振る舞いからは、二人が伯爵の家族なのか、それとも使用人なのか、判然としないところがあった。

 しかしこの装いで、その位置づけがやっと明確になった。

 両方が妻というわけにはいかないから、娘という設定なのだろう。


 着替えについては、伯爵側よりも、むしろエイナとプリシラの方が、苦戦を強いられていた。

 彼女たちは王国の軍人なので、こうした場では第一種礼装を着用するのだが、そんな機会はめったになく、王城の侍女も手伝ってくれない。


 階級章や勲章の位置は厳密に決められているし、飾緒モールを見栄えよく垂らすのも気を遣う。

 慣れない儀礼刀サーベルもしっくりせず、二人は互いに角度を調整して、見栄えを追求せねばならなかった。


 早々に準備を済ませた伯爵は、女性たちの部屋に入ってきて、退屈そうに支度の様子を眺めていた。

 彼の入室が許されたのは、着替えが終わったからであるが、女性にとっての本番はこれからである。


 二人の少女は大きな鏡台の前に座り、入念な化粧に取りかかった。

 それが終わっても、各種のアクセサリーを合わせるという難関が待っている。


 エイナとプリシラは化粧の必要がないから、伯爵と同じテーブルに腰をかけ、香り高いお茶のお相伴にあずかった。


「あの衣装はついのデザインのようですが、今回のためにあつらえたのですか?」

 プリシラの質問には、言外に『高かったでしょう?』という下世話な興味を含んでいた。

 庶子とはいえ、貴族の娘である彼女には、ドレスの生地や刺繍を見ただけで、とんでもない値段だということが分かる。


「ああ。レテイシア陛下にお会いすると言ったら、しきりに強請ねだられてね。

 珍しいのだよ、彼女たちがそんなことを言い出すのは。

 もうとっくに見栄など捨て去ったと思っていたからね。だから逆に嬉しかった……」

「それは、女性に対する伯爵の認識が誤っています。

 ドレスや宝飾品、お化粧……女が美に対する執着を忘れることなど、例え地獄の餓鬼に堕したとしてもあり得ません」


「ふっ、そうかもしれんな」

「大体、彼女たちはこれまでだって、毎日ドレスを変えていたじゃありませんか。

 あれも全部、伯爵がお買い与えになったのでしょう?」


 オルロックは『とんでもない』という顔で手を振った。


「あれは正真正銘、全部私物だよ。彼女たちは衣装持ちなんだ。

 私があれらに服を仕立ててやったのは、今回が初めてなのだ」

「あら、どういうことですか?

 まさか、彼女たちをさらってくる時に、衣装まで盗んできたとでも?」


「めったなことを言わんでくれ。城の侍女たちに聞こえたらどうする。

 ――私は彼女たちを攫ったことなどない。衣装はすべて、輿入れの時に運ばれてきたものだ。

 どの娘も、馬車二台分は持ってきておったな」

「つまり、あの少女たちは、最初から納得ずくで伯爵のもとへ嫁いできた……と仰るのですか?」


「そうだ。もっとも、本人の意志というよりは、半分以上は親の言いつけだがな。

 どちらにせよ、人間の恨みを買わぬよう、私はずっとそうしてきた。

 それが帝国貴族として、数百年生きながらえてきた秘訣だともいえるな」

「彼女たちの親は、その代償として何を受け取ったのですか?」


「知れたこと、力だよ。

 戦争の勝利、政敵の暗殺、反乱の鎮圧……。要求はさまざまだったが、本質は変わらない。

 娘ひとりを売り飛ばして、己の権力を維持する。いかにも人間がやりそうなことじゃないか?」


      *       *


 朝一番で始まった謁見の儀式は、滞りなく進行し、午前十時前には終了した。

 約束されていた女王との会談は、伯爵を王宮に招く形で行われることになった。

 ちなみに、その前に伯爵とエイナたちは、礼装から普段の姿に戻っている。


 王宮は女王の私邸である。

 つまり、この会談は公式のものではなく、あくまで友人同士の私的な歓談――という位置づけなのだ。

 その内容は公的な記録には残らないし、公表されることもない。

 外交の裏交渉にとって、王宮は最適な舞台であった。


 会談のために用意されたのは、王宮の応接室である。

 レテイシア女王とオルロック伯以外には、首席参謀副総長マリウス、護衛のエイナ、プリシラとタケミカヅチ、そして二人の少女である。

 少女たちの名はジニアとアリッサで、いずれも伯爵の養女だと紹介された。


 事前の交渉で、伯爵側はエイナたち護衛の同室に難色を示したが、王国は頑なであった。

 護衛なしでは、伯爵の身の安全が担保できないというのが、表向きの理由であったが、実際に警護されるのは女王の方である。


 伯爵はこれを認める代わりに、ジニアとアリッサの同席を要求してきた。

 理由は〝養女たちも守ってもらうため〟である。

 二人は伯爵の直系眷属であるから、見た目と裏腹に巨大な戦力であったから、半分嫌がらせのようなものだった。


 レテイシアは席に着くなり話を切り出した。

「見てのとおり、ここは私的な場であるから、くだらぬ挨拶も世辞も必要ない。

 単刀直入、腹を割って話したいと思うが、構わないかな?」


 伯爵も大きくうなずいて同意した。

「まさに〝我が意を得たり〟の思いですな」


「では、さっそく伯爵の来意を伺いたいところだが、その前に片付けておきたいことがある」

「はて、何か問題でもありましたかな?」


「一昨年であったか、伯爵には、そこのエイナとプリシラほか、何名かが世話になったと聞いている。

 その件に関しては、ありがたく思っている。率直に謝意を表しておこう」

「もったいないお言葉ですな」


「だが、彼女たちの救出に当たって、貴殿は条件を出したはずだ。

 私、隣りにいるマリウス、そして蒼龍帝シド・ミュランへの伝言だ。

 その内容は、吸血鬼の力と引き換えに、毎年生贄を捧げよという……率直に言って反吐が出るような誘いであった。

 だが、私たちは確かにその伝言を受け取ったが、貴殿は一向にその返事を求めないまま、今に至っている。

 これはどういう存念であるか、答えられよ」


 詰問するような女王の口調に、伯爵はとぼけたような表情を浮かべた。

「これは異なことを。答えを訊いたところで、皆様方は拒絶されるだけでしょう?」

「当り前だ!」


「でしたら、訊くだけ無駄というものです。違いますか?」

「だから、そこが分からんと言っている!

 初めから結果が分かっているのなら、なぜ無意味な条件を出した!?」


「いいえ」

 伯爵の声が一段低くなった。


「無駄でも無意味でもありませんぞ。

 確かに私の誘いは、即座に却下されるでしょう。

 しかし、あなた方の頭のどこかに、真祖の力を味方につける可能性が刻まれます。

 その誘惑が、息をひそめて生き続けていれば、私はそれでよいのです」

「それが無意味だと、何度も言ったはずだ!」


「この王都が、数十万の帝国軍に包囲されたとしても、そう仰っていられますか?

 陛下はきっと、絶望の中で私の伝言を思い出されるでしょうな。

 もちろん、本当にそんな事態に陥ったら、いくら私の力でも逆転は難しいでしょう。

 国民を見捨てて、自分だけ助かる程度の願いでしたら、簡単に叶えて差し上げられますがね。

 ですが、そこまで追いつめられる前だったら、どうにかできる機会がいくつもあったはずです。

 判断するのは、陛下ご自身です。

 私はいつでも、どこへでも現れると、お約束しますよ」


 レテイシアはぎりぎりと歯を鳴らしながら、呻くような声を絞り出した。

「なるほど……やっと得心したぞ。

 貴様は、正真正銘のクソ野郎だ!」

「お褒めにあずかり、恐悦至極ですな」


 伯爵は余裕たっぷりに応じた。

 左右に座っているジニアとアリッサも、蔑むような笑みを浮かべている。


「いやはや、この私を〝クソ〟と面罵した貴婦人は、レテイシア様が初めてですよ。

 やはり、直接会って言葉を交わさねば、人間の本性は分からぬもの。

 陛下は世間の噂どおり、激しいご気性でございますな」

「どこで聞いたかは知らんが、どうせ碌な噂ではあるまい。

 浮気した夫を片玉にして、離縁されたという話か?」


「ああ、そんな噂もありましたな。あれは本当のことでございましたか?」


 もうこの頃には、レテイシアは完全に平静を取り戻していた。

 むしろ、伯爵との会話を楽しんでいるようにも見えた。


「本当だ。若気の至りという奴でな、恥ずかしい限りだ」

「ほう……、一応は後悔されておられるのですな?」


「当然だ。

 実を言うとな、まだ若かった私は激情に駆られたあまり、不覚にも狙いを外してしまったのだ」

「玉を蹴る予定ではなかったと?」


「ああ。奴は私の方に裸の尻を向け、せっせと侍女の上で腰を振っていたのだ。

 まるで犬みたいに肛門が丸見えだったから、靴のヒールを穴にぶち込んでやるつもりだった。

 あの男は、尻に何かをれられながら、するのが好きだったからな。

 それなのに、力んで外してしまい、玉を蹴り潰したというわけだ。

 今の私だったら、二つとも潰した上で、改めて尻穴に旗を立ててやるだろう!」


      *       *


「えー、話もだいぶ暖まってきたと思いますので、そろそろ本題に入りたいのですが。

 レテイシア陛下、もう玉とか尻の話は、その……よろしいでしょうか?」


 聞くに堪えない話題に嬉々とする女王を、マリウスがどうにか正気に戻した。

 レテイシアは少し頬を赤らめ、大げさに咳払いをしてから、再度切り出した。


「余計な話で無駄な時を費やしてしまった。

 待たせたな。では、交渉の話だ。

 こちらでもおおよそ予想はついているが、オルロック伯爵、貴殿の口から直接伺おうではないか」


 だが、伯爵は笑みを浮かべたまま、しばらく黙っていた。

 沈黙は一分も続いたであろうか、一同の視線が集まる中、ようやく彼は口を開いた。


「黒龍帝閣下は、なかなかさといお方でありましたが、あの場にウエマクまでいるとは予想外でしたな。

 そちらの〝予想〟とは、恐らくあの二人からの報告によるものであろう。

 別にもったいぶるつもりはないが、これも余興――いや、純粋に興味がある。

 黒蛇市から何と言ってきたか、教えてはいただけまいか?

 当たっていれば素直に認めるし、違うところは指摘して、きちんと説明すると約束しよう」


 レテイシアはうなずいた。

「よかろう。エギルとウエマクが出した推論はこうだ」


「帝国は、南部民衆の脅威となっている、吸血鬼ベラスケスを駆除する決意を固めた。

 ベラスケスは王国へも毒牙を伸ばしつつあり、両国にとっては共通の敵である。

 ついては、秘密裏にエイナを帝国に派遣し、討伐に参加して欲しい。

 ……どうだ、違うか?」


 オルロックは目を見開いた。

「ほう……、ほぼ正解です。やはり、あの蛇は油断できませんな」


 驚いたのは、突然に自分の名を出されたエイナである。

(エイナとプリシラ、そしてタケミカヅチは伯爵の側ではなく、レテイシアのすぐ後ろに立っていた。)


 エイナは思わず前に出ようとしたが、プリシラが腕を掴んで引き戻した。

 この会談の場では、護衛である彼女たちに発言権はない。


 それでも、どういうことなのか説明が欲しかった。

 その思いが通じたのか、伯爵が静かに先を促した。


「なぜ、その推論に至ったか、詳しく伺えますかな?」

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そうねえ 伯爵としちゃ50年後とかにふと思い出してくれたって構わない訳だしねえ
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