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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第十章 復讐するは
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五 旧知

 召喚士と幻獣は魂のレベルで融合し、深く結びついている。

 したがって、常に一緒にいるのが当たり前で、互いの視界に入らないほど離れると、強い不安とストレスを感じてしまう。


 ところが、四神獣(黒蛇、白虎、蒼龍、赤龍)と四帝の関係は、それとは少し違っていた。

 そもそも神獣は、めったなことでは人前に出てこない。

 この世界に召喚されている時は、城の地階にある広い召喚の間で、のんびりと休んでいる。

 それ以外のほとんどの時間は、幻獣界に帰っているのだ。


 神獣たちの言によれば、彼らは霊格が非常に高いので、存在を維持するために大量の魔素を必要とする。

 魔素の正体はよく分かっていないが、自然や生物が発する精気のようなものと考えられており、幻獣界にはそれが濃密に満ちているらしい。


 神獣が幻獣界に帰ってしまっても、四帝は特にダメージを受けず、その理由も不明のままである。

 彼らがこの世界に召喚されているのは、一日の内の数時間に過ぎず、その間に四帝との情報交換を行っている。


 そのため、城勤めの兵士ですら、神獣を見る機会はめったにない。

 ましてや地方の農民などは、神獣を目にすることなく一生を終えるのが、当たり前であった。


 国境の要害、黒城市を守護する黒蛇ウエマクは、リスト王国を打ち建てた、統一王セントレアが召喚した最初の神獣である。

 その黒蛇が、エギルの傍らでとぐろを巻いているのだ。


 謁見の儀式であるから、この広間には三十名ほどの儀仗兵と衛兵が整列していた。

 訓練が行き届いている彼らは、動揺を見せることなく、真っ直ぐ前を向いているが、内心では驚いているに違いない。


 黒蛇帝であるエギルも平静を装っているが、顔に戸惑いの表情が浮かんでいた。

 だが、エイナたちは謁見の間に足を踏み入れてしまった。もう止まるわけにはいかないのだ。

 エイナとプリシラは、赤い絨毯の両脇に分かれ、オルロック伯のために道を空けた。


 伯爵はウエマクの存在を特に気にする様子もなく、絨毯を踏みしめて進んでいく。

 美少女の皮を被った二人の眷属も、しずしずとそれにつき従った。


 壇上の黒蛇帝の前まで来ると、伯爵は完璧な礼を取って口上を述べた。

 それが終わると、斜め後ろで膝を突いていた少女たちが進み出て、捧げ持つ盆を差し出した。

 二人の侍従がそれを受け取り、覆っていた袱紗を取って、エギルに見せた上で後ろに下がる。


 その瞬間、わずかにエギルの表情が変化した。

 盆の上には、慣習どおりに金地金インゴットが載っていたが、それが二枚ずつの計四枚だったのだ。


 この世界で流通する金地金は、十六、三二、六四、一二八グラムの四種類で、伯爵が贈ったのは三二グラムのものだった。

 金貨に換算すると五枚に当たるから、地金四枚で金貨二十枚、現在の我々の感覚では四百万円ほどになる。


 エギルは型通りの答礼の中で、進物に対する感謝を示したが、そこに一言付け加えた。

「過分なお心遣いには感謝するが、……文字どおり〝過分〟ではあるまいか?

 何か意図を含んでいるのであれば、お心の内を明かしてもらい」


 伯爵は笑顔を浮かべて応じる。

「いや、信じていただきたいが、誓って他意はない。

 王国の諸君は、私の名を聞いて〝よりにもよって〟と頭を抱えただろうし、気遣いも一方ひとかたではなかっただろう?

 私の護衛に、わざわざ第四軍の国家召喚士と、虎の子の魔導士を付けたのがその証拠だ。

 遠地のプリシラ殿を呼び寄せるだけでも、とんでもない経費がかかっているはずだ」


 それは事実であった。オルロック伯のために特別に練られた警備(監視)計画には、通常以上の経費がかけられていた。

 金貨二十枚というのは大きな金額であるが、伯爵にとっては大した痛手ではないのだろう。

 黒蛇帝は小さくうなずいて、締めくくりの言葉を述べた。


「では、道中の無事を祈る」


 これで儀式は終わりであった。

 伯爵は再び礼をして、蒼龍帝の前から下がろうとした。

 だがその瞬間、その場にいたすべての人の頭の中に、不思議な声が響いた。


『お待ちなさい、オルロック。まだ話は終わっていません』


 男とも女ともつかない不思議な声音。一度でも聞いたことがある者なら、ウエマクだとすぐに気づく。

 伯爵はゆっくりと振り返り、二人の少女がすすっとその前に出た。

 武器こそ手にしていないが、警戒していることは明らかである。


 ウエマクは眷属の動きなど目に入らぬように、言葉を続けた。

『なぜ、私には一言ないのでしょう?

 こうしてわざわざ出てきたというのに、挨拶もなしに行こうとするのは、あまりに薄情というもの。

 それでもあなた、〝人間〟ですか?』


「蛇のくせに、うまいことを言う」

 オルロックは思わず吹き出した。そして、エギルの方を見る。


「黒蛇帝閣下、聞いてのとおり、私とウエマク殿はちょっとした知り合いなのだ。

 彼と少し話しても構いませんかな?」


 エギルは苦笑いを浮かべた。

「どうもウエマクの様子がおかしいと思っていたが、そういうことか。

 伯爵のことを知っているとは聞いていたが、そこまでの仲とは知らなかった。

 もちろん、好きに話してくれてよいさ」


 オルロックは感謝を示すように頭を下げ、ウエマクの方に向き直った。

 とたんに伯爵の雰囲気が変わり、口調もぐっと砕けた。


「何だ、お前。怒っていたのか?」

『当たり前です!

 一昨年だって、無断で私の部屋にプリシラたちを連れてきて、何も言わずに帰ってしまったでしょう?

 まぁ、確かに私は留守でしたが、それにしたって礼儀というものがあるはずです。

 その時は仕方がなくとも、後で一言あってしかるべきでしょう? 私は酷く気分を害しましたよ。

 それなのに、今回も素通りしようなど、とても許せるものではありません!』


 謁見の間の兵士たちは、ぽかんとした顔で神獣の姿を見つめていた。

 黒蛇の声が響いたのは最初だけで、その後は何も聞こえなかったからだ。

 ウエマクは蛇であるため発声器官がなく、念話を行う時も口が動かない。

 だが、伯爵の言葉からして、会話が成立しているのは明らかである。


 高度な念話を操る幻獣は、それを伝える者を自由に選択できる。

 ウエマクは、うっかり伯爵の正体がバレないように気を遣ったのだろう。

 いま、その声が聞こえるのは、エギルと伯爵、そしてエイナとプリシラだけだった。後者を加えたのは、完全に意図的である。


「二年前のことを根に持っているとは、執念深いにもほどがある。

 さすがは蛇だな」

『黙らっしゃい! 誰がうまいことを言えと?』


「いやいやいや、先にやったのはお前の方だろう?」

『男が細かいことを言うものではありません。

 それより、何しに来たのですか? 正直に白状しなさい!』


「知恵者ウエマクとは思えぬ質問だな。外交交渉に決まっているだろう?」

『だから、その内容を教えなさいと言っています』


「私の交渉相手は、ほかならぬレテイシア女王陛下だ。

 いくらお前が神獣でも、先んじて知ろうとするのは不敬であろう」

『むう……口の減らぬ男ですね。

 まぁ、よいでしょう。あなたは帝国でも、特に辺鄙な地を治める辺境伯です。

 それをわざわざ交渉役として引っ張り出すということは、吸血鬼がらみの案件と推測するのが妥当です。

 何しろ、帝国は公式には吸血鬼の存在を認めていませんからね。

 ですが、王国と国境を接する帝国東部には吸血鬼は存在しません。考えられるとすれば、地理的に一番近い南部のベラスケスでしょう。

 彼は王国に対して、実際に手出しをしてきましたからね。

 つまり、ベラスケスの支配地で何かが起きている。それに対処するために、私たちの力を借りたい。

 ……こんなところだと思いますが、いかがですか?』


 頭の中に響く声が、エイナの心臓を締めあげた。

 彼女の母親が、ベラスケスの巣食う帝国南部へ入ったという情報を知ったのは、もう半年近く前のことだ。


 だがその後、母が何をして、どうなっているかは、まったく分からない。

 エイナとしては、すぐにでも飛んでいきたい思いだったが、軍の魔導士という立場は、それを許さなかった。


「ふむ、当たらずとも遠からず……と言っておこうか。

 どうせ私には答えられんのだ。それが分からぬお前ではなかろう?

 せいぜい想像を逞しくしているがよかろう」

『持つべきは友……といったところですか。

 やはり、直接話すのが一番分かりやすい。あなたの顔で答え合わせができました。

 感謝しておきましょう』


「私は……お前と友人になった覚えはないぞ?」

『奇遇ですね、私もです』


      *       *


 謁見を終えたオルロック伯一行は、王国側が用意した市内の宿に下がった。

 国賓なら、黒蛇帝主催の晩餐会に招待されるところだが、それよりは遥かに気楽であるし、旅の準備に専念できる。


 もちろん、護衛役のエイナとプリシラも一緒に泊まることになる。

 ひとり一泊で銀貨八枚という、超高級宿である。

 貴族の庶子であるプリシラは平然としていたが、根が田舎者のエイナはどきどきであった。


 とはいえ、贅沢な宿を満喫している暇などはない。

 二人は短い睡眠を交替で取りながら、伯爵の部屋の前で不寝番を続けた。


 もちろん、伯爵はその気になれば、自由に部屋を抜け出すことができる。

 ただ、彼はエイナたちに対して外には出ないと約束してくれた。

 もし、彼が嘘をついたとしても、外で警備についているタケミカヅチが、すぐに気づくはずだ。


 幸いなことに、その夜は何事も起きず、平和に過ぎていった。

 帝国の貴族を襲おうとする国粋主義者は現れなかったし、半裸の美少女が市民の血を吸う事件も起きなかった。


      *       *


 翌日、伯爵たちを乗せた馬車が、黒城市の西大門を出たのは、朝の九時過ぎのことであった。

 馬車は街道を西進し、途中の丁字路で南に分岐する主街道へと入った。

 白城市までには二泊する予定なので、行程には余裕がある。


 宿の豪華な朝食をゆっくり味わい、旅人としては遅い出発をしたのも、そのためである。

 ちなみに、伯爵は出された料理を堪能し、きれいに完食して料理人を喜ばせた。

 二人の少女がほとんど皿に手を付けず、お茶しか口にしなかったのとは対照的であった。


 この日の目的地はボーヌという、黒城市から五十キロほど離れた町だった。

 ボーヌのすぐ南で、第一軍管轄地に入るという境界の町である。


 一日でボーヌに着くには、途中で馬の交換が必要だった。

 軍は街道沿いの主要町村に馬を預けているので(駅伝制度)、一般の旅人よりも距離が稼げた。


 そのような背景で、ボーヌの街には夕方に到着できた。

 宿泊は〝さざなみ亭〟という、町一番の宿が予約されていた。

 黒城市の高級宿とは比べようもないが、総二階建ての、地方にしては十分立派な宿である。


 さざなみ亭の周囲には、すでに大勢の見物人が集まっていた。

 町の人間よりも、田舎から集まってきたとおぼしき人が多い。


 伯爵たちが彼らに姿を見せたのは、馬車を降りて宿の玄関に入るまでの、ほんのわずかな時間であった。

 それでも、見物人たちは十分に満足できた。伯爵は堂々とした紳士であったし、お付きの少女たちは、溜息が漏れるほど美しかった(ここでも魅了チャームが効果を表していた)。


 さらに、二人の少女は二階の窓から顔を出し、集まっていた人びとに向けて、美しい千代紙の包みを撒いたものだから、大変な騒ぎとなった。

 中身はありふれた焼き菓子や飴玉だったが、田舎では珍しい千代紙は、大いに喜ばれた。


「今度の貴族様は、何と気前のよいお方じゃ!」

 わざわざ見物に来た近在の農民たちは、子どもへのよい土産ができたと喜んだし、女房や若い娘たちは、美しいドレスやアクセサリーに興奮して、お喋りが止まらなかった。


 次の日は、第一軍管区に入ったことで、警備の引継ぎが行われた。

 伯爵の直衛は変わらずにエイナとプリシラだが、ここまでは第二軍の騎馬一個小隊が同行し、馬車の前後を守っていてくれていたのだ。


 途中、街道上の町にもう一泊して、三日目にようやく白城市である。

 王国最大の都市である同市は、白虎帝ノエル・アシュビーが治めている。


 しかし、オルロック伯は市内の高級宿に泊まっただけで、登城はしなかった。

 伯爵が白虎帝との会談を希望しない限り、特に用はないからだ。

 この辺は、国賓ではない身軽さである。


 翌早朝、白城市を出立すれば、王都までは宿泊を必要としない距離である。


 日が地平線に傾いていき、西日がカーテンの隙間から差し込んでくるころ、王都の大城壁が見えてきた。

 厚手のカーテンを閉めた伯爵は、やれやれといった面持ちで溜息をついた。


「ボルゾ川を渡って五日か。

 覚悟していたとはいえ、私にとっては拷問に等しい旅であったな。

 お前たちも、さぞ辛かったであろう」


 伯爵はそうつぶやいて、黒いマントの胸をぽんぽんと叩いた。

 実を言うと、馬車に乗っている間だけ、二人の少女は伯爵が作り出した闇に隠れていたのだ。

 彼女たちが、いくら伯爵の直系眷属だといっても、さすがに吸血鬼が日中に活動するのは負担が大きい。


 当然、馬車の中では伯爵とエイナ、プリシラの三人だけとなる。

 伯爵はたわいのない世間話には応じるが、今回の交渉に関する話題に関しては、一切口を開かなかった。


 自然、車内ではあまり話がはずまない。

 もっとも、馬車の中は騒音が酷いから、会話には大声を出さなくてはならない。

 だから、会話の少なさは、お互いにありがたかったのである。


 白城市と王都を結ぶ街道は広く、よく整備され、石畳で完全に舗装されていた。

 がらがらという車輪の音と、馬の蹄が響く車内で、伯爵は二人の少女を両脇に戻した。

 彼女たちは手鏡で身だしなみを素早く確認し、背筋を伸ばして澄ました表情を浮かべ、次に起きる事態に備えた。


 目前に、王都大城壁の正門(東門)が迫ってきたからである。

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ウエマクさん案外感情的で笑う
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