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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第十章 復讐するは
336/359

四 謁見の間

 エイナとプリシラは蒼龍帝にマリウスの親書を渡し、その補足説明に当たった。


 オルロック伯の訪問に対して、参謀本部と外務部が出した方針は〝相手の出方を見守る〟というものであった。

 消極的ではあるが、帝国側の目的が掴めないうちは、そうせざるを得ない。


 翌日からは、第二軍の警備責任者バーンズ大尉とともに、港から市内大通りまで、実際に進むルートを検分することになった。

 今日のところは、エギルへの拝謁を済ませるだけで、休養してよいことになっている。


 エイナは黒城から下がり、市内で宿を取った。

 プリシラとタケミカヅチはそのまま城に残り、蒼龍帝の好意で提供された来客用の部屋に泊まることになった。


 民間の宿では、タケミカヅチが入れないということもあるが、エギルとプリシラには積もる話があるのだろう。

 エギルは第二軍のトップ、プリシラも第四軍の副官という立場である。

 ゆっくり旧交を温めるには、絶好の機会だった。


 プリシラは罪悪感にかられたのか、一緒に城に泊まらないかと誘ってきたが、エイナはこれを固辞した。

 男女のことに鈍いエイナが、珍しく気を利かせた……わけではない。

 巨漢の男性神に見守られるよりも、ひとりの方がよく眠れそうだったのだ。


      *       *


 帝国貴族の訪問は、二年に一度くらいの頻度であり、市民にとってはよい娯楽になていた。

 貴族はひとりで訪れるわけではなく、何人もの召使とともに、奥方や令嬢を伴うことが多かった。

 貴婦人の華麗なドレスや、白い肌に映えるアクセサリーは、黒城市の女たちの興味を搔き立てた。


 貴族の奥方や令嬢も、十分にそれを意識していた。

 大通りでは馬車の窓から顔を出し、とっておきの衣装と宝飾品を見せつけるのだ。

 最大の見どころは、黒城の前で下車し、儀仗兵の間を進んでいく場面である。


 この時、初めて貴婦人たちは全身を披露して、見物の女性たちの溜息を誘った。

 その瞬間を見るためだけに、近郷の村々からも、人々が集まってくるほどであった。


 第二軍に課せられる警備とは、興奮した市民が馬車に接近し過ぎないようにすることだ。

 うっかり飛び出した見物人が馬が驚かせ、棹立ちや暴走を招く恐れだってある。

 そのせいで賓客が怪我でも負ったら、外交問題となりかねないのだ。


 大通りの交通規制、見物スペースの設定、出店の許可など、通りに面した商店主との打ち合わせも必要である。

 効率的な兵士の配置は当然だが、不測の事態に備える部隊の動線確保など、確認すべきことは山ほどあった。


 特に今回に限っては、伯爵を群衆から守るよりも、市民を彼から遠ざける方が重要である。

 しかも、それを双方に気取らせてはならない。


 さらに言えば、黒城市は通過点に過ぎない。

 伯爵の一行はここを出て、白城市を経由してから王都を目指すことになる。

 白城市までは、街道沿いの二つの町に宿泊する予定だが、そのうちの一泊までは第二軍の管区内である。

 その小さな町の方が、警備は遥かに難しかった。


 黒城市なら第二軍のお膝元だから、必要な兵を即座に用意できる。

 だが、同市の城門を出た貴族に付けられる警備は、せいぜいが一個小隊である。

 それに対して、宿泊地となる田舎町には、弁当持参で集まってきた近郷の農民が溢れかえっている。


 農民たちは遠慮がないから、平気で宿の窓に群がり、中を覗こうとする。

 昼ならまだしも、夜にそんなことをされたら、吸血鬼におやつを差し出すようなものである。


 エイナとプリシラは、三日連続で働きづめだった。

 そして、伯爵訪問の日は、あっという間にやってくるのであった。


      *       *


 帝国側の通知によれば、伯爵が乗る渡船は、対岸のクレア港を午前十時ちょうどに出ることになっていた。

 国賓ではないので、黒蛇帝や儀仗兵が港まで出迎えることはない。

 船着場には、警備責任者のバーンズ大尉とともにエイナとプリシラが並び、船を待っていた。


 大陸最長の大河であるボルゾ川は、河口付近だと一キロ以上の川幅がある。

 それに対して、黒城市は上流部に近いので、対岸との距離は百メートルほどしかない。

 その分、流れも急なので、船で渡河するのは大変だった。


 対岸の出発点は三百メートルほど上流にあり、船は流されながら斜めに川を突っ切る形となる。

 大勢の舟子は全力で漕ぎ続け、下流に押し流される前に、対岸へ着かなければならなかった。


 一応は帆も張るのだが、長距離の遡上と違って、渡河では気休めでしかない。

 したがって、待っているエイナたちは、賑やかな対岸ではなく、何もない川の上流を見つめていた。


 十時を過ぎて数分もすると、船の姿が小さく見え、どんどん大きくなって迫ってきた。

 港は川岸をえぐったような湾の奥にあり、流れから取り残された淀みになっている。渡船はそこに入ってしまえば、ようやく一息つけるのだ。


 黒城港とクレア港の間では、一日平均、三十往復を超す渡船が行き交っている。

 その中には、流れに抗しきれずに渡河を失敗する船もたまに出てくる。

 そうした船のために、一キロほど離れた下流には、専用の避難港まで開かれていた。


 幸いなことに、オルロック伯を乗せた船は、順調に黒城港に入ってきた。

 湾内に入った船は、目に見えて速度を落とし、ゆっくり回頭して桟橋に近づき、ぴたりと着岸した。


 桟橋で待ち構えている係員に船上からロープが投げられ、係船柱ボラードにしっかりと結ばれる。

 舷側の可動式の手すりが倒され、渡し板がかけられた。


 ややあって、その板を踏んでひとりの紳士が降りてきた。

 彼はエイナたちの待つ岸に向かって、ゆっくりと桟橋を歩いてくる。

 だが、いくら待っても彼に続いて下船する者はいなかった。


「伯爵……ひとりですね?」

「ああ、ひとりだな」


 エイナとプリシラは、小さな声でささやきあった。


 黒死山に隠されていたオルロック伯の館では、多くの美少女たちが仕えていた。

 彼女たちは侍女でもあるし、伯爵の愛人でもあるのだろう。

 数は少ないが、館には執事や使用人然とした男もいた。


 貴族ともあろう者が、供もなしに出歩くなど、どう考えても非常識である。

 しかし、真祖である伯爵とは違い、眷属に過ぎない彼女たちは、太陽の下には出られないのだろう。


 それにしたって、ひとりは変である。せめて人間を雇えなかったのだろうか?

 伯爵が吸血鬼だとは知らない、帝国の軍人や役人は、不審に思わなかったのだろうか?


 伯爵はエイナたちの前で立ち止まった。

 出迎え役の三人は恭しく礼をした上で、バーンズ大尉が代表して歓迎の言葉を述べた。


「オルロック辺境伯とお見受けいたします。

 高名な伯爵閣下を黒城市にお迎えすることは、第二軍の名誉とするところであります。

 我が軍とすべての黒城市民は、心から閣下を歓迎いたします」


「うむ、出迎え大儀である」

 伯爵は重々しくうなずいたが、エイナとプリシラを見る目は笑っていた。


 プリシラはその表情に気づかない振りをして、バーンズの言葉を引きとった。

「私は第四軍所属の国家召喚士、プリシラ・ドリー大尉です。

 後ろに控えている巨人は、私が召喚した幻獣、タケミカヅチと申す者。

 横に並びますのは、参謀本部所属の魔導士、エイナ・フローリー中尉です。

 伯爵閣下がご滞在中、我ら三名が護衛を務めるよう申し付かっておりますれば、お見知りおきを願います」


 白々しい自己紹介に続いて、エイナも口を開いた。

「蒼龍帝エギル・クロフォードが、城で閣下をお待ちしております。

 馬車を用意しておりますので、どうかお乗りください」


 彼女の言葉どおり、すぐ先に二頭立ての立派な馬車が待っていた。

 大人六人がゆったりと座れる、大型馬車である。

 せっかく軍が準備したのに、伯爵ひとりというのは拍子抜けである。


 伯爵は勧められるままに、馬車に近寄った。

 御者が踏み台を置いて後部扉を開くと、伯爵は躊躇ためらうことなく乗り込んだ。

 それを確認すると、エイナとプリシラは前の扉から中に入る。

 タケミカヅチが乗るのは無理なので、彼は馬車の後方についた。


 広い馬車内で伯爵と向かい合って座ると、エイナは扉を閉めた。

 窓にはカーテンが引かれているので、ふっと車内が暗くなる。

 その瞬間、隣りから息を呑む気配を感じた。

 反射的に振り向くと、エイナもまた驚きに包まれた。


 向かいに座っている伯爵の両隣りに、薄い絹のドレスをまとった美少女が座っていたのだ。明らかにオルロックの眷属だ。

 彼女たちは澄まして座っているが、エイナとプリシラに対しては、見下すような視線を向けてくる。


 一瞬は驚いたエイナたちだったが、すぐに平静を取り戻した。

 それを見た伯爵は苦笑した。

「何だ、反応がつまらんな」


 これに対して、プリシラも肩をすくめて反論する。

「どうせ、マントの内側に隠していたんでしょう。

 私自身、そこに入れられたことを、忘れたとは言わせません。今さら驚けと言われても、無理な話です」


「貴様ぁ、何だその口の利き方は!? 伯爵様に対して無礼であろう!!」

 少女たちが叫び、腰を浮かしかけた。

 美しい顔が怒りで歪み、赤い唇からにゅっと犬歯が飛び出している。


「止めんか、馬鹿者」

 伯爵が苦笑いを浮かべたまま一喝すると、少女たちはしゅんとなって腰をおろした。


「彼女たちは私の直系眷属だからな。別に太陽のもとでも耐えられるのだ。

 だが、苦しい思いをすることには変わりがない。私としては、できるだけその負担を減らしてやりたい。

 幸い、君たちは事情を心得ている。

 もし、誰かが『いつの間に?』と訊ねたら、先に乗り込んでいたのだと強弁するのが、君たちの務めだ。

 もちろん、協力してくれるだろうね?」


 プリシラはぷいと横を向いた。

「吸血鬼に借りを作るものではないと、私はいま切実に後悔しています」

「快く承知してくれたようで嬉しいよ。プリシラ君。

 エイナも元気そうだな。前に会った時は准尉と名乗っていたはずだが、昇進したのだね? おめでとう。

 お互い健康に再会を果たすとは、神に感謝せねばなるまい」


「あらまぁ、吸血鬼にも崇める神がいるのですか?」

「当然だろう。古来有名な神だから、君も聞いたことがあるはずだ。〝死神〟というのだがね」


      *       *


 オルロック伯たちを乗せた馬車は、警護の一個騎馬小隊に先導され、黒城市の北大門を潜った。

 カラカラという軽快な車輪の音と一緒に、大通りにつめかけた見物人の歓声が聞こえてくる。


 カーテンの隙間から、外の様子を窺ったエイナは、わずかに顔を曇らせた。

「伯爵様、姿を見せないままでは、群衆が不審を抱きます」


 オルロックは思ったより素直だった。

「まぁ、そうだろうな。お前たち、仕事だぞ」


「はい」

 二人の少女はカーテンをさっと引き、ガラスの嵌まった可動式の窓を引き上げた。

 そして、両側の窓からそれぞれ顔を出し、沿道の群衆に向けて手を振ってみせた。


 二人とも艶やかな黒髪を編まずに真っ直ぐ垂らし、抜けるように肌が白い。

 大きな瞳は黒目がちで、涙を浮かべたように潤んでいた。


 ひらひらと振る手は、触れたら折れてしまいそうなほど華奢で、肘から先には総レースの白手袋がめられていた。

 絹のドレスの胸元は大きく開けられ、細身なのに豊かな胸のふくらみがこぼれている。

 館では、ドレスの下は全裸であったが、今はさすがに透けないよう、肌着を身につけている。


 ひとりの首には、大粒真珠の首飾りが三重に巻かれ、もう一方の娘の首には金の鎖がかけられ、つながれた大きな紅玉ルビーが胸の谷間に挟まり、苦しそうにしていた。


 沿道に集まった人々は、男も女も息を呑んで静まり返った。

 馬車から顔を出してくれた少女が、あまりにも美しいのと同時に、鳥肌が立つほどわく的だったからだ。


 少女たちは扇子で鼻から下を隠していたが、見物人は絶世の美女だと断じて露ほども疑わなかった。

 馬車が行き過ぎると、大通りの両側に残された群衆は、みな魂を抜かれたように口を半開きにして、いつまでも馬車の後ろ姿を見送っていた。


 カーテンの隙間から外を覗いていたエイナたちは、すぐにぴんときた。

 少女たちは、吸血鬼固有の能力である魅惑チャームを使ったのだ。

 そうでなければ、群衆の異常な反応の説明がつかない。


 プリシラは眉間に皺をよせ、オルロックを睨んだ。

「伯爵殿、入国早々だぞ? 混乱を起こすのは遠慮していただきたい」


 伯爵は軽く肩をすくめるだけだった。

「心配するな。私の眷属たちは心得ている。

 彼らは五分も経たないうちに我に返るだろう。問題はない」


 だが、プリシラの語調はいっそう険しくなった。

「大体、あなたは! 何が目的で昼日中に入国してきたのですか?

 伯爵ほどの力があれば、許可がなくても入ってこれるでしょう!?」


 エイナは驚いて、プリシラの端正な横顔を見た。

『えっ、いきなり本質それを訊くんですか?』


 もちろん、オルロック伯が素直に答えるわけがなく、プリシラもそれは期待していなかった。

「せっかちな奴だな。

 ドリー大尉、君は意中の男を誘う時、いきなり股を開くのかね?

 それでは商売女と変わらない。情緒というものがないだろう?

 まずは手をつなぐところから始め、互いの信頼を深めてから抱擁、そして口づけだ。

 それが淑女のたしなみというものだろう? 焦るだけでは、男は逃げてしまうぞ」


 プリシラは憮然とした表情で、それ以上の追究を断念した。

 吸血鬼に恋愛の極意を伝授されるなど、屈辱以外の何物でもなかった。


      *       *


 やがて馬車は、黒城の正門前で停まった。

 エイナとプリシラが先に馬車から出て、扉を開けてオルロック伯と二人の少女を降ろす。

 少女たちは降り注ぐ陽光にも表情を変えず、つつましく伯爵につき従った。


 一行は儀仗兵の〝捧げ剣〟に迎えられ、黒城の中へと入っていった。

 案内にの兵に従って進んでいくと、目の前に高さ五メートルはあろうかという、謁見の間の巨大な扉が現れ、ゆっくりと開かれた。


 謁見の間は、場合によっては舞踏会の会場ともなる、大きな広間である。


 中央の奥、一段高い壇上に豪華な椅子が置かれ、そこに黒蛇帝エギル・クロフォードが座っていた。

 部屋の入口から壇までは紅い絨毯が敷かれ、一本の道を表している。

 オルロック伯はその通路を進み出て、黒蛇帝の前で礼を示して口上を述べる。


 つき従う二人の少女は、いつの間に用意したのか、四角い盆のようなものを捧げ持っていた。

 盆にはふくがかけられて中が隠されているが、その下には金地金インゴットが載せられているのが慣例だった。

 二人で一枚ずつ、計二枚というのは相場である。


 伯爵は型通りの挨拶を述べたあと、この贈り物を納める。

 これに対して、蒼龍帝は遠路をねぎらい、心遣いに感謝するとともに、この先の道中の無事を祈る言葉を返す。

 蒼龍帝との会談がセットされていない場合、謁見の儀式はこれで終了である。


 すべては予定どおり、何の支障もなく進行するはずであった。

 ところが、先導するエイナとプリシラが謁見の間に足を踏み入れた瞬間、二人の動きが止まった。

 彼女たちは腹話術師よろしく、唇を動かさぬままささやきあった。


『中尉殿! エギル様のお隣りに、めちゃくちゃ大きなヘビが!!

 えと、あの……、うんこ(・・・)みたいにとぐろを巻いています!!』

『失礼なことを言うな、あれはうんこではない! 黒蛇ウエマク様だ!!

 打ち合わせでは聞いてないぞ! なぜお出ましになられたのだ!?』

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つまり、エイナも野営の時はとぐろを巻くようにウンコをした、と……
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