三 同期生
「というわけで、二週間後にオルロック伯爵がわが国を訪れ、レテイシア様と会談を持つ予定だ。
君には第三軍のプリシラ・ドリー大尉とともに、陛下の護衛を務めてもらいたい」
「はぁ……」
執務室の応接ソファに座って、マリウスの話を聞いていたエイナは、困惑した表情を浮かべた。
「何だ、ずい分と気の抜けた返事だな?」
「すみません。とても正気の沙汰とは思えず、少し呆れてしまいました。
伯爵は一体、何を考えているのでしょうか?」
マリウスは溜息をついた。
「私にもさっぱりだ。
伯爵の思考をわずかでも推測できる者がいるとすれば、エイナだと思っていたのだがね。
やはり君でも無理か……残念だよ」
「そのご期待は、私に吸血鬼の血が流れているからでしょうか?」
「う……いや、すまん。
これは私の失言だった。取り消させてくれ」
「マリウス様が謝られる必要はございません。
私はそれほど気にしておりませんから」
一瞬、真顔になって反省したマリウスだったが、すぐに笑みが戻ってくる。
「ありがとう。君の寛大さに感謝するよ」
エイナが参謀本部に配属されてから、もう二年以上が経つ。
いつも一緒にいるシルヴィアは、最初から自信たっぷりで、物怖じしなかった。
それに比べてエイナは、何か訊ねると「えと、あの……」と口ごもるのが常であった。
最近は、その癖がめったに出なくなった。
二年という短期間で、准尉から中尉に駆け上がっただけあって、彼女は人間としても成長しているのだ。
おどおどしていた娘が、次第に自信をつけて逞しく、あるいは太々しくなっていく。
上司としては喜ぶべきなのだろうが、一抹の寂しさもあった。
「あれはあれで、可愛いものだったが……」
「何か仰いましたか?」
「いや、独り言だ。それこそ気にしないでくれ。それより、伯爵の件だ」
マリウスは態勢の立て直しにかかった。
「君は明日出勤したら、そのまま外務部のサミュエル次官のもとへ出頭したまえ。
次官へは丸一日、君のことは好きにしていいと伝えてある。
礼儀作法の習得から料理開発まで、やらねばならないことが目白押しだぞ」
「うわぁ……、それは光栄です」
エイナは感情のこもらない棒読みで、余すところなく嬉しさを表現した。
「その後はプリシラの到着まで、要人警護の鍛錬に励んでもらう。
各科の教官が手ぐすね――もとい、綿密に立案した強化訓練メニューをこなしてもらう」
「うわぁ……、とっても楽しみですぅ(棒)」
「六日後には、プリシラと二人で黒城市に向かってもらう」
「伯爵を出迎える、案内役に就くというですか?」
「名目上はな。実際には監視役だ。
レテイシア様との会談はもちろんだが、伯爵の滞在中は常に行動を共にして、万が一の事態に備えるのだ。君たちの活躍には、期待している。
分かったなら、行ってよろしい!」
「う、うわぁ……、頑張るます」
エイナは軽い眩暈を覚えながら、どうにか敬礼をしてみせた。
* *
王国の西の国境にはコルドラ大山脈が聳え、天然の防壁となっていたから、王都はその山裾に築かれていた。
それに対して、第四軍の本拠地である蒼城市は、大森林を開拓する辺境を抱える、東部の要衝となっていた。
両都市は遠く離れ、普通の旅人であれば、行来には一週間を要した。
主要な都市を結ぶ街道では、駅伝制度が整備されているから、軍務でそれを活用しても五日はかかるだろう。
マリウスがプリシラを王都に呼ぶには、順序としてまず蒼龍帝に事情を説明し、許可を得ねばならない。
だが、吸血鬼が賓客として国を訪れ、女王に会おうとしている――そんな荒唐無稽な話を、伝書鳩の運ぶ短文だけで納得させるのは、ほぼ不可能であった。
シルヴィアがいればどうにかなるのだが、現在は赤龍帝の指揮下に入っている。
ナフ国との紛争地に派遣された彼女を、今さら返してくれとは言えない。
必然的に、残る飛行幻獣の召喚主であるアラン少佐に、負担を押し付けることとなった。要するに、〝いつものこと〟である。
少佐は参謀本付ではあるが、偵察任務に都合のよい、北の黒城市を活動の拠点としている。
マリウスは溜息をつき、エイミー秘書官に伝書鳩の手配を命じた。
蒼城市の召喚士を呼び寄せるために、方向違いの黒城市に連絡するとは、なんと効率的なのだろう。
情報伝達力が脆弱であることは、以前から指摘されてきた王国の弱点だが、抜本的な解決には莫大な費用が必要となる。
だが、もう待ったなしのところまで来ているのかもしれない。
考えただけで頭が痛かった。
結局、マリウスはアラン少佐のロック鳥に運ばれ、自ら蒼城市へと乗り込んだ。
蒼龍帝シドとの直談判の末、翌日にはプリシラとその幻獣タケミカヅチを王都に連れ帰った。
純粋な移動に要したのは、わずか二日。アラン少佐を呼び寄せる日数を加えても、四日に過ぎない。
この機動力だけは、他国の垂涎の的だった。隣りの芝生はいつだって青いのだ。
* *
王都に入ったプリシラは、休む間もなく参謀本部での打ち合わせに入った。
翌日は、エイナ同様に外務部のレクチャーを受ける。
その間もエイナは、鬼の教官たちの玩具にされていた。
エイナがプリシラと顔を合わせたのは、王都出発の当日であった。
もちろん、初めてではない。
オルロック伯の拠点、黒死山からは一緒に帰還したし、エイナが第四軍に期限付きで異動となった際も、挨拶を交わしている。
ただ、ゆっくり話をしたことはなかった。
二人は轡を並べ、早朝に王都を出発した。
身長三メートルを超す巨漢のタケミカヅチは、徒歩で馬に付いてきた。
彼の大きな歩幅をもってすれば、馬の並足に合わせるのは雑作もない。
しかも、タケミカヅチは馬の負担を減らすために、背負子で重い荷物を背負っていた。
その状態で一日歩き通しても、この東洋の武神は平気な顔をしていた。
宿は二人で一部屋だった(予算の関係)。タケミカヅチは身体が大き過ぎて中には入れず、宿の裏で寝転がった。
幻獣のサイズを考慮している城では、彼は当たり前にプリシラの側にいるらしい。
タケミカヅチは見上げるような巨体であるが、外見は人間の男性と変わらない。
それなのに、プリシラは彼の視線がまったく気にならないらしい。
平気で着替えをするし、湯浴みもする。召喚士と幻獣の関係とは、そういうものなのだ。
王都から黒城市までは、四日の行程である。
馬車ではなく騎馬での移動だから、日中はあまり会話がない。
だが、宿で同室に泊まるとなると、人見知りのエイナでも、話をしないわけにはいかなかった。
プリシラは魔導院の先輩だし、階級も上であるため、最初のうちは会話もぎこちなかった。
ただ、話してみると彼女は優しく、落ち着いた女性だったので、次第にエイナも打ちとけていった。
話題は、自然とオルロック伯の訪問のこととなる。
「オルロック伯は、王国に生贄の供給地を開拓したがっていた。
だからその誘いを、レテイシア陛下とマリウス様、そして蒼龍帝閣下に伝えることを条件に、我々の帰還を手助けしてくれた。
ただ、私はそこにあまり熱意を感じなかったのだ。
いかにも取ってつけた名目だと感じたのだが、エイナはどう思う?」
二人は互いのベッドに腰をかけ、向かい合って座っていた。
エイナはプリシラの問いかけに、うなずいてみせた。
「私も同じように感じました。
マリウス様から伺ったのですが、レテイシア様をはじめ伯爵の誘いを受けた方々は、誰ひとりとしてそれに答えていないそうです」
「断った……ということか?」
「いえ、意志の確認をされなかった、という意味です。
つまり、全員〝放ったらかし〟にされているのだそうです」
「それは酷い話だな。
伯爵なら、いつでも闇の通路を使って国境を越えられるだろうに」
「はい。彼はその気になれば、女王陛下の寝室にだって出現できるような気がします。
だからこそ、今回正規の手続きで入国し、陛下に面談を申し込んだことが、信じられないのです」
「エイナの言うとおりだが……。だが、ちょっと待て」
プリシラは、何かに気づいたかのように黙り込んだ。
エイナがおとなしく待っていると、彼女は考えがまとまったらしく、再び口を開いた。
「私たちは、なまじオルロック伯爵の正体を知っているから、袋小路に入ってしまったのかもしれない。
もし、仮にだぞ? 帝国はいつもどおりの裏交渉で貴族を派遣し、それがたまたま伯爵だったに過ぎないとしたら、どうだろう?」
「そうですね……確率は低いですけど、絶対にあり得ないとまでは言えませんね」
「もちろん、その人選には、何者かの意志が働いているとは思う。
だが、取りあえず今は置いておこう。
帝国は、表にできない交渉をしたがっている。それも、レテイシア様と直談判をするほどの重大事件だとしたら、一応の辻褄が合うんじゃないか?」
「そうであるなら、なぜ伯爵は使者役を引き受けたのでしょうか?
彼にとってはリスクだけで、何も得をしないと思いますが……」
「多分、伯爵を推薦した人物に、恩を売りたかったのではないか。
あとは、単に面白がっている……とか?
あ、何だかこれが一番しっくりくる。頭が痛いわ」
「ああ、彼のことですから、
『せっかくだし、ついでに宿題の答え合わせをしてみるか』くらいは言いそうですね」
二人は笑い合った。
考えれば考えるほど、ありそうな話に思えてくる。
ただそうなると、その帝国がしたい裏交渉の内容が問題となるのだが、さすがにそこまでは推測できない。
彼女たちは一応の結論を得たことで、ランプの火を落とし、それぞれのベッドに潜り込んだ。
* *
エイナたちの旅は順調で、黒城市には予定どおりに到着した。
ただ、伯爵の到着までは四日であるから、あまり余裕はない。
国内第二の都市を取り囲む大城壁の周囲には、活気にあふれた新市街が広がっている。
二人は屋台で揚げたてのパン(中には刻んだタマネギとヒツジの挽肉が入っている)を買い、馬上で朝食にしながら進んだ。
のしのしと後を付いていくタケミカヅチを、すれ違う人々が好奇心丸出しで見上げた。
一行は手続きを済ませ、城門を潜ると大通りを真っ直ぐ進み、市の中心に聳える黒城へ向かった。
まずは、黒城の主である黒蛇帝に会って、詳しい説明をしなければならない。
事前に示されたオルロック伯の予定では、黒蛇帝を表敬訪問するものの、会談までは設定されていない。
つまり、挨拶をして土産を上納するだけである。
外交交渉で訪れる帝国貴族は、公式の客ではあるものの、国賓という格付けではない。
それでも賓客には変わりないから、彼らが上陸してからの費用は、すべて王国が持つことになる。
馬車も食事も宿も、すべて外務部が手配するのだ。
帝国貴族は入国すると黒蛇帝を表敬訪問し、その際には贈り物を渡すのが慣例である。
つまり、これが移動や滞在費の代わりとなるのだ。
当然、それが壺や絵画だとしたら、王国側は扱いに困ってしまう。
そのため、贈り物は金地金と決められていた。
実に即物的で情緒がないが、非常に分かりやすい制度でもある。
* *
黒蛇帝を務めるエギル・クロフォードは、知的で穏やかな人物だった。
エイナたちが謁見の間に入っていくと、エギルはすぐに立ち上がって駆け寄ってきた。
エギルはエイナの方は見向きもせずに、プリシラの手を両手で包み込んだ。
「やあプリシラ、元気そうだね!
それに、相変わらずきれいだ!!」
黒蛇帝はいかにも嬉しそうに、握った手をぶんぶんと上下に振った。
プリシラの方も別に嫌がらず、笑顔でされるがままになっている。
完全に存在を無視されたエイナが、面白かろうはずがない。
『相変わらずきれいって、逞しいの間違いじゃないかしら?』
何しろ、ノルド人の血を引くプリシラは長身で、エギルは彼女を見上げねばならなかったのだ。
プリシラと黒蛇帝がこれほど親しげなのには、ちゃんとした理由がある。
二人は魔導院の同期生で、かつては互いに競い合う好敵手だったのだ。
先代の黒蛇帝、ヴァルター・グラーフがこの世界を旅立ったあと、継承者はこの二人のいずれかと目されていた。
世間の見方では、圧倒的にプリシラが有力とされていたが、実際に選ばれたのはエギルの方だった。
一方のプリシラは、タケミカヅチという異邦の神を呼び出して国家召喚士となり、空席のあった蒼龍帝の副官に就任したのである。
四帝の座を争ったとはいえ、二人の間にわだかまりはなく、親しい関係は変わることなく続いていたのだ。
エイナは挨拶をするためにつつましく控えていたが、二人は楽しそうに話し込んでいるばかりであった。
とうとうしびれを切らしたエイナは、自分から声をかけた。
「あの……エギル様」
エギルは少し驚いたような表情で、声の主に顔を向けた。
「ああ。エイナ少尉……いや、中尉になっていたのか、それはおめでとう。
気づかなかったよ」
階級は徽章を見ればひと目で分かる。気づかなかったというのは、エイナの存在そのものだったに違いない。
「いえ、私はドリー大尉殿と違って背が低いですから、気づかれなくて当然です」
「そう拗ねないでくれ。私だって男としては背が低いから、君の気持ちは理解するよ。
お願いだから機嫌を直しておくれ。
それより、長旅で疲れただろう? ソファにかけて休みたまえ」
『それより? それよりですか?』
エイナの心はいたく傷ついていた。
背の低さや旅の疲れを慰めるより、もっと言うべきことがあると思いますけど!
私には『きれいだ』はないのですか?
エイナは心の中で抗議をしたが、もちろん口には出せない。
『シルヴィアなら、絶対に言っちゃうんだろうなぁ……』