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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第十章 復讐するは
334/359

二 小会議室

 十数年前、レテイシア女王が政治の実権を奪取するまで、リスト王国の政治を担ってきたのは議会であった。


 有力貴族によって構成される上院(貴族院)は、外交と軍事を動かし、大商人や地主が多数を占める下院が、主に経済や民政の方針を決めていた。

 王は国の象徴であり、各種の儀式を司る〝お飾り〟のようなものであった。


 こう説明すると、議会が主導する民主的な制度のように見えるが、実態は理想と懸け離れていた。


 世襲の有力貴族は権力争いに没頭し、例外なく腐敗した。

 貨幣経済の発展に伴って力をつけた大商人や大地主は、貴族たちを金で縛り、意のままに操った。


 王国は大陸でも稀にみる豊かな国となった反面、軍事力は衰退の一途をたどり、科学技術が停滞して後進国に成り下がった。


 王国では約四百年前の建国後まもなく、すべての新生児に召喚能力の検査を実施する体制を作り上げた。

 召喚士となり得る才能は強制的に王都に集められ、魔導院という専門機関で養成された。

 そして、異世界の幻獣が持つ圧倒的な能力で、王国軍は他国に優越した軍事力を誇ることになった。


 すると、政治に対する影響力を得た商人たちは、こう考えた。

『それなら、少しくらい軍の規模を縮小して、浮いた予算を開拓や灌漑に投じても、罰は当たるまい?』


 何しろ、軍は金を呑み込むだけで、何も生産しない。

 損得だけで生きている商人にとって、いつ起きるか分からない戦争に備えて、永遠に金を投じ続けるというシステムは、理解しがたいものであった。


 結果的に、レテイシアによる政変当時、王国軍の兵力は四万人にまで減少していた(しかも、このうち実際に勤務しているのは三分の一に過ぎない)。

 隣接する帝国が、百万人超の兵力を擁して、世界と戦っていることを考えれば、お話にならない規模だった。


 女王は決起に当たって軍の倍増計画を訴え、それは軍の気持ちを動かした。

 彼女の反乱クーデターが成功したのは、冷遇に不満を募らせていた第一軍が、積極的に加担したためである。


 このような経緯であったから、レテイシアの専制君主体制には、軍の支持と協力が不可欠だった。

 建前として軍は女王に忠誠を誓っていたが、両者の蜜月関係は、レテイシアの進める軍の強化と改革を、彼らが是としたことで保たれていた。


 一方、女王が考える経済政策を進めるには、大商人の協力がどうしても必要だった。

 長年にわたる政治の停滞で、国庫は空に近い状態だったから、何をするにも民間の資金に頼らざるを得ないのだ。


 レテイシアの仕事は、商人や地主たちを説得することである。

 目先の利益につながらない投資でも、将来的にこれだけ返ってくる。

 それを裏付ける資料を提示して根気よく説明すれば、彼らは案外素直に協力してくれるた。


 結局のところ、女王が主体的に手腕を発揮できるのは、外交分野だけである。

 政変以降、レテイシアは大国ケルトニアとの関係を深め、帝国へのけん制手段として利用してきた。

 隙を見せれば呑み込まれる、油断ならない相手である。

 判断を誤れば国を亡ぼすのだから、その重圧は計り知れない。


 外務部は彼女のために動く、忠実な手足であった。

 官僚たちは実務に徹し、重要な判断はレテイシアに仰いだ。

 帝国が虎なら、ケルトニアは獅子である。勝手な判断をして、責任を取らされるなどまっぴらだった。


 したがって、今回のような案件があれば、優先して女王に面会できるのが、サミュエル次官たち職員の特権でもあった。


 レテイシアが外務部の報告を聞くのは、王城内にある小会議室と決まっていた。

 城内にいくつかある会議室のひとつで、特別な部屋ではない。

 高級官僚や将校たちが、日常的に使用している場所を、なぜ女王が指定するのかは謎だった。


      *       *


「マリウス、なぜお前がいる?」


 予定時間ぴったりで、小会議室に入ってきたレテイシアは、少し意外そうな表情を浮かべた。

 侍従が椅子を引いて彼女が腰を下ろすと、マリウスの答えを待たずに話が続く。


「つまりは厄介ごとだな? サミュエル、案件を説明せよ」


 サミュエル次官は、女王の後ろに控えている侍従に目配せした。

 侍従はすっと前に出て、彼女の前に置かれていた文箱の蓋を取った。


 レテイシアは一番上に重ねてある羊皮紙を手に取り、内容にざっと目を通した。

 そして、顔を上げて怪訝そうな表情を見せた。


「帝国貴族の親善訪問か……。

 私の記憶にはないが、最近帝国と何か揉めていたか?」


      *       *


 そもそも、このような親善訪問とは名目に過ぎず、その実態は外交交渉である。

 王国と帝国は、年に何度も衝突を繰り返していた。


 密入国の摘発は日常茶飯事で、正規の許可を受けて入国した民間人が、いきなり拘束されることも珍しくなかった。

 時には、帝国の部隊が上陸して村を焼き討ちにし、住民を拉致する事件も起きた。

 王国軍も、帝国の開拓村を一時的に占拠して、測量や生産能力調査を公然と行っていた。


 両国は表面上、友好を保っていたから、こうした事実を絶対に認めなかった。

 だが、実際に事件は起きており、人的・物的被害も発生していた。


 こうした問題には、後始末が必要となる。

 事件に対する抗議や再発防止の要求、拘束・拉致された自国民の返還など、解決のためは顔を合わせ、腹を割って交渉するしかない。


 外交官が動いてしまうと、派遣側・受入側の双方が事件を認めることになる。

 そんな場合に利用されるのが、貴族の親善訪問なのだ。


 相手が貴族である以上、儀礼上拒絶が難しい。

 やってきた貴族が面談を希望すれば、それなりの地位の者が相手をしなければならない。

 帝国貴族は外交官になり代わって交渉に当たり、結果として〝手打ち〟が成立することが多かった。


 表に出さない裏交渉であるから、互いの対面を気にする必要はない。

 互いに一定の利益をもたらす、極めて現実的、かつ冷静な解決方法が選択されるのだ。


 非公式な〝遺憾の意〟の表明が乱発され、発生した被害に対しては、一定の補償金が支払われた。

 拘留されている者の交換で、人数が合わない場合にも、金銭で補填されるのだ。


 交渉を有利に進めるには、それなりの外交圧力が必要なので、使者となる貴族の身分は高いほどよい。

 そのため、爵位第二位の侯爵が出向く……それが常識であった。


      *       *


 レテイシアは最初の羊皮紙を脇に寄せ、次の文書に目を落とした。

「訪問者はオルロック……伯爵だと?

 侯爵でもないのに私に面会を要求するとは、奴ら正気なのか?

 いや待て、オルロック……。はて、どこかで聞いたことのある名だな。何者だ?」


 サミュエルは淡々と答えた。

「伯爵といっても、辺境伯です。

 コルドラ大山脈北部の黒死山に館を構え、ノルド人を支配しながら、アフマド族と対峙している人物。

 ――これで思い出されましたか?」


 レテイシアは、大きな目をさらに見開いた。

「プリシラの報告書か! ということは、吸血鬼ではないか!?」


 その事件は極秘とされ、軍でも限られた人間しか知らなかった。

 しかし、女王であるレテイシアには、さすがに報告されていた。


「い、いや、しかし!

 公式訪問する貴族だ、まさか盗人ぬすっとよろしく、夜に忍んでくるわけにはいかないぞ?」


 これには、マリウスが落ち着いて答えた。

「私はかつて、ナイラという吸血鬼と相対したことがあります」

「赤城市を襲った、あれか?」


 マリウスはうなずく。

「初期の段階で出現した吸血鬼は、言い伝えどおり、日の光を浴びることで滅びました。

 ですが、それら下っ端を生み出した上位の眷属、すなわち第二世代は、ある程度日光に耐えていました。

 ナイラは〝青の宝珠〟の力で吸血鬼化した、オリジナルの個体――真祖です。

 恐らく真祖の回復能力は、陽光による肉体の破壊を上回るのでしょう。

 オルロック伯も真祖だそうですから、問題としないと思います」


おのが身を焼かれても、構わず会いにくるとはな……。

 吸血鬼の目的は何だ?」


「それが分かれば、苦労しません」

 サミュエルが早々に白旗を上げた。


「陛下がご覧になっている文書は、正式なものです。

 相手は辺境伯ですから、面会を求められれば、儀礼上拒否はできないでしょう。

 だったら、直接相手に聞くしかありません」

「お前も大概だな。会うのは私なんだぞ?

 伯爵の身分も、外交文書も正規のものなら、帝国は奴が吸血鬼と知った上で派遣してくるのか?」


「いえ、伯爵が吸血鬼だと知っているのは、政権中枢のごく一部でしょう」

「しかし最低限、オルロック伯の目的は、把握しているだろう?」


「これは私の勘ですが、それすら知らないと思いますね。

 私たち官僚は、上からの圧力に弱いですから」


 サミュエルが軽く肩をすくめたのを見て、女王は深い溜息を吐いた。

「……分かった。

 ここであれこれ言っても始まらない。まずは伯爵と対決してみようじゃないか?

 私もこの目で吸血鬼を見てみたいしな」


「陛下なら、そう仰るだろうと思っていました」

 マリウスはそう言いながらも、少し呆れ気味だった。


「われわれ軍としては、陛下の身の安全が第一です。

 相手が吸血鬼、それも真祖だとすれば、それなりの対策を取る必要があります」

「いくら何でも、正式な賓客が襲ってはこないだろう?」


「相手は化け物です。人間の常識を当てはめるべきではありません。

 陛下の護衛には、吸血鬼と実際に戦った第四軍のプリシラとタケミカヅチ、それに参謀本部からは、魔導士のエイナをつけます。

 向こうもその程度は覚悟しているはずです」

「よかろう。そちらの手配は、マリウスに任せる。

 サミュエルは日程の調整を頼む」


 やはりレテイシアは決断が早い。

 自分が吸血鬼と対峙することになるというのに、少しも臆する気色を見せない。

 マリウスはその点に感心したが、どこか心の隅に引っかかるものを感じていた。


 立ち上がった彼女は、会議室の扉へと向かいかけたが、それをマリウスが呼び止めた。

「お待ちください」

「何だ?」

 女王は怪訝な顔で振り返った。もう話は終わったはずだ。


「今さらと言われそうですが、陛下は例の誘い……拒絶されたのですか?」


 マリウスの問いに、若干の悪意を感じ取ったのだろう、女王は引きった笑みを浮かべた。

「是も非もない。こちらの回答を、結局向こうは確認しに来なかった。

 私にはどうしようもない。

 こっそり蒼龍帝シド・ミュランにも確かめたが、同じだったそうだ。それとも、お前だけは違ったのか?」


「いえ、……私も同じでした」

 マリウスはそう答えるしかなかった。


 オルロック伯爵は、エイナやプリシラたちを助ける代償として、王国の指導者たちに対する、ある提案を伝えることを求めた。

 その条件は誠実に実行されたが、結局伯爵は、誰に対してもその意志を確認しに来なかった。

 対象であった女王と四帝、そしてマリウスは、吸血鬼の意図を計りかね、首を捻るのみであった。


「えーと……、何の話でしょうか?」

 サミュエル次官が、ぽかんとした表情で訊ねた。

 吸血鬼との取引は当事者だけの秘密で、外務部には知らされなかったのだ。


「何でもない。ただの戯言ざれごとだ、気にするな」


 レテイシアはそう言い残すと、今度こそ小会議室から出ていった。

 時刻は正午五分前、いかにも彼女らしい、合理的な行動であった。


 部屋に残されたマリウスとサミュエルは、疲れ切った表情で自分の書類をまとめ、席を立った。

 ひと足先に退出しようとしたマリウスを、今度は次官が呼び止めた。


「マリウス様、戻ったらエイナ中尉を呼び出すのですよね?

 そのついでに、彼女に外務部へ顔を出すよう、伝えてください」

「オルロック伯爵のことだったら、報告書以上のことは出てこないぞ?」


 対外的な重大案件に関わった兵士への尋問は、徹底的に行われる。

 エイナは黒死山事件から帰還した後、数日間にわたり、拷問のような尋問を受けていた。

 搾り取れる情報は、すべて報告書に記載されているはずだった。


「それは軍事的な観点からの話でしょう?

 私も報告書は読みましたが、いくつか必要な情報が落ちていました」


 マリウスの眉根が、ぴくりと上がった。

 これは参謀本部に対する、聞き捨てならない侮辱である。

 少なくとも、エイナを担当した尋問官がこの言葉を聞いたら、その場で失禁するほど怒り狂っただろう。


「後学のために教えて欲しい。どのような情報が抜けていたのだね?」


 怖い表情のマリウスに対し、外務次官は平然と応じる。

「そうですね……例えば、エイナ中尉たちは、オルロック伯爵の館で、夕食を共にしたと報告しています」

「いかにも」


「夕食のメニューは、何だったのでしょうか?」

「は?」


「あの報告書では、伯爵が食事とともに、赤ワインを飲んだということしか分かりません。

 伯爵の料理人が出したのは、どんな料理だったのでしょうか?

 吸血鬼が生き血以外に、人間の料理を食すというのなら、一大事です。

 その好みを事前に把握しなくては、外務部の怠慢だとそしられましょう?

 エイナ中尉には、料理名が分からずとも、その味をしっかり説明してもらわなくてはなりません!」


「な、なるほど……」

 マリウスはぐうの音も出なかった。


「了解だ。あとで君の執務室に出頭するよう、彼女に話しておく」

「お願いいたします」


 マリウスは、足早に会議室を後にした。

 何となく、戦いに負けて撤退する途中で、間抜けな罠(ブービートラップ)に引っかかったような気分だった。

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― 新着の感想 ―
せやね、もてなしも外交には重要な要素だもんね。 そりゃあ、軍部やマリウスが深く探ってない情報だわ。 そうなると、外交部は大佐の好みを把握済みって事ですね。 ひ弱そうな新兵っていう……
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