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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第九章 能力発現
332/359

番外編 友の行方

『うわぁ~、何かすごい久しぶりな気がするね!』

 シルヴィアの頭の中に、カー君の声が響いた。


 眼下には、壁に囲まれた円形の城塞都市が広がり、そこに暮らす住民の家の屋根が、モザイク模様のように見えている。

 都市の中心には、二つの尖塔を擁する王城が聳えている。


 壮麗な城も、上空のシルヴィアには、玩具おもちゃにしか見えない。

 だが、カー君の超視力は、城の中庭と警備の兵士たちの姿を、はっきりと捉えていた。


 王都の上空を旋回しながら、ゆっくりと降下を続けるカー君に、彼らはすでに気づいていた。

 現時点の王国で、飛行能力を持つ幻獣は、カー君のほかにはロック鳥しかいない。

 経験を積んだ衛兵が、両者を見誤ることはない。そもそも大きさが全然違うのだ。


 豆粒ほどに見える衛兵たちは、忙しく駆け回っていた。

 あの感じだと、シルヴィアたちの到着は、参謀本部に報告されているだろう。

 カー君がすぐには降りず、城の上空を旋回しているのは、衛兵たちに自分の到着を知らせ、準備させるためである。


『もういいかな? シルヴィア、降りるよ!』

 カー君が声をかけ、翼を閉じて、石ころのようにすとんと落下した。

 地上に激突する寸前で羽ばたき、ふわりと着地する。

 慣れているとはいえ、曲芸のような動きで、これに耐えられるシルヴィアも、賞賛されるべきだろう。


 周囲で待っていた衛兵たちが一斉に駆け寄り、カー君の身体を締めつけている装着具を外しにかかる。

 シルヴィアが座る低い椅子、手綱、荷物を収納する振り分け鞄など、装着具にはさまざまな物が固定されている。

 シルヴィアの飛行服に、金具カラビナで繋がるベルトもそのひとつだ。


 彼女は手早くベルトを外すと、カー君の身体を滑り降りた。

 下では二人の兵が待っていて、落ちてくる彼女をしっかり受け止めてくれる。


 シルヴィアが小さく礼を言うと、衛兵たちは笑顔を浮かべ、飛行服を脱がせにかかった。

 彼女の飛行服はドワーフ製で、とびきり頑丈な上に、防風・防寒性に優れている。


 カー君は飛行能力が向上して、コルドラ大山脈も越えられるようになった。

 数千メートルの高空では、季節に関係なく厳しい寒風にさらされるから、この飛行服がなければ生身の人間には耐えられない。


 だが、その代わり、夏などは地上に降りると地獄となる。

 汗が一気に噴き出し、風を通さない飛行服のせいで蒸発しないから、ずぶ濡れとなるのだ。

 だから、こうして兵士たちが手伝ってくれるのは、とてもありがたい。


 飛行服は上着だけでなく、チャップスと呼ばれるズボンの前面を覆うカバーもセットになっている。

 これらを脱がせて抱えると十キロを超し、とんでもなく重いのだ。


 彼女の飛行服は用具倉庫に運ばれ、装備課の職員に任される。

 汚れを拭きとってから陰干しにされ、丁寧に馬油を塗り込んで柔軟性を維持するのだ。

 これをしないと、とんでもなく臭くなるから、手入れは絶対に怠れない。


 重い装備を外してもらったカー君とシルヴィアは、さっぱりとした表情で、参謀本部のある南塔へ向かった。


 リスト王国には、王都リンデルシアのほか、四古都にそれぞれ城を戴いている。

 五つの城に共通して、城内の廊下の幅が広く、天井も高いという特徴がある。


 それは、古くから王国が、異世界の幻獣を利用してきた歴史と関係がある。

 戦力の要となる国家召喚士の幻獣は、人間より遥かに大きいことが多い。

 幻獣は召喚士の側から離れるのを嫌がるので、城の内部も彼らの体格に合わせているのだ。


 尻尾までいれると四メートルにもなるカー君も、シルヴィアに従って、広い廊下をのそのそと歩いていく。

 彼女たちは、すれ違う将校と軽い挨拶を交わしながら、通い慣れた順路をたどった。

 到着したのは、主席参謀副総長マリウス・ジーンの執務室である。


 立派な扉が廊下に面しているが、これを利用できるのは、外国の使節などのいわゆる〝お客さん〟に限られる。

 シルヴィアのような〝身内〟は、隣の秘書官室から入るのが習わしなのだ。


「あら、シルヴィア!

 お帰りなさい、今回は長かったわね。ちょっと焼けたんじゃない?」

 扉をノックして入っていくと、エイミー秘書官が笑顔で迎えてくれる。


 エイミーはもう十年以上、マリウスの秘書を務めているベテランの女性だ。

 もう三十代の半ばを過ぎているはずだが、二十代でも通りそうなほど若々しく、可愛らしい容姿をしている。


「マリウス様は?」

「いらっしゃるわよ。

 あなたが戻ったことをお伝えしたら、予定をキャンセルして時間を空けてくださったの」

 エイミーはそう言うと、シルヴィアの到着を伝えようと、隣の執務室に通じる扉の方へ足を向けた。


「ちょ、ちょっと待ってください!」

 慌ててシルヴィアが呼び止めると、エイミーは振り返って小首をかしげた。


「その、ご報告の前に、ちょっとした準備が必要なんです。

 それで、この部屋をお借りしたいのですが……」

「別に構わないけど、準備って?」

 エイミーはますます不思議そうな顔をする。


「着替えです」

「あなたの軍服、別に汚れていないわよ?」


「それが、私じゃなくて……カー君の方なんです。

 ほら、説明が面倒なんだから、早くしなさい!」

 シルヴィアは八つ当たり気味に、カー君の頭をぽかりと殴った。


『もう、シルヴィアは乱暴なんだから……。

 えっと、僕、ちょっと変身するんで、エイミーさん、驚かないでね』

 そう断ると同時に、いきなりカー君の輪郭が崩れた。


 全身に気泡が浮かび、みるみるうちに収縮していく。

 エイミーはとっさに口を両手で覆い、出かかった声を押し殺した。

 うっかり悲鳴を上げたりすれば、隣室の上司に聞こえてまずいことになる。

 この辺の自制心は、さすがにベテランの秘書である。


 不定形の塊りは、蠕動ぜんどうしながら上に伸び、人の形をとっていった。

 のっぺりした顔には目鼻が浮かび上がり、黒い髪の毛が生えてくる。

 胸には風船のように乳房が膨らみ、先端にはピンク色の小さな乳首が尖っている。

 ウエストはきゅっと引き締まり、六つに割れた腹筋が見事である。


 わずか二分ほどで、四メートルの獣は、全裸の若い女性に変身していた。

 カー君の人間形態、キャミイの姿である。


 口を覆ったまま、驚愕で目を丸くしているエイミー。

 それとは対照的に、シルヴィアは無感動で背負っていた背嚢を下ろした。


 中から取り出したのは、新しい下着とシャツ、そして第三軍の軍服だった。

 下着を受け取ったキャミイは、まったく恥ずかしがる様子を見せず、ズロースに足を通して引き上げた。

 シルヴィアは彼女の後ろに回り、胸を覆うコルセットを当てて、背中で紐を締め上げた。


 普通の女性なら、この上にシュミーズなどの薄い肌着を重ねるのだが、キャミイはそのまま白いシャツに袖を通した。

 これに軍服の上下を重ね、靴下と軍靴を履けば、着替えは完了だった。


「あの、この女性ひと……カー君なの?」

 固まっていたエイミーの口から、ようやく言葉が出た。なかなか気の利いた質問である。


 キャミイは少しおどけた仕草で、エイミーに敬礼をした。

「エイミーさん、目の前で見てたでしょう?

 ああ、それとこの姿の時は、キャミイって呼んでください。

 第三軍所属、キャミイ・グレンダモア准尉であります!

 ……一応、シルヴィアの〝いとこ〟っていう設定なんですよ」


「凄いわね。人間に変身する幻獣なんて、初めて見たわ。

 それに、ちゃんと話もできるのね」

「念話よりは、違和感がないでしょ?

 僕の身体も大きくなってきたから、人間の中で暮らすには、この姿の方が便利だと思うんだ。

 服を着なきゃいけないのが、ちょっと面倒なんだけどね」


「あ、あの……これって、マリウス様は?」


 この質問には、シルヴィアが答えた。

「リディア様から報告がいっているはずだから、とっくにご存知のはずよ。

 だけど、さすがのマリウス様も、実際に見なければ信じられないでしょうね。

 だから、さっきの変身を目の前でやりたかったんだけど……。

 エイミーさんも見たでしょ? 男性の前で〝すっぽんぽん〟になれないもの。

 キャミイは平気らしいけど、こっちが恥ずかしいわよ」


「そりゃそうでしょうけど……、でもカー君って、女の子だったの?

 私、てっきり男性っていうか、オスだと思っていたわよ」

「それがね、カーバンクルには性別がないんだって。

 カー君はずっとあたしと一緒で、動物だと思って気にしていなかったから、裸も見せていたの。

 人間を真似て変身するには、服を脱いだ状態を知らないといけないでしょ?

 カー君が知ってる全裸って、あたしだけだから、結果的に女性になっただけなの」


「ああ! それで、シルヴィアと体形がそっくりなのね!

 でも、顔はちょっと違うのね?

「最初は同じだったの。でも、それはさすがに気持ち悪いから、変えさせたのよ。

 カー君がよく知っている女の人の顔を、適当に混ぜただけなの」


「なるほどね~」

 エイミーは感心しながら、まじまじとキャミイの顔を覗き込んだ。


「言われてみれば……シルヴィアが基本だけど、エイナの要素も強いわ。

 同じ下宿で一緒にいるから、当然参考にされるわけね。それで髪も黒いのかぁ、納得だわ。

 でも、口元は二人と似ていない……っていうか、何よこのほくろ!?」


 エイミーの声の調子トーンが一段上がった。

 キャミイの唇の下には、小さなほくろがあり、それが彼女の顔に艶っぽさを与えていた。


 だが、エイミーの唇の下にも、まったく同じ位置にほくろがあったのだ。

 というより、唇の形自体が、エイミーそっくりだったのだ。


 シルヴィアは目頭を押さえ、溜息をついた。

「ええと、説明させてください。

 あたしが内勤の時、カー君ってば、この秘書官室に入り浸っていましたよね?」


 エイミーはうなずいた。

「ええ。ここに来れば、必ずお菓子がもらえるから……」

「それで、エイミーさんの顔も、カー君の脳裏に刻まれちゃったんです。

 カーバンクルは人間に興味がないから、覚えている顔のレパートリーが少ないんですよ」


「食べることの連想で、私の唇を真似たってこと?」

「はい。無許可ですみません。

 でももう、この顔になってから、三か月近く経っています。

 第三軍の方々にも、だいぶ知れ渡っちゃいましたから、今さら変えるわけにも……」


「もう、しょうがないわね」

 エイミーは溜息をついた。どうやら唇の件は、黙認してくれるらしい。


「そういえば、その軍服もそうだけど、さっき第三軍所属って名乗ってたわよね?

 どういうことなの?」


「リディア様のご判断で、臨時に第三軍の軍籍をいただいたんです。

 でも、この格好で参謀本部をうろついたら、絶対変ですよね?

 それでマリウス様にお願いして、参謀本部に所属を変えていただくよう、お願いするつもりなんです」


 王国の軍服は、基本的に共通のデザインとなっている。

 ただし、第一から第四までの地方軍では、胸の階級章の上に色違いのプレートが付いていて、ひと目で所属が分かるようになっている。

 第一軍が白、第二軍が黒、第三軍が赤、第四軍が青で、それぞれが本拠とする都市名にちなんだ色だ。


 キャミイが着用している軍服の胸には、真紅のプレートが輝いている。

 これに対し、参謀本部の将校の軍服にはプレートがなかった。


 エイミーは肩をすくめた。

「了解です。どうせ許可は出るでしょうから、先回りして装備課に発注をかけておくわ。

 サイズはシルヴィアと同じでいいのよね?」

「はい、それで大丈夫です」


 エイミーの目がすっと細くなった。

「キャミイはそれでいいとして。

 ……あなた、またお尻が大きくなったんじゃない?」

「な、なななな、何のことですか?」


「あなたのズボン、入隊してから二度もサイズを変えてるわよね?

 それなのに、どうしてそんなにピチピチなのかしら?」

「きっ、気のせいです!

 長時間の飛行で、きっとお尻がむくんでいるんですよ! あは、あははははは……」


      *       *


 シルヴィアが下宿のファン・パッセル家に帰れたのは、もう夜の九時に近いころだった。


 同家の屋敷は王城に近い高級住宅街にあるから、城を出て十分もかからない。

 参謀本部の日勤は午後六時までだから、彼女がこれほど遅くなったのは、マリウスとの会談が長引いたせいだった。


 彼女が王都に戻ったことは、昼間の内に知らせていた(城には、そうした私的な使いをしてくれる、民間業者が常駐している)。

 家主のロゼッタは、シルヴィアの帰りを待ち構えているに違いない。


 シルヴィアはキャミイと連れ立ち、街灯にぼんやり照らされた帰路を急いだ。

 大通りに街灯があるのは、王都と四古都くらいである(午後十一時には消されるが)。

 二人の目に、懐かしいファン・パッセル家の外壁が見えてきた。


 鉄柵の門扉は閉じられていたが、内側にはちゃんと警備員が詰めている。

 彼らはシルヴィアの顔を知っているが、キャミイに対しては警戒の色を浮かべた。


「彼女の身分は、このあたしが保障するわ。

 多分、あとからロゼッタさんを通して説明があると思いますけど、今は通してください」


 屋敷の人間に、いちいち説明していたらきりがない。

 キャミイのことを使用人へどう説明するかは、屋敷の主人であるロゼッタに任せるほかなかった。


 鉄扉が開かれると、すぐに玄関がある。

 貴族の屋敷なら、そこに至るまで広い庭があるところだが、この辺はいかにも商家らしい(ちなみに、同家にも建物に囲まれた中庭がある)。


 玄関のノッカーを鳴らすと、すぐに扉が開いてロゼッタが飛び出してきた。

 彼女は満面の笑みで両手を広げ、シルヴィアを抱きしめようとした。

 だが、シルヴィアの横にいるキャミイに気づくと、その動きがぴたりと止まる。


 ロゼッタは戸惑った表情を浮かべた。

「こちらは……お客様かしら?」


 シルヴィアは深く息を吸い込んだ。これは覚悟したはずの試練である。

「この子はキャミイ。

 キャミイ・グレンダモアっていう名で、あたしのいとこ、ってことになっています」

「なっている?」


「取りあえず、今はあたしの親戚だと思ってください。

 詳しいことはこれから説明しますから、エイナも呼んでください。

 その方が手間が省けます。彼女、まだ起きていますよね?」


 シルヴィアがそう訊ねると、ロゼッタの表情が少し曇った。

「それがね、あなたが出発してしばらくしてから、エイナも軍務で出張したのよ。

 だけど彼女はまだ帰って来ないの。まぁ、遠いから仕方がないけど……」

「遠いって、辺境ですか?」


 ロゼッタはキャミイの方をちらりと見ると、シルヴィアに顔を寄せた。

 ほんのりと香水が匂い、耳元でささやき声がした。


「これ、上層部でも極秘だから、ここだけの話ね?」


 そんな話を、十数年前に退役した女性が、どうして知り得るのか、思わず突っ込みたくなるが、好奇心の方が強かった。

 シルヴィアは、黙って続く言葉を待った。


「エイナはね、帝国へ行かされたみたいなの!」

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