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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第九章 能力発現
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四十一 逃亡

「シルヴィア、起きて!

 大変なんだ、ウルンギが姿を消したんだよ!!」

 キャミイが肩を揺すり、耳元で怒鳴っても、シルヴィアは目を覚まさなかった。


 毛布をはぎ取っても、何も反応を示さない。

 キャミイはシルヴィアの寝巻をめくりあげ、ズロースを思い切り引き下げた。


 真っ白で、丸くて大きなお尻が、ぺろんと剥き出しになった。

 シルヴィアの身体は、筋肉質で贅肉などないのだが、胸と尻だけは、女らしい豊かな脂肪が覆っている。


 雌雄がないカーバンクルのキャミイは、性欲とは無縁であるから、そこに特別な興味は抱かない。

 それでも、目の前に現れた双丘の見事な曲線美は、賛美に値するものであった。


 ただしこの尻は、現時点でシルヴィアを起こすための、巨大な目標物に過ぎない。

 いざ、渾身の平手打ちで、白いキャンバスに芸術的な手形をつけてやろう……キャミイは決意を固め、腕を振り上げた。

 だが、その手は振り下ろされなかった。


 最近のシルヴィアは、数発の平手打ち程度では起きてくれなかった。

 この立派な尻は、その存在感に相応ふさわしい耐久力を備えていたのだ。


 キャミイはシルヴィアの身体の下に腕を差し入れ、軽々と持ち上げ肩に担ぎ、宿舎の外へ出ていった。


 宿営地からオアシスまでは、目と鼻の先である。

 キャミイは湖水のほとりまで助走をつけ、勢いまかせにシルヴィアを放り投げた。


 人間の見た目をしているキャミイだが、その力はオークに引けを取らない。

 シルヴィアの身体は数メートルも飛び、澄んだ湖水の中に頭から落ちた。


 これでも眠っていられたら、生物として欠陥があると言わざるを得ない。

 さすがのシルヴィアも、ばっちりと目覚めてくれた。


 一瞬、自分の居場所が分からなかったシルヴィアだが、水中で溺れるという恐怖に、生存本能が先に働いた。


 彼女は抜き手で泳ぎ始めたが、すぐに水深が浅いと知って立ち上がった。

 そして、自分が寝間着姿でずぶ濡れになっていることに、ようやく気づいた。


「ちょっと、キャミイ! これ、どういうこと?」

 怒気を含むシルヴィアの声は、意識がはっきりしていることを示していた。

 寝起きが超絶に悪い彼女にしては、上出来である。


 キャミイはウルンギの失踪を、改めて彼女に伝えた。

「早く戻って着替えて! 空から彼の足跡を追いかけるよ!!」


 シルヴィアには、責任感の強いウルンギが失踪したことが、どうしても信じられない。

 だが、オークたちが大騒ぎでウルンギを探しているのを見ると、納得せざるを得なかった。

 しかも、彼らの呼び声には、ウルンギに加えてアドの名も混じっている。


 キャミイも驚いて、手近のオークを掴まえ、どういうことか訊ねた。

 そして、ウルンギばかりか、アドまで姿を消していることを知らされたのである。


      *       *


 カマールの部下たちは大混乱に陥っていた。

 上空からいきなり火の玉が降ってきたのだから、当たり前である。


「上だ! 何か飛んでいるぞ!!」

「俺は見た! あの獣が火を吐いたんだ!!」

「おい、あいつ人を乗せているぞ!」

「ドラゴンだ! あれが王国の赤龍に違いない!!」

「馬鹿を言うな! 龍があんな不細工なものか!!」


 兵士たちは空を見上げ、口々に勝手なことを喚いた。

 彼らの頭の上を飛び越した空飛ぶ獣は、ひらりと身を翻して戻ってくると、再び火球を吐いた。


「来たぞ! 逃げろ!!」

 狙われた者たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げだした。


 敵は上空二十メートルほどの高度から攻撃してくる。

 火球が地上に達するまでは、ほんのわずかな間があった。

 お陰で逃げる隙が生まれたものの、何人かが爆散する炎を浴び、悲鳴を上げて地面を転げまわる。


 すぐに仲間が寄ってたかって布を叩きつけ、火を消し止める。

 火傷を負っただろうが、命に別状はなさそうだった。


 最初の二回の攻撃では、不意を突かれたこともあって、直撃を喰らった三人が即死し(熱気を吸い込んだことによる窒息死)、多くの負傷者を出した。

 だが、今は混乱した兵士たちも、徐々に立ち直りつつあった。


狼狽うろたえるな! 敵は王国の飛行幻獣に違いない!!

 火球は見た目ほどの威力はないぞ!

 敵が攻撃のため、低空を飛んでいる今こそ好機だ!

 的はデカい、射落とせ!!」


 カマールは部下たちの統制を取り戻そうと、声を張り上げて叱咤した。

 命を受けた弓兵たちは上空に向け、一斉に矢を放った。

 槍持ちの兵たちも、腰に下げていた弓に持ち替え、次々に攻撃に参加した。


 この時点で、ウルンギとアドの存在は、すっかり忘れられていたのだ。


      *       *


「反転して、もう一回攻撃!!」

 シルヴィアが怒鳴る。念話でも通じるが、声を張り上げた方が気合が入るというものだ。


 カー君の身体がひらりと翻り、黒い翼で力強く羽ばたいた。

 背中に乗るシルヴィアの身体も、一緒になって回転する。


 天地がぐるりとひっくり返り、耳鳴りがして頭に血が上った。

 シルヴィアはカー君の身体に固定された低い椅子に座り、頑丈な飛行服も、前後二本ずつの革ベルトでつながれている。

 逆さになっても遠心力で落下しないが、急な方向転換で横に吹っ飛ばされるのを防いでくれる命綱だ。


 それでも、急制動と急加速によって、身体に強い圧力がかかった。

 内臓が口から飛び出しそうになるのをこらえ、シルヴィアは酸っぱい胃液を無理やり呑み込んだ。

 カー君が飛行能力を手に入れた当初は、我慢できずによく吐瀉物をぶちまけたものだ。


 カー君は反転しながら、情けない声を出した。

『シルヴィア聞いた?

 ナフ国の奴ら、僕のこと〝不細工〟って言ったよ! 酷くない?』

「知るか!

 あんたと違うの! 地上の声が聞こえるわけないじゃない!

 いいから、さっさと火を吹け!!」


 シルヴィアがごつい軍靴の踵でカー君を蹴った。

 それが合図となり、彼の喉がぼこんと膨らむ。


 カー君は召喚された時点で、額に赤い魔石が埋め込まれていた。

 これは生まれた時に、母親から受け継いだものである。

 彼が火球を吐けるのは、この魔石のお陰であった。


 だから、彼の体内に〝溶岩袋〟みたいな器官があるわけではない。

 赤の魔石に引き寄せられた火の精霊の力によって、とある火山(ヘパイストスの鍛冶場)から、喉に灼熱の炎を直接転移させるのだ。


 精霊の加護によって、熱を感じたり、喉や口内を火傷することはない。

 カー君が口から吐き出すと同時に保護結界は消え、火球は現実の脅威となる。


 ただし、あまり速度はないから、敵が黙って待っていてくれない。直撃さえしなけらば、それほど恐ろしい攻撃ではない。

 この火球を発生させる原理は、龍の火焔ブレスと同じものだったが、威力は段違いだった。


「あんた、魔石で成長している割に、攻撃はしょぼいままね!」

『だったら赤い魔石を見つけてよ!

 ってか、痛い! いた、いた、痛たたた!』


 カー君はいきなり羽ばたき、ぐんと高度を上げた。

 地上から無数の矢が飛んできて、彼の腹にぶすぶす突き刺さったのだ。


「ちょっと! あんた、大丈夫なの!?」

 背中に乗っているシルヴィアには、カー君の下面が見えないが、彼女の身体を掠めて、矢がぶんぶん打ち上がってくる。

 相方の受けている被害状況は、十分に推測できた。


 カー君は急上昇して、高度を百メートルほどまで上げた。

 矢は相変わらず飛んでくるが、もう勢いを失って、鱗を貫く勢いを失っている。


『お腹に矢が刺さったぁ! 痛いよぉ!!

 ……あっ、でも割と平気かな? 傷は深くないみたい』

「大げさね! 女の子みたいに騒がないでよ。

 あんた、黒の魔石で防御力が上がったはずよね?」


『うん、鱗の厚みと硬度が上がったんだけど、お腹はもとから薄いんだよ。

 あんまりガチガチだと、身動きできないでしょう?』

「何か情けないけど、まぁ分かったわよ。

 攻撃はいったん中止。この高さから火球を吐いても、逃げられるだけで意味ないしね。

 それより、ウルンギとアドよ! どこかにいない?」


 ここまで高度が上がると、シルヴィアの目では、地上の人間を見分けるのが難しい。

 というか、カー君の身体が邪魔で、真下はほぼ見えないのだ。


『ちょっと待ってね。最初の攻撃の時は、確か見当たらなかったんだよね。

 ナフの連中がテントを囲んでたから、多分その中にいたんだと思う。

 今は、ええと……ああ、いたいた!』

「いたの!? 二人は無事?」


『どうやらね。ナフ側が混乱している間に逃げ出したみたい。ウルンギがアドの手を引いて走っている。

 でも、あれじゃあ、すぐに見つかるなぁ……』

「了解! 元気そうなら十分よ!

 それじゃ、次の攻撃にいくわよ! 高度を落として!!」


 ウルンギとアドは、カー君の火球攻撃が引き起こした混乱に乗じて、テントの反対側の壁布を持ち上げ、そこから脱出したらしい。

 彼らが向かっているのは、自分たちがやってきた道、すなわちオアシスの方向である。


 幸い、カマールの部下たちは大テントの片側に集結しており、オークたちの行く手には誰もいなかった。

 ただし、その先には監視塔が建っている。

 見張りの連中は地上兵と同様、空から襲ってきたカー君に気を取られている。


 とはいえ、いくら何でも逃げていくオークを見逃しはしまい。

 監視塔が警告を発すれば、カマールたちも、この襲撃自体、オーク救出のためだと気づくはずだ。

 徒歩で逃げるウルンギとアドに、ラクダ騎兵が追いつくのは、あっという間だろう。


 カー君は矢が届かない野営地の外側に向け、急速に高度を落とした。

 翼を畳んで、自由落下に身を任せればよいから楽なものだ。

 酷い目に遭うのは、乗っているシルヴィアだけだった。


 地上十メートルほどまで落ちたところで、カー君は翼を広げて羽ばたき、急制動をかけた。

 強烈な加速重圧がシルヴィアを圧し潰すが、カー君は謝らないし、彼女も文句を言わない。

 お互いに、非常事態だと割り切っている、どの程度の無茶まで、シルヴィアの肉体が絶えられるのか、二人は互いに熟知していたのだ。


 羽ばたきによって浮力を得ても、カー君はなお落ち続けた。それだけ重力は恐ろしい。

 ようやく水平飛行に移った時には、彼は地上五メートルという、超低空を飛んでいた。

 カマールの部下たちは中央部に集結しているから、それを避けて外周部に添って飛ぶ。


 ぐんぐん速度を上げて旋回を続けると、監視塔がもの凄い勢いで迫ってくる。

 驚いたのは、二人の見張りの兵である。


 見張り兵の目には、襲ってきた敵の飛行幻獣が、地上からの反撃に耐え兼ね、上空へ逃げたように見えた。 

 それが、突然糸が切れたように落下を始めたのだ。

 味方の攻撃を浴びた敵が、ついに力尽きたのだと誤解しても、不思議ではない。


 ところが、墜落してきた幻獣は、地上に激突する直前で、急に息を吹き返した。

 そして、そのまま自分たちの監視塔に向かってきたのだ。


 敵が地上五メートルという低空を飛んでいるのは、監視塔の高さに合わせただけの話だった。

 背中に人間を乗せた飛行幻獣は、明白な敵意をもって、正面から突っ込んできた。


 見張り兵は慌てて弓に取を伸ばしたが、とても間に合わない。

 もう彼我の相対距離は、二十メートルを切っていた。


 かっと開いた獣の口から勢いよく火球が飛び出し、一瞬で見張り台を直撃した。

 オレンジ色の火球は炎を噴き出して爆発し、見張り兵は手すりごと吹っ飛ばされた。


 単純な木組みの監視塔は、あっという間に燃え上がった。

 見張り兵たちが炎に包まれたのは一瞬で、衣服に引火しなかったのが命運を分けた。


 とはいえ、二階の窓から放り投げられるような高さである。地面に叩きつけられた彼らが、無事であるはずがない。

 二人とも死にはしなかったが、全身を激しく打って身動きできない状態である。


『おお~、当たった!

 やったね、シルヴィア! 次はどうするの?』

 嬉しそうなカー君に、シルヴィアはすかさず命じた。


「高度を上げて。野営地の中に戻るわよ!」


 再び安全な高度まで舞い上がると、旋回を続けながら地上を観察する。

 カマールと部下たちは、監視塔が爆破されたことに激怒しているようだった。

 まだウルンギたちの安否には、気が回らないらしい。


「連中のことは放っといていいわ。それより、ラクダの方に向かうわよ!」


 ラクダの群れは、野営地の端に集まって、餌の干し草を貰っている最中だった。

 周囲に彼らを入れる厩舎もなければ、何かに繋がれているわけでもない。

 ラクダは案外賢い。餌と飲み水が毎日出てくる野営地を見捨て、何もない砂漠での自由を目指す馬鹿はいないのだ。


「カー君、狙いは適当でいいから、あの群れに二、三発ぶち込みなさい!

 ラクダたちに恐慌パニックを起こして、追い払う!!」


 罪のないラクダを攻撃するのはかわいそうだったが、仕方がない。

 彼らを怯えさせないと、すぐに戻ってくるからだ。

 カマールと部下たちは、じきにウルンギの逃亡に気づく。その時、ラクダがいては困るのだ。

 

 カー君はラクダたちの上空で高度を下げた。

 兵士たちは、大事なラクダに当たる恐れがあるので、曲射攻撃ができないはずだ。


 カー君は楽しそうだった。

『ラクダの諸君、君たちには何の恨みもないけど、攻撃させてもらうよ!

 恨むのなら、僕に命令している極悪非道の女を呪いたまえ!!』


 彼の喉がぼくんと膨らみ、口から火球が吐き出された。

 それが、のんびりと干し草をんでいた、百頭の群れのど真ん中で炸裂した。

 直撃を受けた一頭のラクダが炎に包まれ、悲鳴をあげて暴走した。

 驚いたほかのラクダたちは、思わずその後を追って走り出した。


 続いてもう一発、群れを追い立てるように最後尾を攻撃すると、カー君は地上数メートルまで高度を落とした。

 そして止めに、ラクダたちの頭上を掠めて飛び越した。


 体長四メートル近い巨大な獣に至近距離で襲われ、ラクダたちの恐慌に拍車がかかった。


 慌てて飛び出してきた世話係の兵士は、ラクダたちに踏み潰されないよう、道を開けるしかない。

 暴走するラクダの群れは野営地を駆け抜け、地響きだけを残して、どことも知らぬ荒野へ姿を消してしまった。

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