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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第九章 能力発現
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四十 急襲

『俺を舐めるんじゃねえ、糞ジジイ!

 そう簡単に、思いどおりになると思うなよ!!』


 ウルンギが歯を剥き出して怒鳴った。

 オークは下顎の犬歯が牙のように伸びているので、大口を開けると迫力が凄まじい。


 だが、水盆の上で揺らめく小さな呪術師からは、馬鹿にしたような笑いが響く。

『威勢がよいのぉ……。まぁ、今のうちに好きなだけ吼えているがいい』


 そう言い捨てると、呪術師は新たな呪文を紡ぎはじめた。

 その途端、ウルンギの表情が一変する。

 黙り込んだ顔は真っ赤に染まり、食いしばった口元からは、ぎりぎりという歯ぎしりが聴こえた。


 しばらくすると、呪術師は詠唱を中断した。

『ほう……大言壮語するだけのことはある。大した精神力ではないか?

 人間でも、これほど支配に抵抗できる者は稀だぞ』


 フードを深く被っているため、呪術師の表情は窺えないが、その声音からは驚きと賞賛の感情が伝わってくる。


『じゃが、諦めることだな。

 いかにお前の意志が強かろうと、生涯を呪術の修行に捧げてきた、わしの精神力には勝てん。

 貴様には、操り人形となる以外の選択が、残されておらんのじゃ』

 少し苛立ったような言葉を吐くと、呪術師は呪文の詠唱を再開した。


 ウルンギは何も言い返さず、ただ歯を食いしばって必死に耐えていた。

 その顔色は、もはやどす黒く変色している。

 隣りに座っているアドが、彼の太い腕を掴んで『しっかりして!』と励ますが、その声も届いていないようだった。


 そのまま、数分が経過した。


『どうした、もう限界か?』

 呪術師の揶揄からかうような笑いが響くと同時に、ウルンギの上体がぐらりと傾いた。

 彼は意識を失ったらしく、アドに身体を預けてきた。


『ウルンギ!』


 アドが悲鳴を上げて、自分の倍もありそうな男の身体を抱きとめた。

 同時に、ウルンギの身体が膨れ上がり、〝ぶはあぁっ!〟と息を吐き出した。

 彼は激しく背中を波打たせ、荒くせわしない呼吸を繰り返した。


『何じゃ……こ奴、息を止めておったのか?』

 呪術師が呆れたような声を出したが、次の瞬間、様子が変わった。


『なぜだ? わしはこのオークの精神を手中にしたはず!

 どこに消えた!?』

 呪術師は両手を上げ、信じられないといった感じで見つめている。


 ウルンギは上体を折り曲げて、激しく咳き込んだ。

 アドが慌ててその背中をさすった。


 ようやく咳が収まると、ウルンギは荒い呼吸のまま、にやりと笑って上体を起こした。

『どうした、もう限界か?』


 彼は呪術師に対し、嘲笑とともに、自身に浴びせられたのと同じ台詞セリフを返した。


 慌てたのは呪術師である。

 老人は何も言い返さずに、再び呪文を唱え始めた。

 ただその声の音程が、先ほどよりも一段高くなっている。


 それに対してウルンギは平然と立ち上がり、腕組みをして水盆上の小さな映像を見下ろした。

 呪術師は聳え立つオークの巨躯を見上げ、狼狽うろたえたような声を出す。

『なぜだ! 何故わしの術が効かん!?

 しかもどうして勝手に動ける? こ奴、身体の支配も解いたというのか!?』


 呪術師のわめき声は、アドが逐一通訳していた。

 ウルンギは雷鳴のような笑い声を発した。


『諦めろ、貴様の呪術はもはや敗れた!

 教えてやろう! 俺の伯父貴殿は、貴様と同じ呪術師に捕らえられ、十数年もの間、精神を支配され続けた。

 その呪術師が殺されたことで、伯父貴殿は解放されたが、それ以来、呪術による精神支配に抗う方法を、模索し続けていたのだ。

 そして、俺はついに完成したその秘術を伝授された。

 俺にはもう、お前の術は二度と通じないと知れ!

 人間との仲を裂く、卑劣な命令も聞かなければ、大事なアドも絶対に渡さない!!

 分かったなら、貴様の穢らわしい闇の住処すみかに、逃げ帰るがよい!』


      *       *


 呪術師の精神支配を、ウルンギがいかにして逃れたのか?

 ダウワース王が彼に授けたという、秘策とは何か?


 呪術師は何度も『なぜだ?』と喚いたが、ウルンギは一切、秘密を語らなかった。

 相手の最大の攻撃を封じる手段を、わざわざ教える馬鹿はいない。


 ただ、それでは謎を抱えたまま、話が進んでしまう。

 そこで、ウルンギたちオークの戦士団が村を発つ、少し前に時間を戻してみよう。


      *       *


『ウルンギよ、お前はこれから、ナフ首長国の人間たちと戦うことになる。

 お前はもちろんだが、選抜された戦士たちが人間に遅れを取るとは、俺は思っていない。

 ただ、奴らの背後には呪術師がついている。

 呪術師の恐ろしさについては、くどいくらいに伝えてきたつもりだ』


 ダウワースは盃に満たされた濁酒ドブロクを、一息で喉に流し込んだ。

 王とその甥は、迎賓館の役割を持つ建物の奥まった一室で、向かい合って座っていた。

 先ほどまで打ち合わせをしていたシルヴィアとキャミイは、もう宿舎に帰した。

 酌をする女も遠ざけ、今は二人だけが部屋の中央で対峙していた。


『俺が呪術師に捕らわれ、実験動物として人間の言葉と知識を与えられたことは、もう何度も話したとおりだ。

 結果的に、俺は人間と話せるようになったし、オークよりも遥かに進んだ人間の知識も手に入れた。

 それを考えれば、俺が奴隷として過ごした十数年は無駄ではなく、むしろ僥倖とすら言えるだろう』


 ウルンギは、黙って濁酒を呑み干した。

 そして壺を手に取り、空になった二人の杯になみなみと注いだ。


 自分の伯父でもある〝賢王〟ダウワースは、この虜囚時代の話をよく話してくれた。

 ほかの者には滅多に語らなかったので、それは少年だったウルンギの自尊心を、大いにくすぐったものである。


『だがな、俺に対する〝実験〟は、俺の精神を支配した上で行われたものだ。

 結果として得た知識には感謝するが、自分の意志を封じられ、いいように操られた恨みは、絶対に忘れない』


『その話は……何度も聞いています』

 ウルンギが遠慮がちな言葉を返した。

 これからオアシスに出発しようとする時に、聞き飽きた話を繰り返される意味が、彼には分からなかったのだ。


『そうかすな』

 ダウワースは苦笑いを浮かべた。

 彼のような若者に、話の段取りを理解させるのは難しい。

 今のは前振りで、要はこれからが本番なのだ。


『運よく村に逃げ帰った俺は、ついには一族の王にまで成り上がった。

 まだ若かった俺は、恵まれた体格に人間の知識と技術を身につけ、何者も恐れなかった。

 ただひとつ、呪術師を除いては……だ』

 王は溜息をついた。


『呪術師は、あらゆる鳥や小動物の目と耳を乗っ取り、どんなところにも入り込むことができる。

 もし、俺が再び奴らに見つかったら、また精神を支配され、この村の者たちまで好きなように操られるかもしれない。

 そう思うと、正直怖くて仕方なかったのだ』


『だから俺は、奴らの精神支配を打ち破る方法を、必死になって研究した。

 この呪術は、簡単に言えば〝精神力の綱引き〟だ。

 呪術師と狙われた者、より精神力が強い方が、相手を支配できるのだ。

 だが、相手は呪術に生涯を捧げてきた修行者だ。彼らの修行とは、精神の修練にほかならない。

 だから、どんなに強固な意志を持った者でも、呪術師に打ち勝つことはできない』


『では、どうしたらよいと思う?

 何年も考え続けて、俺が得た結論はこうだ。

 精神力、すなわち意志の力の綱引きで勝てないならば、それを上回る力をぶつければいい……とな』


『伯父貴殿、学がない俺には話が難しすぎて、さっぱり分からん』

 ウルンギは情けない表情で、正直に吐露した。

 ダウワースの話は観念的なのだ。


『ああ、済まんな。もう少し噛み砕いて話そう。

 意志の力は、俺たちが思っている以上に強力だ。一番簡単な例が〝自殺〟だ』

『自殺……ですか?』


『ああ。俺たちオークは、自分の意志で自害できる。

 これは人間やドワーフ、エルフも含めて、意志と理性を持つ種族にだけ、許された特権だとも言える。

 あらゆる生物は、生きようとする根源的な欲求に従っているが、意志の力はそれを凌駕できる。

 お前は、もし自殺しようと思ったら、どうする?』


 ウルンギは戸惑った。そんなことは、生まれてこの方考えたこともない。

『それは……ええと、首を吊りますかね?』


『そうだな。高い崖から身を投げることもできる。首の頸動脈を掻き切ることもできる。

 人間の中には、刃物で自分の腹を切り裂き、自ら臓物を取り出す者もいたそうだ』


 凄惨な話に、ウルンギは言葉を返せないでいる。

 そんな甥っ子に、ダウワースはひとつの問いを投げかけた。


『では訊くが、自分の意志で息を止め、窒息して死ぬことができると思うか?』

『それは……よほど意志の強い者なら、可能ではないのか?

 俺たちだって水に潜る時、かなりの時間、息を止めているからな』


 甥の答えを聞いたダウワースは、小さな笑いを洩らした。

『ところがな、これは不可能なのだ。

 どんなに頑張って息を止め続けても、限界がくれば我慢できずに息をしてしまう。

 つまり、生き物としての本能が、意志の力を上回るのだ』


『はぁ……』

 間の抜けた相槌に、ダウワースは思わず吹き出した。


『ピンとこないようだな。

 この肉体の防御反応、根源的な生存本能こそ、俺が見つけた〝意志の力を上回る力〟なんだよ』


 ウルンギはまだ理解していない。

 ダウワースは笑って説明した。


『だったら、もっと具体的な話をしよう。

 呪術師に精神を支配されようとしたら、息を止めればいい。

 たったそれだけの単純な話なんだが、実はこれがとてつもなく難しい。

 苦しさに負けて、途中で息をしたら台無しとなる。

 あくまで耐え続け、気を失って本能に身体を乗っ取られた瞬間、呪術師の呪縛もまた解けるのだ。

 ただし、これを成し遂げるには、とんでもない意志の強さが必要となる。

 ウルンギよ、お前にそれができるか?』


 ウルンギは、ようやく伯父の言うことが理解できた。

 なるほど、これは生半な覚悟では到達できない境地である。

 彼は深くうなずき、ダウワースの目を覗き込んだ。


『分かった、伯父貴殿!

 俺は絶対に成功してみせる。修行を付き合ってくれないか?』


      *       *


『おのれ、蛮族の分際で……覚えておれ!』

 呪術師は、ウルンギに術が効かないと悟ると、陳腐な捨て台詞を吐いて姿を掻き消した。


 一部始終を見守っていたカマールは、半ば呆れたような感想を洩らした。

「やれやれ、とんだ茶番だな。

 それで、ウルンギとやら。お前はどうするつもりだ?

 ここはオアシスから十キロ以上離れた、我らの野営地だ。

 いくらお前が強かろうと、百人の俺の部下、すべてを相手にはできまい?

 呪術師はお前の支配に失敗したようだが、それなら縛り上げて本国へ送りつけるまでだぞ」


 だが、ウルンギも動じない。

『人間よ、いや、カマールとか言ったな。

 貴様がここの指揮官ならば、その身を人質に取ればいいだけの話だ。

 お前は部下を遠ざけたが、それが命取りだったな。

 いくら大声で助けを呼んでも、彼らもすぐには駆けつけられまい。

 その時間だけで十分だ。お前ひとりを取り押さえるなど、俺には雑作もない。

 まさか、一対一でオークに勝てるほど、己惚れてはいないだろうな?』


 勝ち誇るウルンギだったが、カマールもまったく動じなかった。

「ああ、差しでやって、かなうとは思っていないさ。

 ところでな、ここだけの話だが、俺は呪術師っていう連中が大嫌いだ。

 だから奴らのすることなんざ、最初から信じちゃいねえんだよ!」


 カマールはそう叫ぶと、いきなり身体を投げうって床に伏せた。

 それが合図のように、大テントの壁となっている帆布を結ぶロープが切られ、一斉に地面に落ちた。

 そこにはずらりと並んだ兵たちが、矢をつがえた弓を構えていた。

 もちろん、狙いはウルンギに向けられている。


『ちいっ!』

 ぼけっと見ているほど、ウルンギは間抜けではない。

 彼はカマールが身体を投げ出した次の瞬間、床の絨毯を鷲掴みにして、力任せに持ち上げた。

 分厚い絨毯は目が詰まっていて、相当の重量があるが、ウルンギの驚くべき怪力によって、一メートル以上持ち上げられ、そのまま自立した。


 ウルンギとアドがその陰に身を伏せるのと同時に、絨毯に無数の矢が突き刺さった。

 絨毯は山形に持ち上がっているから、矢が片側一枚を貫通しても、反対側が食い止め、ウルンギたちまでは届かない。


『くそっ! カマールは、確かに人払いをしたはずだ。

 アド、奴は何か変なことを言わなかったのか!?』

『いえっ、普通の命令でした!』


 アドが気づかなかったのは無理もない。

 カマールは極めて用心深い男で、こうした事態に対応するため、部下といくつかの符牒を決めていたのだ。

 今回もそのひとつで、会話の最後に『呪われるぞ!』と付け加えることだった。


 この符牒によって、部下はカマールの言葉を鵜吞みにしなくなる。

 百人長が『テントに近寄るな、決して覗くな』と命じたなら、その逆の行動を取れと指示したことになる。


 だから部下たちは、武装してテントを取り囲み、壁の隙間から中の様子を窺っていたのだ。


 ウルンギとアドは、どうにか敵の第一射を防いだ。

 ただし、絨毯で作った盾は、前方にしか効果を発揮しない。

 弓隊が横に回り込めば、もう矢を防ぐすべがない。


 カマールの方は、攻撃の隙に部下たちと合流していた。

 彼は隠れているオークたちに向かって、大声で呼びかけた。


「おい、オークの女! ウルンギに投降するよう伝えるんだ!!

 おとなしく指示に従えば、安全は保証する。

 あくまで抵抗するというのなら、勝手に死ねばいい。

 貴様はそれでいいだろうが、残された女のことを考えろ!」


 絨毯の陰からは、ぼそぼそとささやく声が聴こえてきた。

 しかし、アドが通訳が終わっても、ウルンギは黙したままだった。


「弓隊は左右に展開、槍隊は中央で戦列を作れ!」

 カマールが前を向いたまま、部下に命じた。

 中央で狙いをつけていた弓兵たちは、矢をつがえたまま側面に移動し、代わりに槍を連ねた一団が前に出た。


 もはやオークたちの運命は定まった。

 彼らは手を挙げて投降するだろう。

 そうでなければ殺すだけである。死んでいった捕虜兵への、せめてもの手向けとなるだろう。


 万事休したと思われた瞬間、テントの周囲に展開していたナフ兵たちに、異変が起きた。


 左方の弓隊のど真ん中に、空からいきなり火の玉が降ってきて、爆散したのだ。

 続けてもう一発、反対側の弓兵にも同じことが起き、燃え上がる炎で彼らは大混乱に陥った。

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