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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第九章 能力発現
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三十八 失踪

 リスト王国の王立魔導院では、創立以来続く召喚士の育成や、近年始まった魔導士教育を行っている。

 それだけではなく、幻獣と呼ばれる異世界生物に関する研究も、重要な役割のひとつであった。


 幻獣研究において、この十数年で目覚ましい発展を遂げたのが、オークに関する知見であった。

 オークは生物学的に、極めて人間に近い種であることは、かなり早い段階で判明していた。


 ただ、王国の辺境に現れるオークは、理性も文明も持たない、人間とは程遠い存在だったため、その類似点は、あくまで肉体構造に限られると考えられてきた。


 その常識がひっくり返されたのは、南部密林に棲息するオーク族との接触がきっかけであった。


 彼らは低レベルではあるが、独自の文明を持っていた。

 しかも、一族を統率するダウワース王は、人間の言葉(中原語)を自在に操り、高い知性を示したのだ。


 二級召喚士であるユニがダウワースと接触した結果、彼らこそが本来のオークであり、王国辺境に出現するのは、オークの外見を真似た〝造られた〟怪物であると分かった。


 やはり、人間とオークの先祖は同一であった。

 遥かな太古、体格と力に優れた一族と、非力で貧弱だが、知能に秀でた集団が分化し、それぞれの特性を生かして進化したのが、オークと人間だったのだ。


 したがって、オークが人間と同じく睡眠中に夢を見たとしても、別に驚くようなことではなかった。


      *       *


 フェイの治療を終え、外に出たウルンギは、何気なく空を見上げた。

 もうとっくに日は沈んでおり、天には無数の星が輝いている。

 周囲に人影はなく、疲れ切っていた戦士たちは、宿舎の中で盛大ないびきをかいていた。


 ウルンギは、自分専用に割り当てられている宿舎に向かった。

 そこはもともとヤコブ中佐が使用していた、指揮官用の建物だった。


 ほかの者たちは、長屋のような宿舎で雑魚寝している。

 最初はウルンギも、その仲間に入るつもりであった。


 しかし、オークの戦士たちが、それを断じて許さなかった。

 自分たちを率いる村の英雄は、それなりの敬意を受けなくてはならない。

 人間の指揮官が、専用の建物を使用していたのなら、ウルンギも同じ扱いであるべきなのだ。


 人間が建てた木造の家屋は少し床が高く、入口に掛けられた小さな階段を上がって入る。

 掘り下げた土間の掘立式住居で育ったウルンギには、どうしても馴染めないものであった。


 扉を開けて中に入ると、開けたままの窓から、外で焚かれている篝火の明かりが入り、ぼんやりと室内が見える。

 家具の類は必要最低限しかなく、それも簡素なものだった。それが、きれいに整頓されている。


 ウルンギは無用の装飾を嫌っていたし、オークにしては几帳面な性格をしていた。

 この辺は、先住者のヤコブ中佐と共通していた。

 もし中佐が見たら、自分の使用していた頃と、ほぼ変わっていないことに驚いただろう。


 小さな木のテーブルの上には、部下が運んでくれた夕食の皿が並んでいた。

 人間たちが残してくれた固いパン、そして肉と野草が煮込まれた薄味のスープである。


 オークたちの大好物は肉だが、実際に口にできるのは、何かの祝い事がある日に限られる。しかも生ではなく、塩蔵肉である。

 普段の食事は、丸々と太ったイモ虫を焼いたものと、渋みの残る木の実であることが多い。

 この野営地で出てくる食事は、オークにとってはとんでもないご馳走であった。


 だが、せっかくの夕食も、すっかり冷めていた。

 ウルンギは人間サイズの椅子に腰をかけた。尻がはみ出すので、あまり快適とはいえない。

 地べたに座るのがオークの習慣なので、この椅子に座る人間の文化も、なかなか慣れないものだった。


 ウルンギは窓から入る薄明りを頼りに、もそもそと食事を済ませた。

 ランプの灯し方も習っているが、どうにも気後れがして、使う気にならなかった。


 冷めて固まった脂が浮くスープも、口にすれば十分に美味かった。

 そこに固いパンを浸して食べる方法は、オークたちの大のお気に入りであった。

 パンは初めて出会った食べ物だが、これは腹持ちもよく、抵抗なく彼らに受け入れられた。


『新しい村を拓いたら、畑にはイモだけでなく、麦も植えよう。

 そうしたら、皆に焼きたてのパンを食わしてやれる』


 ウルンギは明日の早朝、この野営地を発って村に帰るはずであった。

 だから、どうしても心は新たな仕事――新村建築に向かいがちであった。


 しかし、今日の大規模襲撃はまったくの予想外で、その後処理もあって、出発は数日延ばさねばなるまい。


 彼は空になった皿を重ねると、床の上に敷いた葦に寝転がった。

 椅子に座る生活は受け入れられても、人間用のベッドに眠ることだけは、どうしても慣れなかった。

 サイズが窮屈だし、落ち着いて眠れないのだ。


 オークたちは、水辺に大量に生えている葦を刈り取って乾かし、それを床に敷いて寝ることにした。

 あまり寝心地がよいとはいえないが、床で眠る安心感によって、熟睡できたのだ。


 寝転がって毛布を被ると、疲労していたウルンギは、たちまち眠りに落ちた。


      *       *


 ふと気がつくと、ウルンギは岩混じりの荒れ地を、とぼとぼと歩いていた。

 周囲を見渡しても同じような景色が広がるだけである。

 もちろん道などないし、まったく知らない場所であったが、なぜか進むべき方向は分かっていた。


 いつまでも変わらない、退屈な風景を見ても仕方がない。

 ウルンギはひたすら歩きながら、思考に沈んでいた。


『これは夢だ』

 彼はそう判断した。それ以外に説明がつかないからだ。


 昨夜は自分の宿舎で眠りについたはずだ。そこから記憶が飛んで、見知らぬ砂漠を歩いているわけがない。

 しかも、強烈な陽ざしを浴びながら、何時間も歩き続けているというのに、暑さも疲労もまるで感じていない。

 だとすれば、これは夢でしかあり得ない。


 そう考えると、だいぶ気が楽になった。

 それにしても、自分はどこに向かっているのだろう?

 進むべき方向は分かるのに、目的地を知らないというのは、夢らしい理不尽さであった。


 ウルンギは考えること止め、奇妙な使命感というか、内なる衝動に身を任せ、ひたすら歩き続けた。


 いったいどれだけの距離を、何時間かけて歩いたのか分からないが、ようやく目前の景色に変化が現れた。


 陽炎が揺らめく彼方に、いくつもの三角が浮かんでいる。

 明るい褐色の布でできたそれを、人間たちが〝テント〟と呼ぶことを、ウルンギは知っていた。

 そして、忽然と理解した。あれが、彼の目的地だったことを。


 ウルンギは初めて立ち止まり、安堵の息をついた。

『ふぅ……どうやらこれで、夢は終わりそうだな』


 彼は歩みを再開しようとした。

 ところが、自分の足が言うことを聞いてくれない。


『何かが足りない!』

 ウルンギの脳裏に、天啓のようにその理由が示された。

 せっかくここまで来たが、彼は何か大切なものを忘れていたのだ。


 ここにきて、ウルンギの意識は次第に混濁し、考えるのが難しくなってきた。

 恐らく、目覚めが近いせいだろう。


 そんな状態で、彼は自分が忘れた物を、懸命に思い出そうとした。

 ややあって、その努力は実を結んだ。

 忘れたのは〝物〟ではなく〝者〟だった。彼は連れてくるべき人物を、オアシスに置いてきてしまったのだ。


『やれやれ、振り出しへ戻るのか……』


 夢の中とはいえ、これまでの行動が無駄だったと知らされるのは、何とも情けない気分であった。

 だが、その者を連れてこなくては、目的地に入ることは許されない。


 ウルンギはきびすを返し、オアシスに向けて歩き出した。


      *       *


 ウルンギの失踪に、最初に気がついたのはキャミイだった。


 精霊族であるカーバンクルは、睡眠というものを必要としない。

 彼女は夜の眠りも昼寝も好きだったが、あくまでそれは、個人的な趣味である。


 オアシスでのキャミイは、毎朝夜明け前には起きて、ヤコブ中佐の稽古を待つのが習慣となっていた。


 彼女はこの稽古を通して、人間の肉体は鍛えることで、反応が自分のイメージに近づくことに気づいた。

 そして、身体を動かすことは、眠りを貪ることとは別種の快感であることも知った。


 中佐がオアシスから去ったことで、稽古相手を失ったキャミイは、この楽しみを満たしてくれる、代わりを見つけなくてはならなかった。


 夜明け前の野営地では、燃え尽きておきになった篝火が、白い灰の奥から頼りない明かりを洩らしている。

 足元も見えないような暗がりだが、夜目の利くキャミイは平気で歩き回れた。


 こんな時間に起き出してくるオークは、ウルンギだけであった。

 彼はさっそくキャミイに捕まり、有無を言わさず稽古相手に指名された。


 稽古といっても、武器を持ってしまえば、シルヴィアの技術を会得しているキャミイの圧勝となる。

 だから彼女は、ウルンギに対して組み手を申し入れた。


 大陸中北部の各国軍隊において、兵士が習得させられる基本武術は共通している。

 剣術、槍術、弓術の三大武術、そして格闘術である。


 格闘術は、何らかの理由で武器が使えない場合に、自らの肉体で状況を打破する、最後の手段であった。


 格闘というと、打撃や蹴りといった派手な要素に目がいきがちだが、その真髄は関節技サブミッションにある。

 人間の肉体構造を理解すれば、体格差に関係なく、最小の力で相手の行動の自由を奪い、制圧できる。


 当時の軍隊で採用されていた格闘術は、今でいう総合格闘技に、合気道の要素を加味したものだと思えばよい。


 魔導院で十二年間、全科目で首席を譲らなかったシルヴィアは、当然ながら格闘術でも、相当の技術を会得していた。

 彼女と魂のレベルで結びついているキャミイは、その技術と経験を、まるごと自分のものとしていた。


 一方のウルンギは、そのような体系化された格闘技術に触れたことがなかった。

 だから、相手になるまいと思っていたキャミイに、面白いように投げられ、地に這わされたことは、天地がひっくり返るような驚きであった。


 キャミイはシルヴィアの身体を模倣していたから、女性としては立派な体格をしていた。

 しかも、彼女は人間化に当たって、カーバンクルの巨体を高密度に圧縮していたから、見た目を遥かに上回る体重があった。

 力だけは筋肉量に限界があるため、元のとおりとは言えないが、並の人間を軽く凌駕していた。


 ただ、最初のうちこそ連戦連敗のウルンギだったが、稽古後に関節の構造や、力の利用法を解説されると、それをみるみる吸収していった。

 これが現在のところの、ウルンギとキャリイの力関係であった。


 余談になるが、二人の戦績は、こののち逆転することになる。

 ウルンギの肉体には、密林で蓄積した膨大な経験が蓄積されており、それに加えて天性の格闘センスにも恵まれていた。


 そのため、キャミイが楽をしていられたのは、最初のうちだけで、その後はウルンギがあっという間に追いつき、さらには勝率が逆転した。

 やはりキャミイの技は付焼刃で、ウルンギの経験は生きたものである差なのだろう。


 さて、その日の朝も、キャミイは夜明け前に宿舎を抜け出した(シルヴィアは当然のように眠りこけていた)。

 いつものように宿舎前の広場でウルンギを待ったが、彼はなかなか現れなかった。


 ウルンギは怖い顔に似合わず、几帳面で真面目な性格であったから、一度も遅れたことがなかった。

 だからキャミイは、五分も待たないうちに、『これは異常だ』と感じた。


 キャミイは躊躇せず、ウルンギの専用宿舎に向かった。

 扉には鍵がかかっていなかったから(そもそもオークには、戸締りの概念がない)、彼女は構わず中に入った。

 しかし、室内はもぬけの殻で、ウルンギの姿はどこにもない。


 キャミイはこの時点で、事態の深刻さを確信した。

 彼女はオークたちの宿舎の扉を片っ端から開けていき、ウルンギがいないか確認した。


 寝惚け眼で起きてきたオークたちに、ウルンギの行方が分からないと説明すると、彼らも慌てだした。

 宿営地は大騒ぎとなり、周辺にはウルンギを探す大声が飛び交った。


 最後の宿舎で寝ていたオークたちを叩き起こすと、キャミイの表情はますます剣呑なものとなった。

 彼女は狼狽うろたえているオークたちに怒鳴りつけた。


『私はシルヴィアを起こしてきます。

 あなたたちは第三軍の連絡将校を起こして、事情を伝えてください!』


 ウルンギの失踪が何を意味するのか、異世界の生物であるキャミイには見当がつかない。

 こういう分野では、悔しいがシルヴィアの知恵に頼るしかないのだ。

 だが、まだ夜の明けきっていない今の時刻、彼女を目覚めさせるのは大変である。


 オアシスに居残っている第三軍の将校たちなら、そんな苦労はいらないはずだから、オークたちにその役を押しつけたのは、別に意地悪ではない。


 起き抜けのオークたちは、事態を十分に理解しないままに外へ出た。

 周囲では、ウルンギを大声で探し回る仲間が走り回っていて、その緊張した雰囲気が、彼らの頭をしゃきっとさせた。


 オークたちはキャミイの指示どおり、人間の将校たちに割り当てられた宿舎に向かった。

 だが、彼らは途中で立ち止まった。

 行くのはいいが、オークたちは人間の言葉を話せない。どうやって相手に事態を説明したらよいのだろう?


 いつも通訳してくれるキャミイは、すでにシルヴィアの元に向かってしまった。

(ちなみに、シルヴィアの寝起きの悪さは、オークたちの間にも知れ渡っていた。)

 こうなると、頼れるのはただひとりである。

 オークたちは、すぐにアドが寝ている宿舎に向かった。


 圧倒的に数の少ない女性を大切に扱うのは、オーク男の常識であった。

 勝手に女性に夜這よばった者は、想像を絶する厳罰を受ける。

 だから疑いをかけられぬよう、そもそも女たちの家(適齢期の未婚女性は、集団で暮らしている)には近寄らない。


 ましてやアドはまだ十代の前半で、子を産める年齢に達していない。

 そのような少女の眠る場所は、決して侵してはならない聖地であった。


 だが、今は緊急事態である。

 オークたちはアドに割り当てられた宿舎(元は人間の士官用)の扉を、何度も叩いて声をかけた。


 いくら待っても少女の返事はない。

 オークの女たちは、朝食の支度を担当する関係上、早起きが常識である。

 それなのに、まったくいらえがないのは、どこか異常であった。


 オークたちは顔を見合わせ、うなずきあった。

 そして、思い切って扉を開け放った。


 しかし、きれいに整頓された部屋の中に、アドの姿はなかった。

 彼女もまた、行方をくらませたのである。

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