三十四 捕虜兵
よく聞くことだが、人種が違うとなかなか顔の見分けがつかないという。
また、同じ国の者同士でも出身地方が違うと、少し話しただけでもすぐに気づくものらしい。
ナフ国でも、それは同じである。
みじめな表情をした歩兵たちをよく見れば、ちょっとした服装の違い、髭や髪の伸ばし方、特徴のある彫り物に、アシッドは否応なく気づいてしまう。
彼らの半分以上が、アフラマ首長国の男たちだった。
アフラマは現在、ナフと最も激しい領土争いをしている隣国だから、戦いに敗れて降伏した兵士たちなのだろう。
そのほか、東のエラム国人も少数混じっている。
そして奇妙なのが、アフラマ人に次いで、サキュラの者が多いことだ。
サキュラ首長国は、ほとんどの領地がナフに併合され、実質的な属国となってから、もう十年以上も経つ。
ナフの侵略に激しく抵抗していた当時は、戦闘による捕虜も多かったが、それも昔の話だ。
年齢的には比較的若そうなので、不穏な動きを見せる有力部族の過激分子かもしれない。
サリド王は、占領地の民に対して融和的で、穏健な政策をとっていたが、その一方で反乱の芽を苛烈に刈り取っていた。
しかし、このように大勢の捕虜兵を連れてくるとは、どういう了見なのだろうか。
何度も触れたが、アシッドが命じられているのは、オアシスの占領ではない。
小競り合いを繰り返し、王国の注意を引きつけることが肝要なのだ。
そのためには、機動力に優れるラクダ騎兵が最適であって、歩兵などいくら数を揃えても、無用の長物である。
アシッドにはさっぱり理解できず、首を捻るばかりであった。
ともあれ、まずは疑問を呑み込み、先任指揮官として、彼らを迎えねばならなかった。
アシッドはラクダを進め、交代部隊の先頭で進んでくる、陰鬱な顔をした男の前に出た。
「失礼ながら、カマール百人長とお見受けする。
私は本オアシス作戦の遂行を命じられている、アシッド百人長だ。
貴殿のことは、すでに連絡を受けている。遠路はるばるご苦労であった」
挨拶を受けた男は、重々しくうなずいた。
「いかにも、持ち場の交代を命じられた、カマール百人長だ。
出迎え、大儀である。
部下たちには、ラクダの世話をさせたい。
すまぬがその間、そなたの部下で、あの者たちの監視を願いたい」
カマールは丸腰の歩兵たちの方に、ちらりと視線を走らせた。
アシッドは控えていた伝令兵の若者に、すぐに指示を与えた。
そして、相手の方から歩兵の話題を出してくれたので、抑えきれない好奇心を口にしてみた。
「あの者たちは捕虜兵ですな?
捕虜では命令に従わせるにも苦労しましょう。戦意は低く、信用もできない兵が役に立つでしょうか?
そもそも我々の役目は、敵の挑発と情報収集です。それなら、カマール殿の騎兵隊だけで事足りるはず。
捕虜兵を使う場面など、あるとは思えませぬ。
それどころか、この人数を食わすとなると、水も食糧もとんでもない負担となるでしょう。
一体、いかなる目的で、彼らをお連れになったのですか?」
カマールは少し呆れたような表情を見せた。
「よく喋る男だな……。
捕虜兵の連行は、ジャミラ様のご指示である。
貴殿は我々と交代して国に帰る身だ。上の考えを知る必要はない」
身も蓋もない言い方だったが、これは当たり前の反応だった。
百人長(王国の大隊長に相当)に過ぎないカマールが、七百人もの捕虜兵を独断で動かせるはずがない。
当然、上層部の指示であるから、その目的を、帰国して無関係となるアシッドに教えるなど、あり得ないことだった。
アシッドもそれが分かっているから、何も言い返せず、恥ずかしさに顔を赤くするしかなかった。
それが気の毒に思えたのだろう、カマールは少し表情を緩めた。
「悪く思うな。俺とてジャミラ様には逆らえんのだ。
だが、ひとつだけ教えてやろう。
貴殿は『捕虜兵を使う場面などない』と言ったが、奴らの使い道はちゃんとある。
そうでもなければ、いらぬ苦労を背負いこむものか!」
カマールは顔をしかめた。その表情だけで、彼が捕虜兵を〝厄介者〟と認識していることが、如実に伝わってくる。
翌日、アシッドと彼の百人隊は、野営地を後にして帰国の途に就いた。
したがって、彼がカマールの言う〝使い道〟を知る機会は、永遠に失われたのだった。
* *
荒涼とした砂漠から吹いてくる風は、熱くからりと乾いている。
『不思議な光景だな……』
ウルンギが風に目を細め、ぼそりとつぶやいた。
「何がですか?」
キャミイが耳元で通訳してくれたので、シルヴィアが自然に訊き返した。
『見渡す限り岩だらけの荒れ地で、一本の草木も見当たらない。
それなのに、オアシスにやってくる羚羊の群れは、どうやって生きていられるのだ?』
森の恵みに囲まれて暮らしているオークには、それが不思議でならないのだろう。
王国の人間であるシルヴィアには、答えようのない疑問である。
シルヴィアは如才なく話題を変えた。
「いざ帰るとなると、名残惜しくなりましたか?」
ウルンギの横にはアドがついていて、通訳を務めていた。
『ふふ……どうだかな』
ウルンギとシルヴィア、そしてキャミイとアドは、塹壕脇に立つ監視塔の上に登っていた。
ウルンギは明日、密林の村に帰ることになっていた。
その前に、砂漠をよく見ておきたい……彼はそう言い出したのだ。
いかつい見た目のオークが、そんな感傷的なことを言い出すのは奇妙であり、妙に可愛らしくもあった。
ナフ国の襲撃は、相変わらず続いていたが、ごく小規模なものに留まっていた。
防衛任務についているオークの戦士たちは、難なくこれを追い払っていた。
最初の戦闘以来、敵はオークたちの投石を警戒し、有効射程内にはめったに入ってこなかった。
その代わり、彼らは十分に距離を置いた岩陰でラクダを降り、長弓による攻撃を行ってきた。
ナフに限らず、サラーム教国の兵は騎兵による機動戦術を得意とし、疾走するラクダの上から矢を放ち、すばやく撤退するのが常である。
そのため、彼らが使用するのは取り回しのいい短弓で、その分、飛距離が出せなかった。
うかつに接近する不利を覚ったナフ兵たちは、使い慣れない長弓を持ち出して、遠距離戦を挑んできたのだ。
長弓は引くのに力を要するが、飛距離と貫通力に優れている。
基本的に遠距離兵器なので、直接敵を狙うのではなく、空に向けて射ることになる。
矢は放物線を描き、上から雨となって降り注ぐのだ。
これは、塹壕に籠っている敵に対する、有力な攻撃手段となる。
問題は、命中率が低いことであった。
最初の斉射で当たることは期待できず、専門の観測兵が修正指示を出して、敵に近づけていくのである。
(この指示に対応するには、かなりの技量が必要だった。)
したがって、攻撃を受ける側が不意打ちを喰らう心配はない。
敵が照準を修正している間に、頭上を防御すればいいのだ。
ナフ国側が長弓を導入した当初、オークたちはこの対応ができずに、数人の負傷者を出してしまった(その中には、初めてとなる重傷者も含まれていた)。
オアシスには、第三軍の連絡将校が数人残っていたので、すぐさまオークたちに助言を与えた。
彼らは長弓の対処法をよく知っていたが、そのための備えは用意していなかった。
矢を防ぐには、分厚い木の盾を用意すればいいのだが、ここではその材料が手に入らない。
そこで将校たちは、オークたちに指示し、オアシスの水辺に繁茂する萱を大量に刈り取らせた。
これを束ねて縄できつく縛り、丸太状にする。
十分乾燥させてないので、かなりの重さがあったが、怪力のオークたちは軽々と担ぐことができた。
敵の矢が飛んで来たら、これを担ぎ上げればよいのだ。
通常の戦場なら、長弓の援護射撃と同時に、騎馬隊が突撃してくるのがお約束で、そんな悠長なことはしていられない。
しかし、ナフ国側にそんな意志はないから、対処法としては十分だった。
ウルンギは砂漠から、真下の塹壕の方に目を移した。
戦士たちの頭や肩が、あちこちに見える。
今はもう昼を過ぎているので、彼らはのんびりとしている。
ナフの襲撃は、未明か夕方、あるいは夜襲と決まっているのだ。
『今さらの話だが、ナフ国の人間たちは、何を考えているのだろう?』
不意に、ウルンギがシルヴィアに訊ねた。
「嫌がらせ……というのが、上の判断ですね。
王国と大公国にとって、南部街道は軍事上でも経済上でも、重要な連絡路です。
その要衝であるオアシスを、敵に押さえられるわけにはいきません。
大公国には軍事的な余裕がありませんから、王国が守らねばならないのです。
ただ、一時的ならよいのですが、防衛が長期にわたると、その負担が馬鹿になりません。
軍に金がないのはいつものことですから、そのしわ寄せは市民に向けられます。
結果として不満と厭戦気分が充満し、下手をすると足元で反乱が起きかねません」
すらすらと答えるシルヴィアに、ウルンギは鼻を鳴らした。
『その話は最初に聞いたから、ちゃんと覚えているぞ。
シルヴィアは、俺を馬鹿だと思っているだろう?』
「そんなことないです!」
シルヴィアは首をぶんぶんと振り、得意気に講釈したことを後悔した。
『俺はそんなことを訊いているんじゃない。
オアシスの防衛は、俺たちオークに委ねられ、王国の人的負担は、ほぼ解消された。
その代わり、我々は防衛の報酬として、王国から無償援助を約束された。
それでも、本国から遠く離れたオアシスに部隊を駐留するのに比べれば、だいぶ負担は軽減されたはずだ。
しかも、一方的な持ち出しにはならんのだろう?』
「どういう意味でしょうか?」
シルヴィアは惚けてみせたが、ウルンギには通用しなかった。
『赤城市の商人たちは、八千人のオークという、新たな顧客を得るのだ。
今まで暴利を貪っていた大公国の商人とは違い、赤龍帝は公正な取引を約束した。
確かに聞こえはいいが、オークから甘い汁を吸うという構図自体は変わらない……そうなんだろう?』
シルヴィアは黙って両手を挙げた。『降参』という意味である。
『いいさ、その辺は俺も伯父貴殿(ダウワース王のこと)も、納得づくの話だ。
問題はそこじゃなくて、ナフ国の連中の方だ。
オアシス防衛の担い手がオークに代わったことを、連中が知ってから一か月になる。
それなのに、奴らは相変わらず、子どもじみた嫌がらせを止めようとしない。
なぜだ?』
「それは……」
返答に窮するシルヴィアに対し、ウルンギは畳みかける。
『ナフ国の目論見は、とっくに崩れている。
それなのに、なぜ奴らは攻撃を止めない? そこに何の意味があるのだ?
もしかしたら、俺やお前たちが、まだ気づいていない〝別の目的〟が存在する……そうは考えられないだろうか?』
ウルンギの考えは、筋が通っていた。
恐らく今ごろ赤城では、リディアが同じ疑問を抱えていることだろう。
誰も答える者はなく、彼らは黙り込んだ。
* *
監視塔の床はそう広くない。そこに巨漢のウルンギを含む四人がいるのだから、なおさら狭く感じる。
監視役のオークは隅っこに追いやられ、肩身を狭そうにしていた。
まだ若そうなオークだった。
監視塔の見張りに抜擢されているということは、かなり優秀なのだろう。
その若者が、突然叫んだ。
『敵発見! でも、何だか……いつもと違います!!』
ウルンギとシルヴィアは、物も言わずに手すりに駆け寄った。
目を凝らすと、確かに遠くの方に何かの集団が見える。
ただ、土埃が上がっているせいで、敵なのかどうも判然としない。
「駄目、あたしの目じゃ分かんない! そっちはどう?」
シルヴィアがウルンギの丸太のような腕を掴んで揺すぶったが、彼も目を細めたまま首を振る。
『こっちも同じだ。ついでに言っとくが、俺は近眼なんだ』
ちなみに、このやり取りは通訳を介していない。
最近は通訳なしでも、何となく話が通じてしまうのだ。
『距離は四キロ弱かと思います。
ただ、いつもとは見え方が全然違います。
土煙の量も尋常じゃないです。これは……相当に数が多いんじゃないでしょうか』
監視の若者が、自分の考えを述べた。
彼はこの役目に選ばれただけあって、戦士団の中でもとびきり目がよいのだろう。
「そうだ! キャミイ、ちょっと来て!!
あんた、その姿でも視力がいいのよね?」
シルヴィアが後ろを振り返る。
キャミイとアドは、押しのけられて後ろに下がっていたのだ。
「ええー、別にいいよぉ。僕、興味ないしぃ……」
「うるさい! さっさとこっち来なさい!!」
シルヴィアの剣幕に、キャミイは渋々前に出た。
そしてシルヴィアの横に割り込み、彼女が指さす方向を見る。
「んんー、ホントに土埃が酷いね。
ええと、ラクダ騎兵が先だね。数はおよそ……百って感じかな?
その後は……あれれ? 残りは全部歩兵だよ」
「はぁ!? ナフの連中、暑さでおかしくなったのかしら?
歩兵はどのくらい?」
「いやぁ、ちょっと数までは分からないなぁ……」
「そこを何とかしなさい!」
「もう、シルヴィアったら無茶苦茶なんだから!
そうだねぇ、もの凄く大雑把に言うよ?
最低で五百、最大で千人ってとこかなぁ? 責任は持てないけど」
「じゃあ、中を取って七百五十人ってことにしましょう!
歩兵で四キロの距離なら、接近には一時間以上かかるわね」
彼女の言葉は、アドによってすぐにウルンギに伝えられた。
彼は手すりから身を乗り出し、下に向かって怒鳴った。
「敵だ! 騎兵百、歩兵が七百五十だ!
まだ時間に余裕があるから、慌てずに準備にかかれ!
まずは伝令を走らせろ!
宿舎で寝ている連中を叩き起こし、全員こちらに向かわせるんだ!」