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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第九章 能力発現
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三十三 交代部隊

 季節はもう、完全に夏だった。


 太陽が容赦なく照りつける灼熱の砂漠で、日中外に出るのは自殺行為である。

 砂漠の民は、日光を遮るテントの中に避難し、壁となる帆布を巻き上げて風を入れ、昼寝をして厳しい暑さをやり過ごす。


 ただし、部隊指揮官ともなると、そんな贅沢は許されない。

 百人長のアシッドは、指揮所となっているテントの中で、書類整理に追われていた。

 二日前のことだが、都から伝令のカラスが飛んできて、部隊交替が告げられたのだ。


 南街道のオアシス攻撃を命じられ、部隊を率いて北の果てまでやってきて、もう半年が過ぎていた。

 上層部の指示は、攻撃といっても嫌がらせ程度にとどめ、決して無理をするなという、不可解なものだった。


 百人長という地位はそれなりのものだが、所詮は数多あまた存在する中級指揮官に過ぎない。

 アシッドに許されたのは、作戦の意味を問い返さず、黙々と指示に従うことであった。


『攻撃に当たっては、できるだけ人的被害を抑えよ』

 出撃に当たって、そう念を押されたのだが、現実はそう甘くはない。


『ふん、だったらお前が指揮を執ってみろ!』

 現場指揮官として、アシッドが不満を募らせたのは当然であった。


 いつ、どこから攻めるかという手札は、確かに彼の手にあった。

 だが、敵はオアシスの外縁に強固な塹壕を掘り、防御に徹している。

 待ち構えている敵に突っ込む側が、より多くの損害を被るのは、戦いの鉄則である。


 それでも、アシッドは自分にできる最善を尽くした。

 綿密な作戦と、巧みな用兵によって、部隊の消耗は予想以上に抑えられていた。


 潮目が変わったのは、敵の防御陣地にオークという異人種が現れた時である。

 何も知らない彼らは、最も勇敢で優秀な十人隊を、一度の戦いで全滅させてしまった。

 しかも運の悪いことに、それは全軍の総司令官であるジャミラが、異例の視察に訪れた当日のことであった。


 アシッドは死を覚悟した。

 ジャミラの気性が激しいことは有名だった。

 いくら将軍とはいえ、女に手討ちされるくらいなら、自ら死を選ぶつもりであった。


 しかし、意外なことに、事情を聞いたジャミラは、一切アシッドを責めなかった。

 それどころか、著しく兵力を減じた彼の部隊を、交代させると約束してくれたのだ。


 この二十年近くで、勢力を急拡大しているナフ首長国は、各地で紛争を繰り広げていた。

 その相手が、仇敵である異教徒のルカ大公国ではなく、同じ連邦を構成する仲間(しかもサラーム教徒)だというのは、実に皮肉であった。


 ともあれ、ナフ国軍には余裕がなかった。

 人もラクダも足りなければ、金も物資も不足していた。

 並みの国家ならとっくに破綻し、反乱を招いて内部崩壊していただろう。

 それを紙一重のところで支えていたのが、悪魔の頭脳を持つと噂される、サリド王の手腕であった。


 アシッドだって、本国が綱渡りの状態で周辺国と戦っていることを知っている。

 だから、『交代させる』というジャミラの言葉も、話半分で受け取っていた。

 その場に居合わせた各部隊長にも、『決して兵たちに知らせるな』と厳命したほどである。


 誰だって国に帰りたい。

 ましてや、戦果を挙げることを禁じられた、無意味な作戦に半年も従事してきたのである。

 兵に下手な期待を抱かせ、それを裏切られた時の反発ほど、怖いものはなかった。


 だが、ジャミラは約束を守った。

 本当に一か月で、交代の部隊を差し向けたのだ。


 伝令カラスが脚につけていた伝文によると、交代部隊の指揮官はカマールという男だった。

 直接の面識はないが、アシッドも名前だけは知っていた。

 かなりの実績のある男で、アシッドよりもだいぶ年上のはずだった。


 本来ならば、千人長を務めていてもおかしくはないのに、いまだに百人長なのは、その性格に問題があるという噂である。


      *       *


「ふう、どうやら間に合ったか……」


 アシッドは折り畳みの簡易テーブルの上に、羽ペンを放り投げた。

 彼は根っからの武人であるから、こうした書類整理は苦手だった。


 戦闘報告は毎日の日誌があるから、そう苦労はしない。

 死者・行方不明者、それに負傷者のリストだって、すぐにまとめられた。

 厄介なのは、物資の報告書だった。


 現在のナフ軍では、作戦期間中に消費した武器や食糧、そして日用品にいたるまで、事細かな報告が求められていた。

 昔気質(かたぎ)の指揮官たちは

『それは戦士の仕事ではない! 卑しい商人のすることだ!!』

と憤ったが、これはサリド王の厳命である。


 王に言わせれば、『戦争は経済だ』ということらしい。


 これには現場の反発も多かったし、上層部の間でも理解している者は、ほんの一握りしかいなかった。

 そもそも、最高司令官のジャミラでさえ、『兄上がそう仰るのなら、間違いはない』という態度だったのだ。


 少し余談になるが、まだ十代だったサリド王が戴冠して、最初に行ったのは〝主計局〟の設立である。

 王は民間の商人の中から、これはと思う若者を採用し、物資の調達と兵站を任せたのだ。


『飯を食わねば兵は動かない。矢がなくては戦いは始まらない』

 それは、戦争の本質を突いた言葉である。

 サリドはそれが分かっていたからこそ、主計局を設けて、兵站の管理を一手に任せたのだ。

 戦いでは優秀でも、経済を理解しない指揮官に最初から教え込むより、その方が合理的である。


 残念ながら、アシッドは〝分かっていない〟指揮官のひとりであった。

 ただ、彼は職務に忠実な性格だったから、文句を垂れつつも、時間ぎりぎりで報告書をまとめ上げたのだ。


 周囲にわざと聞こえるような大げさな独り言に、側近の兵士は笑いを嚙み殺した。

 そして、上官の涙ぐましい努力をねぎらうため、熱いお茶を淹れて運んだのである。


 砂漠の民の嗜好品といえば、コーヒーを頭に浮かべることが多いが、実際に飲まれているのはお茶である。

 いわゆる紅茶であるが、北の諸国がお湯で淹れた澄んだお茶を好むのに対し、彼らはヤギの乳で煮出した濃厚な味を好む。

 しかも、南方では砂糖が安く手に入るので、〝これでもか〟とばかりに甘くするのだ。


 アシッドは部下が淹れてくれた甘くて熱いお茶を啜り、安堵の溜息をついた。

 交代の部隊が到着すれば、久しぶりに国に帰れる。

 いくら何でも、少しは休暇を貰えるだろうから、久しく会えていない妻や子どもたちの顔も見れるだろう。


 家を出る時、一番下の子どもは、ようやく意味のある単語を喋り始めた時期だった。

 今ごろは、片言でうるさく質問して、母親を悩ませているのだろう。


『俺の顔など、きっと覚えていないだろうな……』

 アシッドはそうつぶやいて、小さく笑った。


      *       *


「百人長、監視塔からの報告です!

 交代部隊と思しき集団が南方、およそ四キロを接近中とのことです」


 外から伝令兵が駆け込み、大声を張り上げた。

 テントは風を通すため、全部の壁が巻き上げられているから、ノックも何もない。


「やれやれ、ゆっくり茶も飲ませてもらえないのか」

 アシッドは苦笑して、まだ中身の入っているカップをテーブル置き、立ち上がった。

 交代の部隊到着となれば、現地指揮官として、それを出迎えるのが礼儀である。

 ゆっくりお茶を飲んでいていいわけがない。


 だが、そこで彼は小さな違和感に気づいた。

 指揮官である彼以上に、一般の兵たちは帰国を心待ちにしている。

 彼らにそれが伝えられたのは、たった二日前のことである。


 であれば、交代部隊の到着は待ちに待った朗報である。

 それなのに、伝令兵の声音には嬉しさではなく、不安の色が感じられたのだ。


「どうした、何かあったのか?」

 アシッドが訊ねたのは当然である。


「それが……人数がやけに多いのであります」

「交代するのはカマールの百人隊のはずだ。

 遠路だからな、物資を運ぶ人足が多いだけ……ではないのか?」


「いえ、そうだとしても多過ぎるのです。

 監視塔の話では、どう見ても千人隊の規模だと……」

 答える伝令の表情も、戸惑いを隠せないでいる。


「馬鹿な!」

 アシッドも顔色を変えた。


「四キロと言ったな? なら到着まで、あと三十分はあるだろう。

 とにかく、俺も物見に上がる!」


 アシッド百人隊の野営地は、以前よりもかなりオアシス側に移動していた。

 敵が専守防衛に徹していることは明白だったし、ジャミラの指示によって、無理はしない代わりに攻撃頻度が上がっていた。

 前進基地を敵に近づけるのは、当然の判断であった。


 だからといって、敵に無警戒であっていいはずがない。

 野営地には、高さ三メートルほどの櫓が組まれ、昼夜交代で周辺の監視を怠らなかった。

 三メートルというと大したことがないように思えるが、遮るもののない砂漠では、それで十分役に立ったのだ。


 アシッドは、その監視塔に駆け寄り、掛けられている梯子を登っていった。

 上にあがると、監視役の兵士が手すりを掴み、身を乗り出していた。

 彼らの視線を追うと、確かに人の塊りが遠くに小さく見える。

 アシッドも監視兵の横に並び、懐から出した単眼鏡を片目に当てた。


 北の先進諸国では量産され、軍の標準装備となっている単眼鏡だが、この南方ではまだまだ高級品だった。

 個人で所有しているのは中級将校以上で、一般兵が使えるのは、こうした監視業務に就いている場合に限られる。


 たかだか三倍程度の倍率なのだが、あるとないとでは大違いだ。

 特に、砂漠の民は視力がよいのでなおさらである。


 丸い視野に映ったのは、間違いなく味方の軍勢である。

 そして、『千人隊の規模』という報告も、そのとおりであった。


「妙だな……」

「はい、見たことのない陣形です」

 アシッドのつぶやきに監視兵も同意した。視線を動かさないのは、訓練の賜物である。


 普通に考えれば、アシッドの百人隊と交代するのだから、同規模の兵を派遣すればいい話だ。

 ただ、相手がオークに変わったという特殊事情から、増派された可能性はある。

 カマールが臨時の千人長を命じられるというのは、あり得る話だった。


 ただし、監視兵の言うとおり、行軍陣形が妙だった。

 単眼鏡で見たところ、千人隊の構成は、ラクダ騎兵と歩兵の混成部隊である。

 これは別に珍しいことではなく、ごく一般的な編成である。


 だが、アシッドたちに下された命令は敵の挑発と牽制、そして情報収集である。

 それには機動力のある騎兵が適しており、足の遅い歩兵を連れてきても、まったく意味をなさない。

 しかも、ここは本国から遠く離れた領域外だ。

 そんな北の僻地に徒歩の軍勢を派遣するなど、狂気の沙汰としか言えないだろう。


 そして、問題の陣形である。

 こうした混成部隊の場合、騎兵が先頭で露払いを務め、その後に歩兵の大集団が続き、物資を運ぶ輜重隊が殿軍しんがりとなるのが普通だ。

 ところが、こちらに向かってくる友軍は、その常道を踏み外していた。


 百騎ほどのラクダ騎兵がばらけ、歩兵集団の周りを囲んでいるのだ。

 まるで外からの攻撃に対して、警戒態勢を取っているかのようだった。

 しかし、ここは岩石砂漠のど真ん中である。戦場でもないのに、ナフの軍勢を襲撃する馬鹿が、どこにいるというのだ?


 アシッドは単眼鏡を覗いたまま、しばらく考え込んでいたが、やがてその努力を諦めた。

 余所よその部隊の考えなど、犬の餌にでもくれてやればいい。

 彼には部隊指揮官として、やるべき仕事がある。


 やってくるのが歩兵を含む千人隊なら、到着には一時間以上かかるだろう。

 アシッドは後を監視兵に任せ、塔を降りた。

 各部隊長を集めて状況を説明するとともに、対応の指示を出す。


 遠路はるばるやってきた味方のため、先任部隊としては総出で迎え、敬意を示すのが礼儀というものだ。

 こうなると、時間に余裕があるのがありがたい。

 兵たちには、ラクダの毛をきれいにかせ、装備の再点検をするよう命令が出された。


 かくして完璧な準備を整えた百人隊は、一時間後に宿営地南側に集合し、整列して友軍の到着を待った。

 交代部隊が今日到着することは、当然兵たちも知っている。

 それは、いよいよ帰国が実現する証拠であるから、言われなくても歓迎する気満々である。


 千人隊が到着したのは、それから二十分が過ぎたころだった。

 ずいぶんと足が遅いが、誰も気にする者はいなかった。

 アシッドの兵たちは、現れた部隊の異様な姿に驚き、それどころではなかったのだ。


 ラクダに乗る騎兵たちは、長旅の埃で薄汚れてはいたが、ごく当り前の友軍であった。

 問題は歩兵である。

 彼らの服装は、騎兵たちとは比べ物にならないほどに汚く、ぼろぼろであった。

 目には生気がなく、誰もが疲れ切った表情をしていた。


 千人隊の主力を占める、およそ七百人ほどの歩兵たちは、のろのろと足を引きずっている。靴の底が抜け、血まみれの指が見えている者も多い。

 それは、誇りあるナフ首長国の戦士ではなく、敗残兵の集まりにしか見えなかった。

 しかも、誰ひとりとして武器を持っていない、まったくの丸腰であった。


「こいつら……捕虜兵か!」

 先頭で待ち構えていたアシッドは、ようやく陣形の意味を理解した。


 歩兵を取り囲んでいた騎兵たちは、敵を警戒していたのではなかった。

 彼らは、捕虜が逃げ出さないよう、監視をしていたのである。

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― 新着の感想 ―
戦争は経済だ!とはまたえらく先進的な王様だな イスラム教も元々商人の宗教だったし、もしかすると交易を主産業とする砂漠の文化圏だとそういう思想が生まれる土壌もあったりするのかな……?
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