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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第九章 能力発現
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三十一 限界

 士官用建物の窓は、簡単な構造の蔀戸しとみどで、鉤状の金具に板を引っかけ、大きく開けられていた。

 初夏の爽やかな風とともに、オークたちの賑やかな笑い声が流れ込んでくる。


「外はずいぶんと楽しそうですね?」

 ウルンギと中佐の話が途切れたので、シルヴィアが微笑みながら間をつないだ。


『ああ、あれだけの肉が手に入ったんだ、当然だろう。

 俺たちオークにとっては、その日に食う物があるかどうか……それが一番の関心事だからな』

「でも、投石器スリングで食糧問題は解決したのですよね?」


『いや、解決にはほど遠いな。

 確かに獲物は増え、部族の人口は飛躍的に増えた。

 だが、それは同時に食糧需要の増大を意味する。〝いたちごっこ〟という奴だな。

 伯父貴殿が人間の真似をして、農耕に手を出したのも、そのせいだ』


 言われてみれば納得であり、それは人類がたどってきた道でもあった。

 食糧事情が好転すれば人口が増え、人口が増えればより多くの食糧が必要となる。

 狩猟と採取に頼る生活は簡単に限界を迎え、人は農耕と牧畜に生きるすべを見出した。


 農産物や畜産物は、人類に安定的な発展をもたらし、さらに人口は増大した。

 結局のところ、その繰り返しなのだ。

 食糧増産のためには、より多くの土地が必要となり、森は伐られていった。

 人間同士の縄張りが衝突し、争いが起きるのは自明であった。


『俺たちはこれまで、森の恵みに生かされてきた。

 だが、この繁栄が続けば、獲物は獲り尽くされ、畑が際限なく広がっていくだろう。

 俺たちオークは、いずれオークではなくなり、人間の一部族になり果てるに違いない……ってな。

 伯父貴殿は、よくそう言って笑っていた』


 ウルンギは皮肉な笑いを浮かべ、さらに続けた。

『だからと言って、目の前で飢えて死んでいく者を見過ごせるか?

 これは逆らうことのできない運命、〝この世界の意志〟なのだそうだ』


『ユニが村に遊びにくると、伯父貴殿と酒を呑みながら、いつもこの話になった。

 俺もたまに呼ばれて付き合ったことがあるが、正直に言うと話が難しすぎて、よく分からなかった。

 だが最近になって、少しずつ理解できるようになってきた』


 ウルンギは遠くを見るような目を、窓の方に向けた。

 シルヴィアたちがつられて外を見ると、ちょうど肉の詰まった桶を満載した荷車を、オークたちが数人がかりで押して通り過ぎていくのが見えた。


 ウルンギは我に返り、ばつが悪そうに頭を掻いた。

『いや、すまん。柄にもなく変なことを口走ってしまった。

 それにしても、あの荷車という奴は便利なものだな。

 俺たちは背負子しょいこで荷を運ぶしかないから、羨ましい限りだ』


「あれくらいは作れるのではないか?

 オークが牛馬を飼わないのは知っているが、森にも水牛がいるだろう?

 飼い馴らすのは、さほど難しくはないぞ」

 ヤコブ中佐が不思議そうに訊ねたが、ウルンギは笑って首を振った。


『確かに、荷車は作れるだろうな。

 だが、例え作っても村の中でしか使えないだろう? 何しろ、森の中には道がない』


 中佐とシルヴィアは、『ああ』という表情を浮かべた。

 言われてみれば、そのとおりである、

 荷車を作り、水牛に曳かせたとしても、道のない森の中ではどこにも行けない。


「だったら、道を作ればいいじゃないですか。

 森を切り拓くのは大変でしょうけど、人間の道具とオークの皆さんの力があれば、不可能ではないはずです」

 シルヴィアがわりと真面目な顔で訊ねたものだから、ウルンギは虚を突かれたようだった。


『無茶なことを言うな!

 そもそも道というのは、村と村をつなぐものだろう? 学のない俺でも、そのくらいは知っているぞ』


「だから、新しい村を作るんですよ!」


      *       *


『なっ……一体、何を言い出すんだ!?』

「まぁ、聞いてくださいってば!

 あたし、オークの村にいて思ったんですけど……」

 唖然とするウルンギをよそに、シルヴィアは自分の思いつきに勢い込む。


「今の村の人口って、八千人ですよね?

 あの村をこれ以上広げるのって、もう限界ですよ」

『い、いや、周りは森なんだから、いくらでも広げられるし、現に今だって拡張は続いているぞ?』


「土地の問題じゃありません。

 それこそ、さっきウルンギさんが話していたことですよ!

 それだけの人数を抱えていたら、必要な食糧だって膨大な量ですよね?

 それに応じた狩猟範囲も、どんどん広がっているはずです。

 遠い狩場に出かけるのも、そこから獲物を運んで帰るのも、もの凄い時間と労力が必要でしょう?」

『それは……そうだが』


「水の問題もそうです。

 今は村の近くを流れている小川に頼ってますけど、飲み水だけは、女の人たちが離れた湧水まで水を汲みに行っています。

 それに、きっとし尿の処理にだって困っていると思います」

『う……』


 ウルンギは言葉に詰まった。

 シルヴィアが指摘したことは、すべて図星だったのだ。


「だからこそ、ダウワース王がご健在なうちに新しい村を拓いて、何割かの村人が移住すべきです。

 そして、二つの村を結ぶ道路を整備すれば、いずれは水牛が曳く荷車が往復するようになるでしょう。

 もっと東に村があれば、少しは海と近くなりますから、製塩の遠征も楽になりますよ!」


「そして」

 シルヴィアはぐっと身を乗り出して、ウルンギの顔を覗き込んだ。

「それは、ウルンギさんが中心となって進めるべきです!」


 ウルンギは何も言えずに、口をぱくぱくとさせていた。

 横で通訳をしているアドは、それを面白そうに見ていた。


『……驚いたな』

 ようやく言葉を絞り出したウルンギは、軽く溜息をついた。

『まさかとは思うがその話、誰かから聞いた……なんて言わないだろうな?』


 シルヴィアはぶんぶんと首を横に振った。

「いえ、たった今、思いついたばかりですけど」


『だろうな』

 巨漢のオークは、もう一度深い溜息を吐き出した。


『実を言うとな、その新村建設の話は、もう二年も前から検討していたんだ』

「えっ?」


『それも、伯父貴殿と俺だけの、秘密の話だった。

 理由はシルヴィアの言うとおりだし、具体的な候補地も挙がっていた。

 今の村から五十キロほど東で、俺が数百人を率いて村を拓き、最終的には二千人が移住するという計画だった』

「じゃあ、どうして実行されていないんですか?」


『ちょっと考えれば分かる話だ。

 森の木を伐り、根を掘り起こして整地する。そして、二千人のオークが住めるだけの住居を作る。

 それがどれだけ大変な作業か、お前にだって想像がつくだろう?』

「それは、まぁ……」


『いくら数百人のオークが毎日働いたとしても、一年ではとても終わるまい。

 だが考えてもみろ。そのオークたちは、それまでは何をしていた?』

「ええと……男衆の仕事といえば、狩りでしょうか?」


『そうだ。それだけの人数が、一年以上村づくりに専念して狩りを休んだら、その分の埋め合わせは誰がする?

 そもそも、開拓組が喰う食糧は、誰が獲ってくるんだ?』

「あ……」


『俺たちの狩りの成功率は、極端に低かった。

 確かに投石器のおかげで率は改善したが、人口の増加に追い付くほどじゃない。

 俺たちの食事に、肉が出ることは稀なんだぞ?

 普段は狩りに出た連中が採ってくる木の実や山菜、虫の幼虫を喰っているのが現実だ。

 まぁ、最近は畑で穫れた芋があるから、だいぶましなんだがな』


 そう言われたシルヴィアは、彼らの村に滞在中の食事を思い出した。

 人間世界の料理よりは味気なかったが、毎回ちゃんと肉が使われていたし、虫が出たことなど一度もない。

 あれはオークなりに、人間に気遣って出していた、贅沢な献立に違いない。


『だが、このオアシスに来て事情は変わった。

 ここでは、大型の獲物が安定的に穫れる。村が手にする一か月分の肉が、一週間で手に入るんだ』


 ウルンギはヤコブ中佐の方に視線を移した。

『俺はしばらくの間、そうだな……一か月くらい様子を見て、ここの守りに問題がないと判断したら、村に戻ろうと思っている。

 食糧問題に目途がついた以上、伯父貴殿と相談して、早急に新村開拓にかからねばならんからだ。

 実際、もう俺たちの村は限界にきているんだ』


 彼は、やおら椅子から立ち上がり、どすんと腰を落とした。

 そして床板の上で胡坐あぐらをかき、両膝に手をついて、深々と頭を下げた。

 オークの正式な礼である。


『ヤコブ殿、国に帰られたら、赤龍帝閣下にどうか伝えていただきたい。

 俺たちオークは盟約を必ず守る。

 だが、俺たちがナフ国を追い払った暁には、オークがここに留まることを、どうか許してほしい。

 オアシスを利用する隊商の安全は、オークの名誉にかけて保証する。

 馬を狙う獣も、荷を狙う野盗の類も近づけず、すべて守ってみせる。

 だから後生だ。このオアシスを、俺たちの狩場として認めてくれ!』


 ヤコブ中佐も椅子から立ち上がると、ウルンギの腕を取って引き上げた。

「頭を上げてくだされ、ウルンギ殿。

 その要望は、必ず赤龍帝閣下に伝えよう。

 だが、このオアシスを含めた南部街道は我々のものではなく、言ってみれば、ルカ大公国との共同管理という形態をとっている。

 密林オーク族によって、恒久的にオアシスの安全が図られることは、両国にとっては願ってもないことだ。

 大公国との外交折衝は、どうか我々に任せてほしい。決して悪いようにはしないと約束する」


 相手を立たせた中佐は、改めて右手を差し出し、ウルンギはその手をがっしりと握った。

 オークの手は包み込むほど大きかったが、握り返してくる中佐の握力は、ウルンギが驚くくらいに強かった。


      *       *


『敵発見! 日の登る方向、まだかなり遠い!』


 監視用のやぐらの上から、見張りのオークが怒鳴った(オークは方角や距離の捉え方が大雑把である)。


 塹壕の中で寛いでいた戦士たちに緊張が走った。

 彼らは未明の襲撃に応戦したグループではなく、午後に交替した者たちで、敵との遭遇は初めてとなる。


 時はもう夕刻で、ラクダの解体も終わって、敵兵の遺体ともども残骸は埋められ、すっかり地ならしされていた。

 唯一その名残として、X字状に組まれた馬防柵の上に、剥がれたラクダの生皮が広げられ、天日干しされている。


『数はどれくらいだ!?』

 櫓に近い塹壕の中から、この場を指揮するオークが怒鳴り返した。


『遠くてまだ分からないが、多分……十はいないな!』

 上から降ってくる声に、指揮官は首を捻った。


『妙だな。襲うには少な過ぎねえか……?』

『ウルク、どうする?』


 ウルクと呼ばれた指揮官は、まだあどけなさを残した若いオークに応えた。

『すぐに全員に伝えろ!

 まだ距離はある。投石の準備は、相手を視認してからでも十分間に合う。

 各自落ち着いて、次の命令を待て!』


 伝令役の若いオークは、すぐに駆けだした。

 ちなみに、この伝令の若者は、選抜競技会でシルヴィアと友達になったゲルグの弟、ドガである。


 塹壕は数百メートルの長さがあり、しかもジグザグに折れ曲がっていて、オークたちは五メートル以上の間隔で散らばっていた。

 監視櫓からの警告が届いたのは、近くにいる数人だけである。


 塹壕の深さは一・五、六メートルほどで、その外側には土嚢が積まれている。

 身長が二メートル近いオークたちは、その上に頭が出るから視界には困らない。

 見張りからの警告が伝えられた以上、敵の接近を見逃すはずがなかった。


 オークたちは腰帯に挟んだ袋の中から手ごろな石を取り出し、投石器スリングの中央部にある幅広の革に挟んだ。

 塹壕の前に広がる岩石砂漠には、いくらでも弾になる石が転がっているが、彼らが袋に入れているのは、選び抜かれた特別の石だ。


『奴らのラクダを倒せば、また大量の肉が手に入る。

 俺のガキどもにも、きっと腹いっぱい食わせてやれるはずだ。

 頼んだぞ、〝首狩り丸〟!』

 ひとりのオークは、手にした愛用の石を掌で揉みながら、必中の祈りを込めた。

 それは、村の競技会で何度も的を撃ち抜いた、縁起のよい石である。


 塹壕の中では、オークの戦士たちがそれぞれの思いを石に託し、静かに敵の接近を待ち受けていた。


      *       *


 塹壕まで五百メートルほど近づいたところで、ジャミラはラクダを小高い丘に登らせた。

 砂漠の民の視力のよさは、世間でもよく知られていた。

 その視力をもってすれば、もう土嚢の上に飛び出している、オークたちの表情までも確認できた。


「なるほど、どんな化け物かと思ったが、牙と耳さえ除けば、人間とさほど変わらないな。

 ただし、どいつもこいつも不細工だ」

 ジャミラは嘲笑った。


 彼女を護るように周囲を固める男たちは、曖昧な笑みを浮かべただけで、何も言わなかった。

 ジャミラが逞しい男ではなく、線の細い美しい男を好むことは、彼ら全員が知っていたのだ。

 実際、彼女がそうした男を何人も囲っていることは、公然の秘密である。


 それは、彼女が王の直系だからこそ許される我儘である。

 そして、護衛を務める側近たちはよく知っていた。

 飼われている男たちは、ジャミラの旺盛な肉欲を満たすだけの〝玩具〟に過ぎないことを。


 ジャミラが真に求めるのは兄王サリドであり、彼女は兄の剣となることに、限りない悦びを感じているのだ。

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