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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第九章 能力発現
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二十八 御前会議

「それで、ジャミラ様はどこにいらっしゃるのだ!?」

 アシッド百人長は留守居役の兵士に訊ねた。


「はい、今は大テントでおくつろぎいただいています」

「そうか、それは好都合だな。カリム、各隊長に集合をかけろ!

 ジャミラ様の御前で会議を行う!!」


「はっ! いや、しかし……負け戦ですぞ。お怒りを買うのでは……?」

「馬鹿かお前は!? いずれはお耳に入れねばならんことだ、隠してどうする。

 とにかく急げ!!」


 アシッドは躊躇ためらう五十人長を怒鳴りつけた。

 そして、手近にいた十人長たちを引き連れ、大股でジャミラの待つ大テントへと向かった。


 テント入口の前には、槍を手にした二人の警備兵が立っていた。

 アシッドの部下ではないから、ジャミラが連れてきた護衛なのだろう。


「俺はここの百人隊を預かる百人長、アシッドだ。

 たった今、作戦から帰還したところだが、ジャミラ様がおでと聞いた。

 お目通りを願いたい」


「しばし待て」

 警備兵は表情を変えず、一枚布の扉越しに中へ声をかけた。


 少しの間を置いて、内側から別の兵士が顔を出した。

「ジャミラ様がお待ちだ。入れ」


 内側から扉が持ち上げられ、アシッドと隊長たちは中へ踏み入った。

 テントの床は分厚い帆布であるが、その上に絨毯が何枚も敷かれ、さらに丸い敷物がいくつも並んでいた。

 会議の際は、そこに各隊長が車座となって腰を下ろし、話し合うのだ。


 一番奥には拝礼するための祭壇が置かれ、その前が上座となる。

 そこは百人長の定位置であったが、代わりに妖艶な美女が、肘をついて横たわっていた。

 ジャミラである。それ以外にはあり得ない。


 アシッドは遠目でしか彼女を見たことがなかったから、噂以上の美しい顔となまめかしい姿態を目の当たりにして、思わず息を呑んだ。


 トーブと呼ばれる白い民族衣装(本来は男性用)に身を包んだジャミラは、入ってきた男たちに視線を向けると、上体を起こした。

 以前にも説明したが、ナフの女は家族以外に素顔を見せないのが常識である。

 髪と顔の下半分を、黒いスカーフのような布で覆うので、男性は目元だけでその美醜を想像するしかない。


 だが、ジャミラは黒く艶やかな髪を、自然のまま白い衣装の上に垂らしている。

 高く形のよい鼻と、ぽってりと厚い唇も、惜しげもなくさらしていた。


 鮮やかな紅をさした唇が開き、真珠のような白い歯がちらりと見えた。

「帰ったか。朝駆けとは大儀であったの」


 アシッドは背筋を伸ばし、開いた右手を左胸に当てる、忠誠を表す礼を取った。

 その拍子に、薄汚れたトーブから褐色の埃が舞い上がった。

 砂塵が舞う岩石砂漠の中を駆けてきたのだ、着替えている暇などなく、汚れているのは当然である。

 眩しいばかりに白いトーブに身を包んだジャミラとは、あまりに対照的であった。


「百人隊長、ムジャーヒド・アシッドであります!

 このような北の果てまで、ジャミラ様御自らお越しくださるのは、我が家名の誇りとするところ。

 しかしながら、ジャミラ様のねぎらいは、やいばとなって負け犬の身を切り刻みます。実に無念!」


 ジャミラは美しい眉を上げ、上目遣いで百人隊長を見上げた。

「ほう、まさかとは思うが、負けた……と申すのか?」


 アシッドの背筋に寒気が走った。


 ジャミラの性格が激しいことは、ナフの民なら誰でも知っている。

 彼女の半月刀シャムシールは、戦場で数え切れない敵の血を吸ってきた。

 それに比べれば微々たる数だが、失態を犯した部下の首を刎ねたことも少なくないのだ。


「お前の役目は、王国の連中の目をオアシスに引きつけることだ。

 無理をして無駄な犠牲を出すな……と言われてなかったか?

 それで、何人やられた?」

「十三人です」


「話にならんな!

 それで、なぜ貴様は平気な顔をして、私の前に立っていられるのだ?」

 凄みの利いた低い声が、アシッドの耳朶じだをべろりと舐めた気がした。


 だが、彼は真っ直ぐにジャミラの目を見詰め、傲然と胸を張った。

「私は卑怯者でも、臆病者でもありません!

 武人としての責任の取り方は、わきまえているつもりです。

 ですが、我々のほとんどが、まだ何が起きたのかを把握しておりません。

 それを明らかにせず、軽々しく自害するのは、指揮官としての責任を放棄する行為と心得てます!

 このタイミングでジャミラ様がいらしたのは、神の御心に違いなし!

 何卒、我らの話をお聞きください!!」


 片膝を立て、腰を浮かしかけていたジャミラは、大きな尻をどさりと敷物の上に落とした。

 白衣トーブの下で盛り上がる乳房が、はずみで大きく揺れる。


「何やら事情がありそうだな……。分かった、詳しく話せ!」

 

      *       *


 ジャミラを上座に戴いたまま、臨時の部隊長会議が始まった。

 まず、アシッドが今回の作戦の概要と、敗戦の経緯を、かいつまんでジャミラに説明した。


 前日のうちにオアシスの近くまで移動して夜を明かし、払暁を期して襲撃したこと。

 都から届いた新兵器を試すため、二つの十人隊が三十メートルまで敵に接近し、塹壕に射ち込む手筈であったこと……である。

 そこまで話したところで、アシッドが確認するように訊ねた。


「ジャミラ様は、新兵器のことをご存じでしょうか?

 先日、都から送られてきたばかりの、特殊な矢のことです。

 名前はついていなかったので、我々は〝毒火矢〟と勝手に呼んでいましたが」

「ああ、あれか。もちろん知っている。ここに送るよう命じたのは、この私だからな。

 数が十分に揃わなかったことは許してくれ。あれの製造は危険でな、何しろ手間がかかるのだ。さぞかし扱いづらかっただろう?」


「いえ。その代わりに、模擬矢はたくさん送っていただいたので、十分に訓練ができました」

「あれは北の帝国が、ケルトニア戦で使っているらしいので、試しに作らせてみたのだ。

 知ってのとおり、連中の戦いは最近、すっかり塹壕戦に様変わりしている。

 砂漠という開けた戦場では、十分な効果を発揮しないのだろうが、ここならばと思いついて送らせたのだ。

 ……そうか、さっそく使ったのだな。

 しかし、敵前三十メートルというのは、いくら何でも無謀ではないのか?」


「いえ、模擬矢による訓練の結果、毒火矢は先が重すぎて、飛距離が思うように出ないことが分かったのです」

「妙だな。あれは馬上弓でも、倍の六十は飛ばせるはずだぞ?」


「地面に立って、十分に引き絞れば――の話です。

 ラクダを走らせながらでは、そんな余裕はありません。

 命中率も落ちますから、確実に塹壕に射ち込むためには、それだけ近づかねば無理だと分かったのです。

 届いた毒火矢は、わずかに二十本。二つの十人隊の一射分ですから、必殺を期さねばなりません。ある程度の被害は、覚悟しておりました」

「うむ、全速で駆け抜けるラクダだ。いくら近距離でも、敵がこちらの騎手を狙い撃ちするのは難しかろう。

 図体の大きなラクダには当たるだろうが、よほどの急所でなければ、倒れはしまいな」


「ですが実際は、一番隊が一射もできずに全滅、それを見た二番隊は即座に離脱を図りましたが、追撃を受けて三人やられました。

 本隊である我々は、かなり離れて支援攻撃をしていましたから、攻撃の失敗を認識するのみで、何が起きたのか分からぬまま、逃げ帰るしかありませんでした」

 アシッドは言葉を切ると、唇をぎりっと噛んだ。

 食い破られて噴き出した血が顎を滴り、砂塵で薄汚れたトーガを汚した。


「なるほど、ここからが〝種明かし〟というわけだ。で、何があった?」

「はい。二番隊、クサイ十人長! 話せ!!」


 青白い顔をした、若い十人長が立ち上がった。

 そして、帰途アシッドに語った話を、始めから繰り返したのだった。


      *       *


 決死隊を壊滅させたのは、投石器スリングによる攻撃だったこと。

 敵塹壕で迎撃に当たったのは、二メートルもの巨体揃いの怪物だったこと。

 一番隊はそれに驚き、毒火矢を射るのが一瞬、遅れたものと思われること。

 そして、クサイは異形の怪物を、東の密林に棲むオークだと判断したこと。


 若き十人長が淡々と語った事実に、アシッドを除く全員が衝撃を受けた(もちろん、ジャミラもそのひとりである)。

 クサイはことの重要性を認識していた。

 そのため、指揮官であるアシッドに打ち明けたほかは、誰に何を訊かれても黙して答えずにいた。

 彼は自分の部下たちにも、許可が出るまで絶対に喋るなと厳命していた。


「自分が見たのは、神に誓ってこれですべてです! 御免!!」


 クサイはそう叫ぶと、腰に佩いた半月刀シャムシールを引き抜いた。

 手首を返して湾曲する片刃を首に向けた瞬間、ジャミラの手から小柄が飛び、彼の手の甲に深々と突き刺さった。


 「あっ!」という声を発し、クサイは思わず刀を取り落とした。

 慌てて拾おうと屈みこんだ背中に、ジャミラの叱声が浴びせられる。


「勝手に死ぬな、馬鹿者!

 クサイとやら、貴様は私が本国に連れ帰る。剣を収めてとっとと座れ!

 アシッド、お前も同じだ! 私の許可なく自害など許さんからな!

 まったく! まともな指揮官を育てるのに、どれだけ金と時間がかかると思っている? 馬鹿どもが!!」


 ジャミラはそう吐き捨てると、動揺している部隊長たちを睨みまわした。

「誰かクサイの手当をしてやれ。それと私の小柄を返せ!

 それは兄上からいただいた、大事なものなのだ。

 さあ、会議に戻るぞ!

 まず訊ねる。これまでの攻撃で、オークの姿を見た者はいるか?」


 誰も答えないのを見て、アシッドが口を開く。

「誰も見ていません。そんなことがあれば、とっくに報告しています」


「まぁ、そうだろうな」

 ジャミラがうなずいた。


「私の知る限り、大公国と王国を結ぶ街道にオークが出たのは、二十年近くも前の話だ。

 噂では、その時に王国とオークが協定を結んだらしい。

 オアシス防衛の負担に耐えかねた王国が、オークを引き入れたとすれば、話の辻妻が合う」


「し、しかし!」

 アシッドが声を上げる。


「オークといえば、人を喰らう怪物ですぞ!

 言葉も通じぬ蛮族が王国と通じるなど、とても信じられません!」

「何だ、貴様は知らんのか?

 密林オークの王は、流暢に人の言葉を操るという噂だぞ。

 大公国の商人の中には、奴らと交易をしている者もいるそうだ」


「まこと……ですか?」

 アシッドは呆然とした表情を浮かべたが、それは他の隊長たちも同じだった。


 当り前の話だが、砂漠にはオークが存在しない。

 だから、ナフ国の民にとって、オークはお伽噺に出てくる架空の怪物に等しかった。

 ただ、同じナサル首長国連邦でも、最北に位置するサキュラでは、少し事情が違っていた。


 彼らは対立するルカ大公国に隣接していたし、南部街道もその行動範囲に含まれていた。

 ジャミラが言ったように、二十年近く前までは、街道にオークが出没して隊商を襲う事件は、時々起きていたのだ。

 だから、当時のサキュラ国にとって、オークは遭遇する可能性がある脅威であった。


 サキュラと大公国は、対立しながらも裏ではちゃんと交流があり、それなりに情報も入ってくる(当然、間諜も入り込んでいる)。

 だから人語を解するという、オーク王の噂も伝わっていた。

 そのサキュラは、今では領土の大半をナフに奪われ、名前だけが存続する属国に落ちぶれていた。


 ジャミラは軍のトップとして、様々な情報を掌握しなければならない。

 当然、サキュラが持っていた、オークに関する知識にも通じていたのだ。


「シャヒード」

 ジャミラは入口近くで控えていた、自分の部下に声をかけた。

「水盆を持ってまいれ」


 シャヒードと呼ばれた男は無言で一礼し、テントの外へと出ていった。

 五分も経たないうちに戻ってきた彼は、木の盆を両手で捧げるようにして、ジャミラのもとに近づいていく。

 シャヒードは彼女の前で膝をつき、盆をそっと絨毯の上に置いた。


 アシッドをはじめ、車座となった隊長たちは、思わず身を乗り出して覗き込む。

 盆の直径は五十センチほどで、高さは三センチ程度とかなり薄い。

 外側は白木だが、内側には漆が塗られているらしく、真っ黒であった。

 見るからに上等の品だが、特に珍しいというわけでもない。


「誰か、水を持て」

 ジャミラの求めに、アシッドが傍らにあった水差しを渡す。

 受け取ったジャミラは、目の前の盆に水を注いだ。

 澄んだ水が盆に満たされると、彼女は水差しを脇に置いた。


 ジャミラの前でかしこまっていたシャヒードが、すかさず薄い布の包みを差し出した。

 彼女はそれを受け取ると、結んでいる紐を解き、布を開いた。

 中から現れたのは、十五センチほどの木の板である。


 ジャミラの白い指が、二枚重ねの薄い板を開き、間に挟まれていた札を一枚取り出した。

 彼女は周囲の者たちに見えるよう、摘んだ札を見せてくれた。


 札は紙ではなく、羊皮紙のようであったが、それよりも薄くて、淡い飴色をしていた。

 全体に不思議な模様が描かれ、ところどころに見たことのない小さな文字が、びっしりと書き込まれている。

 じっと見つめていると、どことなく不安になってくる、少し気味の悪い札であった。


「これが何か分かるか?」

 ジャミラが周囲の者たちを見回し、ひらひらと札を振ってみせる。

 アシッドはこのように不吉な札を初めて見る。他の隊長たちも同様であった。


 ややあって、五十人長のカリムが、自信なさげに手を挙げた。

「見るのは初めてですが、呪符……でありましょうか?」


「正解だ。母上の実家の呪術師から渡されたものでな。

 これから皆の者に、面白いものを見せてやろう」


 ジャミラはそう言って、少女のような悪戯っぽい笑みを浮かべた。

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