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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第九章 能力発現
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二十七 敗走

 ウルンギは戦士たちに向け、攻撃の号令を出そうと、大きく息を吸い込んだ。

 だが、その呼吸がぴたりと止まる。

 敵の動きに変化が表れたのだ。


 百騎近いラクダの群れから十騎ほどの集団が分離し、進路を変えてこちらに向かってくる。

 少し遅れて、もうひとつの集団が後に続いた。

 巡航速度で駆け抜けていく本隊と違い、二つの部隊は全速を出していた。


 ラクダはその気になれば、かなりの速度(馬とほぼ同じ)を出すことができる。

 その無理をいているということは、危険を覚悟した行動だということだ。


 二隊を援護する意図なのか、本隊からの矢の雨が激しくなる。

 それでも、オークたちは誰も怯まない。

 目を皿のように見開き、頭上で投石器スリングを回転させながら、敵の動きを追う。

 彼らは何も命じられなくても、目標を変えて待ち構えていた。


 接近してきた部隊は、三十メートルほど先に設置された馬防柵の手前で向きを変え、柵に沿って走り出した。

 このくらいの距離になれば、もう敵兵の表情もはっきりと分かる。

 それは相手も同様で、立ち上がって塹壕から顔を出しているオークたちを見て、明らかに動揺しているようであった。


 その逡巡が、彼らの命取りとなった。

 騎手たちは気を取り直し、一斉に弓を構えた。相手が人間であろうがなかろうが、この状況では攻撃以外の選択肢が存在しない。

 だが、その前にウルンギの号令が轟き、三十人余の戦士の頭上から、石礫が投擲された。


 オークたちは数千人の中から選ばれた、投石の名手である。

 いくら動いている目標とはいえ、この距離で外すはずがなかった。

 当たったというだけでなく、ほとんどがラクダの頭部に命中した。


 ラクダは馬よりも身体が大きく、毛皮も分厚い。

 そのため、矢を身体に受けても、容易には倒れないほど頑丈だった。

 しかし、勢いのついた岩石が頭部に直撃しては、ひとたまりもなかった。

 顎が砕かれ、目が潰れ、聴力を奪われたラクダたちは、悲鳴を上げて次々に倒れていった。


 ナフの騎手たちは、地上二メートルもの高さから、岩だらけの堅い地面に叩きつけられた。

 骨折で済めば運がいい方で、半数以上が頭を強打して即死するか、脳震盪を起こして昏倒した。ラクダの巨体の下敷きとなって、圧死した者もいた。


 遅れて続いてきた二番隊の指揮官(十人長)は、瞬時に判断を下した。

 彼はラクダの進路を急角度で変え、全速で馬防柵からの離脱を図った。

 オークたちがこれを許すはずがない。


 ただ、新たな石を装填して、十分な回転速度を与えるまでには、十数秒を要した。

 そのわずかな時間が、二番隊に味方をしてくれた。

 オークたちが第二射を放った時には、敵は背中を見せ、ぐんぐん距離を開いているところだった。


 狙いが不十分だったこともあり、石礫の多くがラクダの尻に当たり、逆に速度を上げる始末だった。

 その代わりに、いくつかの石は騎手を直撃した。


 ひとつは後頭部にまともに当たり、頭蓋を粉砕した。

 血と脳漿を撒き散らした兵士は、棒切れのように地面に落ち、後続のラクダに踏み潰されてぐちゃぐちゃになった。

 他にも二人の兵士が背中に石を受け、背骨と肋骨を砕かれてラクダから落ちた。


 オークたちが次の攻撃態勢を整えた時には、生き残った敵は百メートル以上離れており、本隊(彼らも逃走に移っていた)の後を追っていた。

 それでも投石器の有効射程内であったが、ウルンギは攻撃を止めさせた。

 これからも戦う敵に、最初から手の内を見せ過ぎるのは、得策でないと考えたのだ。


 ウルンギとヤコブ中佐は塹壕を出て、倒した敵兵のもとに向かった。

 キャミイとアドも後についていく。


 オークたちも塹壕から身を乗り出して、続々と外へ出ていった。

 彼らの表情は明るく、誇りに満ち溢れていた。

 オーク戦士団はひとりの負傷者も出さず、初戦は完勝であった。


 馬防柵の外側には、倒れたラクダと人間たちが、呻き声を上げてのたうち回っていた。

 オークたちは、まだ息のあるラクダの頭部に、振り上げた棍棒を振り下ろしてとどめを刺した。


 獲物を無駄に苦しめるのは、オークたちの趣味ではない。オークは粗暴に見えて、意外に慈悲深いのだ。

 ただし、この処置は人間に対しても公平に実施された。

 彼らは顔色ひとつ変えずに、ナフ国の兵の頭蓋を叩き潰して回った。


「ああ、ウルンギ殿。済まんが、元気そうな奴をひとり残してくれないか?

 捕虜にして尋問したいのだ」


 ヤコブ中佐は、目の前で行われる屠殺を止めようとはしなかった。

 捕虜はひとりで十分だ。重傷を負った敵兵を治療するのはよいとして、その先はどうなる? 敵に送り届けるのか? 本国まで連れ帰るのか?

 答えは自明であった。


『ラクダは話で聞いたことがあるが、見るのは初めてだ。

 これは食えるのか?』

「ああ、美味いぞ。特に背中のコブがあるだろう?

 あの中は脂が詰まっているのだが、これをあぶって食うと、口の中でとろける美味だ」

 中佐の説明に、ウルンギは思わず唾を呑み込んだ。


 十頭のラクダからは、千キロ以上の肉が採れる。大食漢揃いのオークたちでも食い尽くせる量ではない。

 これは、今夜のご馳走であると同時に、戦士団が村に送り出す、最初の贈り物となるだろう。


『敵兵の死体はどうする?』

「どう……とは?」

 中佐はウルンギの質問の意味が、よく分からなかった。


『いや、人間の肉はあまり美味くないと聞くが、食えないことはない。

 捨てるのはもったいないから、塩漬けにして村に送ろうかと……』

「いやいやいや、それはまずい!」


 中佐は慌てて手を振った。

 すっかり忘れていたが、オークにとっては人間も獲物の一種だったのだ。


「約束してほしいが、ここでは絶対に人間を食わないでくれ!

 オークの諸君がオアシスを防衛することは、往来する商人たちにも知らせなくてはならない。

 彼らはそう簡単に、異種族を信頼してくれないだろう。

 だが、商人たちとは共存してもらわないと困るのだ。

 襲ってくる敵兵を殺すことは一向にかまわんが、その死体は穴を掘って埋めるだけに留めてほしい」

『ああ、それはそうだろうな。配慮が足りなかった。済まん』


 二人の通訳を務めるキャミイとアドも、オークによる敵の〝処理〟を目の当たりにしていた。

 オークであるアドは、その凄惨な光景に平然としていた。


 キャミイも同様である。彼女はカーバンクルであるから、人間に対する特別な思い入れは持ち合わせていない。

 もし、この場にシルヴィアがいたら、多分ひと悶着が起きていただろう。

 彼女は『面倒なことにならなくてよかった』とさえ思っていた。


「それにしても、この部隊はなぜ、わざわざ近づいてきたのでしょう?」

 キャミイは素朴な疑問を中佐にぶつけてみた。


「それは捕虜を尋問すれば分かるだろうが、何らかの目的があったことは間違いないだろうな。

 ……ん? 何だ、これは」


 ヤコブ中佐は、地面に転がっている矢を拾い上げた。

 矢の先端、やじりに当たる部分に、陶器の円筒がついている。

 通信用の矢文を入れる金属管と少し似ているが、それよりはだいぶ大きい。

 よく見ると、地面のあちこちに同じ矢が転がっていた。


 中佐は敵の死体の傍らに屈みこみ、腰の矢筒を調べてみた。

 中に入っている十数本の矢は、すべて通常の鏃がついている。

 彼は辺りを歩き回り、転がっている同じような矢を拾い集めた。


 見つかったのは全部で十本。ということは、敵は最初の攻撃だけ、この特殊な矢を使おうとしていたことになる。

 中佐は改めて矢を観察してみた。

 素焼きの陶器は、そこそこの重さがあった。

 肉厚で頑丈な感じがするから、地面に落ちた衝撃程度では割れなかったのだろう。


 この中に何が入っているか、気になるところである。

 ヤコブ中佐は一本の矢を手に残し、残りはキャミイに預けた。

 そして、敵兵の弓を拾って、少し離れた岩に向けて引き絞り、その矢を放ってみた。


 矢が岩に当たると、乾いた音がして陶器が割れ、同時に激しい炎が上がった。

 岩が燃えるはずがないから、円筒の中身が燃えているのだろう。

 割れた衝撃だけで発火するということは、新手の火矢かもしれない。


 炎と一緒に、大量の黒い煙も吹き出していた。

 それを見ていたウルンギが、突然怒鳴った。


『毒だ! 煙を吸い込むな! 風上に回り込め!!』

 彼はアドを脇に抱えると、煙の流れてこない風上へと連れ出した。

 中佐とキャミイもそれに続く。


 周囲には刺激のある、特徴的な臭気が漂った。

 これは硫黄の臭いだ。


 硫黄と燐を混ぜて練ったものは、摩擦だけで着火する性質から、付け木として一般でも利用されている。

 ただ、発火の危険も高い上に、有毒な煙が出るので、使用量の制限と慎重な扱いが必要だった。


 この円筒の中には、硫黄と燐だけでなく、さらに何かが混ぜられているようだった。

 その証拠に、うっかり煙を吸ってしまったオークたちは、目から涙を流し、酷い咳に襲われていた。


「なるほど、これを塹壕に射ち込むつもりだったのか……」


 ナフの兵士たちが、この特殊な矢を一本ずつしか持っていなかったのは、恐らくまだ量産されていない実験兵器なのだろう。


 中佐は知らなかったが、同じような兵器は帝国がすでに実用化しており、対ケルトニアの前線で使用されていた。

 それは塹壕に対しても効果を発揮したが、それよりも一般兵士が魔導士に対抗するための兵器として、切り札的に使われていた。

 その情報が伝わったのかどうか、いずれにしろナフ国が独自に開発したものなのだろう。


「我々は運がよかったな。

 こんなものが使われていたら、死体となって転がっているのは、こちら側だったかもしれんぞ……」


 ヤコブ中佐は、自戒するようにつぶやいた。


      *       *


 新兵器を託された二つの十人隊。

 そのうち一番隊の十人は、オークたちの投石によって全滅し、間一髪で難を逃れた二番隊も、追撃で三人を失った。


 ナフ国がオアシスの襲撃を始めてから四か月、その間に出した死者と捕虜を、たった一度の戦闘で上回ったことになる。


 二番隊が退却する本隊に追いついたのは、オアシスから数キロ離れてからだった。

 彼らが合流してくると、すぐに指揮官であるアシッドが近づいてきた。


「何があった!? なぜ、一番隊はやられたのだ?」


 百人長は、鬼のような表情で問い詰めてきた。

 二番隊を率いるクサイ十人長が、青ざめた表情で睨み返した。


投石器スリングです!

 近距離からの集中攻撃で、ラクダが倒されました!!」


「投石だと?」

 アシッドは〝信じられない〟といった表情で、目を丸くした。


「王国軍が投石器を使うなんて話、今まで聞いたことがないぞ!

 それこそ、百年以上前に廃れた兵器だ。

 なぜ、そんなものを持ち出してくる?

 というか、あれはそんなに命中率がいいのか!?」


 次々に質問を重ねてくるアシッドに、クサイは腹を立てた。

「そんなこと、俺が知るわけないでしょう!

 知りたいなら、敵に訊きに行ってください!!

 そんなことより、もっと重大な報告があります!」


「これ以上、まだ何か……あるのか?」

「ありますとも!

 投石器を使った連中、王国軍ではありませんでした!

 いや、そもそも人間ですらなかったのです!!」

「クサイ十人長、お前……何を言っているのだ?

 恐怖で錯乱したのか?」


「俺は見たままのことを言っています!」

 クサイは怒鳴り続けた。


「塹壕の敵は三十人以上、肩から上がはっきりと視認できました!

 これまでの王国軍だったら、土嚢の上に出るのは、せいぜいが鉄兜だったはずです。

 どういうことか分かりますか?

 敵の全員、身長が二メートルあるってことですよ!!」


 十人長は咳き込み、裏返った声でなおもわめき続けた。

「奴らは醜く、下唇からは牙が伸びていました!

 耳がブタのように大きくて、だらんと垂れていたのです!

 あれは人間じゃない!!

 俺が思うに、連中は東の森に棲んでいるという、オークに違いありません!!」


 百人長は部下の訴えに、返す言葉が思いつかなかった。

「ま、待て! とにかく少し落ち着くのだ!

 今の話は、野営地に帰ってからゆっくり聞こう。

 他の部隊長たちと情報を共有し、意見も聞かなければなるまい。

 とにかく、先を急ごう!」


 アシッドの説得は、問題の先送りに過ぎなかった。

 クサイの報告は、あまりに現実離れしていて、自分の中で消化しきれなかったのだ。

 だが、十人長は若いが有能な指揮官である。二番隊に抜擢されたことが、それを物語っている。


 であるならば、アシッドは彼の報告を咀嚼し、現実的な解釈を加えなくてはならない。

 そのための時間が欲しかった。

 アシッドはクサイをその場に残し、隊の先頭へと戻った。

 とにかく、野営地へ帰りたかったのだ。


 百人隊が野営地にたどり着いたのは、まだ朝のうち、八時過ぎのことだった。

 各隊長は、酷使したラクダたちに水と餌を与え、休ませるよう兵に指示を出した。

 彼らが遅い朝食にありつくのは、その後の話である。


 野営地の入口で、部隊がごった返していると、部隊の帰還に気づいた留守番役の傷痍兵が出てきた。

 松葉杖を脇に挟んだ男は、百人長を見つけると、足をもつれさせながら駆け寄ってきた。


「アシッド百人長! 先ほど、ジャミラ様がお着きになりました!

 今はテントでお休みいただいております。

 お早く! お早くお出でください!!」

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― 新着の感想 ―
ギリシアの火ってヤツかな? 塹壕戦に毒ガスは定番だよねー
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