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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第九章 能力発現
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二十五 狩り

 翌朝の夜明け前、ウルンギが泊っている兵舎の扉を、そっとノックする者がいた。

 待っていたようにすぐさま扉が開き、ウルンギの巨体が姿を現した。


『おや、起きていたんですね?』

 手にした携帯ランプに照らされた顔は、キャミイのものであった。


『当り前だ。こちらの方から案内を頼んだのだ。

 寝過ごすような恥をかくわけにはいかん』


 キャミイは軽く溜息をついた。

『ああ、その言葉、シルヴィアに聞かせてあげたいですね。

 一応、起こしてはみたんですが、梃子てこでも布団から出ようとしませんでした』

『まぁ、若い娘など、そんなもんだ。

 お前は平気なのか?』


『私は本来、眠る必要がないんです。

 お昼寝は大好きですけどね』

『そうか、お前は人間ではなかったのだな……。

 頭では分かっていても、こうして普通に話していると、時々信じられなくなる』


「二人とも、そろそろ出かけるぞ」

 暗闇の中から声がした。

 キャミイがランプをかざすと、ヤコブ中佐の姿がぼおっと浮かび上がる。


『ヤコブ殿が自ら案内せずとも、誰か部下に任せればよかったのではないか?』


 ウルンギは中佐の横に並び、人間の歩幅に合わせて歩き出した。

 キャミイが二人の先に立ち、ランプで足元を照らしながら通訳を行った。


「それを言うなら、ウルンギ殿だってそうだろう?

 恥ずかしながら、私はオークのことをよく知らないのだ。

 あなた方が何を考え、どう振舞うのか、できるだけ知りたい。この目で見たい。

 私はよい指揮官であろうと、自分を律しているつもりだ。

 こんな大事なことを部下に任せるなど、無能のすることだと思わないかね?」


『なるほど、これは一本取られたな。

 俺もこのオアシスがどれほどの狩場なのか、この目で見たいと思っている。

 なにしろ、俺はよい戦士であろうと、日々努力しているからな』

 中佐とウルンギは、顔を見合わせて笑い合った。


 二十分ほど水辺を歩いていくと、まだ日は登らぬものの、周囲は薄っすらと明るくなってきた。

 もう兵舎からは遠く離れ、辺りには背の高い葦が風に揺れている。


 中佐はキャミイに明かりを消すよう命じた。

 ウルンギは指を唾で湿らせて、風向きを確かめる。

『うまい具合に風下だな。

 俺たちオークも鼻は利くが、動物はそれ以上に敏感だ。

 だから、風下を取らなければ、まず狩りは成功しない。

 ヤコブ殿も、さぞ臭くて不快であろうな?』


 少し情けない顔をするウルンギの腰を、中佐は肘で突いた。

「案じることはありませんぞ。

 我らは軍人です。臭いことではオークに遅れを取らぬつもりです。

 それより、そろそろ目的地です」


 ヤコブ中佐は二人をその場に残し、葦原を掻き分けて、ヤナギの木の陰に進んだ。

 そして、手招きで二人を呼び寄せる。

 木に隠れてそっと顔を出すと、ウルンギは思わず声を洩らしそうになり、慌てて口を押さえた。


 葦原は数メートル先で途切れ、そこからは緑の草原が広がっていた。

 そして、水辺には百頭を超す羚羊アンテロープの群れが集まっており、水を飲んだり、草をんだりして、のんびりとくつろいでいた。

 ここは砂漠の動物たちが水場として利用している場所で、彼らが踏みつけ、若葉を食い尽くすことで、樹木や葦の進出を防いでいるのだろう。


『これは……天の楽園なのか?』

 ウルンギが掠れた声で呻いた。


 森の中にも群れで行動する動物は多い。

 だが、これほどの数の獲物が無防備な姿を晒している光景は、生まれてこの方、見たことがなかったのだ。


 水場の周囲には、捕食者が身を隠すような茂みが存在しないから、近づこうものなら、あっという間に見つかる。

 だからこそ、羚羊たちは安心して水と餌を補給できる。

 ここに砂漠の動物たちが集まるのは、自然の節理であった。


「ご覧のとおり、ここから先には進めません。

 一番近い獲物まで、およそ八十メートルはあるでしょう。

 この距離で正確に狙うのは、よほどの弓の名手でも難しいのです。

 チャンスは一度だけ。逃げられると、彼らはなかなか戻ってきません」


 中佐はそう説明すると、ウルンギに挑むような視線を向けた。

「どうですか? オークはあの獲物を、一撃で仕留められますか?」


 キャミイが通訳をしたが、ウルンギは何も答えずに、黙って腰に挟んでいた投石器スリングを抜き取った。

 同じく腰に下げた革袋から、弾となる石を掴むと、人間たちから二、三歩離れた。


 石を投石器の中央部に挟むと、身体の横で回し始める。

 勢いがついたところで腕が上がり、頭上で回転速度がさらに増す。

 ひゅんひゅんという、鋭い風切り音が響くが、この距離では羚羊に気づかれない。


 キャミイと中佐が息を呑んで見つめるうちに、ウルンギは手に握り込んだ革紐の端を放した。

 薄明の中を石が飛び出し、羚羊の群れに吸い込まれていった。


 〝キイッ!〟

 悲鳴を残して、一頭の若い羚羊がどうと倒れ、群れは一斉に逃げ出した。


「お見事!」

 中佐の賞賛を背に受けて、ウルンギは倒した獲物の方へ、急ぎ足で向かった。

 キャミイたちもその後を追う。


 羚羊は頭蓋を粉砕され、一撃でこと切れたようだった。

 立派な角を生やしているが、身体は成獣の半分ほどしかない。

 それでも六、七十キロはあるだろう。


 ウルンギは、それを軽々と肩に担ぎ上げた。

 そして、少しホッとしたような表情で、子どものような笑顔を見せた。


「昨夜のお返しだ。この肉は、ヤコブ殿の部下に振舞ってほしい。

 もちろん、解体は慣れている我々でやるし、内臓はありがたくいただく。

 その代わり、昨日のソースがまだ残っていたら、少し分けてほしい。

 あれは絶品だったからな!」


 帰りの道すがら、ウルンギは自分の考えを語った。


 毎日では獲物が警戒して近づかなくなるから、狩りは週に一、二度に留めるべきだろう。

 腕のいい者を集めれば、一度の狩りで三、四頭は倒せるはずだ。

 村からは週に二度、食糧・物資の補給が来ることになっているから、塩漬けにした肉を送ろうと思う。

 ただ、問題は村側がまだこの情報を知らないこと、そして塩の入手である。


 これに対しては、今日のうちにキャミイとシルヴィアが飛んで、ダウワース王に伝えることを約束した。

 オークにとって保存のきく塩蔵肉は、貴重な食糧である。


 それを大量に、しかも定期的に運搬・消費する必要がなくなり、逆にオアシスから受け取れるのだ。

 これは戦士団にとって、最初の輝かしい成果である。即座に知らせるべきだった。


 塩の問題については、ヤコブ中佐が提供を請け負ってくれた。

 当面は部隊の在庫で十分間に合うし、後は街道を往来する商人に頼めばいいだけの話である。

 王国第三軍が相手では、大公国の商人も値段をふっかけることはできないから、安価に大量の塩が手に入るはずだった。


 懸念していた問題が瞬時に解決されたことを、ウルンギは率直に感謝した。

 そして、不思議そうに訊ねたのである。


『それにしても、シルヴィアはなぜこのことを、交渉条件として使わなかったのだ?』


 政治的なことはさっぱり分からないキャミイは、首をかしげた。

『そうですねぇ……、きっと戦士団の皆さんを、驚かせようと思ったんじゃないですか?

 サプライズってやつですよ、うん!』


 これを聞いたヤコブ中佐は、思わず吹き出した。

「それ違うぞ、キャミイ准尉。

 我々は人間が賢いとうぬれているが、〝食の確保〟という生きる上での大命題に思いが及ばない、間抜けだったのだ。

 この歳になってひとつ賢くなれた。ウルンギ殿に感謝だな」


      *       *


 オアシスの湖水は、湧水によって維持されている。

 その水源は、言うまでもなく東部に広がる広大な南部密林である。

 雨の多い密林では、スポンジのような腐葉土に染み込んだ雨水が、地下水となって周辺に流れ出している。


 オアシスの近くには断層があり、地下水の流れが堰き止められて、行き場をなくして湧き出しているのだ。

 人間や動物たちは、主として飲み水として、この清浄な水を利用しているが、湧水量はそれを上回る。

 その差が大きければ、川となって流れ出すのだが、ここの場合はそれほどでもない。


 溢れた水は湖水周辺の地面に吸い込まれ、一定の範囲に植物を育む程度であった。

 だから、水辺から一キロも離れると、砂漠に出現した緑の楽園は唐突に終わる。

 そこから先は、荒涼としたハラル海――果てしない岩石砂漠であった。


 第三軍の派遣部隊は、オアシス東部の緑地限界に防衛線を敷いていた。

 数百メートルに及ぶ塹壕を掘り、要所に監視塔(高さ五メートルほど)を建てて、ナフ国の襲撃に備えていた。


 敵が襲ってくる頻度は、平均すると週に一回程度である。

 百名ほどの騎馬部隊(実際に乗っているのはラクダ)で急襲し、馬上から矢を射かけてくる。

 守備側の第三軍は、三交代で守備についているから、三十人余りでこれに応戦する。


 塹壕に身を隠し、積み上げた土嚢の隙間から反撃するから、数的には不利でも、ほとんど被害を受けることがない。

 むしろ、身を隠せない砂漠を走ってくるナフ側の方が、多くの損害を出していた。


 もちろん敵も馬鹿ではないから、さまざまに工夫を凝らしてくる。

 彼らのやじりには、例外なく毒が塗られていたし、丸太で組んだ監視塔は、焼き討ちのよい標的であった。


 オークとの持ち場交代は、特に問題なく終了した。

 塹壕は幅が二メートル以上、深さも一・五メートルはあるから、オークが入っても余裕があった。

 人間の場合は三交代制であったが、オークたちは二交代でよいと言った。


 ヤコブ中佐は戦士たちの疲労を心配したが、ウルンギはそれを笑い飛ばした。

 オークたちはあり余る体力を誇り、同時に我慢強かった。

 一度狩りに出ると、長時間の待ち伏せは当たり前だったし、水さえあれば空腹にも耐えられた。


 そもそも戦士団の人数は六十余名だから、二交代にしないと人数が足りないのだ。

 塹壕の中は、オアシスから広がる水が染み出して、常に湿っていた。

 そこに籠る兵士にとっては、呪詛の対象である。


 しかし、オークたちにとって、そんな環境は森で慣れっこである。

 むしろ、雲霞のように襲ってくる吸血虫がいないし、座って休むことのできる塹壕は快適ですらあった。


 オークたちと持ち場を交代した第三軍は、すぐには撤収せず、一週間様子を見ることになった。

 撤収後には、数人の連絡要員を残すことで、オークたちとも話がついていた。

 シルヴィアとキャミイも、フェイを村から回収し、赤城市に帰還する予定になっている。


 そうなると、人間の連絡要員とオークたちとの意思疎通が心配だったが、密林側からキャミイに代わる通訳が、派遣される約束であった。

 それはダウワース王の孫(次女の娘)で、アドという十二歳の女の子だという。


 ウルンギたちが狩りから帰ると、朝食を済ませたシルヴィアが密林に向かって飛び、ダウワース王に食糧事情の激変が伝えられた。

 報告を聞いた王は大いに喜び、出発する準備を済ませていた輸送部隊は、大慌てで編成を変えることになった。


 輸送部隊に同行する予定であったアドは、シルヴィアがカー君に乗せてオアシスまで運ぶことにした。

 まだ成人前の娘に森を踏破させるのは、あまりに忍びなかったのだ。


 紹介されたアドは快活な少女で、どこかジャヤに似た面影があった。

 人間の言葉は流暢とまでは言えないが、日常会話程度であれば、十分役目を果たせそうだった。


 フェイはまだ髪を振り乱し、患者の対応に当たっていた。

 シルヴィアは四日後に迎えに来ることを約束し、アドを連れてオアシスに戻った。


 守備交代を済ませても、ヤコブ中佐がなお一週間、現地に留まることにしたのは、その間にナフ国の襲撃があると踏んでいたからである。

 前回の襲撃からは二週間が経過していて、もういつ襲ってきてもおかしくなかったのだ。


 そして、オーク戦士団到着から四日後、中佐の予想は的中することとなった。


      *       *


 ナフ国の襲撃は、夜明けや夕暮れ時が多かった。

 もちろん真昼間に襲ってくることもあるし、稀だが夜襲を仕掛けたこともある。

 やってくる方向も、北からもあれば、南側を狙う時もある。


 第三軍の兵士たちにしてみれば、

『好き勝手な時に襲ってきやがって、奴らは気楽でいい』

と文句も言いたくなる。

 自分たちは二十四時間、あらゆる方向を警戒しなければならず、神経をすり減らしているのだ。


 だが、ナフ国側だって、思いつきで行動しているわけではない。

 襲撃間隔や方向を毎回変え、相手に楽をさせないのが、そもそもの目的だからだ。


 この日、アシッド百人隊の野営地で行われた幹部会議も、次の襲撃に向けた手筈の最終確認だった。


 百人隊というのは、王国側でいえば大隊に当たる。

 二つの五十人隊と、その配下として五つの十人隊で構成されている。

 その各隊長が、大テントに集まっていたのだ。


「予定どおり、本日午後三時をもってここを離れる。

 集結地点への到着は六時、出発は未明の三時だから、兵たちは一時間前に起こせ。

 暗いうちは徒歩でラクダを引き、明るくなってきたら騎乗だ。

 突撃のタイミングは、俺が出す」


 会議のまとめとして、アシッド百人長が念を押した。

 いつもと変わらぬ作戦だが、各隊長の表情に緩みは見えなかった。


「今回は間が開いたから、王国の連中はじりじりして待ち構えているはずだ。

 軽くひと当てしたら、あっさりと退くことを部下に徹底させろ。

 こちら側に犠牲を出さないことこそ肝要だ。分かったな?」


 百人長の訓示に、各隊長は「応!」と声を揃えた。

 あとは『解散』と告げれば、会議は終わるはずであった。


 ところが、百人長の言葉を遮るように、大テント入口の幕が上げられ、衛兵が「百人長殿」と声をかけてきた。

「何事だ? 会議中だぞ!」


 アシッドが顔をしかめてなじる。

 衛兵は少し困ったように答えた。


「申し訳ございません。

 ですが、都から伝令ガラスが到着したそうです」


 百人長はぐっと息を呑んだ。

「カラスが? ……仕方ない、通せ!」

 すぐに兵士が入ってきた。その肩には、黒いカラスを乗せている。


 伝令ガラスとは、サラーム教諸国で使われる、遠距離伝達手段である。

 呪術師によって行動を支配されたカラスを、伝書鳩代わりにするのだ。

 ハトとは違い、カラスの利点は直接言葉で伝えられることだった。


 カラスは頭がよく器用なので、人間の言葉を真似することができる。

 呪符の裏に短い文章を記入し、それをカラスに押しつけることで、伝言を覚えさせるのだ。

 非常に便利なのだが、呪術師の協力が必要なので経費がかかる(彼らはがめつかった)。

 そのため、利用は緊急時に限られていた。


 カラスは百人長の前に連れてこられた。

 アシッドが「話せ」と命じると、カラスはしゃがれ声でわめいた。


「ジャミラサマ、クル! フツカゴ!」


 アシッドの顔色が変わった。各隊長も互いに顔を見合わせ、ざわついている。

「何だと? もう一度言ってみろ!」


 カラスの答えは、ほぼ同じだった。

「ジャミラサマ、フツカゴ、クル!」

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