二十四 オアシス
『この人間たちは、一体何をしているのだ?』
ウルンギは縋るような表情で訊ねた。
この場で頼れる人間は、オーク語を理解してくれるキャミイしかいない。
キャミイはきょとんとして答える。
『何って……あなた方、オーク戦士団を歓迎しているに決まっているじゃないですか』
『俺たちのために?』
『こちらから協力を要請して、それにあなた方は応えてくれた。
礼を尽くすのは、当然ですよ』
『だが、俺たちはオークだぞ?』
『だから?』
直球で訊ねてくるキャミイに、ウルンギは言葉に詰まってしまった。
* *
ウルンギが人間を見るのは初めてではない。
大公国の商人との取引では、ダウワース王が直接折衝に当たっていた。
当然、戦士団から数名の護衛がつくのだが、ウルンギはその常連であった。
王の会話に口を挟むことなど許されないから、彼は黙って見守るだけである。
だが、話の内容は分からなくても、商人たちの表情や口ぶりで分かる。
表面的には慇懃な態度を示しつつも、人間たちは王であるダウワースを見下していた。
若いウルンギは、ある日の商談の帰り道、我慢できずに王に詰め寄ったことがある。
『伯父貴殿はなぜ、人間どもの舐めくさった態度を許すのだ?』
だが、ダウワースは笑うだけであった。
『ウルンギよ、お前は三歳の子どもに喧嘩を売られたら……買うか?』
『馬鹿にせんでください。
そんなことで腹を立てたら、俺の方が大人げないと笑われます』
王はうなずいた。
『そういうことだ。
いくら相手に嘲られようと、自分の方が圧倒的に強いと分かっていれば、腹は立つまい?』
ダウワースはウルンギを諭すように、嚙み砕いて説明してくれた。
『確かに人間たちは、オークを未開な蛮族として蔑んでいる。
彼らはこの世界の支配者だ。その気になれば、オークを根絶やしにするのも容易であろう。
それならば、もっと余裕があってよいはずだ。それこそ、三歳の幼児を相手にするようにな。
だが実際には、人間はオークを毛嫌いしている。なぜだか分かるか?』
ウルンギは首を横に振った。
『俺には……さっぱり分かりません』
『人間は、我々オークが怖いんだよ。
彼らが種族としてどんなに優れていても、一対一では絶対にオークに敵わないことを知っている。
だから実際に対峙すると、本能的な恐怖で身が竦んでしまうのだ。
人間がオークを嫌悪し見下すのは、どうしようもない恐怖を隠すためだ。
あの商人たちは、少なくとも表向きは、その感情を出すまいと努力している。
それなのに腹を立てては、あまりに可哀そうではないか?』
* *
人間がオークを見下していることは、ウルンギに限らず、一族全体の共通認識であった。
目の前に整列する人間の兵士が、自分たちに礼を尽くし、歓迎しているというキャミイの説明は、すぐさまオークたちに伝えられていった。
そして、ようやくオークたちの混乱は収まったのである。
そうこうしているうちに、人間側から騎馬の一団が近づいてきた。
先頭の男はウルンギの少し手前で止まると、馬を降りて歩み寄った。
部隊長の中尉である。
彼はウルンギの目の前で気をつけの姿勢を取ると、きびきびとした敬礼を行った。
「自分はリスト王国第三軍、オアシス防衛大隊第二中隊長、ウォルター・オズボーン中尉であります。
密林オーク族随一の戦士と名高いウルンギ・ハイエ・ドール殿、並びに戦士団の皆さんをお迎えできることは、我が中隊の誉れとするところ。
この先オアシスの駐屯地までは、我々が責任を持ってご案内させていただきます」
そして、中尉は白い手袋を取り、右手を差し出した。
キャミイはウルンギに寄り添い、中尉の言葉を逐一通訳した上で、説明を加えた。
『手を握り合うのは、友好の情を示す人間の挨拶です。
中尉の手を握り返してください』
ウルンギは微かにうなずき、差し出された手を握った。
『いかにも俺はウルンギだ。
オークには軍隊がないから階級はないが、この戦士団の指揮を任されている。
このように盛大な歓迎をしてもらったことには、残念だがうまい感謝の言葉が浮かばない。
どうか、未開な蛮族だと嗤ってくれ』
オズボーン中尉は白い歯を見せて笑った。
「そのように卑下されては困ります。
さあ、どうかこの先の赤い絨毯を進まれ、私の部下たちを閲兵してください」
キャミイがすかさず通訳するが、閲兵という言葉はオーク語にはない。
『ええと、つまり人間の兵士たちの態度に失礼がないか、点検するっていうことですね。
まぁ、これも歓迎の儀式で、皆さんはただ、絨毯の上を行進するだけでいいです』
オズボーン中尉の態度は友好的で、心からオークたちを歓迎しているように見えた。
整列したまま微動だにしない部下たちの表情にも、侮蔑の影は一切見られなかった。
(この辺は、事前にヤコブ中佐から強い指導があったので、見事に徹底されていた。)
ウルンギはうなずいて、振り向きざまに怒鳴った。
『よぉし、お前たち!
俺の後を二列になってついてこい!!』
だがその瞬間、ウルンギは部下たちの何とも言えない表情に気づいた。
みな一様に肩を落とし、俯いているのだ。
人間たちが敬意をもって歓迎しているのだから、ここは喜ぶべき場面である。
ウルンギは手近にいた部下の肩を掴んで揺すぶった。
彼はドモンという名で、人間の軍でいえば小隊長を務める、信頼できる男であった。
『おい、何をしょぼくれている!
キャミイの話が聞こえなかったのか?
俺たちは、これから〝閲兵〟ってやつをやらなきゃならないんだぞ!?』
揺さぶられたドモンは、背けていた目を渋々合わせた。
『だってよぉ、ウルンギ。見たかよ、あの人間たちの恰好を?
全員お揃いだ。上から下まで眩しいくらいに白い服で、ぴかぴかな金ボタンだぞ?
だけど俺たちはどうだ? 服はぼろぼろで、泥だらけだ。
人間は帽子を被っているが、俺たちの髪はぼさぼさだ。
あいつらは黒く光っている革靴を履いているのに、俺たちは裸足だ。
こんな汚ねえ恰好で、あんな眩しい制服を着た奴らの間を歩くなんて、まるでさらし者じゃねえか!?』
確かに、オークたちの恰好は酷いものだった。
彼らの衣服は貫頭衣といって、厚手の布の中央に穴をあけて頭を通し、胴を荒縄で縛っただけの粗末なものであった。
それ以外は、股間を隠す下帯だけである。
朝からほとんど休みなく森を踏破してきただけに、木の枝や棘によって引き裂かれ、潰れた草と実の汁でまだらに染まっていた。
さらに大量の汗に濡れ、強い体臭のせいで異臭を撒き散らしている。
美しい礼装に身を包んだ人間の兵士に見劣りするのは、どうしようもない事実であった。
ウルンギはぐっと息を呑んだ。
頭の中に、ふっと『人間は、我々オークが怖いんだよ』という、ダウワースの言葉がよぎった。
彼は〝ふん!〟と腹に力を入れ、部下たちを睨みつけた。
『てめえら! 耳の穴かっぽじって、よぉく聞け!!』
ウルンギは雷鳴のように吼えた。鼓膜がきんと鳴り、空気がびりびり震えるほどの大声だった。
絨毯の両側に整列し、真っ直ぐ前を向いていた兵士たちですら、思わず『何事?』と視線を動かしたほどである。
『お前らは何者だ!?
密林オーク八千人の中から選ばれた、名誉ある戦士ではなかったのか?
道なき森をわずか半日で突っ切って、ひとりの落伍者も出さなかったのは誰だ!?
不可能を可能にした結果の雄姿をなぜ恥じる!? なぜ誇らない!?』
響き渡る怒号にあたりは静まり返り、息すらも憚られた。
『戦士たちよ、顔を上げろ! 前を向け! 胸を張れ!!
これから俺たちは、人間どもを検分してやるのだ!
声を出せ! 吼えろ!! 鬨の声を上げるのだ!!
ウラァーーーーッ!!』
『ウラァーーーーッ!!』
戦士たちが手にした槍を振り上げ、声を枯らして絶叫する。
彼ら自信を取り戻し、恥ずかしいという感情はどこかへ吹き飛んでいた。
先頭を行くウルンギが真紅の絨毯に足を踏み入れると、両側に整列した兵士たちが一斉に抜剣し、手首を返して剣先を上に向け、顔の前でぴたりと構える。
〝捧げ剣〟で迎えられたオーク戦士団は、真っ直ぐに前を見据えて進んでいった。
行軍訓練など受けていないから、その足並みはばらばらである。
それでも、彼らの堂々とした態度は、兵士たちが感心するほど立派であった。
わずか十メートルほどの儀礼的行進は、あっという間に終わった。
人間たちは隊を二つに分け、オーク戦士団を前後に挟み、目的地のオアシスに向けて出発したのである。
* *
余談であるが、ウルンギが部下たちを叱咤激励した言葉は、もちろんオーク語である。
だから人間たちには、何が起きているのかよく分からなかった。
ただ、オズボーン中尉は、指揮官として何か感じるものがあったのだろう。
オアシスに着いてから、中尉はキャミイを呼び止め、ウルンギが何を言ったのか教えてもらった。
彼はその内容にいたく感銘し、部下たちに詳しく伝えて、『ウルンギこそは、真の指揮官だ』と賞賛したという。
また、オークたちは人間の礼装を羨んだが、彼らの技術レベルでは再現不可能だと自覚していた。
オアシスに着くまでの間、人間たちは足並みをきれいに揃えて行進していた(実に見栄えがよかった)が、これならどうにかなりそうだった。
単純なオークたちはこの真似をしたくて、オアシスに滞在している間に、暇を見つけては行軍練習に励んだ(人間たちも手伝ってくれた)。
そして、半年後に交替の戦士団が編成され、村に凱旋した際に、彼らはこの見事な行進を披露して、出迎えた村人たちの度肝を抜いた。
ウルンギたちが大いに面目をほどこしたことで、これは戦士団の伝統として受け継がれるようになったのである。
* *
かくして、オーク戦士団はついにオアシス西岸の基地へ到着した。
ヤコブ中佐が彼らを出迎え、歓迎の式典が行われたが、オークたちの疲労を考えた、ごく短いものであった。
オークたちは、さっそく兵舎に案内された。
前日まで兵士が使用していた建物を明け渡したものであるが、きれいに掃除がされていた(兵士たちはテントに移っていた)。
オークたちは、板張りで床の高い兵舎にとまどった。
彼らの住居は掘立式で、床は掘り下げて突き固めた地面だったから、どうにも落ち着かないのだ。
ベッドも人間サイズであったため、オークには窮屈であった。
結局、彼らはマットを外して床に敷き、毛布を被って寝ることにした。
空いたベッドは、もっぱら長椅子兼荷物置き場として使われることになった。
ただし、ベッドとは違って毛布は非常に好評であった。
オークたちは、乾燥させた藁や萱類に潜って寝る。
それに比べて毛布は軽くて肌触りがよく、保温性が高いと、いたくお気に入りであった。
密林は高湿温暖なのだが、オアシスを含む砂漠地帯は昼夜の寒暖差が大きく、夜はかなり冷える。
オークは寒いのが苦手なので、よほど毛布がありがたかったらしい。
面白いことに、この軍が支給する毛布は、硬くごわごわして全然暖まらないと、兵士たちから不評を買っていた代物であった。
オークたちが着いたのは夕方だったから、あっという間に日が落ちた。
普段なら、夕食は明るいうちに済ますのだが、この日だけは盛大な焚火が燃やされ、歓迎の宴会が開かれた。
さすがに酒は出なかったが、振舞われた料理は大好評であった。
もちろん、戦地であるから贅沢なものではない。
だが、その日仕留められた羚羊の肉が提供されると、オークたちの目の色が変わった。
彼らの好みに合わせてレア気味に焼かれた肉に、料理長自慢のソースがたっぷりかけられた一品は大絶賛され、次々に〝お代わり〟が要求された。
オークの料理にはソースという概念がないから、血の滴りそうな肉と深い味わいのグレイビーソースの組み合わせは、彼らにとって天国の味わいだったのだ。
もちろん、主賓であるウルンギも、この料理を大いに堪能した。
三皿目のお代わりを所望しながら、彼は隣りに座るヤコブ中佐に不思議そうに訊ねた(もちろん、キャミイの通訳付き)。
『この肉は塩蔵肉ではない、生肉だな。
森がない砂漠で、どうやって手に入れたのだ?』
オークにしてみれば、森こそが獲物をもたらしてくれる、母なる環境である。
荒涼とした砂漠には生き物など存在しない――というのが、彼の認識であった。
だがそれは、森の中だけで育ち、外を知らないが故の誤解である。
問われた中佐は、一瞬『?』という表情を浮かべたが、すぐに理解したようだった。
「そうか……ウルンギ殿は、オアシスが初めてでありましたな。
では、ご存じないのも無理はない。
このオアシスは、比較的規模が大きく、湖水の外周は三キロ以上あります。
そのうち、人間が利用しているのは、ほんの一部に過ぎません」
中佐は顔を上げ、暗闇の先に広がっているはずの水源に目を馳せた。
「夜から早朝にかけて、水辺には砂漠に棲む、多くの動物たちが集まってきます。
意外かもしれませんが、砂漠にも多くの生き物がおりましてな、あなたがいま食べておられる、羚羊もその一種です」
『羚羊……どんな生き物なのだ? 味はシカ肉に似ているようだが』
「ええ、カモシカとも呼ばれますから、似たようなものです。
もっとも、学者の話ではウシの仲間だそうですが。
夜明けにでも散歩してごらんなさい。百頭を超す群れが、水を飲みに来ている光景を見ることができるはずです」
『そんなにか! それでは狩り放題ではないか。
ここは誰の縄張りなのだ?』
「誰のものでもありません。
ですから、オークの皆さんが自由に狩りをしても構わないのです」
『何だと!?
では、わざわざ村から食料を運ぶ必要がないのか?』
「まぁ、肉だけを食べるわけにはいきませんから、物資の搬入は必要でしょうな」
『いや、オークは肉だけで生きていけるぞ?』
「野菜は必要ないのですか?」
『シカやウシの仲間なら、内臓に消化されかけの草が詰まっている。
それを喰えば十分なのだ。人間は違うのか?』
中佐は苦笑いを浮かべた。
「残念ながら、我々は不自由な種族らしいですな。
正直に言うと、野生の動物を狩るのは難しい上に、これを捌くのは大仕事なのです。私たちは内臓を食べませんから、その処理もやっかいです」
「ですから、食料の現地調達はめったにやらないのです。
あなた方オークの投石術は見事だと聞いています。
恐らく、水辺に集まる獲物を仕留めるのに、そう苦労をしないと思います。
ということは、逆にオアシスから村へ、安定的に食料を供給できる……ということになりませんか?」
もし、中佐の言うことが本当だったとしたら、とてつもないことである。
ウルンギは唸り声を洩らし、黙り込んでしまった。