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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第九章 能力発現
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二十三 出迎え

 シルヴィアは密林オーク族の村であったことを、ヤコブ中佐に事細かく語った。

 軍の報告というものは、できるだけ私見や感情を交えずに、事実のみを伝えるべきものである。

 だが、シルヴィアはあえてその原則を無視した。


 王国の人間の頭には、オークは人を喰う人類の敵対種であり、怪物であるという意識が刷り込まれている。

 シルヴィアは、文化を保持するオルグの一族をその目で見て、ジャヤという女オークと直接言葉を交わしている。


 さらに今回、それより遥かに繁栄している、密林オークの村に滞在していたのだ。

 彼女のオークに対する印象は、まったくと言っていいほど変わっていた。


 もちろん、ヤコブ中佐もその部下たちも、本来のオークには、理性も知性も感情もあるということを、知識として知っている。

 だが、彼らは実際にオークを見たことも、会ったこともないのだ。

 根深く残っている異種族への恐怖、嫌悪、侮蔑の感情は、そう簡単に拭えるものではない。


 そんな状態のまま、第三軍は本当に、オークと信頼関係を結べるのだろうか?

 シルヴィアとしてはこの報告で、指揮官たる中佐の認識を、まず変えたかった。

 そのため、彼女は自分がオークたちに抱いた思いを、正直に吐露した。


 ヤコブ中佐は難しい顔をしていたが、シルヴィアの意図を察したのか、黙って情緒的な報告を聞いてくれた。

 すべてを語り終えた彼女に対し、中佐は軽く溜息をついたが、その顔には微かな笑みが浮かんでいた。


「ご苦労であった。

 その戦士団を率いるウルンギという男は、なかなかの人物であるようだな?」

「はい。高齢のダウワース王の跡を継ぐだろうと、村人の多くが語っていました。

 彼と個人的な関係を深めることができれば、わが国に大きな利益をもたらすと考えます」


「よかろう。部下たちには、戦士団に最大限の敬意を示すよう、改めて徹底させる。

 疲れているところ済まんが、この後の会議にも出席してくれ」


「喜んで」

 シルヴィアは椅子から立ち上がり、きれいな敬礼をしてみせた。


      *       *


 緊急に招集された会議には、警戒任務に当たっている部隊を除く、二中隊六小隊の各指揮官と、それを補佐する士官や下士官が出席した。

 ヤコブ中佐は、シルヴィアから受けた報告のうち、必要と思われる情報のみを伝達した。

 そして、出迎えと警備の段取りを再確認し、細かな注意を与えた。


 各士官たちからは多くの質問が出されたが、大半がシルヴィアに向けられたものだった。

 その口調は率直で遠慮がなく、同時に辛辣であった。

 やはり、彼らの意識には、オークに対する不信と警戒が存在しているのだ。


 会議が終わったのは昼をだいぶ回ったころで、シルヴィアは慌ただしい昼食を摂った。

 そして、一時半にはカー君に跨り、再び森に向かって飛び立った。


『オアシスへの到着は、夕方四時から五時までの間になるだろう』

 この予測は、オーク戦士団を率いるウルンギ自身が述べたものだ。


 オークたちは森の状況と、自身の能力をよく把握している。

 到着時刻に幅を持たせたのは、予期せぬ障害があった場合を織り込んだのだろう。


 ということは、何事もなければ、最短の四時に着くと考えてよい。

 そこから逆算して、彼らが森を抜けるのは三時ころ、現在はそこから五キロほど奥の地点を進んでいることになる。


 上空から彼らを探すには、およその方向と距離を頼りにするしかない。

 初夏に差しかかろうとする今の季節、広葉樹は旺盛な生命力を発揮する。


 みっちりと生い茂った若葉は、太陽の光を少しでも効率よく吸収するため、樹冠を隙間なく埋め尽くしていた。

 その下を進むオークたちを、上から視認するなど不可能に近い。


 シルヴィアを乗せたカー君は、予想されるルートの上空を何度も往復した。

 だが、黒の魔石の効果で、超視力を手に入れた彼でも、オークは見つけられなかった。


 シルヴィアはカー君に命じ、失速ぎりぎりの速度で、木々の梢を舐めるように滑空させた。


 カー君が獲得した超感覚は、何も視力だけではなく、嗅覚にも及んでいた。

 六十名を超えるオークの集団は、朝から歩きづめで汗だくになっているだろう。

 ただでさえきつい体臭を、今のカー君なら上空でも拾えるはずだった。


 果たせるかな、何度目かの往復でカー君はオークの臭いを捉えた。

 臭気が強くなる方向と、風向きを計算すれば、場所の特定は簡単である。

 その結果、木々のわずかな隙間をよぎる彼らの姿も確認できた。


 シルヴィアが考えたとおり、オークは予測の最短時間で森を踏破していた。

 恐らく昼食を除けば、ほとんど休憩を取っていないのだろう。


 シルヴィアたちは、オークの上空をしばらく旋回し、進む方向を確認した。

 その進路に従って飛ぶと、彼らが森から出る予測地点が判明する。


 カー君はそこから急上昇し、すでに基地を出発している出迎え部隊を探した。

 森と違って、遮るもののない岩石砂漠である。数キロ先を進んでくる、兵たちの小さな姿がすぐに見つかった。


 シルヴィアたちは、部隊の目の前に強行着陸した。

 すぐに兵たちが駆け寄ってきて、彼女が降りるの手伝ってくれる。

 シルヴィアは部隊指揮官の中尉に、オークたちとの予想邂逅地点と、到着時間を告げた。


 指揮官は部下たちに進行方向の修正を指示し、行動を急がせた。

 森の端までは、まだ三十分以上かかる。

 オークの早い足どりを考えれば、準備に費やせる時間はそう多くない。


 シルヴィアの方も慌ただしかった。

 情報伝達を済ませた彼女は、すぐにカー君によじ登り、再び舞い上がった。

 そして、もう一度オークたちの上空に戻って、進路が変わっていないかを確かめる。


 彼らは西に向かい、先ほどと変わらずに、ほぼ真っ直ぐ進んでいた。

 シルヴィアはオークたちを追い抜き、まだ無人の邂逅地点に着陸した。

 彼女はひとりでカー君の飛行用装具を外し(結構な力作業である)、森の中へと入っていった。

 装具は置き去りにしたが、それは出迎え部隊に向けた目印となる。


 森に入って百メートルほど進むと、もう見通しが利かなくなる。

 周囲に誰もいないことを確認すると、カー君をキャミイに変身させた。


 カーバンクルの姿から、人間に変わる過程は何度見ても慣れなかった。


 獣と爬虫類が混ざった、大型四足獣の輪郭がぼやけ、空気の抜けた風船のようにしぼんでいく。

 それはもう生き物の姿ではなく、粘土の塊りであった。ただ、そこに生命が宿っている証拠に、粘土には湿った光沢があって、ぐねぐねとうごめいている。


 不定形の塊りは、ゆっくりと人間の姿へと変わっていった。

 最初はできの悪い土人形だったのが、次第に手足が伸び、丸みを帯びてくる。

 目に見えない手が人形をねているようだった。


 顔には目鼻が生まれ、胸には乳房が膨らんで、重そうに垂れてくる。

 目の前で変身を見守っているシルヴィアには、それが自身の複製であるとはっきり分かる。


 自分の裸なのだから見慣れているし、恥ずかしいわけはないのだが……無理だった。

 やはり目の前で見せつけられると、もの凄く恥ずかしい。


 首から上だけは、エイナの要素が取り込まれ、髪も金髪ではなく黒い。

 それでも、顔にはシルヴィアの面影がはっきりと残っており、二人が姉妹だと言われたら、誰もが納得するレベルだった。

 変身が始まってからキャミイになるまで、二分とかからなかった。


 顔を赤くしていたシルヴィアは我に返り、慌てて荷物を下ろして、キャミイの着替えを取り出した。

 一刻も早く、彼女の裸体を隠さなければならない。

 まずはズロースを穿かせ、次いで胸にコルセットを巻いて、背中で紐を締め上げる。


 キャミイは不満を訴えるが、これだけは断じて聞き入れらない。

 シャツを着せ、ズボンと上着に手足を通し、靴下と軍靴を穿かせると、ようやく一息がつけた。


 ただ、これだけで終わらないのが、女性の宿命である。


 シルヴィアは地面に敷いた防水布の上にキャミイを座らせ、まずはぼさぼさの髪の毛に、丁寧に櫛を通した。

 肩まで伸びた後ろ髪をまとめてお団子(シニヨン)にする。

 女性は髪を編んで巻くか、お団子にするのが軍の規則であるから、これは必須である。


 シルヴィアは少し悩んだ末に、お団子に黒天鵞絨(ビロウド)のシニヨンバレッタを被せた。

 色こそ地味だが、ちゃんとレースのリボンがついていて、可愛さを主張している。


 仕事の出来栄えに満足の鼻息を洩らすと、次はお化粧である。

 女性の身だしなみとしての化粧は認められていたが、派手であってはならない。

 ただし、そのぎりぎりを攻めるのが女子としての腕の見せどころである。


 シルヴィアは化粧ポーチを広げ、手早くキャミイの顔にベースとなる白粉おしろいを薄く塗り広げる。

 控えめな色の口紅を塗り、最も神経を使う目元を仕上げれば、ようやく完成である。

 本来なら時間をかけて完璧を期すところだが、野外ではこれが限度であろう。


 なすがままで、うんざりとした表情を浮かべているキャミイを立たせると、二人はそのまま監視任務に入った。


      *       *


 シルヴィアが哀れなキャミイを相手に、お人形遊びをしている間に、出迎えの部隊は予想邂逅地点に到着していた。

 オークたちが到着するまで、もう四十分を切っている。


 部隊は一個中隊の約四十名で、士官と下士官は騎馬である。

 基地を出発の時点で、全員が第二種軍装に着替えている。

 軍帽、上着、ズボンのすべてが白で統一され、金ボタンが輝く、非常に見栄えのよい礼装である。

 馬にも装飾が施され、手綱は金モールであった。


 兵士たちは周辺の目立った石を取り除き、丸めて運んできた赤い絨毯を広げた。

 長さは十メートルほどであるが、色彩に乏しい砂漠に出現した赤い道は、非現実的な光景であった。


 部隊は絨毯を挟んで二手に分かれ、互いの装備を再確認してから、きれいな列を作ってオークの到着を待つ。


 二人の旗手が掲げる王国旗と第三軍の軍旗が、緩やかな風になびいている。

 三人のラッパ手は、金色に輝くビューグル(軍隊ラッパ)を小脇に抱え、柔らかな布で神経質に曇りをぬぐっていた。


 すべての準備が整うと、予定時刻が五分後に迫っていた。


      *       *


『止まれ!』

 先頭に立って藪を掻き分けていたウルンギは、後続の部下に警告を発するとともに、前方に向かって槍を構えた。


 貫頭衣の肩から剥き出しになった腕は太く、汗で濡れており、うるさい羽虫が盛んに周囲を飛び回っていた。

 藪の先は見通しが利かなかったが、微かに漂ってくる、森とは異質な匂いを嗅ぎ取ったのだ。


『誰だ? なぜ森の中にいる?』

 腰を落とし、油断なく槍を握りしめて問いかける。


 嗅ぎつけたのは明らかに人間、しかも女の匂いだった。

 だから、オーク語しか話せない彼のすいが、通じるとは期待していない。


 ただ、相手が恐れて逃げてくれればよい。

 先を急ぐいま、余計な面倒は絶対に避けるべきであった。


 ところが、藪の向こうから、意外にも女の声で応答があった。

『ウルンギ殿、キャミイです。槍をお収めください』


 それは耳に馴染んだ、流暢なオーク語であった。

 ウルンギは槍の穂先を鉈代わりにして、目の前の藪を伐り払った。

 視界が開くと、そこに立っていたのは、キャミイとシルヴィアであった。


『お迎えに参りました。

 ここからは、私たちがご案内いたします』

『それは大儀であった。だが、よく俺たちの場所が分かったな?』


 キャミイはカー君の姿で、何度もウルンギたちの上空を滑空していたが、彼らは気づいていない。

 若葉を茂らせた木々が空を覆い隠しているというのに、誰が上を気にするだろう。


『些細なことです。気にしないでください。

 それより、あと百メートルも進めば、森は切れます。

 そこから先は砂漠の世界、オアシスまでは一時間といったところですね。

 人間の世界へようこそです。さあ、参りましょう!』

 

 戦士団は六十名以上だから、縦に長い列を作っている。

 先頭は藪を掻き分け、道を開く役割があるから疲労が激しい。

 そのため、一定時間でどんどん後方と交替していったが、ウルンギだけは常に先に立っていた。


 先頭集団のオークたちは、キャミイの姿を見ることもできたし、その声も聞こえてきた。

 しかし、後ろに続く連中は、前で何が起こっていて、なぜ前進が停止したのか分からないでいる。

 そのため、キャミイたちの出迎えと、あと少しで森を抜けるという情報は、口伝えで後方へ送られていった。


 朗報を聞いたオークたちの表情が、みるみる明るくなっていく。

 いかに頑健な彼らといえども、強行軍で森を突破するのは辛かったのだ。


 ウルンギも内心では、キャミイとシルヴィアに出会って安堵していた。

 何しろ彼らは一度も森を出たことがない――というより、森の外縁部に近づくことすら初めてだった。


 ダウワース王は人間との摩擦を避けるため、森から出ることを固く禁じていたからである。


 だがある時、罪を犯して村を追われた者たちが、食い物に困って森を出て、街道を行き交う人間の隊商を襲うという事件を起こした。

 ユニとアスカ、ゴードンの三人がダウワースを訪ねたのは、そのためであった。


 折悪しく勃発したゴブリン戦争が、オーク側の勝利で終結したのち、ダウワースは王国と協定を結んで再発防止を確約し、それは今日まで守られてきた。


 事件の根本原因は、王の温情による追放処置であったから、それが取りやめとなって、昔ながらの処分(要するに死罪)に戻されたのである。

 そもそも村人たちは、追放処置を人間の文化に毒された王の酔狂だと思っていたから、処罰の復活は歓迎されていた。


 そんな事情で、ウルンギを含めた戦士団の誰も、森を出た後にどうすればよいのか、大きな不安を抱えていたのだ。


 一応、王からはオアシスまでの簡単な地図を与えられていたが、オークには地図という概念がないから、あまり役に立ちそうもなかった。

 もちろん、シルヴィアとキャミイは、先んじて村を出る前に『必ず迎えに来る』と約束してくれた。


 だが、多くのオークたちは、その約束を半信半疑で受け取っていた。

 人間がオークを見下しているのは周知の事実であり、彼女たちが約束が守る保証はないと思っていたのだ。

 ウルンギだけは二人を信じてくれたが、やはり心の中には、一抹の不安を抱えていたのである。


 疲労が蓄積していたオークたちの足どりは、目に見えて軽くなった。

 進むにつれて木々がまばらになり、周囲は明るくなっていく。

 先頭を行くウルンギは、人間の歩幅に合わせて速度を緩めたので、気分だけでなく、肉体も楽になった。


 数分後、森はいきなり終わった。

 そしてオークたちは、予想もしなかった光景を目の当たりにしたのである。


 彼らの行く手には、真紅の絨毯による道が伸び、その両側に真っ白な軍服を着た人間の兵士たちが、整然と並んでいたのだ。

 戦士団の最後尾が森を抜けきっても、オークたちは何が起きているのか理解できず、集団となってその場に立ち尽くしていた。


 そして、呆然としているオークたちに向け、高らかなファンファーレが鳴り響いた。

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