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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第九章 能力発現
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二十一 秘策

 ダウワースがまだ少年のころ、ある呪術師にさらわれ、人間の文化と言語を教育された話は有名であった。

 これだけ聞けば、呪術師は賢王の恩人である。


 だが、実態はそんな甘いものではなかった。

 呪術師にとってダウワースは実験動物であり、それ以上の存在ではなかったのだ。


 実際に教育に当たったのは、呪術師の高弟たちであった。

 彼らはダウワースを狭い牢に閉じ込め、餌と暴力で言葉を教え込んだ。

 どうにか意思が通じるようになると、彼はようやく牢から出された。実験動物から奴隷へと昇格したのだ。


 そして、さまざまな雑用や力仕事をさせられながら、知識を次々に詰め込まれた。

 少しでも理解が追いつかないと、言語に絶する折檻を受けた。

 青年になったダウワースは、人間を圧倒する力と体格を手に入れたが、彼らが操る呪術の前では、無力な赤子と変わらなかった。


 呪術は闇の力を利用する、いわゆる黒魔術の一種である。

 特に精神魔法を得意とし、人や動物の意志を捻じ曲げ、思いのままに操ることができる。

 そのため、ダウワースがいくら強くなっても、逆らうことは不可能であった。


 呪術師たちはダウワースを獣として見下し、理不尽な虐待を止めなかった。

 いくら人の言葉を覚え、教養を身に着けても、それは最後まで変わらなかった。

 彼が人間に負けない豊かな感情と、高潔な精神を持っていることに、気づいていたにも関わらずである。


 十数年に及ぶ奴隷生活で、最も屈辱的であったのは、繁殖実験であった。

 若いダウワースと人間の女奴隷を、呪術師たちの目の前で性交させるのである。

 呪術によって支配された女は判断力を失い、とろんとした目でオークを受け入れた。


 ダウワースの肉体も、呪術によって増幅された強烈な性欲に突き動かされ、抵抗ができなかった。

 彼は女とは違って、かろうじて理性を保っていられた。

 それはかえって残酷な結果を生んだ。そこで起きたこと、すべてが脳に刻み込まれたからだ。

 彼は奴隷女に泣いて詫びながら、その上で乱暴に腰を振るしかなかったのだ。


 ことが終わると術は解かれたが、足をカエルのように開き、焦点の合わない目から涙を零している奴隷女が、哀れでならなかった。

 不可抗力とはいえ、これは自分がしでかした行為の結果である。

 ダウワースは己の弱さを責め、気が狂いそうな屈辱とともに、呪術師への復讐を誓った。


 それから半年後、ダウワースは奴隷女たちの運命を聞かされた。

 彼と交わった女たちは、全員が懐妊したが、ことごとく出産時に命を落としたそうだ。

 オークの胎児は人間よりも成長が早く、およそ六か月で生まれてくるのだが、身体の大きさが災いして大出血が起こり、母体が耐えきれなかったのだという。


 生まれた子の方も半分は死んだが、残りはどうにか生き残った。

 呪術師たちはオークの強靭な肉体と、人間の理性を兼ね備えた、新しい人種を期待していたのだが、生まれてきたのは、すべてオークだったそうだ。


 この結果を教えてくれた呪術師の高弟は、全身が干乾びたような老人であった。

 だが、彼は奴隷女の死を、何の感情も交えずに淡々と語った。

 彼ら呪術師にとっては、ダウワースも金で買った奴隷女も、等しく虫けらのような存在だったのだ。


 実験は失敗に終わり、幸いなことに二度と繰り返されなかった。

 生き延びた赤子は、少なくとも五人いたはずだったが、彼らがその後どうなったかを、知らされることはなかった。


 この事件をきっかけに、ダウワースは人が変わったように、積極的に勉学に励むようになった。

 踏みにじられた己の誇りと、死んでいった女たちへの贖罪のために、呪術師の支配に対抗するすべを、本格的に探し求めたのだ。


 呪術師に捕らわれていた時代の、あまりにも辛い経験を、ダウワースは誰にも明かしていなかった。

 最も信頼する末娘のジャヤに対しても、そして自らの後継者と期待する甥のウルンギに対してもである。

 もちろん、今はこの世界を去った、唯一の人間の友人、ユニも例外ではなかった。


 もし、ユニにこの体験を打ち明けていれば、ダウワースは彼女から驚愕の事実を知らされていただろう。

 自らが召喚した悪魔に魂を売った、アルケミスという狂教主が、辺境の果てに拓いた村で、オークと人間による繁殖実験を行っていたのだ。


      *       *


「確かにな……」

 ダウワースは苦虫を嚙み潰したような表情となった。


「我が戦士団がオアシスの守りにつけば、ナフ国が事態を重く見る可能性が高い。

 ナフのサリド王は智謀に優れ、女将軍のジャミラもなかなかの切れ者だと聞く。

 真に力ある呪術師は滅多なことでは動かぬが、王の頼みとあらば力を貸すこともありうる」


 シルヴィアも同意した。

「現在オアシスの防衛に当たっているヤコブ中佐は、その事態を恐れていました。

 近年、わが王国でも魔導士の配備が進んでいますが、まだ呪術師の精神攻撃に対抗する、有力な手段は見つかっておりません。

 オークの戦士は、人間の兵士に五倍する戦力だと言われています。

 だからこそ、我々は派兵を要請しているのですが、それが裏目に出るやもしれません」


 ダウワースは目を閉じ、しばらくの間黙り込んだ。

 ウルンギはそんな王の顔を、少し心配そうに窺っているが、その視線には揺るぎない信頼が籠っていた。


 重苦しい沈黙が十数秒続いた後、賢王はぱちりと目を開いた。

「呪術師が前線に出てくることは、まずあり得ない。

 ましてやオアシスでの小競り合いは、国の命運を賭けるようなものではないからな。

 手を貸すにしても、鳥の目を使った偵察がせいぜいだろう。

 ただし、用心は必要だ」


 ダウワースはシルヴィアに向けていた視線を、隣りに座る甥の方へと向け、オーク語で訊ねた。

『ウルンギ、お前には呪術師に対抗し得る秘策を授ける。

 これは、今まで誰にも明かしてこなかった、俺の生涯をかけた研究成果だ。

 もちろん、出し惜しみをしていたわけではない。

 これを使いこなすには、誰よりも優れた胆力、鉄のように揺るがぬ意志の力が必要なのだ。

 恐らく、この村八千人のオークの中で、お前以外に伝えられる者はいないだろう。

 ……だが、簡単ではないぞ。覚悟はあるか?』


 ウルンギは背筋を伸ばし、王の視線を真っ向から受け止めた。

『伯父貴、いや、我らが賢王よ。

 例えこの身が砕けようとも、俺は耐えてみせる!』


 キャミイがこの会話を、シルヴィアの耳元でそっと通訳した。

「あの、ダウワース王。

 その呪術に対抗する方法は、私たちにも教えていただけるのでしょうか?」


 だが、賢王は彼女の願いを鼻で笑い飛ばした。

「馬鹿を言うな! 密林の賢王、畢生の研究だぞ?

 どうしても欲しくば、それなりの見返りを用意してから言え。

 そうだな、タブ大森林をまるごとよこすというなら、考えてやってもいいぞ!」


      *       *


 密林のオークたちは、ゴブリン戦争以来、久しく実戦を経験していない。

 村の若い世代は、当時を懐かしく、そして何より誇らしく語る大人たちを、羨望の眼差しで見ていた。

 だから、人間の要請に応じて、オアシスに派兵するというダウワース王の触れは、彼らを熱狂させたのだ。


 その夜、ウルンギと数名の戦士団幹部の協議で発表された、六十名ほどの者たちは、友人や家族の祝福に包まれていた。

 午前に行われた選抜競技の結果に従えば、その顔ぶれのほとんどが、戦士団を構成する者たちとなってしまう。

 しかし、それでは村の治安と防衛を担う者たちを、根こそぎ引き抜いていくこととなる。


 そのため、選ばれた者の半分が、戦士団にまだ属していない若者たちとなった。

(その中には、シルヴィアが気にしていたドガも含まれていた。)


 十代後半の若者たちは、〝若衆宿〟と呼ばれる大きな建物で、集団生活を送っている。

 彼らはそこで村の規律を学び、厳しい上下関係を叩き込まれるのだ。

 最も性欲が旺盛な世代を集め、互いに監視させることによって、娘たちの安全を確保するという側面もあった。

(その代わりに若衆宿では、経験豊富な女性たちによる〝適切な指導〟も、公然と行われていた。)


 派遣メンバーの発表があった翌日、選ばれた若者は準備に大わらわとなった。

 彼らは若衆宿で学んでいるだけでなく、狩りに出て村の食料調達も担っていた。

 狩りは五、六名の小集団で行われるので、その再編成も必要となる。

 そのため、村全体がざわめいて、落ち着かない雰囲気に包まれていた。


 ただし、シルヴィアたち三人の人間には、関係のないことである。

 フェイはこの日も妊婦たちの健診と、病人・怪我人の治療で忙しい。

 キャミイも通訳として、便利に使われていた。


 シルヴィアだけが暇であった。

 腫れあがって動かせなかった腕は、湿布のお陰でかなり楽になっていた。

 まだ痛みは強いが、腕を吊らなくてもよくなって、利き手で食事を摂ることもできた。

 この調子なら、出発となる明日には、カー君にも乗れるようになるだろう。


 そう判断した彼女は、ひとりでダウワースのもとを訪ねた。

 しかし、王はウルンギと奥に籠っているとのことで、彼女は追い返されてしまった。

 応対のオークとともに、ふくよかな女オークが出てきて、かなり聞きやすい中原語で、王の言葉を伝えてくれた。


「今宵もあなた方三人を、夕食にお呼びします。

 お話はその時に聞く……との仰せでした」

(シルヴィアは知らなかったが、この女性はダウワース王の次女であった。)


 その言葉どおり、夕方になると宿舎に迎えがきて、彼女たちはまたしても、王と会食することとなった。

 この夜も王の隣りの席には、ウルンギが並んで座っていた。


 人間に配慮した食事が終わると、ダウワース王の方から話を切り出してきた。

「こちらの準備は滞りなく進んでいる。

 明日の出発は朝五時と決まった。今の時期なら、四時にはもう明るいからな。

 それで、俺に話があったようだが、何だ? 言ってみろ」


 シルヴィアは軽くうなずいた。

「はい。私たちの方の、明日の予定についてです」


 王は軽く首をかしげた。

「お前たちの?

 はて、俺はてっきりウルンギに同行するのと思っていたが、違うのか?」

「フェイはこのまま村に残ります。そうよね?」


 フェイは〝当り前だ〟という顔でうなずいた。

「私はまだ、この村の妊婦全員を回り終えていませんし、診療を希望する方々も大勢残しています。

 それを放り出して帰るなどと無責任なことが、どうしてできましょう?」


 王はウルンギに小声で通訳してから、目を細めて笑ってみせた。

「さすがはアスカ殿の養女であらせられる。

 ジャヤがぞっこんになっているのも、無理はないな」

「恐れ入ります。

 気になるお産も控えていますから、あと一週間ほど滞在すれば、ひと段落つくと思います。

 シルヴィアたちには、その頃に迎えに来てもらうことになっています」


「よかろう。それで、シルヴィアとキャミイはどうなのだ?」

「私たちは、先行してオアシスの守備部隊に、戦士団の出発を報せるつもりです。

 オアシスは行き交う商隊で、常に賑わっていますが、いきなり皆さんが現れては、混乱が生じて事故が起こりかねません。

 その辺も含めて、万全の受け入れ態勢を要請するつもりです」


「ふむ、それはよいことだが……どうやって我々に先んじるのだ?

 キャミイを獣の姿に戻したとしても、密林を走るのは容易ではないぞ?」

「いえ、実は陛下には話しておりませんでしたが、私のカーバンクルは空を飛べるのです」


「ほう……その話、ウルンギに伝えてもよいのか?」

「構いません。ウルンギ殿は賢王様と同じく、信頼に足る人物だと知っておりますから。

 ですが、陛下はあまり驚かれないのですね?」


「まぁな、カーバンクルが人間に化けているという話の方が、よほど突拍子もないからな。

 そんなことができるなら、空くらい飛べるだろうさ」


 ダウワースは笑いながら、長々とした通訳を始めた。

 ウルンギは驚愕の声を上げ、その視線は王とキャミイの間を、何度も往復した。

 どうやら、キャミイの正体から、順に説明しているようだった。


 ウルンギが低い唸って沈黙すると、シルヴィアは言葉を継いだ。

「その件、王とウルンギ殿はよいのですが、他のオークの方々には、くれぐれも内密に願います。

 当然、変身は見られたくはありませんので、私とキャミイは戦士団の出発前に村を出て、十分に離れてから飛び立つつもりでいます」


 〝見られたくない〟のは本音であった。

 何しろ、キャミイがカーバンクルに戻るためには、下着を含めた着ている衣服を、すべて脱がなくてはならないのだ。


「分かった。村の周囲には、至るところで監視の目が光っている。

 その者たちには、お前たち二人を見張らず、遠ざかるよう伝えておく」

「ご配慮、痛み入ります」


 この後、いくつかの細かい打ち合わせを重ね、三人は王の御前を辞した。


      *       *


 翌朝、まだ薄暗いうちに、シルヴィアはカー君に跨って森を飛び立った。

 久しぶりに本来の姿に戻ったカー君は、身体の節々を思いっきり伸ばして、上機嫌だった。


 シルヴィアの頭の中に、懐かしい念話の声が響いてくる。

『やっぱり、この身体はいいなぁ!

 人間も利点はあるけど、窮屈でいけないよ。

 まぁ、シルヴィアたちの肌は弱いから、衣服が必要なのは分かるけど、何なの、あのコルセットって奴!

 何であんな苦しいもので、胸を押さえなきゃいけないのさ?』


 爽やかな朝の風を感じながら、シルヴィアは苦笑するしかなかった。


「さあ、何ででしょうね?

 白状するけど、あたしたちにもよく分からないのよ」

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― 新着の感想 ―
>カーバンクルに乗っていくつもりか?」 >「いえ、それでは時間がかかり過ぎます」 >シルヴィアは言葉を切り、ちらりとウルンギの顔を窺った。 >「実は、まだ話しておりませんでしたが、キャミイは空を飛ぶこ…
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