七 清算
黒船屋を追い出されると、二人は辻馬車を拾って川港へと急いだ。
外洋港は街の南端にあるが、川港は反対の北側、ボルゾ川に面している。
便数の少ない外洋港は船が着いた時こそ大混雑となるが、普段は割と閑散としている。
一方、川港は朝早くから夕方まで、ひっきりなしに船が発着しているので、常に賑わっていた。
岸からは何本もの桟橋が伸びており、対岸の北カシルと結ぶ便、黒城市との間を行き来する便が主である。
このほかに、外洋港との間で貨物をやりとりする艀とその曳航船、川底に堆積した砂を揚げる浚渫船、そして漁船までもが発着するから、その規模は想像以上のものだった。
船の予約を受け付ける事務所は、丸太づくりの簡素な小屋が何棟か並んでいる施設だった。
河川敷にある建物は増水で水没することを前提としているので、どれも似たような造りである。
流されてもいいように基礎だけが異常に頑丈で、予備の上物を運び込めば半日で再建できるようになっている。
二人はそのそっけない建物のうち、黒城市行きの便を担当する小屋の行列に並んだ。
十五分ほど並んで自分たちの番が来ると、彼女たちはどきどきしながら中に入った。
「あの、三人なんですけど、明日の便で空きがあるのは……」
エイナが言いかけると、係の男はそれを途中で遮った。
「明日? ああ、駄目駄目。今ごろ来たって遅いよ。一人くらいなら何便か空きがあるが、三人だと無理だね。
あんたら初めてかい? 予約はもっと早く取らなきゃ。
明後日の便にしな。まだいくつか空きがあるよ」
「そう……なんですか」
エイナは泣きそうな顔でシルヴィアを振り返ったが、こればかりは強気な友人でもどうにもならない。
彼女は溜め息をついて、係員の方に向き直った。
「仕方ないですね。それでは、明後日のなるべく早い便にしてください。
特等の個室でお願いします」
係員は顔を上げ、エイナたちを疑わしい目つきでじろじろと見た。
二人とも軍服姿の若い娘である。
「お嬢さん方、個室は二人部屋だから、三人だと二部屋取ることになる。
かなり高くつくが、大丈夫なのかい?」
「ええ、はい。軍票で支払っても構いませんよね?」
軍票は、要するに後払いの小切手のようなものである。
任意の金額を記入して渡せば、一般の両替屋でも換金できる。
もちろん何にいくら使ったかは、後で報告書を提出して決裁を受ける必要がある。支出が認められない場合は弁済が求められるので、いい加減な使い方は許されない。
「何だよ、それを早く言ってくれ。
個室だったら明日の便でも空きがあるよ。一番早いのは十一時の便だが、それでいいかい?
じゃあ、二部屋で銀貨十八枚だ。お嬢さんは三人と言ったが、四人に増えても二人に減っても料金は変わらないよ」
エイナはあたふたと軍票の束を取り出し、金額と自分の所属・官姓名を書き込んだ。出発に当たって会計課から渡されたものだ。
切り取って係員に渡すと、彼は拡大鏡を目に嵌めて真贋を見極めてから乗車券を発行してくれた。
小屋を出ると、二人はホッと安堵の息を吐いた。
南カシルに来るまでは、ケイトがすべて手配してくれていた。
自分たちだけで船の予約を取るのが、これほど大変だとは思わなかった。
「あたしたちって、本当に世間知らずだったんだね」
エイナは少し情けない気分だった。
しかし、シルヴィアの方はまったく落ち込んでいるように見えなかった。
「初めてなんだから仕方ないでしょう? 次はまごつかないわ。
『船の予約も発着の確認も早めにすべし』
あたしたちは一つ経験を積んで、一つ賢くなったのよ。
胸を張りましょう」
シルヴィアの肩に乗っていたカー君が、同意するように「みぎゃあ」と鳴いた。
* *
エイナたちは川港から辻馬車で街に戻り、黒船屋で簡単な手紙を託した。
応対に出た若い衆は店の主人から聞いていたらしく、部屋へ届けることを確約してくれた。
文面はこうである。
『明日、十一時出航の便で予約を取りました。朝九時半にお迎えにあがりますので、ご準備を済ませておいてくださるようお願いいたします』
黒船屋から川港までは、馬車で三十分ほどである。
南カシルを出るには出国審査もあるが、これは形だけのもので二十分もあれば事足りる。
出航一時間前に着いていれば十分余裕があるだろう。
彼女たちは黒龍組の事務所にも寄り、カニングに礼を言おうとしたが、あいにく彼は留守だった。
応対に出た男は、エイナたちが組長の知り合いだと分かっていたため、とても低姿勢だった。
二人は事務所の机を借り、カニングへも簡単な手紙を書いた。
無事フォレスター大尉に会えたこと、川船の予約が取れたので明日の昼前に出航することを記し、ていねいに礼を述べるとともに、安心するようケイトに伝えてほしい。
そんな文面だった。
手紙の内容を説明した上で組の男に渡すと、いかつい顔をした男が「命に代えても直接渡す」と真面目な顔で誓うので、二人はつい笑い出してしまった。
手紙を書いている間、男からはいろいろと面白い話が聞けた。
カニングが留守なのは本部に行ったからで、組長である彼の本来の居場所はそちらなのだそうだ。
この組事務所は出先機関のようなもので、二階の部屋はカニングが代貸し(組長代理のような役職)時代の執務室だったらしい。
だが、カニングが自分の趣味で居心地のいい部屋を造り上げたため、今でも大半の時間をここで過ごしているのだという。
ケイトが里帰りするのは一年に一度だが、その間は毎日温かい昼食を、この事務所まで馬車で届けに来るということも聞いた。
「今日もお昼前にいらしてましたぜ。お二人がお帰りになった少し後のことですね。
組長は渋いお人だから当然ですが、あっしもあのくらい女に惚れられてみたいもんですね」
男は夢を見るような目つきで語ったが、エイナたちは顔を見合わせて身震いをした。
危うくケイトと鉢合わせをするところだったのだ。
彼女たちは黒龍組の事務所を出ると、辻馬車屋にも寄った。
明日の朝、泊っている宿に馬車を回してくれるように予約をしたのだ。
二人は今回のことでよほど懲りたらしく、こうした準備を手抜かりなくこなすようになっていた。
宿に帰ると、女将が母親のように迎えてくれ、二人はようやく肩の荷を降ろしたような気分になった。
彼女たちは女将に、明日の船で発つことになったことを告げ、宿泊費の清算を頼んだ。
支払いは軍票であるが、これは全く問題なく受け容れられた。
女将は長い船旅を心配してくれたが(上り船は黒城市まで二十日前後かかる)、予約をしたのが個室だと聞くと、少し安心したようだった。
「いえね、川船の旅と言ったら普通は雑魚寝じゃありませんか。
いくら男女で部屋が分かれているといっても……ねえ。
あなたたちみたいな若いお嬢さんだと、何かとやっかいに巻き込まれますもの。
でも、個室なら安心でございますよ。あれを使うのはみんなお大尽ですから、船員たちの扱いも違います。
それじゃあ、明日は船で食べられるようなお弁当を用意しておきますね。
川港の食堂は、それは酷い物を出すって有名ですからね。
お嬢さん方も、今日のうちに日持ちのする食べ物やお菓子を仕入れておいたほうがようございますよ」
南カシルに来る際に乗った下り船では、女将の言う〝雑魚寝〟の大部屋だった。
それでもトラブルがなかったのは、旅慣れているケイトが目を光らせていたお陰だと、二人は改めて気づかされた。
上り船で贅沢な個室が使えるのは、もちろんケルトニアの魔導士という〝客人〟を乗せるからである。
そうでなければ、軍票の規定外使用で会計課から大目玉を喰らったことだろう。
エイナたちは女将の助言にしたがって、宿近くの商店でお菓子の類を買い込みに行った。
出迎えでこそしくじったが、周囲の助けもあってどうにか失点も取り戻した。後はフォレスター大尉を無事に王都まで護衛すれば、初任務は成功である。
彼女たちの表情は目に見えて明るくなり、二人の気分に影響されたのか、カー君まで元気になった。
「カー君もお菓子が欲しいって言ってるわ」
商店であれこれと焼き菓子や干菓子を選んでいると、シルヴィアがそんなことを言い出した。
「え? カー君は精霊だから何も食べないんじゃなかったの?」
「まぁ、そうなんだけど。まったく食べられないってわけじゃないのよ。
割と甘い物なんかは好きなの」
「そうなの? だったら普段から食べさせてあげればいいじゃない」
「う~ん……。でもね、なんかもったいないっていう気になるのよねぇ」
「まあ、酷いわシルヴィア。可哀そうじゃない」
「でもね、食べさせるとカー君、すぐにうんちをするのよ」
「当たり前じゃない! あたしたちだって同じでしょ。
臭いとか汚いとか言って、お世話をしたがらないのは飼い主失格だわ!」
「そ、そうじゃないのよ。その逆!」
「え?」
「カー君のうんちは全然臭くないのよ」
「どういうこと?」
「つまりね、カー君は精霊だから本来食物を摂る必要がなくって、食べるのはただ味を知りたいだけなのよ」
「うん、それは何となく分かる」
「だから、食べたものは消化されないの」
「ふんふん」
「出てくるのはちゃんとうんちの形をしてるのね。
でも、それって食べたお菓子そのままで、ただ潰して固めただけっていう状態なのよ」
「……」
「想像してみてよ。見た目はうんちなのに、甘い香りがするのよ。
何ならそのまま食べても、きっと美味しいと思うわ」
「やめてよ!」
「ねっ、何か嫌じゃない?」
呑気な会話を交わしていた二人だったが、彼女たちの試練はまだ始まったばかりだったのだ。
* *
翌日、エイナたちは世話になった宿の主人と女将と別れを惜しみ、迎えに来た辻馬車に乗って黒船屋に向かった。
約束の時間は九時半であったが、九時前には娼館に到着した。
昨日の今日であるから若い衆は彼女たちを覚えていて、すぐに女主人を呼んできてくれた。
主人は二人を玄関脇の小部屋に招き入れた。
小さな応接の椅子に二人を座らせると、その向かいの椅子にかける。
彼女はテーブルの上に置かれていた書類挟みを、二人の前にすっと差し出した。
「まずはこの払いを済ませてもらいましょうかね」
「これは?」
「あんたらが迎えにきた、大尉さんかい? あのお客さんの遊び賃だよ。
お客さんの話じゃ、払いは軍が持ってくれる約束だそうじゃないか。
違うのかい?」
エイナたちは思わず顔を見合わせたが、女主人の言うとおりであった。
フォレスター大尉が王都に到着し、正式に王国軍の嘱託として就任するまでは、彼はケルトニア連合王国が派遣した賓客という立場になる。
したがって、形式的には王国領土である南カシルに降り立った瞬間から、一切の経費は軍が負担するものと心得よ――会計課で軍票の綴りを渡されるに当たって、二人はそう申し渡されたのだ。
例えそれが女を買うという遊興費であっても、彼女たちに文句は言えなかったのだ。
エイナは溜め息をついて、軍服の内ポケットから軍票を取り出した。
「ちょっと待ってください!」
その隣で、突然シルヴィアが大きな声を上げた。
「何ですか、この金額?」
彼女の叫び声で、エイナは改めて差し出された請求書の金額を確かめた。
「銀貨……百二十枚!」
エイナも目を剥いた。
世間知らずの彼女でも分かる。いくら高級店であろうと、娼館に二泊したくらいでこの金額は法外過ぎる。
士官であるエイナの俸給は、月に銀貨八枚余りである。百二十枚だと彼女の年収よりも多い。
「この金額はどういうことです?
私たちを小娘だと思って馬鹿にするつもりですか!」
エイナがテーブルに拳を叩きつけた。
だが、女主人はまったく動じなかった。
「まぁ、驚くのも無理はないね。
だけどね、黒船屋はこの街でも名の通った店さね。お客を貧るような真似をしたら、お天道様の下を歩けなくなるよ。
あたしゃそこまで恥知らずじゃないからね。
そいつは黒船屋の売れっ子を、一か月貸し切りにする料金さ。
まともに計算したら銀貨百八十枚が正規の料金だ。これでもずいぶん勉強したつもりだよ」
老獪な女主人は、さも自分が良心的であるかような口ぶりだったが、これは大嘘である。
遊女がいくら売れっ子でも、一か月休みなく客を取ることなどあり得ない。
女である以上月の物が来るのが宿命であり、その間は客を取れないから、実働は月に三週間程度なのだ。
「一か月? フォレスター大尉が泊ったのは二日のはずではありませんか?」
「そうだよ。
あのお客さんは、よほどサーラ(大尉の相手をした遊女)が気に入ったらしい。
黒城市まで一緒に連れて行きたいって言い張ってね。
あたしも最初は断ったんだが、船の旅は何もすることがないから、相手をしてくれる女でもいなくちゃ退屈で耐えられない。あんたらが接待してくれるならいいが、どう見ても処女で役に立ちそうもないって嘆くのさ。
あたしもお客さんが気の毒になっちまってね。サーラの方もまんざらでもないようだったから、終いにゃ折れたってわけだ。
南カシルから黒城市までは、大体二十日はかかる。とんぼ返りで戻っても一か月は見なくちゃなんないだろう?」
「そっ、そんな無茶苦茶な……!」
二人は絶句してしまった。
だが、老女は涼しい顔で笑顔を向けてきた。
「あたしにそれを言うのはお門違いだよ。
文句があるなら、あのお客さんに言うんだね。お嬢ちゃん」




