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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第九章 能力発現
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十九 試合

 シルヴィアが引きずられていったのは、投石の開始線の前だった。

 そこまで来て、オークたちはようやく腕を放してくれた。

 そして彼らは、彼女の目の前に投石器スリングを差し出した。


 思わずオークの顔を見上げると、彼らは笑顔でうんうんとうなずき、シルヴィアの右手に丸めた革紐を押しつけてくる。

 さらに、左手には弾となる石を渡すと、遠くに見える的を指さした。


 もはや彼らの意図は明確である。シルヴィアにも試技をしろと促しているのだ。

 当然、彼女は首をぶんぶんと左右に振って、これを拒否した。

 投石器の存在は知っているが、生まれてこの方使ったことはないのだ。


 しかし、オークたちは全力で断ろうとするシルヴィアを、なだめるように話しかけてくる。

『まぁまぁ、そんなに謙遜しなくてもいいじゃないか。

 ちょっとでいいんだ、やってみせてくれよ』

 そう言っているのが、丸分かりである。

(シルヴィアは、自分がオーク語を理解しているのではないか……と疑い始めていた。)


 オークたちは、次に周囲の観客たちの方を指さした。

 シルヴィアが後ろを振り返ると、いつの間にか、帰りかけていた観衆の大多数が戻ってきていた。

 全員が期待を込めた目で、シルヴィアのことを見つめている。


 何度も説明したように、もともと投石器の扱いをオークたちに教えたのは、人間であるゴードンであった。


 まだ二十年も経っていないから、壮年者の多くは、その時のことを覚えている。

 彼らにとって、ユニ、ゴードン、アスカの三人は、オークたちを率いてゴブリンの大軍勢を打ち破った英雄である。

 そして、投石器によって、その後の大繁栄をもたらしてくれた大恩人でもあった。


 オークは文字を持たないから、この大戦争は壮大な詩歌に編まれ、若い世代に伝えられてきた。

 こうした場合、登場人物がより英雄的で、感動的に歌われるのはお約束である。

 実際の記憶を持つ大人たちは、自分の思い出をより誇大に語り、子どもたちはそれを頭から信じ込んだ。


 そのため、密林のオーク族の間では、人間とは軍神に近い存在として認知されていたのだ。

 当然、彼らが熱中する投石器の腕前も、オークを遥かに凌ぐと信じられていた。


 確かにゴードンは、当時のオークの誰よりも上手かった。

 だが、オークたちはその後長年の切磋琢磨で、めきめきと腕を上げた。

 恐らく、今回の競技会で優勝したウルンギが相手では、ゴードンでも歯が立たないだろう。


 シルヴィアこそいい迷惑である。


 オークたちは、シルヴィアが投石の達人であり、その模範演技を披露してくれるのだと、無邪気に信じ切っている。

 千人に近い大群衆のきらきらとした瞳が、その期待の大きさを物語っていた。


 万事休すであった。言葉が通じないオークたちに、シルヴィアの弁明は通じない。

 娯楽に飢えているオークたちにとって、めったにお目にかかれない見世物である。

 もう『できません』で済まされる雰囲気ではなかったのだ。


 シルヴィアは覚悟を決めた。こうなったら、試技を行うしかない。

 もちろん初心者の彼女が、その期待に応えることは不可能だ。

 おそらく大恥をかくことになるだろう。

 オークたちには気の毒だが、その残酷な現実を見せつけて、納得させるしかないのだ。


 取りあえず、渡された投石器に手を通してみる。

 革紐の片方の端は輪になっていて、まずそこに右手を入れてみる。

 オーク用なので、輪が緩すぎるのではないかと思ったが、手首を通すとちゃんと具合よく締められるように調節できる。


 もう片方の端は、小さな結び目となっていて、これを右手で握り込む。

 中央の幅広い革に石をセットして、だらんと垂らせば、あとは振り回すだけである。

 競技をずっと見ていたから、何となくやり方は分かる。

 まずは身体の右側で回し始め、ある程度勢いがついたところで、今度は頭上で回転させる。


 問題は、どうやって狙いをつけ、どのタイミングで手を離すかだ。

 こればかりは実際にやってみて、感覚を掴むしかない。


 シルヴィアは頭上でひゅんひゅんと音を立て、十分に遠心力をつけてから、思い切って手を離した。

 自分でも驚いたことに、石は勢いよく前方に飛んでいってくれた。

 だが、石は十メートルほど先で地面に激突し、土にめり込んで終わりとなった。


 見守っていた群衆からは、驚きと失望の溜息が洩れた。

 彼らは、シルヴィアがよもや失敗するとは思ってもいなかったのだ。


 彼女の周囲にいたオークたちも、同じ反応だった。

『なぁに、いきなりのことで勘が鈍っているんだ。気にしないで続けてくれ』

 彼らは笑顔のまま、そんなことを言っていたのだろう。続いて石を二つ手渡してきた。


 毒を喰らわば皿までである。シルヴィアは続けざまに第二投、第三投と試技を行った。

 二投目は明後日の方向に弧を描いて飛び、三投目は足元に叩きつけることになった。

 結局、最初の一投が一番ましだったことになる。


 ここまでくると、観客にもシルヴィアがずぶの素人であることが理解されてきた。

 それと同時に、失望の溜息に代わって、嘲笑がさざ波のように広がっていく。

 覚悟はしていたものの、シルヴィアにとっては相当の屈辱である。


「だから、私は初心だって言ったでしょ!」

 彼女は顔を真っ赤にしてそう言い放つと、手首から投石器を外して、近くにいたオークに向けて放り投げた。

 軍人が武具を粗末に扱うのは、どう考えても誉められたことではない。


 だが、シルヴィアはまだ若かった。覚悟をしていたはずなのに、実際に嘲笑を受けてみると、彼女のプライドがいたく傷ついたのだ。


 投げつけられた革紐を片手で受け止めたのは、競技の優勝者のウルンギであった。

 彼は苦笑いを浮かべてシルヴィアに近づき、何事か話しかけてきた。

 恐らく、彼女の敬意を欠いた行いを、やんわりとたしなめたのだろう。


 だが、その顔に浮かんでいた〝憐み〟が、感情的となったシルヴィアに火をつけた。

 自分が悪いと自覚しているだけに、行き場をなくした怒りと恥ずかしさが暴発したのだ。

 何としてもこの恥辱をそそがなくては、自尊心が保てそうにない。

 彼女は周囲を見回し、近くの地面に立っている棒に目を止めた。


 この村には、戦士と呼ばれる階級が存在している。

 オークは基本的に戦闘民族なので、いざ戦いとなれば、若い男はすべて参戦する。

 だが、戦闘のない平常時であっても、村の治安を守り、外敵の侵入に警戒する者が必要であった。

 それが戦士である。


 戦士階級のオークを見分けるのは簡単だった。

 彼らは武器として、槍を持っているのだ。

 オークの武器は一般的に棍棒こんぼうで、狩りに赴く男たちが槍を手にすることはない。


 全金属製の剣と違い、槍はオークの技術レベルでも製作できる。

 刃のついた鉄製の槍先は大公国からの輸入して、それなりの数を確保しているが、平常時には必要としない(かえって危険だ)。

 だから、村内を巡廻する戦士は、穂先のない槍(実質的には棒)を常に持ち歩いている。


 この競技会に参加した者たちにも、戦士階級がかなり含まれていたと思われる。

 優勝者のウルンギ自身も、戦士団の幹部であった。

 彼らは一時、競技に興じるため、身分の象徴でもある槍を地面に突き刺しておいたのだ。


 シルヴィアはそこに歩み寄ると、二本の槍を引き抜いた。

 そして戻ってくると、一本をウルンギの方へ放り投げた。

 ぱしっと受け取ったウルンギは、訳が分からない表情をしている。


 シルヴィアはにやりと笑うと、槍を頭上に構えた。〝火の構え〟とも呼ばれる、上段の型である。

 ひゅんひゅんと風切音を立てて槍を回すと、支点を首、肩、脇と移しながら回転させていく。


 これは槍術の演武で披露される技術で、実用的な意味はないが、見た目だけは派手である。

 実際、見物している観客からは、『おおぅっ!』という感嘆の声が洩れた。


 彼女は肩と胴を使って槍をX字に振り回した後、いきなり腰を落とし、槍を小脇に抱え込んだ。

 そして大きく一歩を踏み出すと、槍先を蛇のように繰り出し、ウルンギの喉元に突きつけたのだ。


 ぎょっとしてたじろぐウルンギに向かって、シルヴィアは左手を差し出し、くいくいと指先で招く。

『かかってこい』という、明らかな挑発の仕草だ。


 要するに、投石でかかされた恥を得意な武術で返そうという、きわめて子どもっぽい行為である。

 そんなことはシルヴィアだって分かっているが、それが止められないのが、彼女の若さである。


 彼女の露骨な行為に、観客たちもその意図を察したが、これが予想外に盛り上がった。

 オークは短気で熱くなりやすい民族なので、こうした展開は大好物なのだ。

 挑発された方のウルンギも、不敵な笑みを浮かべて槍を構えた。


 彼は部族で最強と目される戦士であるから、挑まれた戦いから逃げる、という選択肢は存在しない。

 シルヴィアの周りにいたほかのオークたちは、さっとその場を下がって、試合を行える十分な空間を確保した。


 審判役は必要なかった。すでに二人の気合は十分に高まっており、ちょっとしたきっかけで戦いが始まりそうだった。


 感情の赴くままに戦いを挑んだシルヴィアであったが、いざ槍を構えて対峙すると、途端に冷静になる。

 予想していたことだったが、ウルンギの構えは正統な教育を受けた彼女からすると、お粗末なものであった。

 型も何もなく、ただ漫然と構えているだけだ。


 だが、いざ打ち込もうとすると、意外に隙がない。

 これはウルンギが積んできた、経験の賜物であろう。


 長引いて体力勝負になれば、シルヴィアに勝目がないのは、最初から分かっている。

 彼女は果敢に攻撃に出た。


 相手の顔面、喉元、鳩尾みぞおち、股間と、次々に目標を変えながら、槍先を繰り出していく。

 ウルンギはそれらの攻撃を、すべて余裕をもって弾き返した。


 それでもシルヴィアはひるまない。

 今の攻撃は、ウルンギの反応を見るための試し打ちである。

 強くしなる槍の柄を引き戻すと、彼女は本格的な攻撃に出た。


 敵との間合いが大きいという、槍の特徴を活かした打撃攻撃である。

 槍は近距離兵でありながら、間合いが大きい。

 刺突攻撃が脅威であることは言うまでもないが、上や横から叩きつける攻撃も凄まじい威力を有している。


 槍の柄には、さまざまな広葉樹が素材として使われるが、いずれも固さと柔軟性を備えている。

 長さのある槍をしならせて叩きつけると、木刀の打ち込みを凌駕する威力があった。

 実際の戦場では、敵の身体を突き刺すよりも、叩きのめす方が効率的な場合が多い。


 だが欠点もある。遠心力を利用するので大振りとなり、防御されやすいのだ。

 そして、攻撃する側も態勢を崩しやすく、連続攻撃が難しいということだ。


 シルヴィアの槍が、唸りを上げてウルンギの頭部を襲う。

 まともに当たれば、頭蓋骨が粉砕されるだろうが、彼女は何も手加減しなかった。

 それだけ、ウルンギの実力を認めていたのだ。


 相手は当然、槍でこれを防ぐ。

 しかし、シルヴィアもそれは織り込み済みである。

 弾かれた反動を利用して素早く槍を引くと、大きく踏み込んで連続した突きに移行する。


 最初の刺突攻撃で、ウルンギの反応は把握した。

 今度は、急所というよりも、相手が受けづらい個所を狙った。

 具体的には、利き腕の肩や脇の辺りである。


 槍は長さがある分、手元に近いほど攻撃を払うのが難しく、対応も遅れがちとなる。

 案の定、相手の防御が間に合わず、肩のつけ根に槍の先端が突き刺さった。

 もし、穂先がついていれば、背中側まで貫通していただろう。


 ウルンギは堪らず後退したが、シルヴィアは追撃を止めない。

 二歩、三歩とさらに踏み込み、目にもとまらぬ速さで突きを繰り出す。

 肩に続き、脇腹と腰のあたりにも、見事な突きが決まった。


 普通なら、ここで勝負ありなのだが、この試合には審判がいない。

 しかも、ウルンギの全身を覆う分厚い筋肉のせいで、数発の突きを受けても、相手はまだまだ元気だった。


 再び肩口を狙って突き出される槍を、彼は身体を捻ってぎりぎりでかわした。

 シルヴィアの態勢が泳いだところで、ウルンギは猛烈な反撃に出た。

 オークの膂力、背筋力がなければ実現しない、態勢を無視した方向からの一撃だった。


 〝ぶんっ!〟という物騒な音を立て、横殴りに襲ってくる攻撃を、シルヴィアは槍を盾にして受け止めた。


 だが、それでも相手の槍は弾けない。

 それどころか、防いだ槍ごと、強引に身体が持っていかれる。

 そのまま薙ぎ倒されずに、どうにか踏ん張れたのは、鍛錬の賜物である。


 槍を地面に突き立て、どうにか体勢を立て直したシルヴィアは、信じられないものを見た。


 ウルンギが大きく引いた槍を背中に回し、反対側から抱えて大きく回転させたのだ。

 それは試合前に、挑発のためシルヴィアが見せた演武の応用だった。

 彼はあの一瞬で、その技を盗み取っていたのだ。


 さっきとは反対方向から襲ってくる攻撃に、シルヴィアの対応がわずかに遅れた。

 彼女はどうにか攻撃を受け止めようとしたが、槍を持ち替える暇がなく、片手での防御となった。

 オークの体重が乗った攻撃が、それで防ぎきれるはずもなく、彼女の槍は大きく撥ね上げられた。


 がら空きになった脇腹に、槍が叩き込まれようとした刹那、シルヴィアは槍から手を離し、下方に向け肘を打ちおろした。

 その上腕に、ウルンギの槍がまともに叩きつけられ、今度こそシルヴィアは吹っ飛ばされた。


 片手であっても、相手の攻撃をいったん槍で受けたこと、肉のない脇腹ではなく、しっかりと筋肉がついている上腕部で受けたことが幸いした。

 また、無理に踏ん張らずに、素直に吹っ飛んだことで、衝撃もわずかに逃すことができた。


 シルヴィアは反射的に腕を振ってみたが、問題なく動かせる。骨は折れていないようだ。


 倒れたシルヴィアは、ごろりと横に回転する。

 空いた地面に、ウルンギの槍が深々と突き刺さった。間一髪である。

 彼女は自分の槍を右手で掴むと、残る左手でウルンギの槍を掴んだ。

 彼の槍は、地面に深く刺さり過ぎたことで、引き抜くのに手間取っていた。


 強引に引き戻される槍の助けを借りて、シルヴィアはばね仕掛けのように立ち上がった。

 槍を引いたばかりのウルンギに、すかさず下方からの鋭い突きを入れた。

 

 彼女の槍先は、見事にウルンギの脇の下に吸い込まれた。

 筋肉のない弱い分をしたたかに突かれたことで、彼は思わず槍を取り落とした。


 シルヴィアは追撃に移ろうとしたが、その前にウルンギが後方に大きく飛び下がった。

 落とした槍は拾わず、そのまま地面に転がったままである。


 シルヴィアが呆気に取られていると、オークはどっかと地面に腰をおろした。

 そして、胡坐あぐらをかいた両膝に手を突くと、深々と頭を下げた。

 ウルンギは自らの負けを認めたのだ。


 ややあって、その意味を理解したシルヴィアも、へなへなとその場に座り込んだ。

 彼女は自分もウルンギと同じ姿勢をとり、頭を下げ返した。

 シルヴィアももう限界で、これ以上は戦えないと、素直に認めたのである。


 実際、さっき打たれた右の上腕部は腫れあがり、ずきずきとした激痛が続いている。

 右手はぶるぶると震え、半ば感覚がなくなって槍を握るのもやっとだった。

 最後の突きを放てたのは、奇跡としか言いようがない。


 互いに頭を下げ合う二人に、息を呑んで見守っていた観衆の中から、ぱちぱちとまばらな拍手が聞こえてきた。


 それはさざ波のように広がっていき、やがて大波となって、二人を包み込んでいった。

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