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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第九章 能力発現
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十五 亡者踊り

 二級召喚士のユニは、シルヴィアの憧れのひとであった。

 彼女がこの世界を去ってから、まだ二か月も経っていない。

 その最期を語ることは、せっかくシルヴィアの心にできた瘡蓋かさぶたを、めりめりと引き剥がすようなものだった。


 せっかく塞がった傷跡から、真っ赤な鮮血が流れ出し、ひりひりと痛む。

 だが、ユニの長年の友人であるオーク王に、それを伝えるのは彼女の義務であった。


「私は現場に居合わせましたが、かなり離れていたのでよく分かりませんでした。

 ただ、私の友人のエイナは、ユニさんの最期を間近で目撃していましたので、詳しく聞いております」

 シルヴィアはそう前置きすると、ぽつりぽつりと話し始めた。


 途中で何度も涙がこぼれ、声が詰まったが、自分の心に鞭を入れて、最後まできちんと話すことができた。

 トルゴルでの作戦は、ケルトニアや帝国との政治関係も絡み、王国にとっては機密の塊りである。

 だが、真剣な眼差しを向けてくる賢王を目の前にすると、下手に隠すのは最悪の選択だと思えた。


 シルヴィアはすべてを打ち明けた。

 ケルトニアの思惑を承知の上で、そこにのった軍司令部の判断。

 予想外の早さで現れた、帝国の魔女と即応部隊の圧倒的戦力。

 それを見越して、最後の賭けに出たユニの覚悟。


 普通であれば、王国から派遣された若い魔導士たちは、ケルトニアの指揮官もろとも全滅する運命にあった。

 ユニはぎりぎりのタイミングで駆けつけ、その危機を救い、そして金色の粉を撒き散らして、この世界から消えていったのだ。


 ダウワースは鬼のような形相のまま、黙って聞いていた。

 そして、この話はフェイにとっても初耳で、衝撃的なものであった。


 港町南カシルで、浮浪児として明日をも知れない日々を送っていたフェイを、ユニはアスカとともに救ってくれた。


 アスカの養女となり、蒼城市で暮らすようになってからも、ユニは何かにつけては訪ねてきて、フェイの成長を見守ってくれた。

 彼女にとって、ユニはアスカと並ぶ恩人なのだ。


 もちろん、フェイはユニがこの世界を去ったことを知っている。

 その事実は、養母であるアスカから知らされたが、詳しい経緯までは教えてもらえなかった。

 第四軍で事実上の軍司令官を務めているアスカとしては、例え娘であろうと、機密を洩らすわけにはいかなかったのだ。


 だが、シルヴィアは軍の機密など『クソだ!』と判断した。

 もちろん、ただでは済まない。この村で起きたこと、自分が成したことは、すべて報告しなければならないのだ。

 彼女は罰を恐れなかったが、この辺は、彼女の若さである。


 ぎりぎりと歯ぎしりをして、激情を抑えているダウワースとは対照的に、フェイはずっとすすり泣いていた。

 そして、シルヴィアの話が終わると、オークの老王はやおら立ち上がった。


「シルヴィアよ、よくぞ教えてくれた。

 今宵はお前たちの歓迎をすべく、村中が準備に奔走しているところだ。

 だが、そうと知ったからには話は違ってくる。

 俺に付いてこい!」

 ダウワースはそう怒鳴ると、赤いマントを翻して外に向かった。


      *       *


 村の中央広場では、宴の準備が整いつつあった。


 王の食糧庫から放出された食材を、ふんだんに使ったご馳走からは、堪らない匂いが漂っていた。

 大量の焚き木が井桁に組まれ、撒かれた獣脂でてらてらと輝いている。


 若者たちは準備に走り回る一方、有力者たちは派手な装身具で着飾り、女たちが群がって入念な化粧を施している。

 一般の村人も、それぞれ精一杯に着飾って、ぞろぞろと集まりつつあった。


 そんな騒然とした状況で、ダウワース王が出てきたのだ。

 これは予想外のことだった。

 準備が整えば、迎えの者が王と客人のもとに報告して、初めて王が登場するというのが段取りである。

 

 進行を司るオークたちが、慌ててダウワースのもとへ飛んでくる。

 王は彼らに『今すぐに全員集めよ!』と、険しい表情で命じた。

 そのただならぬ雰囲気に、オークたちは質問ひとつすることなく散っていった。


 もうすでに多くの村人たちは広場に集まっていたが、『賢王様から緊急の演説がある!』という呼びかけは、すぐさま各家々に伝えられた。

 腰の重い年輩者や妊婦、まだ物の道理も分からぬ子どもたちも、母親に連れられて家を出てきた。


 広場の中央には、何かの出し物のための屋台が組まれ、宴の開催を宣言するための演台も用意されている。

 集合の触れが出されてから十数分、中央広場はオークたちでびっしりと埋まっていた。


 便宜上〝村〟と呼んでいるが、この集落の総人口は六千人を越えている。

 十数年前のユニ報告書では、およそ八百人と推定されていたから、とんでもない増え方である。


 身動きが取れない状態となった群衆は、壇上に上がったダウワース王を、何とも言えない表情で見上げていた。

 祭りとご馳走を渇望する目もあれば、予定外の王の演説をいぶかしむ表情もあった。

 しかし、長い年月にわたって一族を率い、空前の繁栄をもたらした賢王に対して、疑いを向ける者など、ひとりとして存在しなかった。


 すでに日は落ち、闇が押し寄せる中で、広場ではいくつもの篝火が焚かれ、煌々と周囲を照らしている。

 そして、屋台の前に組まれた井桁の材木にも、満を持して火が着けられた。

 十分に乾燥させた上に獣脂が塗られた井桁は、あっという間に燃え上がり、夜空に高い炎を巻き上げた。


 舞台は整った――そう判断したダウワースは、群衆に向けて口を開いた。


『皆も知っておろうが、今日我らは、人間の客人を迎えた。

 彼女たちは、北のリスト王国の特使である。

 話の内容については、およその予想はついているし、具体的な交渉は明日以降のこととなろう』


 賢王の声には、年齢を感じさせなない覇気があった。

 もちろん、彼の演説はオーク語で行われていた。

 フェイのオーク語は、単純な意思のやり取りが限界で、シルヴィアに至ってはまったく理解できない。

 そのため、キャミイが同時通訳で(かなり簡略化しているが)、その内容を伝えてくれた。


 ダウワースの話は続いた。


『それに先立って、客人たちはある重要な情報をもたらしてくれた。

 それは、我々密林オーク族にとって、初めての人間の友、ユニ・ドルイディアの消息である!』

 それまで静まり返っていた群衆から、『おおうっ!』というどよめきが起きた。


『端的に言おう。ユニはこの世界を去った。

 その肉体は滅び、魂は我々の父祖の地である幻獣界へと旅立ったのだ!」


 王の言葉に、広場には男たちの怒号が飛び交い、女たちは悲鳴をあげた。

 幹部級のオークたちが、躍起になって『静まれ!』と叫び、落ち着くまで数分の時間を要した。


『十数年前、戦士アスカとゴードンを率い、この村を訪れたユニは、危機に瀕していた我らを救ってくれた。

 毒龍ヒュドラをけしかけて襲ってきた、千を超えるゴブリンどもと、ともに戦ってくれたのだ。

 アスカとゴードンは、集団戦を知らぬ我らを指揮し、敵を防ぎ切った。

 今では我々の欠かせぬ武器となった、投石器スリングを伝え、教えてくれたのもあの二人だ!』


『そして、もっとも身体が小さく非力と思われたユニは、どんなオークよりも勇敢だった。

 ユニは巨大なオオカミに跨って敵の中に飛び込み、誰よりも多くの首級を挙げてみせた。

 策をめぐらせてゴブリンどもを罠にかけ、数倍の敵を敗走させた。

 そして、あの恐ろしいヒュドラさえも、屈服させたのだ!!』


『オークのために命を賭したユニは、何も見返りを要求しなかった。

 我々はただ、人間たちが通る街道の安全を約するだけでよかったのだ』


『ユニはオークの友として、その後も変わらぬこうを示してくれた。

 リスト王国は我らが密林を支配することを認め、決して手出しをしないと約束してくれた。

 ユニは南の大公国との仲介にも奔走し、人間との交易を軌道にのせてくれた』


『我らにもたらされた人間の技術によって、密林オーク族は空前の繁栄を迎えることとなった。

 だが、ユニは決しておごることなく、ただただよき友人であり続けた。

 悲しいかな、我々はついに彼女の恩義に報いる機会を永遠に逸してしまったのだ。

 実にざんに耐えない! 俺は一族の王として面目なく思っている』


『今宵は客人を歓迎する宴を開く予定であった。

 だが、ユニという得難い友人を失った悲しみは、あまりに大きい。

 せめて、一族を挙げてユニを弔い、その魂の安からんことを祈ろうではないか!!』


 ダウワースの力強い宣言に、広場を埋め尽くした群衆は、再び咆哮で応えた。


      *       *


 その夜の宴会は、夢のようなひと時であった。


 シルヴィアたちは、賓客としてダウワースの左右に座らされ、溢れんばかりの料理と酒でもてなされた。

 オークは理性を失いやすいため、普段は禁止されている酒も、この日ばかりは存分に振舞われた。

 村人たちは大いに呑み、喰いながら、たちまち無礼講となっていった。


 巨大な篝火を中心に何重にも輪ができ、オークたちは飽きもせずに踊り続けた。

 演台が片づけられた舞台には、太鼓と笛を持った十人ほどのオークが上がり、哀調を帯びた戦慄を繰り返しかなでた。

 シルヴィアにとっては、オークが音楽を演奏すること自体が驚きだった。


 踊り手たちもまた奇妙で、全員が顔を四角い麻布(目の部分だけ穴が開いている)で覆っていた。

 ダウワースの説明によると、この踊りは〝亡者踊り〟と呼ばれるもので、布で顔を隠すのは死者を表現しているのだという。

 死者になって踊り狂うことで忘我の境地になると、その肉体に親しい故人の魂が宿り、つかの間の再会を果たすのである。


 延々と繰り返される踊りと演奏は、見ている者の精神を酔わせ、人ならぬものが見えてくるような気がする。

 踊りに参加しない観客たちの中には、笑っている者もいたが、泣いている者も多かった。

 風で布がめくれると、踊り手の頬にも涙が流れていることに気づく。

 オークたちが本当にユニのことをいたみ、悲しんでいることが伝わってきた。


 思わず涙ぐむシルヴィアに、ダウワースはぼそりとつぶやいた。

「お前たち人間が、いまだにオークを蛮族だと蔑んでいることは知っている。

 だがな、俺たちにも友を思って涙する情がある。

 ユニが辺境で、何十人というオーク(と言っても、理性をなくした獣のような連中だが)を殺してきたことも承知の上だ。

 それでも、あいつはオークの友となった。

 ユニはオーク語を最後まで覚えなかったが、あいつは俺たちと笑い合い、当り前に付き合ってくれた。

 陽気なバカ騒ぎが好きな女だった」


 賢王は何かを思い出すかのように、夜空を見上げた。

「こんなことを言えば、お前は笑うだろうが……。

 俺はユニがオークだったらと、何度も思ったものだ」


 彼はそうつぶやくと、手にしていた素焼きの杯を床に叩きつけた。

 衝動的なものではなく、何かの儀式じみた仕草だった。


「ユニのためにこの一杯を」

 そして、ダウワースは宴の席から去っていった。


      *       *


 王が引きあげた後の貴賓席には、シルヴィアたち三人だけが残され、何となくしんみりとした雰囲気になった。


 ここは臨時に建てられた観覧席で、地上からは二メートルほどの高さがあって、そこそこ見晴らしがよい。

 屋根はなく、ただ丸太で骨組みされたやぐらに、板で床だけが渡されている。


 彼女たちの世話は、オークの少女がひとりで務めていた。

 オークの女は、男ほど背が高くないが(それでも百八十センチくらいある)、恰幅がよく大きな乳房を揺らしているのが普通である。


 だが、その少女はもっと小柄で、貫頭衣の上から窺える胸の膨らみも、ごく控えめであった。

 恐らく、まだ十二、三歳の子どもなのであろう。


 オークは成長が早く、そのくらいの年齢で成人と見做みなされるのだ。

 観覧席にかけられた階段を昇り降りし、こまめに料理や酒を運んでくる少女を眺めながら、フェイがぽつりとつぶやいた。


「オークの女は、あのくらいの年齢で最初の夫を迎えることも珍しくないのよ。

 そして、すぐに妊娠して出産するの。

 十代の後半になると、第二、第三の夫ができて、そうなるともう毎年子を産むようになるのね」


「何だか大変そうですね。まるで毎日卵を産むニワトリみたいだわ。

 それだけ子どもがいたら、育てるだけで手一杯な感じがしますけど……」

 シルヴィアが首をかしげながら、フェイの言葉に感想を挟んだ。


「そうよね。だから、オークの女たちは共同体をつくっているのよ。

 子育ても出産も家事も、すべて女同士で助け合っているの」

「それって理想的ですけど、人間関係とか大丈夫なんですか?」


 フェイはくすくすと笑った。

「そりゃあ、多少の争いはあるわよ。

 でもオークの女は大らからなのね。人間みたいに陰湿な争いは起きないらしいわ」


 ちょうど、オークの少女が新しい料理を持ってきて、彼女たちの前に置いてくれた。

 フェイはにこりと笑って、少女の頭を撫でた。

『モウイイ。ハラ、フクレタ。オマエ、ヤスメ』


 彼女は片言のオーク語でそう言うと、ポケットから飴玉を取り出して、少女の手に握らせた。

 少女は嬉しそうに笑ってぺこりと頭を下げ、引き返していった。

 シルヴィアもその後ろ姿を、微笑みながら見送った。


 少女が階段から降りようとした時である。

 突然、その身体が横に吹っ飛び、彼女は悲鳴を上げて床に転がった。

 下から何者かが、もの凄い勢いで駆け上がってきて、少女を突き飛ばしたのだ。


 現れたのは、少女と違って立派な体格をしたオークの女だった。

 その女は、呆気に取られているシルヴィアたちを見つけると、猛然と駆け寄ってきた。

 そして、フェイに掴みかかると、早口で何かをまくしたてた。

 乱れた髪が汗で濡れた額に張りつき、血走った目をしている。


 フェイはキャミイに向かって叫んだ。

「早すぎて全然分からないわ、通訳お願い!」

「いや、それが……言っていることが支離滅裂で、僕にもよく分かんないんだけど!

 えっと、とにかく、どっかの家で出産があったらしい。

 それで、母親の出血が止まらないって。

 それと……赤ちゃんの首にへその緒がからまって、息をしていないって。

 フェイが医者なら、お願いだから助けてくれって言っている!」


 フェイは腕を掴んでいるオークの手を振りほどくと、素早く立ち上がった。

 傍らに置いてあった背嚢はいのうを掴んで肩に担ぐ。

「キャミイ! あんたも一緒に来て!!」


 彼女は過呼吸を起こしかけているオーク女の頬を、平手で叩いて怒鳴った。

『ナクナ! アンナイ、シロ!!』

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