十四 消息
「アスカとゴードンか……。
あの二人が結婚したことは、ユニから聞いて知っている。
子どもが生まれたということもだ。
だが、お前の存在は初耳だ。
養父母といったが、本当の娘ではないのか?」
フェイは素直に認めた。
「はい。私がアスカの養女になったのは、ゴードンと結婚するより以前のことです」
それを聞いても、ダウワースの眉間に寄った皺は消えなかった。
「それは別にいい。
繰り返すが、俺はユニから何も聞いていない。
だが、フェイという名前は確かに聞き覚えがある。
くそっ! 知っているはずなのに出てこないのは、何とも擬かしい。
……年は取りたくないものだな」
「ああ、それでしたら、ジャヤからではありませんか?」
「何? 俺の末娘を知っているのか?」
「ええ。彼女は初めてできたオークの友達ですから。
私にオーク語を教えてくれたのも、彼女なんですよ」
ダウワースは、ぱんと膝を手で叩いた。
「そうか、思い出したぞ!
お前は王国が派遣したという、人間の医者か!?」
「まさにそのとおりでございます」
フェイは胡坐のまま、膝に手をついて頭を下げた。
「そういえば、ジャヤからの便りには、時々お前の名前が出てきておった。
なぜすぐに思い出さなかったのか……いやはや、実に情けない!
フェイはオルグの村で、何人もの命を救ってくれたそうだな?
俺からも礼を言わせてくれ」
王はそう言って、先ほどのフェイと同じように、両ひざに手を置いて頭を下げた。
そして、顔を上げると言葉を続けた。
「だが、お前は医者で、民間人なのだろう。
何故、王国の使者となっているのだ?」
「それは、片言であっても、私がオーク語を話せるからです」
「なるほど……。
だが、哨戒部隊の者の報告だと、そっちの女も流暢なオークを操ったというぞ。
見たところ軍人のようだが、何者だ? まずは名乗るがよい」
まだ立ったままだったシルヴィアとキャミイは、慌てて敷物の上に腰を下ろし、フェイに倣って胡坐をかいた。
そして、見よう見まねでオーク流のお辞儀をした。
「私はリスト王国の参謀本部所属、国家召喚士のシルヴィア・グレンダモア中尉と申します。
横にいるのは、キャミイ准尉です。
私たち二人は、この使節のことは知らず、たまたま赤城市を訪れたに過ぎません。
ですが、准尉がオーク語に堪能だと知られ、赤龍帝のご命令で、急遽同行することになりました」
ダウワースは疑いの眼差しをキャミイに向けた。
そして、それまでの中原語に替えて、オークの言葉で話しかけた。
『部下の話では、お前の言葉は、オークと少しも変わらなかったそうだ。
俄かには信じられん。試しに俺たちの言葉で、何か喋ってみせよ』
キャミイは軽く首を傾げ、しゃがれた声で応えてみせた。
『急に言われても、何を話したらいいのか戸惑います。
とにかく、ええと……そうだ、お目にかかれて光栄です! 密林の賢王に栄光あれ!!』
彼女は、オークの群衆に向けた言葉を、ここでも繰り返してみせた。
事前にシルヴィアと練習していた挨拶なので、すらすらと出てきたのだ。
赤城市で受けた教練のお陰で、王に対する言葉遣いは、ぎりぎり許される程度に丁寧だった。
ちなみに、シルヴィアや気安い人物に対する口調は、カー君の時と同じである。
「ほう……! 目を閉じて聞けば、確かにオーク女と区別がつかんな。
だが、人間であるお前が、我らの言葉をそこまで流暢に話せるのは、何故だ?
どこで、誰に習ったのか、正直に申してみよ!」
再び人間の言葉に戻ったダウワース王は、厳しい口調で問い詰めた。
キャミイは困ったような目で、シルヴィアに助けを求めた。
シルヴィアは小さくうなずき、王の目を真っ直ぐに見て口を開いた。
「それについては、私からお答えします」
「ただ、ひとつだけお約束ください。
これからお話しすることは、国家的な機密に属します。
決して他言されぬよう、お願い申し上げます」
ダウワースはぴくりと片方の眉を上げた。
「よかろう。賢王の名にかけて誓ってやる。申せ!」
シルヴィアはすうっと息を吸い込んで、落ち着いた声で話し始めた。
「密林のオーク族は、もともとが幻獣界の住人であったと聞きます。
でしたら、カーバンクルをご存じでしょうか?」
「カーバンクル……それは、幻獣界の住人ではないか。
もちろん、俺たちはこの世界で生まれているから、見たことはない。
だが、我らは文字を持たぬ代わりに、多くのことを口承している。
それによれば、カーバンクルとは深い森に棲む悪戯好きな獣だったはずだ。
額に宝玉が埋め込まれていて、その色によって様々な能力を発揮すると聞いている」
「先ほど私は、自分が国家召喚士だと申しました。
私が召喚したのは、まさにそのカーバンクルでした。
隣りにいるキャミイは、その仮の姿なのです」
「シルヴィアとやら、貴様……俺を愚弄するつもりか?」
「決して! お気持ちは分かりますが、これは真実です。
王がおっしゃったように、カーバンクルは額の魔石によって、さまざまな能力を発揮します。
私が召喚したカーバンクルは、赤い魔石を額に持ち、炎を吐くことができました」
ダウワースはキャミイの全身に、じろじろと遠慮のない視線を浴びせ、鼻の穴を広げてひくひくさせている。
シルヴィアは構わずに話を続けた。
「カーバンクルは魔石を摂取することで、新たな能力を得るのです。
私の幻獣は、この世界で黄色の魔石を獲得しました。
その結果、言葉を持つすべての生き物と、会話ができるようになりました。
誰に教わったわけでもないのにオーク語を話せるのは、この魔石の力なのです」
「ただ、獣の姿のままでは、聞くことはできても、言葉を発することができません。
念話という形で、頭の中に思念を送ることはできますが、自由度は低いと申せましょう」
「そして、続いて黒の魔石も手に入れました。
それによって変身能力を獲得し、人間やオークの言葉を自在に話すようになったのです」
シルヴィアは極めてざっくりとした説明を行った。
カー君が白の魔石によって、飛行能力を獲得したことは、わざと話していない。
必要なら後で説明すればいいことで、無闇に秘密を明かす必要はない。
「なるほどな。実に驚くべき話だが、貴様を信じよう」
「ありがとうございます。
正直に申しますと、もっと疑われるというか、『証拠を見せろ』と言われると思ってました」
「何、証拠ならすでに見せてもらった」
「どういう……意味でしょうか?」
「シルヴィアはオークのことを、どの程度知っているのだ?」
「ユニさんの報告書であれば、くまなく読みました。
それと、文明を持ったオークと会うのは初めてではありません」
「ほう?」
「私とキャミイは、タブ大森林に棲むオルク殿の村に行ったことがあります。
王のお嬢さまである、ジャヤとも知り合っております」
「何と!
ひょっとして、吸血鬼に攫われた村の娘を救ったというのは、お前たちだったのか?
そういえば、ジャヤの手紙にも、シルヴィアという名があった気がする」
ダウワースの末娘ジャヤは、タブ大森林に棲みついたオークの族長に嫁いでいた。
彼女は賢王の娘たちの中でも、特に人間語に精通しており、父王同様に文字の読み書きもできた。
そのため年に数度、手紙をやりとりしていたのだ。
「ふむふむ、かなり事情が呑み込めてきたぞ!
ああ、いや、話が逸れてしまったな。証拠の話だった。
オークについての知識があるなら知っていよう。オークという種族は極端に女が少ない」
「存じております」
「うむ。そのためか、俺たちオークの男は、女の臭いに敏感なのだ。
もともと鼻は悪くないのだが、女の臭いとなれば、数キロ離れていても嗅ぎつけることができる。
人間とオークは極めて近い種で、骨の数や内臓は、ほぼ変わらんのだ。
これはユニから聞いた話だが、人間の女がオークの子を出産したという例もあるそうだ」
「だから、お前たちが村に近づいてきた時点で、俺は臭いに気づいていた。
だが、人間の女は二人だと思っていた。
だから哨戒部隊の報告で、三人の女を連れてきたと聞いた時は、少なからず驚いた。
そして、お前たちがここに入ってくると、その疑念はますます深まった。
目の前には三人いるのに、やはり女の臭いは二人分しかない。
俺は年を取ったせいで、自分の鼻が馬鹿になったのかと思ったぞ」
「あの、私ってそんなに匂いますか?」
シルヴィアが半分泣きそうになって訊ねた。
うら若き乙女(しかも伯爵家令嬢)にとって、〝臭い〟と言われるのは、死に勝る屈辱である。
「違う、そうじゃない! 貴様、俺の話をちゃんと聞いていたのか!?
人間など、オークの女に比べれば無臭に近いのだ。頼むから、ぼろぼろ泣くな!!」
ダウワースは大きく咳払いをして、態勢を立て直そうとした。
「繰り返すが、俺たちの鼻が女の臭いに敏感なのは、種族的な特性であって、他意はない。
お前たち女性を前にして、こういう話題を持ち出すのが、紳士として褒められない行為だとは、俺だって十分に承知している。
これはあくまで、その……キャミイと言ったな?
キャミイの正体がカーバンクルであることを、俺が納得した理由の説明に必要だから話しているんだ。
不快だろうが、我慢して聞いてくれ」
人間から見れば、醜く野蛮なオークから、紳士という言葉が出てくるのは、強烈な違和感があった。
だが、ダウワース王は大真面目なのだ。それは、額に汗を浮かべた、彼の一生懸命な表情からも分かった。
「キャミイからは、まったく女の臭いがしない。
オークの嗅覚をもってしても気づけないというのは、本当に異常なことなのだ。
これは俺の推測だが、この女には性器がないのではないか?
つまり、見た目は人間でも、中身は別物ということだ。違うか?」
「驚きました。王のおっしゃるとおりです。
キャミイの股間には、総排泄腔しかないのです」
ダウワース王は、オークらしい(というか、嫌な)視点で、キャミイの正体を見破っていたのだ。
人間であるシルヴィアからすれば、キャミイの変身は完璧であるように思えたが、種族によっては騙せないということだ。
これは心しておかねばならない。
「匂いのことは、私も気づいていたわよ」
フェイがぽつりと洩らした。
「えっ、フェイさんもですか?」
「うん。ほら、私にはオオカミ人間の血が、半分流れてるって言ったでしょ?
だから普通の人間よりも、ずっと嗅覚が鋭いのよ。
ダウワース王の言うとおり、キャミイからは人間らしい匂いがしないのよね。
ただ、私は最初の段階で、彼女の正体を教えられていたから、あえて言わなかったの」
「そうだったんですか」
「この能力って、人からは嫌がられるから、あんまり言わないんだけどね。
その代わり、診察では役に立つのよ」
「匂いが……ですか?」
「そう。私の専門って産科だから、患者を診る前に匂いで大体のことが分かるの。
ああ、この人は妊娠してるな、とかね。
ほかにも、生理になっているだとか、性病に感染していることも分かったりするわ」
「そっ、それは確かに、ちょっと嫌かも。
あっ、それじゃあ……」
「ちょっと待て!」
ダウワースがシルヴィアの話を制した。
「さっきから、話が全然進んでないぞ。
とにかく、キャミイ……というか、カーバンクルのことは了解した。
次はシルヴィア、お前の番だ」
「私の……ですか?」
「そうだ。話を聞いているうちに、いろいろ思い出してきたのだ。
まず聞くが、お前はユニと親しいのか?」
「はい。そうですね、いくつかの任務で行動を共にしましたから、結構親しいと思います」
「そうか。では、ひょっとしてエイナという女魔導士を、知っているのでないか?」
思いがけない名前が出たことに、シルヴィアは面食らう。
「エイナは魔導院時代からの親友で、今でも王都では、同じ下宿に住んでいます。
彼女が何か?」
「いや、そのことは後でゆっくり話そう。
それよりも、先に確かめねばならぬことがある」
ダウワースの表情が険しくなった。
「去年、オルグの村で誘拐事件が起きる直前のことだ。
ユニがふらりと遊びに来たのだ。
あいつは、一、二年に一度は訪ねてきては、酒を吞みながら、俺と世界の秘密について語り合うのが好きだった。
またいつものそれか、と思って歓迎したのだが……」
「その夜、ユニはいつになくしんみりしていてな。
俺がそのことを揶揄うと、真面目な顔で『お別れをしにきた』と言ったんだ。
俺は今年で六十歳になる。見てのとおりの年寄りだ。
人間よりも寿命が短いオークとしては、これは記録に残るほどの長寿なのだ。
だから、ユニは俺がいつ死んでもおかしくないと思って、別れの挨拶をしにきたんだと思った」
「だが、それは違った。
あいつは、近いうちに自分はこの世界から消滅して、幻獣界へ旅立つ……そう言いやがった。
召喚士には、〝その時〟ってやつが分かるらしいな?
――とにかく、その夜、俺とユニは夜明けまで語り明かした。
そして、次の朝にあいつはオオカミたちとこの森を去り、それ以来二度と会っていない」
「あれからもう、半年以上経った。
ユニの予感ってやつが正しければ、あいつはとっくに旅立ったはずだ。
シルヴィアは何か知っているのでないか?
もしそうであるなら、頼むから教えてほしい」
そしてダウワースはぎょろりと目を剥き、怒気をはらんだ大声を出した。
「ユニは、あいつはどうなった!?」