表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔導士物語  作者: 湖南 恵
第九章 能力発現
302/358

十三 老賢王

 オークの村までは、二十キロ近い道のりであった。

 シルヴィアたちは護衛をしてくれた小隊と別れを告げ、彼らが背負ってくれていた荷物を引き受けた。

 オークたちが手伝おうとしたが、キャミイの通訳でそれは丁重に断った。


 シルヴィアはまだ完全に彼らを信用したわけではない。

 荷物を持ち逃げされては、目も当てられないだろう。

 それに、大きく重い荷物は、そのほとんどをキャミイが引き受けてくれた。


 彼女は大型の背負子しょいこに、百キロ近い荷物を積み上げると、平気な顔で背負ってみせた。

 もともとの姿なら、二人の女性と荷物を乗せて空を飛べるのだから、この程度は何でもないのだ。

 事情を知っているシルヴィアとフェイは驚かないが、オークたちは、ぽかんとしてその様子を眺めていた。

 

 歩き始めると、森を熟知しているオークたちは、ずんずんと進んでいった。

 人間の目では分からない獣道が、彼らの頭の中にはすべて入っている。

 行く手をさえぎる棘だらけの灌木は、素手で払い、へし折っていった。


 人間たちは、先導のオークがつけた道をたどるだけだから、かなり楽ができた。

 下草が軍靴に絡みつくが、地面はふかふかの腐葉土でクッションが効いている。

 シルヴィアは、目の前を軽い足取りで進んでいくキャミイの足元を見て、息を弾ませながら声をかけた。


「ねえ、あんたが最初に人間になった時って、ベッドが壊れそうなくらいにきしんでいたわよね?」

「そうだね。人間サイズになっても、体重自体はあんまり変わらないからね」


「何か、あたしと同じ身体なのに、もの凄く重いって……気分が悪いわ。

 でもさ、さっきから見てたけど、足が地面にめり込んでいないわよ。

 どういうからくりなの?」

「ああ、これ?」


 キャミイは重い荷物を背負ったまま、片足を〝ひょい〟と上げてみせた。

「簡単だよ。

 二本足だと動きづらいことは、僕もすぐに気づいたんだ。

 それで、地面から足が離れない程度に、身体を浮かせてみたの。

 最初は加減が難しかったけど、もう慣れちゃったから、ほとんど無意識だね」


 カーバンクルは、生まれつき浮遊能力を備えている。

 これは彼らの本質が、宙を漂う精神体であることに由来しているらしい。

 魔導士でいえば、重力魔法を自身にかけるようなものだ。

 初めのうちは、役立たずの能力と思われていたが、意外な利用法があるものだ。


      *       *


 昼時になると、一行は休憩を取った。

 シルヴィアたちは、黒パンにバターを塗り、チーズを挟んだだけのサンドイッチを、水筒の水で流し込んだ。


 オークたちは固そうな干し肉を噛みちぎって、水を口に含んでくちゃくちゃと咀嚼していた。

 彼らもちゃんと水筒を腰に下げている。イノシシの膀胱で作っているとのことだ。


 互いに粗末な食事であったが、オークたちはちらちらと人間の方へ視線を送ってきた。

 本人たちは盗み見のつもりなのだろうが、丸分かりである。


 シルヴィアは苦笑いを浮かべ、キャミイと何事かささやき合った。

 そして、切り分けた黒パンに厚切りのチーズをのせ、彼らのもとに持っていった。

 オークたちは目を丸くしていたが、すでに唇からよだれを垂らしている。


『コレヤル、タベロ』

 シルヴィアの口から、ぎこちない唸り声が洩れた。

 たったいまキャミイに教わったばかりの、下手糞なオーク語である。


 彼らは一瞬、ぽかんと口を開けたが、すぐにその意味を理解した。

 オークたちはシルヴィアの周りにわらわらと集り、争うようにパンに手を伸ばした。

 クンクンと臭いを嗅いでから、一口で頬張ると、たちまち顔がくしゃくしゃになる。


 オークたちは猛烈な早口で、シルヴィアに向かって喋り出した。

 もちろん、彼女には理解できないが、喜んでいることだけは伝わってきた。

 飛んでくる唾を腕で防ぎながら、シルヴィアはキャミイの方を振り返った。


「ねえ、この人たち、何て言ってるの?」


 すぐにのんびりした声が返ってくる。

「凄く美味しいってさ。

 オークに家畜を飼う習慣はないから、バターやチーズはとても珍しいんだって。

 大公国の商人から法外な値段で買ってるらしくて、何かのお祭りじゃないと食べられないらしいよ。

 それも彼らみたいな下っ端の若者は、小指の先ほどしか貰えないんだって。

 こんなに大きなチーズを食べたの、生まれて初めてだって感激しているよ」


「まぁ、喜んでくれたのなら、何よりだわ」

 シルヴィアはそう言うと、目の前にいるオークの唇についていたチーズの欠片を摘んで、彼の唇に押し込んでやった。


 オークはシルヴィアの行動を理解すると、いたく感動したらしく、彼女の手を両手でそっと握り、上下に振った。

 そして、涙ぐんだ瞳で何かを切々と訴えてきた。


「ごめん、キャミイ。また通訳お願い」


 だが、キャミイは少し口ごもった。

「えーと……つまり、彼はシルヴィアに対して、最大限の好意を示したってことだよ、うん」

「何それ! えっ、ひょっとして愛の告白なの!?」


「う~ん、まぁ、そうとも言えるね。オーク流の愛情表現なんじゃないかな。

 いや、でも、相手はオークだよ?」

「そんなことは関係ないわ!

 あたし、生まれてこの方、男性から愛を告白されたの、初めてなのよ!!」


「いや、だからさ……オークだってば」

「あたしだって、別に付き合おうとか思ってるわけじゃないわよ。

 それで、具体的に何て言ったの? そこ、大事なところよ!」


「本当に訊きたいの?」

「当り前じゃない!」


「その、つまり……『やらないか?』だって」


      *       *


 オークの集落に着いたのは、午後五時過ぎだった。

 帰還した哨戒部隊が、人間の女を三人も連れ帰ってきたことにオークたちは大いに驚き、たちまち黒山の人だかりとなった。


 村中の注目を浴びたオークの若者たちは、顔を真っ赤にして緊張していたが、自分たちの役目を忘れることはなかった。

 今やシルヴィアたちを守るのが、彼らの責務だったのだ。

 隙あらば人間の女の尻を、指でつつこうとする野次馬を追い払いながら、彼らは伝令をダウワース王のもとに走らせた。


 密林を伐り拓いたオークの集落は、想像以上の規模であった。

 シルヴィアが夢中になって読んだユニの報告書にも、村の様子は描かれていたが、その当時よりも、相当規模が拡大されているようだ。


 オークの家は、いわゆる竪穴式住居と呼ばれるものである。

 地面を一メートルほど掘り下げ、十分に床を叩き締め、柱を組んで、その外周をかやく。


 広大な敷地に、こうした住居が無数に建てられているのだが、村の中央は大きな広場になっていて、そこには大きな建物が何棟も建ち並んでいた。


 伝令の若者は、そのひとつに駆け込んで、すぐに戻ってきた。

 そして誇らしげな表情を浮かべて、シルヴィアたちに何やら話しかけた。

 キャミイがうなずきながら、シルヴィアとフェイのために通訳してくれた。


「ダウワース王の伝言だね。

 余は人間の客人を歓迎する。突然のことで、十分なもてなしはできんが、宿舎を用意させるから、ゆるりと休まれよ……だって」


 キャミイはオークの方に向き直ると、少し芝居がかった態度で、周囲に聞こえるような大声を出した。

『偉大なダウワース王にお招きをあずかり、これにまさる名誉はありません!

 密林の賢王に栄光あれ!!』


 キャミイの流暢なオーク語が響き渡ると、群衆はしんと静まり返り、次の瞬間大歓声が沸き起こった。

 彼らは興奮して、隣り同士でがなりあった。


『おい、あの人間の女、オークの言葉を喋ったぞ!』

『ああ、聞いたぞ! 俺たちのダウワース王を、確かに讃えやがった!!』

 オーク語が分からないシルヴィアでも、そんな会話が交わされているのだと、容易に想像がついた。


 ますます得意満面の若者たちに先導され、一行が村中央の広場に向かって歩き出すと、群衆はさっと左右に分かれ、道を開けてくれた。

 彼らはシルヴィアたちに食い入るような視線を浴びせ、ひそひそとささやき合っている。


 誇らしげに胸を張る案内役のオークと違い、シルヴィアは恥ずかしくて仕方がない。

 キャミイは性格がカー君と変わらないから、当然のように気にしていない。

 意外だったのはフェイで、彼女は民間人なのに、三人の中で一番堂々としていた。


 村の入口から中央広場までは、優に一キロはある。それだけ村の規模が大きいのだ。

 その途中、左右に分かれた群衆の中から、突然子どもが飛び出してきた。

 身長は一メートルにも満たない。オークは成長が早いから、生まれて一年も経たない幼児だと思われた。


 したがって、子どもの足どりは覚束なく、案の定シルヴィアたちの手前で転び、べちゃりと顔面から地面に突っ込んでしまった。

 群衆の中から、母親と思しき女オークが飛び出したが、それよりも早くフェイが駆け寄り、子どもをひょいと抱き上げた。


 初めて見る異人種に抱かれた幼児は、一瞬固まったが、すぐに表情を崩して泣きそうになった。


 フェイは滑稽な表情で〝べろべろばぁ〟をしてから、子どもを高く持ち上げた。

 手を放して落ちてきた子を抱きとめると、仰向けにして喉元や腋をこちょこちょくすぐる。


 オークの子は、すぐにきゃっきゃと笑い出した。

 フェイは慌てて駆け寄ってきた母オークに、何事か話しかけ、ベルトにつけていたポーチの中から紙包みを取り出し、大きな手に握らせた。


 母親は何度もぺこぺこ頭を下げ、子どもを抱いて群衆の中に戻っていった。

 どうなることかと見守っていた群衆は、キャミイだけでなくフェイまでも、オーク語で会話をしたことに目をみはった。

 列に戻った母オークは、取り囲んだ者たちに質問攻めにされ、目を白黒とさせていた。


 シルヴィアは、今のやり取りが気になって仕方がない。

「フェイさん、あの母親に何を話したのですか?」

「子どもの顔を見たら、目ヤニがいっぱいついていたのよ。

 目が軽い炎症を起こしていて、痒くてこすっちゃったのね。

 それで、お母さんに薬をあげたの。きれいな水で溶かして目に差してあげなさいってね」


「よくそんな薬、持っていましたね?」

「オークの子どもには、結膜炎が多いのよ。

 目薬はキハダの木から作れるから、後でこの森に自生しているか調べなくちゃね」


      *       *


 広場中央の大きな建物に入ると、薄暗い室内には小皿にエゴマ油を満たした灯明が点っていた。

 床は固い土間で、中央に分厚い絨毯が敷かれている。

 そして、上座にはダウワース王が座っていた。


 もちろん、シルヴィアは王の顔を知らない。

 だが、その身にまとった真紅のマントで、それが名高い賢王であることが知れた。

 これもユニの報告書から得た知識である。


 オークの族長は、全身に派手な彫り物を施すのが伝統である。

 だが、ダウワースはそれを好まず、代わりに王であることがひと目で分かるように、人間が織った派手なマントを羽織っているのだ。


 ただし、ダウワース王の印象自体は、シルヴィアの予想を裏切るものだった。

 ユニの報告書によれば、王は立派な体格で、全身から覇気が感じられるとあった。

 しかし実際の彼は、確かに身体は大きいものの、何となくしぼんでみえた。


 身体に張りがなく、筋肉量も乏しい。

 その表情は賢王の名に相応しく、深い知性が感じられたが、無数の皺が刻まれていた。

 つまるところ、王は年老いていたのだ。


 案内をしてくれたオークの若者たちは、建物の入口辺りで立ち止まり、それ以上は入ってこなかった。

 恐らく、身分上の制限があるのだろう。

 仕方なくシルヴィアたちは、三人だけで奥へと進んだ。


 絨毯が敷かれたところでフェイが立ち止まり、シルヴィアとキャミイにも止まるよう、手で制した。

「ここで靴を脱ぐのよ」

「えっ、裸足になるんですか?」


「靴下は履いたままでいいわ。これが彼らの文化なの。従って」

 彼女はそう言うと、さっさと自分の上靴を脱いだ。

 シルヴィアとキャミイは軍装なので、半ブーツの軍靴を脱がなくてはならない。


 靴紐を解くのも面倒臭いが、シルヴィアとしては、それ以上に気になることがあった。

 軍靴は丈夫である程度の防水性もあるが、その分蒸れることでも有名である。

 水虫は軍人の職業病とされたが、女性にとっては、それ以上に足の臭いが深刻な問題であった。


 今日も湿気の森の中を、半日以上も歩き続けてきた。

『臭かったらどうしよう?』

 オークは人間より嗅覚が鋭いと聞く。


 しかし、今さらどうしようもなかった。

 シルヴィアは顔を真っ赤にして、靴を脱いだ。

 平気な顔をしているキャミイが憎たらしい(彼女は汗をかかず、もともと体臭がないのだ)。


「何をもじもじしている。

 さっさとこっちに来て、敷物の上に座らんか」

 低くしわがれた声が響いた。ダウワースの王の声だ。


 目をつぶっていれば、人間としか思えないほど流暢で、完璧な発音の中原語であった。

 分かってはいても、異形の怪物であるオークが、人間の言葉を話すのは衝撃的だった。


 言われるままに王の前に進み出たシルヴィアであったが、ここでまた、はたと困った。

 相手は座椅子に胡坐あぐらをかいたままで、彼女は靴下が丸見えの状態で突っ立っている。

(王国を含めた多くの国では、身内以外に靴下姿を見せるのは非常に失礼で、恥ずかしいこととされていた。)


 仮にも彼女たちは、赤龍帝リディアの命でオーク族を訪問する特使である。

 賢王に謁見する場で、礼を失するわけにはいかなかった。


 シルヴィアは軍人であるから、気をつけの姿勢で敬礼をし、官姓名を名乗るのが常識である。

 しかし、座ったままの相手を見下ろす状態で敬礼するのは、いかにもまずい気がする。

 さすがのユニの報告書にも、オークの礼儀に関しては何も書かれていなかったのだ。


 シルヴィアが固まっていると、フェイが丸い敷物の上にどかりと腰を下ろし、賢王を真似て胡坐あぐらをかいた。

(彼女は密林に分け入るということもあって、スカートではなくズボンを穿いていた。)


 そして、両ひざに手をつくと、深々と頭を下げた。

 どうやら、これがオークの礼儀らしい。


 フェイは顔を上げ、ダウワースに向けてにこりと笑ってみせた。

「私はフェイ・ノートン、リスト王国の蒼城市で医師をしています。

 賢王さまのお噂は、私の養父母、アスカとゴードンからかねがね伺っております。

 その節は、二人が一方ならぬ世話になった由、娘の私からもお礼を申し上げます」


 ダウワース王は眉間に皺を寄せ、フェイの顔をじろりとにらんだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ