表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔導士物語  作者: 湖南 恵
第九章 能力発現
301/358

十二 哨戒部隊



「ココ、オークノクニ。ニンゲン、カエレ!」


 見た目ではっきりと分かる異人種から、人間の言葉が発せられたことは驚きだった。


 もちろん、南部密林のオーク族の中には、ダウワース王のように中原語を操る者がいることは、一行全員が承知していることだ。

 それでも実際に耳にした時の衝撃は、彼女たちの差別意識を浮き彫りにするようで、何とも居心地の悪さを感じた。


 そんな中で、シルヴィアだけは別の感慨に捉われていた。

『凄い! 本当に報告書のとおりだ!!』


      *       *


 シルヴィアがオアシスへ向かう前夜、彼女は赤龍帝リディアから、一冊の本を渡された。

 立派な革装の書物で、厚みもそこそこある。


 先進国の帝国と違い、当時の王国では、まだ活版による大量出版は実現していなかった。

 庶民が手にする出版物は木版に依存しており、厚紙の表紙をつけただけで保存性に乏しい消耗品であった。

 職人が一冊ずつ手作業で革を張る装丁(上製本)は、学術書などの希少本に限られていたのだ。


 リディアから手渡された本は、ずしりとした重みが感じられる。

 表紙の革には唐草模様の浮き彫りが施されているが、題名などはない。


「これは……?」

 シルヴィアがリディアに目を遣ると、赤龍帝はあっさりと答えた。


「ユニが初めて南部密林のオークと接触した事件の報告書だ。

 もちろん写本だぞ?

 今回の任務の参考になるだろうから、目を通しておけ」


 シルヴィアは何か言おうとしたが、口がぱくぱく動くだけで声が出なかった。

 ただ渡された本を胸に掻き抱き、ぼろぼろと涙をこぼすだけであった。


 これにはリディアの方が慌てた。

 遠慮して離れた場所で控えている副官のエイベルが、非難がましい視線を送っているのが感じられる。


「こっ、こら! なぜ泣く?

 やめろ、私がいじめているようではないか!?」


 シルヴィアは鼻を大きくすすり、手の甲で涙を拭った。

「違うのです、自分は嬉しくて……!

 ユニさんの報告書は、ほとんどが軍機に指定されていて、自分の身分では閲覧が許されません。

 だから、これは自分の夢だったのです。もう、嬉しくて嬉しくて……つい!」


「分かった! 分かったから泣き止め!!」

 リディアはそう言うと、突き刺さるような視線を送ってくる、副官の方を振り返った。


「聞いたか、エイベル! 私は悪くないぞ!?」


      *       *


 召喚士ユニの活躍は、今では王国の民衆にまで知れ渡っている。

 とはいえ、それらの冒険は必ずしも彼女の意志に基づくものではなく、国家や軍に振り回された産物である。


 ユニは二級召喚士であって、生涯を通じて軍に身を置いたことはない。

 しかし召喚士である以上、国家に奉仕することは、彼らに課せられた義務である。


 そのため、ひとつの事件が解決するたびに、ユニは軍に対して報告書を上げなければならなかった。

 そして、それらは例外なく、軍事機密に指定されたのだった。


 ユニの報告書は王立図書館で厳重に管理されたが、写しが取られて四つの軍管区にも送られた。

 閲覧の許可は、原則として四帝の許可を必要としたが、実際には佐官以上の高級将校は自由に読むことができた。


 では、なぜユニの活躍が世間に知れたのであろうか?

 それは活動の過程で、彼女が一般兵士や民間人と接触しているからである。

 そうした人々は、酒場や食卓の話題として、巨大なオオカミの群れを従えた、大酒呑みの小柄な女召喚士の話を、好んで持ち出した。


 また、ユニの報告書を閲覧した者が、差し障りのない範囲で、その内容を洩らしたということもあった。

 その結果、ユニの冒険は興味本位という、かなり歪んだ形で市井に広がっていった。


 これに目をつけたのが、民間の出版業者であった。

 彼らは昔から伝承される英雄や怪物の物語から、世間を賑わせた猟奇事件に至るまで、人びとが興味を示す題材を派手に脚色して出版していた。


 木版刷りなので、ひとつの版木で摺れるのはせいぜい二百部程度であったが、それらは行商人の手に渡って全国に広まった。


 行商人は各村を訪れると、滞在中にこうした本を貸し出した。

 極彩色の挿絵がふんだんに配された刺激的な読み本は、各家で回し読みされたのである。

 貸出料金は決して安くはなかったが、各家庭で分担すれば大きな負担にはならないのだ。


 こうした出版物では多くの話題が消費され、その中で特に好評を博したものだけが生き残り、定番として何度も再版されることになる。

 当然、業者は常に新しい話題を求めていたが、ユニの驚くべき冒険譚は、これにうってつけであった。


 王国では知らぬものがいない大事件、怪物クロウラと二神獣の戦いの背景となったユニと邪教集団の戦い。

 獣人の島で起きた、ユニと帝国の魔女・マグス大佐の運命の出会い。

 赤城市を襲った吸血鬼の恐怖。

 ドワーフの娘を救うために、ケルトニア海賊と戦った話。


 奇想天外な物語の数々は、虚実を取り混ぜた脚色が施され、子どもだけでなく大人をも夢中にさせた。

 このシリーズの中でも特に人気があったのが、ユ二が人間語を話すオークを率い、三つ首のヒュドラを操るゴブリン軍と死闘を繰り広げる話であった。


 同じ召喚士として、魔導院時代からユニに心酔していたシルヴィアは、こうした通俗物語の熱狂的な読者であった。

 もちろん、彼女も成長するにつれ、これらが半分以上創作であることに気づいていた。

 だが、裏を返せば半分は真実だということになる。


 そんなシルヴィアにとって、本物のユニの報告書は、砂漠で倒れた旅人が水を欲するほどに恋焦がれたものだった。


 魔導院を卒業後、希望どおりに軍に進んだ彼女は、すぐさま閲覧申請を行ったが、准尉に過ぎない新人士官に許可が下りることはなかった。

 幸いにも、シルヴィアはユニと行動をともにする機会を何度か得て、ほとんど暗記していた物語の真偽を訊ねることができた。


 ユニは面倒くさがらずに答えてくれたが(そのために酒という貢物が必要だったが)、時間が足りな過ぎた。

 やはり、詳細な報告書をじっくりと読みたい。


 そんな夢が、思いがけずに叶ったのである。

 写本を手にした彼女が、感激のあまり泣き出しとしても、責めるのは酷であろう。


 その夜、シルヴィアは与えられた赤城内の部屋に報告書を持ち帰り、夢中になって読みふけった。

 想像はしていたが、やはりその内容は複雑で、高度に政治的な要素が含まれていた。


 三度目の読了後、シルヴィアは溜息をついて本を閉じた。

 そして、夢見る少女であった院生の時ではなく、それなりの経験を積んだ現在、真実に触れた幸運に感謝をするのであった。


      *       *


 ユニの報告書によれば、初めて遭遇した南部密林のオークは、人間の言葉でこう言ったと記録されていた。

「コノサキ、オークノクニ。ニンゲン、カエレ!」


 それはたった今、目の前のオークが発した台詞セリフとほぼ一致していた。

 このオークは、人間語を理解しているわけではないのだろう。

 これは十数年もの間、縄張りに入り込んだ人間に対し、用意された定型文に過ぎない。

 それを聞いた人間が黙って去ればよし、さもなくば殺されても文句は言えないという脅しである。


 これに対し、キャミイは手を挙げたまま、静かに応じた。

『僕らはリスト王国の特使だ。ダウワース王にお目にかかりたい』


 シルヴィアの頭の中には、いつものカー君の声が響いた。

 だがそれと同時に、耳からはキャミイが発する意味不明の唸り声が入ってくる。

 キャミイはシルヴィアのために、互いの意識をつないでオーク語の同時通訳をしてくれたのだ。


 話しかけられたオークの方は、きょとんとした顔をした。

 キャミイの言ったことを、まったく理解していないことが丸分かりである。

 シルヴィアはキャミイのオーク語が、まったく通じていないのではないかと、思わず心配になった。


 すると、もう一人のオークが相方の脇腹を肘で突いた。

『おいおい、ザンダ。もしかしてこの女、オークの言葉を喋ったんじゃないか?』


 シルヴィアの脳内には、戸惑うオークの会話まで流れてくる。

 直接的な言語ではなく、キャミイの意識をシルヴィアの側で再構築して理解する感じだ。

 オークたちの会話はなおも続く。


『馬鹿なことを言うなよ、カイラ。人間がオークの言葉を喋るわけがないだろう!?』

『だ、だがこの女、ダウワース王に会いたいと、はっきり言いおったぞ?』


 笑みを浮かべたキャミイが、そこに追い討ちをかける。

『なるほど。あなた方は、ザンダとカイラというんだね?

 僕の名前はキャミイ。後ろにいるのはシルヴィア。そして、もうひとりの女性はフェイといって、お医者さんだよ。

 ダウワース王への面会を求めるのは、この三人だけ。

 ほかの兵士たちはここで帰るから、安心していいよ』


 最初に警告を発したザンダというオークは、口をあんぐりと開けた。

 下顎から長く伸びた犬歯から、よだれが糸を引いて滴り落ちた。


『俺は夢でも見ているのか? この女、本当にオークの言葉を喋りやがった!

 おい、カイラ! 俺たちはどうすればいいんだ?』

『俺に訊くなよ!

 とにかく、こんな話は聞いたことがねえ。

 ダウワース様に報告するしかねえだろう!!』


『だっ、だが……こいつらはどうするんだ?

 面倒臭えから、ここでっちまわないか?』

『馬鹿かお前?

 俺たちだけならそれもいいが、ほかの連中も見ているんだぞ』


 自分の目の前でがなり合うオークを前に、キャミイは呆れたような声を出す(もちろん、オーク語だ)。

『えーと、君たち……僕がオークの言葉を理解できるって、分かってるの?

 全部聞こえているんだけど』


 そして、地面に突き刺した剣の柄に手をかけた。

『断っておくけど、僕たち強いよ?

 大人しくダウワース王に会わせてくれないかなぁ?

 贈り物だって、たくさんあるんだよ』


 その言葉に、オークたちの目が輝いた。

『何だと! もしかして、俺たちの分もあるのか?』


 キャミイは『しめた!』という顔で、愛想よく答えた。

『もちろんだよ!

 内臓肉の塩漬けだけど、案内をしてくれたらお礼にあげるよ。

 王さまには内緒にしておくからね』


 ザンダという名のオークは、空を仰いで咆哮した。

『おおおおお~っ! 人間の塩漬け肉だとぉ!!』


 その叫び声に、後方の茂みに隠れていたオークたちが、ぞろぞろと姿を現した。

『てめえこら、ザンダ!

 まさか独り占めするつもりじゃねえだろうな?』


 南部密林のオークたちにとって、塩は貴重品だった。


 森の中では手に入らないので、彼らは二百キロ以上離れた東海岸まで遠征隊を組み、塩を採りにいくのだ。

 海水を何度も振りかけては乾かした藻を持ち帰り、それを煮詰めて塩を精製するのだが、人口の増えた彼らには十分に行き渡らない。


 彼らだって、肉を塩漬けにすれば保存が利くことを知っているが、そんな贅沢はできない。

 だから、ごくありふれた塩漬け肉が、オークにとってはご馳走だった。

 人間が作るそれは、塩だけでなく香辛料も使っていて、それがまた垂涎の的なのだ。


 人間であれば、塩抜きが必要な肉を、彼らは大喜びでそのまま食べる。

 健康には悪そうだが、もちろんオークにそんな意識はない。


 キャミイの前には五人のオークたちが集まり、お預けをくった犬のような瞳で彼女の顔を見つめている。

 シルヴィアはキャミイの目配せにうなずいて、少し離れていた護衛の小隊の方へ戻って、簡単な事情を説明した。

 そして、兵士が背負っていた荷物の中から塩蔵肉の塊りを取り出し、それを持って引き返した。


 現金なもので、オークたちの視線はキャミイからシルヴィアへと移った。

 彼女は肉を縛っている麻糸と油紙を解くと、剣の柄をまな板代わりにして、肉を五等分した。

 切り分けるナイフは、ユニの遺品であるナガサ(山刃)である。


 ドワーフ製の刃物は、異次元の切れ味をもつ。

 固い肉の塊りを、まるでバターのように切っていくシルヴィアを、オークたちは驚きと恐れを隠さずに見つめた。

 シルヴィアはシルヴィアで、刀身を注意深く観察していた。


 ナガサにはエルフ語の呪文が刻まれており、敵意を放つ者が近づくと青く発光して主人に報せてくれる。

 だが、ナガサの刀身は黒光りをしたままだ。

 オークたちは完全に肉に意識を奪われ、人間に対する敵意を忘れているのだ。


 シルヴィアは切り分けた肉を、剣の鞘ごと彼らの前に差し出した。

 オークたちは争うように肉塊を奪い取ると、一口で頬張った。

 それぞれが大人の拳二つ分ほどの大きさなのだが、少しずつ齧って味わおうなどは思わないらしい。


『うっ、美味うめぇ~っ!!』

 図体のでかいオークたちが膝をつき、地面を叩いて歓喜の涙を流した。


 もともとが王への贈り物であるから、ただの塩蔵肉ではない。

 肝臓を主体としたヒツジの内臓を粗いミンチにして、胃袋に詰めて蒸したハギスと呼ばれるものである(これを塩で漬け、保存性を高めている)。

 オークたちが知らない香辛料をふんだんに使い、かなり塩辛いのだが、凝縮された旨味は損なわれていない。


 むさぼりついたオークたちであったが、さすがに時間をかけて咀嚼を繰り返し、やがて名残惜しそうにえんした。


 彼らは〝ほうっ〟と溜息をつき、互いに涙ぐんだ顔を見つめ合った。

 やがてのろのろと立ち上がると、わざとらしく咳払いをした。

 彼らは精一杯にいかめしい表情を浮かべ、どうにか虚勢を取り戻そうとするが、犬歯のはみ出た分厚い唇には、隠しきれない笑みが残っている。


 そして、ザンダが一同を代表し、重々しい声で宣言した。

『よかろう。客人たちよ、我らについてこい。

 ダウワース王のもとへ案内しよう!』


 そして、ザンダはキャミイとシルヴィアに向かい、驚いたことに片目をつむってみせた。


 シルヴィアたちは後になって思い当たったのだが、それは人間の文化が、オークたちを静かに侵略している証拠であったのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
文化侵略の結果がウィンクって平和で良いなあ
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ