九 護衛戦力
翌朝、シルヴィアがキャミイを連れて赤城の中庭に出ると、もうフェイが待っていた。
時間はまだ六時前である。
シルヴィアたちは昨日のうちに宿を引き払い、赤城に泊まっていたので、この時間に出てこれたのだ。
(もちろん起こすに当たって、人間の姿になったキャミイが、日ごろの恨みをこめてシルヴィアのお尻を引っ叩いたことは、言うまでもない。)
顔馴染みの警備兵の部隊が忙しく働き、二人分の飛行着や、カー君の装着具を運び出していた。
シルヴィアが赤城に着いた時点で、これらは赤城内で保管されていた。
彼女の飛行着(革製の上着とオーバーパンツ、手袋、帽子、ゴーグル、マフラー)は、ドワーフ職人のお手製である。
今回はフェイも同乗することになったから、第三軍の装備課では、これらを手本にして新たな飛行着を製作したのだ。
急造でもあるし、見た目は似ていても性能はドワーフ製に遠く及ばない。当然、魔法の加護もなかった。
ただ、フェイは後ろから抱きつくような態勢で乗るので、前に座るシルヴィアが風除けになってくれる。
フェイを気遣って低空を飛ぶ予定だから、何とかなりそうだった。
ちなみに、カー君の装着具も改造されていて、シルヴィアの後ろに座椅子がもうひとつ追加されていた。
* *
兵士たちに指示を出していたマコーミック伍長が、シルヴィアに気づいて近づいてきた。
「お早うございます、中尉殿。カーバンクルはどこですか?
それと……失礼ですが、こちらの准尉殿は?」
伍長と彼の分隊は、カー君が人間に変身していることなど知らない。
いつもシルヴィアと一緒のカーバンクルがいないのも変だし、第三軍の制服を着た准尉は初めて見る顔だった。
伍長はベテランの下士官だから、第三軍の士官の顔は全員記憶している。
シルヴィアは曖昧な笑みを浮かべた。
「彼女はカミラ准尉、キャミイと呼んでください。それ以上の詮索は無用に願います。
カー君はすぐに来ますが、その前にひとつ、伍長に頼みがあります」
「何でもおっしゃってください」
「準備作業はいったん中止して、分隊を率いて城内で待機してほしいのです。
伍長は兵たちが中庭を覗かないよう、監視をお願いします」
「人払いですか。しかし、全員が持ち場を離れるというのは……」
「五分もあれば済みます。
これは、赤龍帝閣下の許可を得ていることです」
「つまり軍機に属することだと?」
シルヴィアがうなずいたことで、伍長は納得した。
彼はすぐに振り返ると、部下たちに向け、だみ声で怒鳴った。
「作業中止! これより控室で暫時待機する!
総員、駆け足!!」
兵士たちは驚いたが、疑問を口にすることなく、すぐに城内への出入口に向かって駆け出した。
伍長はさっとシルヴィアに敬礼すると、その後を追った。
警備の分隊が姿を消すと、シルヴィアは持ってきた荷物の中からシーツを引っ張り出した。
それをキャミイに被せると、自分もその中に入って彼女の服を脱がし始めた。
フェイが面白そうにそれを見物している。
「キャミイが幻獣だってことは、機密扱いなの?」
白いシーツがお化けのようにもぞもぞ動き、そこから返事が聞こえてきた。
「幻獣の特殊能力、特に国家召喚士の幻獣ともなれば、それは重要な軍事機密に指定されます。
フェイさんも後で釘を刺されると思いますけど、決して人に洩らさないでくださいね」
「任せてちょうだい。医者をやっていると、守秘義務なんて親の顔より見飽きてるわ」
シーツの下からキャミイの声も聞こえてきた。
「おお~、すっぽんぽんだ!
見て見てシルヴィア、おっぱいがぶるんぶるんだよ!」
「止めてよ、はしたない!
それより、脱いだ服をさっさと畳みなさい!
違う、そうじゃなくて! 下着は小さく畳んで、服の下に隠すの!!」
「いいじゃん、どうせオアシスについたら、また着ることになるんでしょう?」
「服はそうだけど、下着は替えるわよ。当り前じゃない!」
「どうしてさ? まだ全然、汚れてないよ。
ほら、僕ってシルヴィアみたいに変なものついていないから」
「うるさいわねっ! いったん肌から離したら、それはもう汚いのよ。
理屈じゃないの!!」
シーツがもぞもぞと動き、畳んだ衣服を抱えたシルヴィアが出てきた。
それを荷物の中にしまい込むと、彼女はフェイの手を引いて、シーツを被ったままのキャミイから距離を取った。
「元に戻っていいわよ!」
シルヴィアが声をかけると、白い塊りがぶわりと膨らんだ。
シーツは上に撥ね上げられ、風に舞って落ちてきた。
そして、地面には体長四メートル近い、有翼の四足獣が横たわっていた。
シーツを拾いにいくシルヴィアを横目に、フェイは呆れ声でつぶやいた。
「驚いた! 目の当たりにしても、なかなか信じ難いわね」
それに呼応して、彼女の頭の中に奇妙な声が響いてきた。
『いやぁ、自分じゃ寝返りを打った程度の感覚なんだけどね。
でも、この数日ずっと慣れない人間の姿だったから、やっぱり気楽でいいや』
「なるほど、獣の身体だと発声が難しいのね。
念話の声が、キャミイの時と違うのはなぜなの?」
『僕の人間体って、シルヴィアの複製だから、どうしても女声になるんだよ。
もともとの声は、こんな感じだよ。
僕には本来性別がないんだけど、何となく男の子をイメージしてるんだ』
シーツを拾ったシルヴィアは、そのまま城内に通じる扉を開け、待機していた警備分隊を呼び戻した。
彼らは、突然現れたカー君の巨体に驚いたが、すぐに飛行の準備に取りかかった。
* *
「ねえ、どんな感じ?」
眼下で小さくなっていく赤城を見下ろしながら、シルヴィアが怒鳴った。
『やっぱり身体が大きくなった分、飛行能力も上がっているみたい。
二人乗りでも、前みたいに無理をしている感じがしないな』
「上等! それじゃ、南大門から延びる街道の上を、道なりに飛んでちょうだい。
そんなに飛ばさなくても、お昼までには着くと思う」
そしてシルヴィアは、背後から抱き着いているフェイの方を振り返った。
「そっちは大丈夫ですか?
気分が悪くなったり、休憩が必要な時は教えてください」
だが、フェイは無言だった。
「フェイ……さん?」
シルヴィアは心配になって、もう一度声をかけてみる。
すると、ようやく返事があったが、明らかにフェイの声は震えていた。
「別に気分は悪くないし、大丈夫です。
ただ、何と言うか……。笑わないでね? もの凄く怖いの」
「ああ、よくいますよね? 高所恐怖症の人」
「それがね、私、昔から高い場所に登るのは全然平気……っていうか、むしろ好きだったのよ。
なのに、怖くて私の尻尾が内側に丸まってるの。こんなの初めてだわ」
「ああ……それ、ひょっとして、狼人間の血が関係しているんじゃないでしょうか?」
「どういうこと?」
「実は、ユニさんのオオカミたちも、空を飛ぶのが大嫌いだったんですよ。
高いところは平気だけど、足が地面についていないと、怖くて仕方がないんですって」
* *
一時間も経たないうちに、彼女たちは王国の国境を越えた。
眼下の街道は、しばらくすると二つに分岐する。
南に真っ直ぐ向かうのが南部街道で、西に分かれる細い道がアギルを経由してペルシニアやトルゴル王国へと通じている。
いずれの街道も、ハラル海と呼ばれる荒涼とした岩石砂漠に囲まれている。
遠く東の方を眺めると、靄に霞む緑の樹海(南部密林)が広がっている。
南部街道は古くから開かれ、重要な通商路として栄えていた。
直接的には、リスト王国とルカ大公国を結んでいるのだが、そこを往来する商人の過半はサラーム教徒であった。
彼らは独特な文化を持っていて、特に通商に関しては妙に開明的であった。
〝政治と商売は別物〟というのがサラームの考え方で、例え交戦中であっても、往来する商人の安全は完全に保障されていた。
だから、今回ナフ国がオアシスに手を伸ばしたことは、サラーム教徒の商人にも、驚きをもって受け取られていた。
ナフ国は、サラーム商人に対して往来の自由を約束していたが、異教徒(リスト王国、大公国や、東部沿岸諸国)はこの限りでないと宣言していた。
それは、オアシスを支配したら異教徒から関税を徴取すること、場合によっては通行を禁止するという意味だ。
* *
カー君は予定どおり、正午前にオアシスの水辺に着陸した。
一口にオアシスといっても大小さまざまで、ここの水場は周囲が一キロほど、直径が三百メートル余と、中規模クラスである。
川を生じさせるほどではないが、周囲に広い緑地を養う程度の水を湛えている。
ここを第三軍の約百五十名(大隊規模)が守備していた。
上空から見ると、水辺に木造の兵舎が建っており、緑地限界の外縁には二重の馬房柵と、物見櫓が確認できた。
柵の内側には塹壕が掘られ、数十名の兵士がアリのように働いている。
カー君は防衛部隊に気づかれるよう、上空を低空旋回してから降りたので、着地するとすぐに兵士たちが集まってきた。
彼らはシルヴィアとカー君を見知っているから、その表情に敵意はない代わりに、「何事だ?」という緊張感が漂っている。
シルヴィアは、馴れた仕草で飛行服の固定ベルトを外し、カー君の身体を滑り降りた。
ゴーグルと飛行帽を取り、顔を覆っていたマフラーを引き下げると、水面を渡る風が運んでくる、さわやかな空気が鼻腔をくすぐった。
「シルヴィア中尉だな?」
彼女の耳に、渋い声が届いた。
声の主は、兵士たちの先頭に立つ士官で、穏やかな笑顔を浮かべている。
軍服に縫い付けられた徽章には、赤い三本の線と星が二つ付いている。
シルヴィアは気をつけの姿勢をとって、素早く敬礼をした。
「オアシス防衛部隊指揮官、ヤコブ中佐殿とお見受けいたします。
自分は参謀本部所属の国家召喚士、シルヴィア・グレンダモア中尉であります。
赤龍帝リディア様の命を受け、フェイ・ノートン医師をお連れいたしました」
「ご苦労であった」
ヤコブ中佐はゆったりとした答礼を返した。
シルヴィアは現地司令官というから、叩き上げの逞しい軍人を想像していた。
しかし、目の前に現れたヤコブ中佐は、そのイメージと真逆な人物であった。
小太りで、背は長身のシルヴィアより、頭ひとつ分は低い。
年齢はまだ六十前と思われたが、頭髪はかなり後退している。
赤ら顔には汗が浮かび、鼻の下にちょび髭を蓄えているのが、妙に滑稽だった。
「ノートン医師のことは承知しているが、当地には騎馬で来られると聞いていた。
貴官がお連れしたということは、何か緊急の事態が発生したのであろうか?」
「いえ、そうではありません。子細はこちらをお読みください」
シルヴィアは革の飛行服の前を開け、内ポケットから油紙の包みを取り出し、中佐に差し出した。
「リディア様からの書簡です」
中佐はそれを受け取って包みを開くと、その場で十枚近い便箋に目を通した。
そして読み終えると、それを丁寧に畳んで包み紙に戻し、側に控えていた副官に手渡した。
彼は小さな溜息をつき、帽子を上げて禿げた頭に浮かんだ汗をハンカチで拭った。
「何ともはや、信じ難い話だが、もし本当だとしたら、天の救いだとしか思えんな。
その飛行幻獣が、その……そうなるのか?」
「はい。手紙にもあったと思いますが、これは重要な軍機に当たります。
ついては、お人払いをお願いしたのですが」
「了解した。少し離れた木立の中に移動しよう。
誰も近づかないよう、立哨を配置する。それでよいな?」
* *
ヤコブ中佐はその見た目とは裏腹に(これは完全にシルヴィアの偏見である)、立派な紳士であった。
変身後のカー君が全裸の女性になることを説明されると、立ち合いを遠慮してくれたのだ。
しかも、フェイに自分を見張ってほしいと依頼する、念の入れようだった。
中佐は本当にカーバンクルが人間になるのか、その目で確かめたかったに違いない。
それをあっさりと諦めたのは、自分の外見が若い女性にどう見られているか、自覚しているからだろう。
その態度をフェイは賞賛したが、中佐は気弱な笑顔を見せるだけだった。
中佐が離れた場所で背中を向けている間に、カー君の変身は無事に終わり、第三軍の軍服をまとった姿で中佐の前に現れた。
その後、彼女たちは兵舎に設けられた士官室に移動し、詳しい打ち合わせを行った。
基本線はリディアからの書簡で指示されていたから、確認作業といってもいい。
二時間ほどの話し合いが終わると、中佐は額に浮かんだ汗を拭い、深い溜息をついた。
「まったく……あまりにも不確定要素が強すぎて、気が狂いそうだ。
よしんばオークたちとの交渉がうまくいったとしても、本当に彼らに防衛を任せられるのだろうか?
オークに軍制はないだろうが、せめて話が通じる指揮官がいればいいのだが……。
私は古い人間なのか、オークに理性があるという話が、どうにも信じられんのだ」
フェイはヤコブに同情の視線を送った。
「ダウワース王は〝賢王〟として名高いお方と聞いています。
人間に対して問題を起こすような部下を派遣するとは思えません。
あまり気に病まない方がよいと思いますよ」
「そうなのでしょうが……」
中佐はそう言うと、顔を上げてフェイの目を真正面から見据えた。
「私はあなたのことも案じているのです。
当初の計画では、あなたには一個小隊が護衛として帯同する予定でした。
それが、シルヴィア中尉とキャミイ准尉の女性二人だけとなるとは……。
無論、リディア様が承認されたことですから、疑うべきではないのでしょうが」
そして、彼はシルヴィアたちの方へ視線を移す。
「中尉が手練れであるという話は聞いている。
だが、キャミイ准尉はどうなのだ?
人間の姿となっても、カーバンクルと同等の戦闘力が発揮できるのかね?」
これは、シルヴィアにとっても痛い質問だった。
彼女もまだ、人間としてのキャミイの実力を知らないのだ。
「キャミイはその姿のままで、火球を吐けるの?」
しかし、キャミイはあっさりと首を横に振った。
「ああ、無理。実際に試してみたんだけど、できなかった。
人間の身体構造だと、火球を吐く前に喉が燃え尽きるみたいで、身体が拒絶反応を示すんだよ」
「じゃあ、あたしが二人を守ることになるのか。
まぁ、追い詰められたら、キャミイは変身を解けば何とかなるわけだし……」
「あら、私だって自分の身を護る程度の心得はあるわ。
これでも、小さいころからアスカに武術を習ってきたのよ」
フェイが励ましてくれても、シルヴィアの表情は晴れなかった。
すると、ふいにキャミイが椅子から立ち上がった。
彼女は軍靴を鳴らし、士官室の壁の前に歩み寄った。
壁といっても、急造の兵舎だから、丸太が剥き出しになっている。
そして、そこには訓練用の木剣と槍が架けられていた。
キャミイは壁から木刀を二本取ると席に戻り、切っ先をシルヴィアの眼前に突きつけた。
「ええと……何の真似かしら?」
シルヴィアは不機嫌そうにキャミイを睨んだ。
ヤコブ中佐もフェイも、彼女の意図を測りかねている。
だが、キャミイは左手に握ったもう一本の木刀をシルヴィアに差し出し、にっこりと笑ってみせた。
「ねえ、シルヴィア。僕と試合をしてみない?」