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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第九章 能力発現
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八 診察室

 シルヴィアとキャミイは、オークとの交渉に当たって、第三軍が提示する条件についての説明を受けた。

 レクチャーを担当したのは、二人の副官である。


 オアシスの防衛を依頼するにしても、それなりの見返りがなくては、オークたちが承諾するわけがないからだ。


 南部密林のオーク族は、基本的に人間との接触を避けているが、ごく部分的な交流は存在する。

 その相手はルカ大公国の商人たちで、物々交換での交易を行っていた。


 オークは狩猟民族であるが、ダウワース王は農耕に力を入れていた。

 彼らは数十年も前から原生林を切り拓き、主にイモ類を栽培している。

 そのためには、種芋や鉄を使った農具、肥料などが必要で、それを人間の商人から手に入れていたのだ。


 オーク側が対価として差し出すのは、大量のなめした毛皮、そして量は少ないが、貴重な砂金とすいである。

 密林の奥地を流れる川では、それらが採れるので、彼らは古くから装身具として利用していたのだ。


 ただ、その取り引きは、決して公平なものではなかった。

 商人たちが提示する交換比率は、明らかにオークの足元を見ていた。

 ダウワース王もそれを知っていたが、背に腹は代えられずに、不満を押し殺していた。


 こうした情報は、個人的に王と懇意なユニを通して伝えられていた。

 赤龍帝が用意した条件は、契約成立時に相当量の必要物資を無償供与し、その後も対等な取り引きを約束するというものであった。


 そして、もうひとつの切り札は、医療支援である。

 これは、タブ大森林に居住を許されたオーク族に対し、最近始まった援助なのだが、予想外に需要が大きいことが判明したのだ。


 オークに医者は存在せず、治療は薬草を調合した生薬と、祈祷に頼っていた。

 二か月に一度、診療に赴いているフェイは、オークたちから神のように崇められていた。


 一週間の滞在を終えてフェイが帰る際には、余った薬を残していくのだが、彼らはそれと同じ重さの砂金を差し出そうとした。

 フェイの派遣は国費で行われているから、彼女はそれを絶対に受け取らず、ますますオークたちの信頼を勝ち得たのである。


 彼らは南部密林のオークとは別の部族だが、ダウワース王の末娘が嫁いでいることでも分かるように交流がある。

 まず間違いなく医療支援の話は、賢王に届いているはずだった。


 そのフェイが南部密林を訪れ、実際に診療を行えば、彼らが継続的な支援を渇望することなど目に見えている。


 オークは多産で知られているが、乳幼児の死亡率が極めて高い。

 生まれてくる子のほとんどが男児なので、オークの世界では女性がとても大切にされている。

 出産時の事故で、母体も失われるようなことがあれば、部族の存続に関わる痛手となる。


 フェイはまだ若いが、人間世界でも産科の名医として知られている。

 オークたちにとっては、最も必要とされる人材だった。


 もちろん、彼女が南部密林のオーク族まで担当することは不可能だ。

 しかし、それに代わる産科の専門医を派遣することはできる。

 赤龍帝がフェイに目をつけて招聘しょうへいしたのは、まさに慧眼けいがんであった。


      *       *


「こちらからの説明は以上だ。何か質問はあるか?」

「ありません」

 シルヴィアは納得をした表情で答えた。


 第三軍が用意した条件は、オークの目に魅力的なものとして映るはずだ。

 ダウワース王と会えさえすれば、この交渉は容易なものとなるだろう。


「では、明日の朝には出発してもらおう。

 まずは、オアシスに展開している、防衛部隊の指揮官、ヤコブ中佐を訪ねてくれ。

 彼にはオークによる防衛構想、そしてフェイの派遣は伝えているが、お前たちのことは知らない。

 意思の疎通を図り、オークの受け入れ態勢を急がせてくれ」


「そして、ダウワース王との交渉を成功させ、実際にオークの戦士たちを引き連れてオアシスに戻るのじゃ。

 引継ぎ自体はヤコブに任せればよいのだが、通訳が必要となれば、目途がつくまでキャミイの手を借りることになるだろうな」


「了解しました」

「うむ。では、さっそくだが、フェイと顔合わせをしてくるがよい。

 彼女は軍医殿マルキスの診察室にいるはずだ。

 エイベル、案内してやれ」


      *       *


 シルヴィアとキャミイは、エイベル少佐の後について、赤城の明るい廊下を歩いていった。

 つい先日のトルゴル作戦において、シルヴィアは無理がたたって肺炎で倒れ、マルキス軍医長のもとで数日を過ごしている。


 だから、診察室の場所はよく知っている。

 ただ、せっかくリディアが副官に案内させると言ってくれたのだ、それを断るのは〝野暮〟というものである。


 マルキス・スレイグ軍医長は、第三軍の兵士からは畏敬を込めて〝親爺〟と呼ばれている人物である。

 百九十センチ近い上背に、丸太のように太い腕、分厚い胸板をしていて、もう六十歳をとっくに越えているが、腕っぷしで彼に勝てる者はいないと噂されていた。


 南部人は浅黒い肌と黒い髪が特徴であるが、マルキスの肌の色はさらに濃い。

 それは彼の祖父が、大陸南部から連れてこられた黒人奴隷だったことに由来する。

 そうした血筋に対する偏見もなかったわけではないが、現在の彼は名軍医として尊敬を集めている。


 シルヴィアたちが医療棟の角を曲がると、見慣れぬ光景が飛び込んできた。

 軍医長の診察室の前の廊下に、十数人の兵士たちが列をつくっていたのだ。


 いずれも若そうな男性たちである。

 現在第三軍はどこにも出動していないので、そうそう怪我人が出るわけはないし、何かの病気が流行しているという話も聞かない。


「少佐殿、あの行列は何でしょうか?」

 シルヴィアが首をかしげて訊ねると、エイベルは深い溜息をついた。


「まったく……これだから男どもは!」

 彼女はそう吐き捨てると、先頭に並んでいる若い兵士を睨みつけた。

 その男は、真新しい三角巾で腕を吊っていた。


「貴様、どうせ模擬戦でわざと受け損ねたんだろう!?

 そんなものは唾をつけておけば治る! どけっ、邪魔だ!!」


 若い兵士は、少佐で国家召喚士であるエイベルに怒鳴られ、慌てて飛びのいた。確かに怪我人にしては、ずい分と血色がいい。


 エイベルは〝ふんっ!〟と鼻を鳴らし、診察室の扉をノックして開けた。

「診察中、失礼します」

 彼女は中に入ると、きれいな敬礼を行った。シルヴィアとキャミイもそれに倣う。


「軍医長殿、ノートン医師に面会人を連れて参りました」

 背もたれのない回転椅子に腰かけていたマルキスは、じろりと顔を上げたが、〝おや?〟という表情を浮かべた。


「何だ、シルヴィアじゃないか。元気そうだな。

 フェイに用事か?」

 シルヴィアが肺炎で担ぎ込まれてたのは、先月のことだから、軍医長も当然彼女の顔を覚えている。


 エイベルがシルヴィアに代わって答える。

「リディア様のご命令です。ノートン医師の出発が、いよいよ明日と決まりました。

 シルヴィア中尉と、このキャミイ准尉が護衛と通訳を務めることになりまして、その顔合わせです」


「そうか、フェイのおかげで楽ができたんだが、もう終わりか……。

 まぁ、仕方がないか。

 どれ、フェイよ。若造どもの診察はわしがやる。お前は準備があるだろうから、もういい。

 打ち合わせには、隣りの部屋を使いなさい」


 呼びかけられたフェイは、上半身裸となった若い兵士の腕を掴み、何度か曲げ伸ばししてから顔を覗き込んだ。若者は思わず顔を赤らめた。


「肘の靭帯が伸びていますが、切れてはいないから安心しなさい。

 湿布薬を処方しますから、朝晩二回取り替えること。

 一週間もすれば、痛みも取れて普通に動かせるようになるはずです」


 彼女は若者の裸の胸を掌で撫で、ぴんとった小さな乳首を指で弾いた。

「若い女医に身体を触ってもらいたい、という気持ちは分からないではないですが、無茶はやめなさい。いいですね?」


 フェイは看護師に処方の指示を出し、服を着せてやるようにと言って、ようやくシルヴィアの方に顔を向けた。


「お待たせしました。

 あなた方のことは、リディア様から伺っております。

 それ以前に、アスカやジャヤからも聞いていますから、初めて会ったという気がしませんね。

 私はフェイ、しがない町医者です。お会いできて光栄ですわ」


 彼女は立ち上がり、シルヴィアと握手を交わした。

 そして、羽織っていた白衣をふわりと翻し、隣室へ続くドアの方に歩いていった。


 その身のこなしは柔軟で、とても印象的だった。

 爆発的な筋力を内に秘めながら、音を立てずにしなやかに歩く――変な言い方だが、ネコ科の猛獣のような動きに思えた。


 シルヴィアが目でエイベル少佐に許可を求めると、『行ってこい』という感じでうなずいてくれた。

 シルヴィアもうなずき返し、「キャミイ、行くわよ」と言って、フェイの後を追った。


 キャミイが後ろ手に扉を閉めると、すぐにフェイが近寄ってきた。

 そして、「失礼」と断りながら、キャミイの全身を確かめるように、両手で触っていく。


「驚いた……この、本当に幻獣なの?

 どう見ても人間だわ」

「ええと……その件もお聞きになっているのですか?」


 シルヴィアが訊ねると、フェイはこくんとうなずく。

「もし許されるなら、解剖してみたいわ」


 物騒なことをつぶやくと、フェイはいきなりキャミイの身体に抱きついた。

 そして、〝ふんっ〟と気合を入れて持ち上げようとしたが、キャミイは微動だにしない。


「私、普通の女性よりも力があるつもりなんだけどな。

 やっぱり、肉体密度が大きいのね。それなのに、感触は柔らかいのが不思議だわ」


「ああそれ、赤龍の話だと幻術の効果なんだって」

 それまでなすがままだったキャミイが、やっと口を開いた。


「それより、ええと……フェイだっけ?」

「これっ、失礼でしょ! ノートン先生って呼びなさい!」


「いいのよ、シルヴィア。二人とも、私のことはフェイと呼んでちょうだい。

 幻術って、精神操作の魔法でしょう。視覚だけじゃなくて、触覚も騙せるの?」

「そうみたいだよ。僕にはそんな自覚はないんだけどね。

 赤龍に言わせれば、僕らカーバンクルは、生まれた時から強力な幻術を使っているらしいよ。

 この身体も、本当はただの土人形なんだって。びっくりしちゃうよね?」


「う~ん、まだ信じられないわ……、見てよこの柔らかさ」

 そう言いながら、フェイはキャミイの豊かな胸を揉んでみせた。


「あの、すみませんフェイ先生。そういう行為はちょっと……」

「あら、いいじゃない。女同士だし、服の上からよ?」


「実は、この子の身体って、私の複製品なんです。

 だから、そういうことをされると、私が……非常に恥ずかしいのです。

 キャミイは何とも思っていないみたいですが」

「ああ、そうなんだ。ごめんごめん」


 フェイはキャミイから手を放し、空いているベッドの上に座った。

 この部屋は、患者用の病室であったが、今は誰も使っていない。

 つまり、診察室に行列を作っていた男性兵士たちには、重傷者がいなかったことになる。


 シルヴィアは向かい合うようにベッドに腰かけたが、キャミイはフェイの横に座って、くんくんと彼女の匂いを嗅ぎだした。


「どうしたの? 昨日ちゃんとお風呂に入ったから、臭くないと思うんだけど」

「いやね、フェイって人間にしては、ちょっと変わった匂いがするんだよ。

 何て言うか、ちょっとオオカミっぽいの」


「こらっ!」

 シルヴィアが慌てて叱ったが、フェイはそれを手で制した。


「へえ、分かるんだ。凄いわ、嗅覚も人間よりいいみたいね。

 あなたの言うとおりよ。

 私、獣人と人間のハーフなの。ライカンスロープって聞いたことある?

 いわゆる人狼ね。アスカから聞いてなかった?」


 シルヴィアは驚いて、思わず息を呑んだ。

「いえ、そこまでは……。でも、そうは見えませんけど」


「私がアスカの養女だってことは、知っているんでしょう?」

「はい、それは……」


「私は両親を亡くした孤児だったの。それが南カシルで偶然、アスカに拾われたのよ。

 だから名前も、本当はフェイ・ゲイブルなんだけど、今ではノートンの姓を名乗るようになったの。

 ほら、アスカって超有名人だから、その方が何かと都合いいのよね」

 フェイは目を細めて笑って見せた。


「顔だって、小さいころは毛むくじゃらだったのよ。

 大きくなるにつれてだんだん薄くなって、ちょっと産毛が濃い程度になったのは、正直助かったわ。

 でもね、今でも背中なんか毛深いし、お尻には短い尻尾だってあるのよ!」


「へえ~、面白い! 見てみたいな!!」

「そお? じゃあ、今度一緒にお風呂に入ろうか?」


 キャミイは目をきらきらさせて喰いついたが、シルヴィアは言葉に窮した。

 獣人と人間の混血ということは、恐らく筆舌に尽くしがたい辛い経験をしてきたはずだ。

 その同情を伝えようと浮かんだ言葉は、すべて薄っぺらいものに思えた。


 そこで、シルヴィアは強引に話題を変えた。

「でも、どうして軍医殿の診察を手伝ってらしたのですか?

 リディア様の話では、南部密林に赴く準備で忙しくしているって聞きましたけど」


「ああ、準備って言っても、薬や医療器具を揃えることだから、おじさまにお願いしたら、すぐに終わったの。

 それより、おじさまから実地指導を受ける方が、私にとっては大切なのよ。

 何と言っても、この国で医者をやっていて、おじさまを知らなかったら〝もぐり〟ですもの。

 こんな機会、逃すわけにはいかないじゃない?


「ええと、その〝おじさま〟っていうのは……?」

「あら、それも知らなかったの!?

 アスカの旦那様がゴードンだってことは、さすがに知っているわよね?」


「はい、それは」

「マルキス軍医長は、ゴードンのお兄様なの。

 だから、義理とはいえ、私にとっては伯父に当たるわけよ」


 シルヴィアは軽い眩暈めまいを覚えた。

 世間はあまりにも狭かったのである。

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