七 交渉依頼
リディアは軽く咳ばらいをしてから本題に入った。
「現在、第三軍が抱えている最大の問題は何か、シルヴィアは知っているか?」
シルヴィアは即答した。
「南部街道オアシスの防衛でしょうか?」
「そのとおりじゃ。
我々はそのために、約三か月前から大隊規模の戦力を派遣している。
敵の襲撃は散発的かつ限定的で、撃退するにはそれで十分なのだ。
実際、この三か月で防衛部隊が被った損害は、負傷者が延べ十四名で、戦死者はひとりも出していない。
それに対して、敵は死者六名と捕虜四名、負傷者については分らんが、確実に我が軍を上回っているだろう」
「圧倒的ですね」
「確かに、結果だけを見ればそうだ。
こちらは拠点防衛に専念しているから、油断さえしなければ負けようがない。
ただ、兵の消耗は予想以上に激しくてな、部隊入れ替えたのもそのためじゃ」
「被害は軽微だったのでは?」
「数値の上ではな。
防衛部隊は、二十四時間を三交代で警戒を続けている。常に緊張状態を強いられているわけだ。
それに対して、敵は襲撃のタイミングを好きに選べる。
夜討ち朝駆けは常套手段で、そうかと思えば真昼間に堂々と仕掛けてくることもある。
どちらが神経を消耗するか、説明するまでもないじゃろう?
精神的な疲労が長期にわたると、必ずほころびがおきる。
だから、当初の予定を大幅に早めて、部隊の入れ替えしなくてはならなかった」
「なるほど……」
「国外への長期駐留、それを支えるための物資輸送、それに部隊交替が重なれば、莫大な経費がかかる。
当初は予備費でごまかせても、すぐに限界がくる。
すでに軍債発行は危険水域に達しているから、特別商業税で乗り切らずにはいられなかった。
市民に不満が鬱積するのも当然のことじゃな」
「先日の帰還部隊への歓迎行事は、不満解消の意味合いが強いというわけですね?」
「ああ。そのためなら私は喜んで見世物となり、道化を演じてみせよう。
だが、これは一時的な対処療法に過ぎん。
我々は、根本的な解決方法を探らねばならんのじゃ」
「ルカ大公国に派兵を依頼できないのでしょうか?」
「無理だな」
リディアは溜息をついた。
「彼らにそんな余力はない。
大公国とナフ国は、北部国境の砂漠地帯で、大規模な衝突を繰り返している。
さらにナフ側は、天然の要害と思われていたアルカンド山脈を越え、各地でゲリラ戦を引き起こしている。
大公国はその対応に手一杯だ。遠隔地のオアシスにまで、手を回すことは不可能なのじゃ」
「ナフ国の方は、ずいぶんと余裕があるのですね?」
「現国王のサリドは、恐ろしく頭が切れる男だ。
彼は姉の跡を継いだのち、国をよく治めて力を蓄えた。
そして、それまで対立していた強国サキュラを蚕食し、この十五年で大半を併合してしまった」
「軍を率いている、王妹のジャミラはさらにやっかいだ。
前王のナイラに勝るとも劣らない女傑で、果断にして狡猾、兵の信頼も厚い。
そう遠くない将来、ナサル首長国連邦はナフ国によって統一されるやもしれん」
シルヴィアは首を傾げた。
「それほどの国力があるのに、なぜ小さなオアシス相手に、小規模な襲撃を繰り返すのでしょう?
大部隊を繰り出せば、簡単制圧できそうに思えます。
今の状態では、単なる嫌がらせにしかならないと思いますが……」
リディアは苦笑いを浮かべた。
「シルヴィアの言うとおり、これは〝嫌がらせ〟なのじゃよ。
ナフのサリド王は、我が軍との全面戦争など望んでいない。
どれほどの軍勢を揃えようとも、赤龍への対抗策がなければ勝てないことを、奴はよく分かっておる」
「では、なぜ?」
「第三軍の体力を削るためだ。
攻める側は気楽で経費もかからぬが、防衛側はそうはいかん。
こちらに継続的な出費を強いて、経済を疲弊させれば、必ず国情が不安定になる。
奴らの目的は、あくまでサラーム教圏に刺さった棘、ルカ大公国という異教徒を滅ぼすことにある。
いよいよ決戦となった時、留守に暴動の不安を抱えた我が軍が、大兵力を動かせないようにする腹づもりなのじゃろう」
リディアは上体を屈め、シルヴィアに顔を近づけた。
「現状は把握したな?」
「赤城市の経済にとって、南部街道は無視できない大動脈じゃ。
陸路は船のような大量輸送に向かないが、事故が少なく確実性が高い。
宝飾・工芸品、美術品や文化財といった高額商品は、海難事故を嫌っていまだに陸上輸送に頼っている。
量は少なくても単価は恐ろしく高く、当然に利幅も大きい。
その生命線が断たれることは、絶対に看過できん」
「じゃが、今のまま防衛行動を続ければ、それこそ敵の思う壺となる。
かといって、ルカ大公国には頼れない。
これを解決するには、どうしたらよいと思う?」
シルヴィアは眉根を寄せた。
「そう言われましても……そうだ! キャミイはどう思うの?」
「へ? 僕、じゃなかった、私?」
「そうよ、あんたは人間より知能が高いんだって、いつも自慢しているじゃない。
こんな時くらい、知恵を出してみなさいよ」
「無茶ぶりもいいとこだなぁ……。
そうだね、問題は財政なんだから、それを解決したらいいんじゃないかな?」
「例えば?」
「今は都市住民に臨時の税をかけているんだよね。そうじゃなくて、農業の方に目を向けるんだよ。
第三管区だって、税収の大半は農産物に頼っているんでしょう?
税金といっても、どうせ物納でしょうから、その量をほんの少しだけ増やすの。
やり過ぎると不満が爆発するから、広く薄くってやつだね」
「ほう……続けてみろ」
リディアは面白そうに促した。
「同時に、業者に対する売り渡し価格も少しだけ上げて、農商の負担を均等化させるのね。
それだけでも、全体でかなりの増収が見込めるはずですよ」
「悪くない案だな」
リディアはうなずいた。
「だが、却下だ。
私が、赤城市民に限って増税を行った理由を考えてみろ。
彼らは私の足元で暮らしているから、どこまで我慢してくれるかを肌で感じ取ることができる。
だが、増税対象を全土に広げたら、どうやってその不満を汲み取る?
そして、最悪の事態である暴動の兆候を察知できる?
恐らく、『これはまずい!』と気づいた時には、手遅れになっているじゃろうな。
農民に蜂起されるのは、為政者にとって致命的だぞ」
「ええ~、じゃあリディア様は、どう考えておられるのですか?
私は召喚されてからというもの、ずっと人間観察をしてきましたからね。
リディア様のお顔を見れば、何となく分かるんですよ。
閣下の頭の中には、ちゃんと解決策が用意されているんでしょ?
私たち二人を試すのは楽しいんでしょうけど、それって時間の無駄だと思うなぁ」
「こらっ、失礼でしょ!」
キャミイの肩を叩くシルヴィアを、リディアは笑いながら宥めた。
「よいよい、シルヴィア。今のは私が一本取られた。
カーバンクルがこれほど饒舌だとは思わなかった。
やはり、女の姿になると、舌がよく回るようになるらしいな?
実はな、答えは単純明快なのじゃ」
「と、申されますと?」
シルヴィアとキャミイの視線が、赤龍帝の顔に集中する。
「遠征部隊を引きあげ、オアシスの防衛は他の者に任せればよいのじゃ」
「でも、ルカ大公国には、その余裕がないのですよね?」
「それならば、別の国に依頼すればよいだけの話じゃ。
なぜこんな単純なことに気づかなかったのか、以前の私を殴りに行きたい気分だ」
「お言葉ですが、そんな都合のよい国が、どこにあるというのですか?」
「あるじゃろう? それもオアシスのすぐ近くに。
なぁ、シルヴィア。南部街道の東には、何がある?」
「それは……南部密林ですけど。
あっ、まさか! リディア様は彼らを頼るおつもりですか!?」
* *
南部街道(あくまでリスト王国側の視点に立った呼称)は、王国と大公国を南北に結んでいるが、その東側には広大な原生林が、はるか遠くの東海岸まで続いている。
そしてその森には、昔からオークの末裔が棲みついている。
彼らは約三百年前、何らかの変異によって、幻獣界から飛ばされてきたのだ。
部族の王はダウワースといい、賢王と呼ばれていた。
それは、彼が中原語(大陸で広く使われる共通語)を自在に操り、人間の文化や知識にも詳しかったからだ。
ダウワースは、まだ少年の時期に人間の呪術師に捕らえられ、成人するまで教育を受けていた。
そういうと聞こえはいいが、実際は単なる実験動物に過ぎなかったのだ。
呪術師の死のどさくさで、脱走して故郷の森に戻ったダウワースは、たちまち頭角を現して部族長に上り詰めた。
彼の知識と指導力、そして豊かな密林の恵みによって部族は繫栄していった。
部族の統制から外れたオークが、街道を利用する商人を襲う事件も発生したが、それを解決したのがユニであった。
その後、オークたちは基本的に人間とは交わらず、互いに不可侵を約して、部族は東へと勢力を広げていったのである。
* *
「しかし、南部密林のオークは、人間との交流を拒絶していると聞きます。
簡単に協力するとは思えないのですが……」
シルヴィアの疑問はもっともだった。
「だからこそ、交渉が必要なのだ。
ユニがいれば話は早かったのだが、今さら愚痴を言っても仕方がない。
そのため、私は手を尽くしてある人物を招聘した。
その者が赤城市に到着したのは十日ほど前のことで、さっそく面談したところ、私は面白い話を聞いた。
シルヴィア。お前は昨年、タブ大森林に棲みついたオーク族と接触し、エイナとともに彼らを助けたそうだな?」
「はい……。そのとおりです」
その件は、軍機として他言を厳禁されていたのだが、赤龍帝が知っている以上、しらを切るわけにはいかなかった。
「まったく、参謀本部の秘密主義にも困ったものだ」
「ですが、大森林のオーク族のことはご存じなのですね?」
「ああ、そのことだけは、四帝に対して通達があった。
もっとも概要だけで、詳しいことは何も教える気がないらしい。
ともあれ、そのオークの村には、ダウワース王の末娘が嫁いでいたと言うではないか?」
「はい。ジャヤのことですね」
「私が招聘した人物は民間人だが、そのオークの村と深く関わっている。
だから私は彼女に交渉を依頼し、彼女はそれを受けて準備に奔走しているところだ。
だが、シルヴィアがジャヤの恩人だとすれば、非常に都合がよい。
彼女の護衛を兼ねて、交渉に参加してもらいたいのだ」
突然の話に、シルヴィアは戸惑いを隠せなかった。
「その人物……〝彼女〟ということは女性なのでしょうが、一体、誰なのですか?」
「フェイ・ノートンという、蒼城市で開業医をしている女医だ。
まだ若いが、産科の名医としてかなり有名らしいぞ」
「ええっ!? その名前、聞いたことがあります……っていうか、アスカ将軍の養女さんですよね?」
「何だ、知っているのか?」
「いえ、会ったことはありませんが……」
「そうか。彼女は現在、参謀本部の依頼で二か月に一度、オークたちの医療支援を行っているのじゃ。
実は昔、ユニがダウワース王を助けた際、アスカとゴードンも同行していてな……」
「もうユニはいないのだから、彼らに交渉役を依頼するのが一番いい。
だが、今となっては二人とも第四軍の将軍だ。
第三軍と第四軍、お互いの面子に関わるから、そういうわけにはいかないだろう?
そんなわけで、個人的な知り合いでもあるアスカに無理を言って、娘のフェイに来てもらったというわけだ」
「それにしても、民間人の彼女には危険過ぎませんか?
ダウワース王はともかくとして、ほかのオークとは話が通じません。
不測の事態で戦いになっては、交渉どころでなくなる恐れがあります」
「それは大丈夫だ……と思う。フェイは片言だが、オーク語をちょっとだけ話せるらしい。
多分、何とかなるだろう」
「そんな楽観的な……」
シルヴィアが呆れていると、隣りのキャミイが遠慮がちに手を挙げた。
「あのぉ……私、オーク語喋れますけど?」
「え!? あんたいつの間に……ってか、今までひとっことも言ったことなかったわよね?」
「いや、あの村のオークたちに会った時、言ってる言葉が理解できたのよ。
多分、黄色の魔石のせいで、人間以外の言語も話せるようになったんじゃないかな?」
「じゃあ、何であの時、黙ってたの?」
「だって、オークの中に人間の言葉が話せる子がいたじゃない?
ジャヤなんかぺらぺらだったし。
それに、私が念話で話しかけたら、絶対オークたちは怖がって、面倒を引き起こしたと思うんだ」
「うそ。どうせ通訳が面倒だったんでしょ?」
「そうともいう。まぁ、過ぎたことは忘れようよ。
私が人間の姿になって、一番便利だと思っていることは、念話に頼らずに直接喋れることなんだよね。
今の身体なら、オークの言葉も普通に発音できるはずだよ」
二人の耳に、ぱちぱちという拍手の音が聞こえてきた。
振り返ると、リディアがにやにやしている。
「すばらしい! ますます二人は、適役だということじゃな。
頑張って、見事ダウワース王を説得してみせよ!」