六 軍籍
参謀本部への帰還を許さない。
なおかつ、任務を命じられるとの発言に、当然シルヴィアは説明を求めた。
だが、リディアは言葉を濁すのみであった。
「詳しいことは、マリウス殿からの返事待ちだ。
シルヴィアはもう宿に帰れ。
明日の朝、アニエスを差し向けるから、後はその指示に従うように」
アニエスとは、エイベル少佐と並んで赤龍帝の副官を務める国家召喚士で、階級も同じ少佐である。
年齢はエイベルより二つ若く、従える幻獣はユニコーンだった。
シルヴィアは赤城内で何度か彼女に会っているが、事務的なこと以外、言葉を交わしたことがない。
とにかく、リディアが説明しない以上、シルヴィアとしては宿に引き上げるしかなかった。
* *
翌朝、宿の食堂で朝食を済ませ、コーヒーを飲んでくつろいでいた時である。
宿の扉を開けて、軍服姿のアニエス少佐が顔を覗かせた。
彼女はやや小柄な体格で、癖毛のブルネットをひっつめにしている。
アニエスは、椅子から慌てて立ち上がるシルヴィアを見つけると、にこりと笑って近寄ってきた。
「待たせたようですまん、シルヴィア中尉。
準備はできているのだな? では、行こうか」
シルヴィアはアニエスに促されるまま、宿の外へ出た。もちろん、カー君も一緒である。
カー君はシルヴィアの指示で、昨日からずっと人間の姿を維持していた。
少しでも人間としての動き方に馴れるためで、そのことに彼女は不満を洩らさなかった。
カーバンクルにしてみれば、肉体は仮初のものなので、あまり外見にに拘らないらしい。
宿の前では、アニエスの幻獣であるユニコーンが待っていた。
額の長い角を除けば、白馬と変わりない姿だが、頑健で凄まじい攻撃・防御力を持っている。
さらに、風属性の魔法を備えていて、竜巻を起こしたり、圧縮空気弾を吐くこともできる。
ユニコーンは首を伸ばしてシルヴィアの匂いを嗅ぎ、目を細めて頭をこすりつけてきた。
続いてキャミイにも顔を押しつけてきたが、すぐにブルっと鼻を鳴らして後ずさった。
「キャミイのことは気に入らないみたいですね?」
シルヴィアはユニコーンの首を撫でながら、苦笑いを浮かべた。
「どっちか分からなくて、気味が悪いらしい」
「どっちか?」
「ああ、ユニコーンは気が荒いが、なぜか人間の女性には大人しい。
特に処女が大好きでな。シルヴィアのことも大いに気に入ったらしい。
だが、キャミイは見た目が女性なのに、処女かどうか判断がつかなくて、混乱しているようだ」
「なるほど。カーバンクルには、性別がありませんからね」
「しかし、本当に信じがたい。
私も城中で何度も見ているが、あの獣が人間になっているとはな。
話はできるのか?」
「そうですね、少佐殿と内緒話ができるくらいには、話せますよ」
キャミイが笑みを浮かべて答える。
声はシルヴィアによく似ているが、エイナが混ざっているせいか、ほんの少し高い。
「それは面白い。機会があったら、パジャマパーティを企画しよう。
ユニコーンを出し抜いて、男とやる方法について、是非若い娘たちの意見を聞きたい」
アニエスは片目をつぶり、笑ってみせた。
「……しかし、声を聞いても人間そのものだな。
まぁいい、もう店が開いたころだから、そろそろ出発しよう」
「え、店って……登城しないのですか?」
「城に行くのは、店に寄ってからだ」
アニエスはユニコーンの手綱を持って、大股で歩き出した。
彼女が向かったのは、大通り裏手にある商店街だった。
まだ朝の八時過ぎだが、すでに多くの市民たちが行き交っている。
この世界の人間は、夜明けとともに起きるのが常識なので朝が早い。
商店もそれに合わせて店を開く代わりに、閉めるのも早い。
すれ違う人々は、軍服姿のアニエスとシルヴィアに、あまり注意を払わなかったが、キャミイには露骨な視線を浴びせてきた。
女性は眉を顰めて視線を逸らし、男たちはにやにや笑い、口笛を吹く者もいた。
「ねえ、シルヴィア。なんか僕って変なのかな? すごく見られているんだけど」
キャミイが小声でささやいた。
その声が耳に入ったのだろう、アニエスが大げさに溜息をついた。
「自覚がないというのは幸せだな。
私だったら恥ずかしさで、橋から身を投げるぞ?
ちょうど着いた。ここに入るぞ」
彼女は店前の馬止にユニコーンをつなぎ、扉を開けて中へ入っていた。
そこは、女性向けのこじゃれた洋品店であった。
女主人が目ざとく近寄ってくると、アニエスはキャミイを前に押し出した。
「この娘に、まともに外を歩ける恰好をさせてくれ。
上から下まで、下着も靴も全部だ」
「あらまぁ!」
女主人は、通行人と同じような反応を示したが、一瞬で商売人の表情を取り戻す。
「はいはい、かしこまりましてございます!」
彼女はほくほく顔でキャミイの腕をがっしり掴み、奥の試着室へと連行していった。
残されたアニエスとシルヴィアは、引きずられていく犠牲者の姿を見送った。
「あのぉ、やっぱりあの恰好では……まずかったですか?」
「当り前だ、馬鹿者!
ぺらぺらの部屋着だけでも恥ずかしいのに、素足につっかけだぞ!
おまけにあの娘、コルセットも着けていないだろう!?
動くたびに胸がゆさゆさ揺れて、目立つことこの上ない。
あれで城内をうろうろされてみろ? 男どもが耐えかねて、便所に行列ができるわ!」
一時間後、三人はもみ手をする女主人に見送られて、店の外に出た。
キャミイは見違えるような姿になっていた。
上品な白のブラウスにレモン色のカーディガン、小花模様の長いスカート、生足は長靴下で隠され、赤い革靴を穿いていた。
きちんと下着をつけ、コルセットを締めているので背筋が伸びて、姿勢まですっきりとしている。
シルヴィアは、その変わりように目を瞠った。
彼女はどうしても、キャミイが〝カー君だ〟という意識が抜けない。
目の前で揺れる豊かな乳房やお尻からは、無意識に目を逸らしてしまい、頭の中でいつもの四足獣に変換してしまう。
それだから、部屋着をはおっただけという、だらしない姿も気にならなかった。
だが、こうして身なりを整えたキャミイを前にすると、初めて彼女が自分とは違う別個の人間なのだ……と認識できたのだ。
* *
赤城に入っても、シルヴィアとキャミイは赤龍帝に会えなかった。
アニエスに先導され、装備課に連れていかれたのだ。
「ここで採寸して制服一式を受領したら、即座に着替えろ。
いくらまともな姿になったとはいえ、町娘の恰好でうろうろされては、兵士の士気に関わるからな」
王国軍には案外女性兵士が多く、軍服のサイズもいろいろ揃えてあった。
キャミイが軍装に着替えて出てくると、一行は城を出て市街を抜け、大城壁の外にある野外訓練場に向かった。
ここは休暇明けの兵士が軍務に復帰する前に、馴致訓練を受ける場である。
かつての王国軍は一年を三分割して、軍務、休暇、訓練のサイクルを繰り返していた。
休暇中は無給となるので、兵士たちは臨時雇いの仕事をすることになる。
訓練期間も給与が減額され、満額を受け取れるのは、年に四か月だけだった。
有事の際には、休暇・訓練中の者も招集されるから、兵力は確保できる。
その上で平時は、人員を三分の一に削減して、人件費を抑えていたのである。
浮いた金を使って、国は辺境を中心とした農地の開発に務め、国富を積み上げてきたというわけだ。
しかし、この政策は軍の戦力と士気を下げ、即応能力を犠牲にするものだった。
現在のレテイシア女王が実権を握ってから、真っ先に断行したのは、この軍制改革であった。
その結果、長期休暇は年に二回の有給三週間となり、その後の馴致訓練も一週間に削減されたのであった。
訓練場に連れてこられたキャミイは、教官に引き渡され、新兵訓練を受けることになった。
叩き込まれたのは、ひたすら敬礼や気をつけなどの基本行動、そして言葉遣いの矯正である。
鬼のように怖い教官を前にしては、キャミイも大人しく従うほかなかった。
シルヴィアもお手本役で訓練に付き合うことになったのだが、彼女の頭の中には、大量の不満と泣き言が念話で押し寄せてきた。
基礎訓練は、昼食を挟んで午後も延々と行われた。
シルヴィアは六歳の時から軍事教練を受けてきたから、この程度の訓練は何でもなかった。
これが本当の新兵であったなら、半日を待たずにへとへとになったことだろう。
だが、キャミイは(シルヴィアにだけ)不平を洩らしながらも、へばる様子を見せなかった。
もともとのカー君は、人間を遥かに凌駕する体力を持っている。
それは、外見が人間の姿となっても、いささかも変わりなかったのだ。
厳しい訓練は、日が沈みかけたころにようやく終わった。
いったん城に戻っていたアニエス少佐が再び現れ、今日はもう宿に帰るよう指示を出した。
同時に、キャミイに対して薄い手帳のようなものを差し出した。
「これは……何でありましょうか、少佐殿?」
即席の訓練だったが、効果は抜群である。キャミイの口調はすっかり新兵になっていた。
シルヴィアも興味津々で、隣りから覗き込んだが、彼女にはその正体がすぐに分かった。
「軍の身分証ですね。……まさかこれ、キャミイのですか!?」
少佐はうなずいた。
「リディア様は、お前たち二人を軍務で使うおつもりらしい。
シルヴィアはよいが、そうなるとキャミイには軍籍が必要となる。
これは赤龍帝閣下の権限で発行された、仮の身分証だ。
参謀本部に戻れば、いずれ正規の軍籍が与えられるのだろうが、それまでのつなぎと思ってくれ」
キャミイは手渡された身分証を開いてみた。野帳のような固い表紙である。
『カミラ・ブレンダモア准尉
認識番号〇〇〇〇〇〇〇〇
性別・女、年齢・二十歳』
上記の者は、第三軍所属の士官であることを証明する』
形式に準じた個人情報の下には、〝赤龍帝リディア・クルス〟の署名と赤い印璽が押されていた。
カミラというのはキャミイ(愛称)の正式名で、姓と年齢は取りあえずシルヴィアと同じにしたのだろう。
右側の頁は賞罰や特記事項の欄だが、キャミイが幻獣であることは記されていなかった。
「准尉ですか……。いきなり士官にして大丈夫なのでしょうか?
教育も何も受けていないのですよ」
シルヴィアが不安げな顔で訊ねたが、アニエスは肩をすくめただけだった。
「とにかく、これで城への出入りに問題はないはずだ。
明日は自分たちだけで登城することだな」
少佐はそう言うと、キャミイに大きな紙袋を差し出した。
「これは午前中に買った街着だ。宿に持って帰れ」
「ありがとうございます、少佐殿。
こんなに服を買っていただいて、その上、軍服まで支給してくれるなんて、軍にしては太っ腹ですね」
シルヴィアはキャミイに代わって礼を述べる。
「ん? 何を寝惚けたことを言っている。
制服はあくまで貸与しただけだ。任務が終わって帰る前には、きちんと洗って返すに決まっているだろう。
それに買った服の代金は、参謀本部に請求しておくからな。
当然、私服の扱いになるだろうから、シルヴィアの給与から差っ引かれるはずだぞ」
「げえっ!?」
* *
翌日、シルヴィアとキャミイが登城しても、赤龍帝からのお呼びはかからなかった。
その代わりに、午前中は速成の士官教育(座学)が待っていた。
それが終わって、士官食堂で食事を摂っていると、若い伝令兵がテーブルに近寄ってきた。
「グレンダモア中尉殿と、ええと……こちらは、あれ、同じ?
あ、いや、失礼しました!
カミラ・グレンダモア准尉……でありますか?」
若い兵士(まだ一等兵だった)は、伝令文に目を何度もやりながら、緊張した面持ちで敬礼した。
二人が立ち上がって答礼すると(キャミイが嬉しそうだった)、兵士は踵を鳴らして気をつけの姿勢を取った。
「赤龍帝閣下のお呼びです。
ご案内いたしますので、同行をお願いいたします!」
『ようやくきたか!』
シルヴィアは心の中で、拳をぐっと握りしめた。
* *
案内されたのは、いつもの執務室であった。
ただし、リディアだけではなく、アニエスとエイベルの両副官も一緒だった。
「シルヴィア・グレンダモア中尉、並びにカミラ・グレンダモア准尉、お呼びにより出頭いたしました!」
二人は揃ってきれいな敬礼をした。
「ほう、だいぶ様になっているではないか」
リディアはおかしそうに笑い、シルヴィアたちを応接の方へと招いた。
長椅子の方へシルヴィアとキャミイが並んで座り、対面の肘掛け椅子の中央にリディア、その両脇に副官たちが腰を下ろす。
「アニエスから聞いたが、キャミイは教官も感心するほど、覚えがいいらしいな?」
キャミイは得意げに鼻を膨らませた。
「それはもう、何しろ僕――いえ自分は、黄色の魔石を得ていますからね。
知能は人間以上にありますのであります」
「しっ、閣下に失礼でしょ!」
シルヴィアが慌てて叱りつけたが、リディアは鷹揚に笑った。
「よいよい。ここでは第三軍の准尉ではなく、カーバンクルとして振舞って構わぬ。
それよりも、さっそく本題に入ろう。
二人をこれまで待たせたのは、参謀本部からの返答を待つためだ。
その伝書鳩が、ようやく到着したのだ」
赤龍帝は二人の顔を、順番に見詰めた。
「マリウス殿は、シルヴィアとカーバンクルの貸与を快諾された。
よって、お前たちは本日をもって、正式に第三軍の支配下に入ったことになる」
シルヴィアもリディアの視線を真正面に受け止めた。
「ならば、お教えください。
自分たちに課せられる任務とは、どのようなものでしょうか?」