五 精霊族
王国を守護する四神獣の一柱、赤龍ドレイクは、赤城地下の広大な〝召喚の間〟に居住している。
シルヴィアとキャミイ(人化したカー君)はリディアの後に従い、階下へと降りていった。
その途中には、警備の衛兵が幾重にも配置されており、彼らは場違いな軽装のキャミイ(しかも初めて見る顔だ)に、警戒の表情を隠さなかった。
しかし、何しろ赤龍帝が自ら先導しているのだ、身分確認を求めることなどできない。
一行は赤龍帝の許可がない限り、誰一人として入室を許可されない、召喚の間へと入っていった。
召喚士と幻獣の関係は極めて強固で、魂のレベルで深くつながっている。
そのため現世においては、常に行動をともにするのが常識で、無理やり引き離されると、お互いに精神的なダメージを受ける。
神獣を召喚する能力を持つ四帝も、召喚士であることには変わりない。
ただし、契約に縛られて二十年以上の間、召喚主につき従う幻獣とは違い、神獣がこの世界に顕現する期間は限定的なものである。
彼らは必要に応じて召喚されるが、基本的には故郷である幻獣界で生活している。
龍の活動に必要な〝魔素〟が、この世界では不足しているためらしい。
通常の召喚士なら、それは精神を病みかねない状態なのだが、なぜか四帝に限っては影響を受けないらしい。
この日も赤龍は不在であった。
リディアは慣れた態度で、床に描かれた魔法陣の中央に立ち、朗々と詠唱を始めた。
シルヴィアにとっては、耳に馴染んだ召喚呪文である。
数分に及ぶ詠唱の後、何もなかった空間に、巨大な龍が姿を現した。
金属光沢を放つ赤銅色の鱗に覆われた巨体は、尾も含めると二十メートル近い。
多くの種族に分かれる龍族の中でも、赤龍が正統と見做される所以である。
赤龍ドレイクは、大理石の床の上で身体をだらしなく伸ばし、視線をリディアたちの方へ向けた。
『あー何だ、緊急事態……ってことではなさそうだな。
リディアよ、カーバンクルがいるってことは、そっち関係の話か?』
その場にいる全員の頭の中に、赤龍の重々しい声が響き渡る。
リディアは少し意外そうな表情を浮かべた。
「まぁ、そのとおりなのだが……、よくこの女――キャミイがカーバンクルだと分かったな?」
赤龍は〝ふんっ!〟と鼻を鳴らした。鼻息で女性たちの髪がぶわりと波打つ。
ドレイクの馬鹿にしたような声音が、頭の中でがんがんと響いた。
『当然だ。俺たち龍族には、たいていの魔法が効かないからな』
「魔法? この変身は、やはり魔法のなせる業なのか。
つまり、黒の魔石の効果ということだな」
『おいおい、リディア。何を言っている?
俺は呼ばれて出てきたばかりだぞ。ちゃんと順序だてて説明してくれ』
「ああ、すまぬ。そうじゃったな。
シルヴィア、ドレイクに事情を話してやってくれないか」
リディアによると、トルゴルでの出来事は、赤龍も一応知っているのだという。
シルヴィアは、カー君に魔石を与える儀式の結果と、その後に発現した能力をかいつまんで説明した。
「――そんなわけで、カー君が突然人化したのも、つい今朝のことなのです。
ドレイク様は以前、魔石は色によって効果が決まっていると教えてくださいました。
黒の魔石には、どのような力が秘められているのでしょうか?」
『知らん』
「はぁ?」
リディアとシルヴィアが声を揃えた。
「どういうことだ、ドレイク。
齢数千年のお前でも、知らないということがあるのか?」
『当り前のことを聞くな。
だがな、知らんと答えたのには、わけがある。
そもそも魔石には、黒色など存在しないのだ』
シルヴィアは思わず口を挟んだ。
「では、黒の魔石は〝まがい物〟だったのですか!?」
『せっかちな娘だな。初めから説明してやるから、まぁ、黙って話を聞け』
赤龍は前足を組み、大きな頭を床につけて、シルヴィアたちの目の前に近づけた。
紅水晶のような眼球の上を、瞬膜が何度か往復する。
楽な姿勢を取ると、赤龍はゆっくりと語り始めた。
* *
『魔力を持っているのは、何も人間だけではない。
エルフやドワーフは言うに及ばず、俺たち龍族だって膨大な魔力を持っている。
というより、動物から植物までのあらゆる生命は、量こそ違えど魔力を保有しているのだ。
魔力とは、生命力と言い換えてもいいものだからな』
『生き物の身体からは、微量の魔力が放出されて大気中に漂うが、最終的には大地に吸収される。
そして地中深くに沈下していく過程で、偶然に〝魔力溜まり〟ができることがある。
それが膨大な圧力と、数百万年の時をかけて結晶化したものが、魔石の正体なのだ……まぁ、全部エルフの受け売りだがな』
『その種類は、光を構成する赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、そしてそれらを統合した白、すなわち八色があるのだそうだ』
『俺たち龍族が、宝物を好んで集めることは、知っているだろう?
それは遥か太古、龍が力を得るために、血眼になった魔石を探し求めた名残だと言われている。
当時は神々と龍族、そして巨人族が三つ巴の争いを繰り広げていた時代だったから、膨大な魔力を秘めた魔石が、生死に直結していたというわけだ』
『もちろん、それは遠い神話時代の話だから、現在の龍族にとっては、魔石も宝石の一種に過ぎない。
魔石は一時的に力を強化する燃料のようなもので、根本的な成長には、むしろエルフや人を……いや、何でもない。話が逸れてしまったようだ』
『とにかく、さっきも説明したが、自然界で生成される魔石には黒が存在しない。
トルゴルの伝承を聞く限り、それは魔石を真似て、人間の呪術師がつくった人工物なのだろう。
そういう意味では、シルヴィアが言うように〝まがい物〟だといえる』
『伝承では、強い魔力を持つ千人もの人間の血を凝縮したのであったな。
どんな邪悪な術を使ったのかは知らんが、魔力の結晶という点では、魔石と何ら変わりはないのだろう。
いや、むしろ自然にできた魔石よりも、やっかいな代物かもしれん』
『俺は〝魔力は生命力だ〟と説明しただろう?
生命力とは何だ?
それは、生きようとする根源的な意志に他ならない』
『考えてもみろ、黒の魔石の材料とされた奴隷たちは、最期の瞬間まで〝自分だけは生き延びたい〟という必死に願っていたはずだ。
呪術師は、その意志のこもった命そのものを、無慈悲に絞り取ったのだぞ?
出来上がった魔石には、生命への狂おしいまでの渇望が、凝縮されていたことだろう』
『ん? どういうことか分からない……という顔をしているな。
つまりだな、黒の魔石はその成り立ちから、生命力とも言うべき魔力を求める性質を持っているということだ。
恐らく千年もの間、洞窟で眠り続けていた間にも、周囲から微量の魔力を吸収し続けていたに違いない』
『魔石は基本的に魔力の器に過ぎない。使えば空っぽになる。
それに比べて、黒の魔石は補給能力をもった永久機関、一種の呪物だな』
『さて、お前たちが知りたいのは、その効果だったな?
これは単純な話で、魔力の底上げに尽きる。
カーバンクルは黒の魔石を取り込んだことで、無尽蔵の魔力を手に入れた。
それによって、もともと持っている能力が、何段階も引き上げられたということだ』
『では、カーバンクルが持っている、本来の能力とは何だ?
これも簡単だ。まずは周囲の情報を感じ取る力、すなわち視覚、聴覚、嗅覚、触覚の四つだ。
人間だと五感といって、ここに味覚が加わるのだが、食事を必要としないカーバンクルにはない感覚だ』
『僕は甘い物が好きだよ――だと?
馬鹿者、それはお前が人間を真似て、後天的に獲得した能力だろう?
同様に、お前の火球は赤、飛行能力は白の魔石で得た能力だから、これらに変化はないはずだ』
『とにかく、お前たちが王都から飛んでくる間に、視力が急によくなったのは、そういうことだ。
同じように、音や臭いに強く集中すれば、それぞれの能力が飛躍的に向上するはずだ。
ところでどうだ、人間の姿をしている現在、周りはどう見えている?』
『そうだろう。視力は元に戻っているはずだ。
魔力によって底上げされる能力は、ひとつに限られるということだから、覚えておくがよい』
『さて、では次に人間化の話をしよう。
カーバンクルには、情報感知のほかにも、生まれ持つ能力がある。
そのひとつは浮遊能力なのだが……これは、いくら魔力で底上げしても、変化が起きないだろうな。
だが、もうひとつは違う。それは、肉体を変化させる力だ』
『カーバンクルは精霊族の一種だ。では問うが、精霊とは何だ?
……そうだ。万物に宿る〝気〟あるいは魂、精気だといってもよい。
それ自体は肉体を持たない、霊的な存在だな』
『この世界は、神々という高次精神体が存在する天界と、俺たちのような精神と肉体が結びついた生命体が暮らす地上界に分かれている。
ちなみに、神々、龍、巨人が争っていた超古代は、この境界が曖昧だったのだ。
時を経て、神々はこの世界から離れていき、今ではほとんど干渉してこない。
精霊族は、二つの世界が分離した時に、天界に上れなかった低級な精神体なんだよ』
『そうむくれるな、別にお前たち精霊族を馬鹿にしているわけではない。
低級といっても、それはあくまで神々と比べれば、の話だ。
とにかく、精霊とは本来、空中を漂っているだけの霊的な存在だ。
この世界に干渉するには肉体が必要で、形あるものに憑依すれば手っ取り早い。
だが、万物にはもともと精霊が宿っているから、溶け込んで自我が崩壊してしまう』
『そこで、ある種の精霊は、自由に動かせる肉体を、新たに生み出すことにした。
土くれで好きな形をつくり、その中に入り込んだというわけだ。
ゴーレムを想像すれば、イメージが掴めるのではないかな?』
『カーバンクルの一族は、土人形を動きやすい四足獣の形に定めた。
そして、この世界の生き物に紛れるため、強力な幻術をかけて、その見た目を整えたのだ』
『つまり、カーバンクルの肉体は粘土細工と変わりなく、その気になれば好きなように変化させることができる。
要するに、もともと変身能力を持っているということだ。
そのことを、世代を重ねるうちに、すっかり忘れてしまったのだろうな』
『カーバンクルが魔石を得るたびに、姿を大きく変えたのはそのためだ。
肉体の材料は土くれだから、いくらでも地面から吸収できる。
無意識のうちに、魔石の魔力に応じた器に身体を作り変えた、ということだ』
『黒の魔石は、その能力も底上げしたから、お前が望む姿になれたのだろう。
肉体をある程度変化させれば、見た目は生まれ持った強力な幻術でごまかせる。
ただし、そのためには変化する対象をよく観察し、自在に動かせるイメージを持たなければならない。
お前が今のところ、長く一緒に過ごした召喚主の姿にしかなれないのは、これまでぼんやり生きてきたせいだろう』
『ちなみに、いくら強力な幻術を持っていようが、龍族には効果を及ぼさない。
だから俺の目に映るカーバンクルの姿は、最初から土人形でそれは今も変わらない。
今はただ人型をしているから、人間に化けているのだな、と分かる程度だ。
もっとも、リディアの目を借りれば、どういう見た目に見せているかも確認できる。あまり興味はないがな』
『ともあれ、俺の説明はこれで終わりだ。
これからは、あらゆる物に注意を払い、心象を刻み込むことだな。
そうすることで、もっといろいろな姿に変身できるようになるだろうよ』
* *
赤龍の長い話が終わった。
シルヴィアとしては、いろいろと納得のいく話であった。
カー君が『自分は精霊族だ』と主張する割に、見た目が獣なのが、どこか心に引っかかっていたのだ。
赤龍の助言どおり、これからはもっとカー君に人間観察をさせねばならない。
シルヴィアは心の中で決意を新たにした。
そうでなければ、カー君は安直にシルヴィアの裸体を複製し続けるだろう。
『手始めに、これからはエイナのお風呂を覗かせよう……』
* *
地下の召喚の間を出ると、歩きながらリディアが話しかけてきた。
「もうそろそろ暗くなってくる。せっかくだから、晩飯を食べていけ。
カーバ……いや、キャミイも付き合えるのだろう?」
「赤龍様も言ってたけど、僕は料理の味がよく分からないんだよ。
でも、甘い物は好きだな」
「ふふ、ではキャミイには、デザートだけを用意させよう」
赤龍の話には、カーバンクル自身ですら知らない事実が含まれていた。
それはカー君にとって、少なからぬ衝撃であるはずだが、彼(彼女?)はあまり気にしていないようだった。
赤龍帝の晩餐は、その身分とは裏腹に、比較的簡素で量も控えめであった。
その代わり、食後に出されたアップルパイは絶品である。
南部名物のヤギ乳で煮だした、甘く濃厚なお茶を飲みながら、三人の女は満足そうな溜息をついた。
シルヴィアはナプキンで口もとを拭うと、改めてリディアに礼を述べた。
「何から何まで、ありがとうございました。
ドレイク様のお話で、黒の魔石のことも分かりました。
明日の早朝には王都に向かい、急ぎマリウス様に報告したいと存じます」
だが、リディアは意外な言葉を返してきた。
「いや、その必要はない」
シルヴィアは怪訝な顔で訊き返す。
「それは……どういう意味でしょうか?」
「王都には先ほど伝書鳩を放った。
魔石の効果と、それによってカーバンクルに発現する能力については、箇条書きにして伝文にまとめておいた。
マリウス殿も、人間化の話にはきっと腰を抜かすことだろう。
それとだ……」
「伝書鳩は、午前中にも飛ばしてあるのだ。
そなたたちを、しばらく貸してほしいという依頼だ」
リディアはシルヴィアとキャミイの顔を交互に見て、にやりと笑った。
「キャミイの能力、さっそくだが使わせてもらうぞ」