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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第九章 能力発現
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三 変身

「痛いよぉ、シルヴィア~!」

 カー君の情けない声が聞こえ、シルヴィアは反射的に周囲を見回した。

 だが窓の鎧戸も閉めたままなので、部屋は真っ暗で彼の姿は確認できなかった。


「どこなの、カー君?」

 シルヴィアは押し殺した声で訊ねた。

 あまり大声を出して、宿の者に騒ぎを知られるのはまずい……なぜかそんな気がしたのだ。


「ここだよぉ」

 その声はすぐ間近、自分が馬乗りになっている相手からのものだ。

 だが、シルヴィアはとてつもない違和感に気づいていた。


 カー君であれば、頭の中で響くはずなのに、声は耳から入ってきた。

 しかも、喋り方こそカー君だが、声音がやけに甲高い。


 シルヴィアは後頭部を見せている相手の髪を掴み、無理やり横向きにした。

「えっと……ひょっとして、あんたがカー君なの?」

「そうだよぉ!

 僕はシルヴィアを起こそうとしただけなのに、酷いじゃないか。

 とにかく、痛いから手を放してくれないかなぁ?」


 シルヴィアは、混乱しながら不審者の手を放して、ベッドから降りた。

 そして部屋の窓を開け、鎧戸を押し開いた。

 冷たい朝の空気とともに、外の明かりが部屋に差し込んでくる。

 まだ少し薄暗いが、闇に馴れた目には十分な明るさだった。


 乱れたベッドの上では、素っ裸の女が上体を起こし、捻られた手首をさすっていた。

 もちろん、こんな女に会うのは初めて……なのだが、妙に懐かしい感じがする。

 その原因はすぐに分かった。

 ベッドの上で胡坐あぐらをかいている姿は、シルヴィアそのものだったのだ。


「どういうことか、説明してちょうだい。

 どうしてカー君が人間の、それもあたしの〝そっくりさん〟になっているの?」

 寝間着姿のシルヴィアは、ベッドの脇で仁王立ちになり、自分を真似た女を見下ろした。


 そのにらみつけている険しい表情が、みるみる崩れてきて、頬が赤く染まってくる。

 いくら見慣れた自分の身体とはいえ、下着すらつけない裸を見せつけられては、どうしようもなく恥ずかしくなってくるのだ。


「とにかく、まず何か着てちょうだい!

 ほら、そこの椅子にのってる着替えを使っていいから」

 ベッド脇の椅子の上には、前の晩に用意した部屋着が畳んある。


「え~? 面倒くさいなぁ……」

 カー君は四つん這いになってベッドの上を二、三歩動き、着替えに手を伸ばした。

 普段が四足歩行だから、その癖が出るのだろう。

 しかし、その姿勢だと重い乳房が垂れさがり、動くたびにゆさゆさ揺れるのだ。


 シルヴィアは思わず手で顔を覆った。

「馬鹿っ! あっち向いて着替えなさいよ!!」

「もう……注文が多いなぁ」


 カー君はぶつくさ言いながらも、四つん這いのままで壁の方に向きを変える。

 当然、シルヴィアの眼前には、何も着けていない大きなお尻が突き出されることになった。


「ぎゃーーーっ! ちょっ、あんた! 何を見せんのよ!!」

 彼女は悲鳴を上げ、反射的に目の前の尻を引っぱたいた。

 小気味のいい音が響き、白いお尻にみるみる赤い手形が浮き上がってくる。


 カー君は振り返り、涙目で抗議した。

「痛ーーーい! もう、酷いなぁ!」


 だが、その声はシルヴィアの頭の中まで届かなかった。

「待ちなさいよあんた! 何これ!?」


 シルヴィアは女カー君のお尻を、両手で鷲掴みにして、左右に押し広げた。

 これはもう、同性云々(うんぬん)は関係なく、例え自分自身の身体であろうとも、絶対見たくない部分であった。


「なんで何もないのよ!?」

 後ろから広げられた股間は、つるんとした肌しか見えず、女ならあってしかるべき〝あれやこれや〟が存在していなかった。

 ただし、肛門だけはちゃんとある(それは見たくないので、無理やり意識の外に追いやった)。


「僕は前からそうでしょ? 今さら何言ってんの」


 カーバンクルは、動物でいう交尾を行わない。

 これは精霊族と妖精族に共通した特徴で、妖精が満月の夜に踊った葉っぱに宿る、朝露の中から生まれてくる……という話は、よく知られていた。


 カー君によれば、カーバンクルは満月の夜に、気の合った者同士が身体を寄せあって眠り、同じ夢を見るた時に限り、子どもが生まれるそうなのだ。

 身体のどこかから出てくるのではなく、いつの間にか〝そこにいる〟ということらしい。


 したがって、カーバンクルには、そもそも生殖器が存在しない。


 彼らは生き物の精気をかてに生きているので、水分以外の食事は必要ないが、食べること自体はできる。

(実際、カー君は食べることが好きで、特に甘い物に目がない。)

 食べた物が消化されることはなく、ただ水分を吸収した残りかすが排泄されるだけであった。


 お尻にある穴からは、余分な水分も排出されるので、それは肛門というより、鳥や爬虫類のような総排出腔と呼ぶべきものだ。

 だから、カー君が人間の姿になっただけだとしたら、股間に何もないことは納得できる。


 ともあれ、カー君は部屋着(ゆったりとした長めのワンピース)に袖を通し、どうにか目のやり場に困ることはなくなった。

 シルヴィアはようやく混乱状態から回復し、状況を理解しようという努力を始めた。


「じゃあ、最初から話して。

 一体、何がどうして……こんなことになったの?」


 カー君は小首を傾げて考え込む。

 シルヴィアそっくりの顔でこれをやられると、むずむずしてどうにも落ち着かない。


 彼(彼女か?)はゆっくりと自分の行動を思い返しながら、説明を始めた。


 夜が明けてきたので、シルヴィアを起こす必要があったこと。

 下宿ならメイドさんが、お尻を引っ叩いて起こしてくれるが、自分の前足ではそれが難しいこと。

 それで、『僕が人間だったらいいのに』と思いながら、シルヴィアを起こそうと近づいたこと。


「そうしたら、いつの間にかこうなっていたんだ。

 シルヴィアに押さえ込まれて、初めて自分が人間になっているって気づいたの。

 僕が一番びっくりしているんだよ」


「そう……」

 シルヴィアは親指の爪を嚙みながら、考え込んだ。


 昨日の飛行では、カー君がたまたま発見したウサギをよく見ようとして、突然視力の能力向上が起きた。

 今回も『人間になりたい』という、単純な願いがきっかけとなって、変身能力が発動したと考えるしかない。

 ということは、この二つの能力の根っこは同じ、いずれも黒の魔石の効果なのだろう。


「それにしても、どうしてあたしそっくりの姿になったのかしら。

 ねえ、カー君。あんた、人間になりたいと思った時、誰かの姿を思い描いた?」

「そりゃあ、シルヴィアだよ。決まっているじゃん」


「どうして? 別にあたしじゃなくても、誰か他の男の人でもよかったんじゃない?

 カーバンクルに雌雄がないことは知っているけど、あんたの普段の喋り方って、割と男っぽいじゃない。

 例えばさ、マリウス様とかでもいいわけでしょ?」

「無理だよ。イメージできないもん」


「何でよ? マリウス様とは何度も会っているから、顔は覚えているはずよ?」

「そりゃ、顔はそうだけど。身体はどうするの?

 僕、マリウスの裸なんて、見たことないんだよ」


「あっ……!」

 突然にシルヴィアは理解した。


 当り前だが、カー君は衣服など着ていない。

 もし人間に変身できるとして、そのイメージを脳内に描くとしたら、裸の人間でなくてはならない。


 彼は召喚されてから、ほとんどすべての時間をシルヴィアとともに過ごしてきた。

 だから、シルヴィアの裸体も普通に見ている。

 カー君の存在はペットのようなもので、その前で着替えたり、入浴することに抵抗がなかったのだ。


 逆にいえば、カー君はシルヴィア以外の人間の裸体を、知らないということになる。

 もし変身能力を得たのだとしても、他の人間になりようがないのは自明である。


「あれ? じゃあ、もしかして……」

「どしたの?」


「考えてみれば変なのよ。

 あんたの股間がつるぺただったのは、元のカー君がそうだから……って、さっきは思ったの。

 でも、それならおっぱいだって、なくてもいいって話になるわよね?

 これ単純にあそこ(・・・)がイメージできないから、ごまかしたってことじゃない?」

「そっかぁ……そういえば、シルヴィアのあそこって、ちらっとは見たことあるけど、じっくり観察したことはないもんね」


「じっくり見られてたまるか!

 まぁ、何となく変身の仕組みは分かってきたわ。

 だったら、身体は無理だとしても、顔だけなら別の人に変えられるんじゃないかしら?

 やっぱり、自分そっくりの顔が目の前にいるって、いい気分がしないのよね。

 どう、できる?」

「う~ん……結構難しいかも」


「どうしてよ?」

「僕はシルヴィア以外の人間の顔に、あんまり興味ないんだよ。

 もし、シルヴィアが犬に変身しようと思ったら、どんなイメージを思い浮かべる?」


「そうね……小さいころに実家で飼っていたペスかしら?」

「そうだよね。自分が飼っていた犬だったら、身体の特徴も詳しく覚えているし、顔の表情なんかも思い出せるよね。

 でも、例えばご近所さんで飼っている犬だったら、どう?」


「えっ、それは……ちょっと難しいかな?

 顔を見れば区別できるけど、ちゃんとは覚えていないもの」

「僕にとっての人間は、それと同じなんだよ。

 ほとんどの人間は区別できないから、視覚よりもむしろ嗅覚に頼っているんだ。

 顔だけだって言われても、よほど一緒にいる時間が長くないと、きちんとイメージできないんだよ」


「なるほどね、あんたの言うことは何となく分かるわ。

 あっ、でもそれだったら、エイナはどうかしら?

 彼女だったら、あたしの次くらい長い時間、一緒にいるわよね?」

「ああ、エイナか……。うん、彼女なら何とかなるかも」


「物は試しだわ。ちょっとやってみなさいよ」


 カー君はベッドの上で胡坐かいたまま、目を閉じて集中を始めた。

 しばらくすると、その顔の輪郭がぼやけてきた。目を凝らしても、焦点がうまく合わないのだ。


 不鮮明な状態でも、変貌が起きていることは分かった。

 その中で、最も顕著なのが髪の毛だった。

 割と長めの金髪が、ずるずると引っ込んで短くなり、色が黒く変わったのだ。


 顔を構成する要素は、それよりも微妙な変化だった。

 高い鼻が丸く可愛らしくなり、大きめな唇も小さくすぼまった。

 ぼんやりとしていた輪郭が明瞭になってきて、面長だった顔も丸くなった。

 部分的な変身が終わり、カー君がぱちりと目を開くと、瞳の色も茶褐色に変わっていた。


 ただ、『これがエイナの顔か?』と問われると、どうにも微妙だった。

 しいて言えば、シルヴィアとエイナを足して二で割った顔……なのだろうか。


 カー君の頭の中では、どうしてもシルヴィアの顔のイメージが強烈で、よく知っているはずのエイナでも、それに引っ張られてしまうようだった。

 それでも、鏡に映った自分の顔を見るような違和感は、かなり薄まったといえる。

 身体についてはどうしようもないから、取りあえず置いておこう。


「うん、まぁ……初めはそんなものかしらね。

 次から変身するときは、この顔でいきましょう!

 ……って、あんた、元には戻れるの?」

「多分、大丈夫だと思う。戻ろうか?」


「そうね、やっぱり落ち着かないから、お願いするわ」

 カー君は再び四つん這いになって、ベッドから降りようとする。


 それを見たシルヴィアは、あることに気づいた。

「ちょっと待って、何でベッドがそんなに沈んでいるの?」


 カー君がついている手や膝は、不自然なほど深く、マットに潜り込んでいた。

 しかも、彼が動くたびに、ベッドの底板がみしみしと悲鳴を上げるのだ。


 シルヴィアは、試しにカー君を持ち上げてみようとした。

 ベッドの端に腰かけている彼の脇と膝の下に腕を入れ、腰を落として踏ん張ってみる。

 もし、見た目どおりだったら、難なく持ち上げられるはずである。

 シルヴィアはそれくらい力が強い。


 ところが、カー君はびくともしなかった。

 ということは、姿が人間サイズになっても、体重自体は元のままなのだ。

 恐らく肉体が圧縮されて、中身は鉄のように重くなっているのだろう。


「もういいかな? じゃあ、元に戻ってみるよ」

 カー君は立ち上がると、着ていた部屋着をがばっと脱いだ。

 下着をつけていない、シルヴィアそっくりの裸体が露わとなり、大きな乳房がぶるんと揺れた。


「なぜ脱ぐ!?」

 シルヴィアが顔を背けながら怒鳴る。


「ええ? だって着たまま元に戻ると、服が破けちゃうよ?」

「あっ、そうか! じゃあ、早く戻って。

 だけど……、それはそれで困ったことになったわね」


 全裸になったカー君は、あっけなく元の姿に戻った。

 やはり、慣れない人間形態よりも楽なようで、機嫌がよさそうだった。


 もう夜が明けたので、そろそろ登城の支度をしなければならない。

 是が非でもカー君を伴って赤龍に会い、この問題について相談しなければならない。


 見慣れたカー君を連れて登城すれば、何も問題は起きない。だが、人間化した姿ならどうだろう?

 警備の兵に『実はうちの幻獣、人間になれるんですよ』と説明しても、簡単に信じてもらえるとは思えない。


 もちろん、目の前で変身させればいいのだが、そうなると必然的に全裸をさらすことになる。

 カー君は裸になることに抵抗ないだろうが、シルヴィアはそうはいかない。

 自分自身の裸を見られるのと、同じことになってしまうからだ。


 警備兵だけではない。リディアの前でも、当然赤龍の前でも、同じことを繰り返す必要があるのだ。


「どうしよう……」

 シルヴィアは頭を抱え込んでしまった。

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― 新着の感想 ―
獣バディの人化についてこんだけ細かく掘り下げるのも珍しい(笑)
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