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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第八章 トルゴルの藩王
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三十五 その後

「ううっ、さぶっ!」

 エイナは自分の肩を抱いて震えあがった。

 ノーマが風魔法を解除したせいで、目の前に広がる極寒の氷原から、冷気が押し寄せてきたのだ。


「戻るぞ!」

 きびすを返すエイナに、ノーマもうなずいて後を追った。

 帝国軍の撤退で、フランツが出現させた土壁も、魔力の供給が絶たれて崩壊が始まっていた。


 戻ってきたエイナとノーマを、ケネス中尉が迎えてくれる。

「二人ともよくやった!

 こっちからも見ていたが、あの魔法、また威力が増したな。

 何をやったんだ?」


 エイナは苦笑いを浮かべた。

「私の方こそ誰かに教えてほしいです。

 ゴーレムはすべて始末したのですか?」

「ああ、ユニのオオカミが手伝ってくれたからな。

 フランツの野郎が、馬鹿みたいに呪符を仕掛けてくれたんで、えらい時間がかかったよ。

 そっちの方にいたオオカミたちは、みんなユニの後を追ったのか?」


 にこやかだったエイナの表情が曇った。

「……はい。召喚士の宿命ですから、私たちにはどうしようもありません」

「そうか。俺はあいつらとは話せないようだ。お前から礼を言ってくれ。

 助かったと」


 ジェシカとシェンカの姉妹、そしてロキの三頭は、エイナの周りに集まってきて、尻尾を振っていた。

 エイナは一頭ずつ頭を抱いて撫でながら、ぴんと立った耳元にささやいた。

「みんな、中尉殿の言葉は分かった?」


 すぐにジェシカの声が頭に響いてくる。

『このくらいなら、エイナの耳を通さなくても理解できるわ。

 おっちゃんには〝気にするな〟って伝えといて』


「ええ、みんなありがとうね!

 ユニさんは、まだ近くにいるの?」


 シェンカが尻尾をちぎれんばかりに振った。

『そう。ユニも群れのみんなも、あたしたちのことを待っているわ』

「あなたたち、こっち生まれだから幻獣界を知らないのよね?

 大丈夫なの?」


『平気よ。

 それより、ユニの伝言はちゃんと聞いた?』

 ジェシカが心配そうな目を向けた。


「うん、でも世界がどうとかって話は、難しくてよく分からなかったわ」

『そうよね。あたしたちだって同じよ。

 そうそう、ユニが言っていたわ。ちゃんと理解がしたいなら、森の賢王に会ってみなさいって』


「森の……賢王?」

『ほら、人間の言葉を話せるオークの族長よ』


「ああ、ダウワースね?」

『そうそう。

 ユニと最後に帝国に渡った時、あたしたちは帝都の森に棲む、エルフに会いに行ったのよ』


「魔導王のネクタリウスのこと?」

『うん。あたしたちは外にいて、二人の話は知らないんだけどね。

 後でユニが〝賢王と同じことを言っていた〟って感心してたわ。

 一度話を聞きに行ってもいいかもね!

 じゃあ、あたしたちもそろそろ行くわ』


 エイナは姉妹の頭を両腕で抱え、頬ずりをした。

「二人とも、元気でね!

 ユニさんのこと、頼んだわ!!」


 震えるエイナの肩を、ロキの前足がぽんと叩いた。

『ええと、エイナ……、僕のこと忘れてない?』


 エイナは振り返って、ロキの太い首に抱きついた。

「忘れるもんですか!

 ロキこそ、私のこと忘れたら許さないからね!!」


 ロキは涙で濡れているエイナの頬をぺろりと舐めた。

『忘れないさ。

 姉ちゃんたちと僕は、この世界で生まれ育ったからね。人間が割と好きなんだ。

 幻獣界にも、ちゃんと人間がいるんだって。

 でも、オオカミと人間の関係は、あんまりよくないらしいんだ』

「それは……私たちの世界も同じかな?」


『だけどさ、僕はユニだけじゃなく、エイナとも仲良くなれたじゃない?

 だから幻獣界に帰っても、人間と友達になれると思うんだ。

 群れの大人たちは無理かもしれないけど、僕と姉ちゃんたち、それにオオカミとして生まれ変わってくるユニだって……』


 ロキはいったん言葉を切って、空を見上げた。

『きっと、僕らは新しい世代として、人間とこれまでとは違った関係を築いていくんだ。

 そう考えたら、幻獣界に帰るのも悪くないって思うな』


 エイナは泣き笑いの表情で、ロキの頭を撫でた。

「そうね……きっとそうね!

 私もこっちで頑張るから、あんたもしっかりね!!」


『エイナは泣き虫だな』

 ロキは笑い声で、もう一度エイナの頬を舐めた。

 そして、エイナに抱かれたまま、ふっとその姿を消した。

 彼女の手や頬には、ロキのごわごわした体毛や、体温のぬくもりが残ったままだった。


 慌てて上空を見上げたエイナだったが、オオカミたちの姿は、どこにも見つからなかった。


      *       *


 エイナたちは待機していたトルゴル藩兵との合流を果たし、少数の見張りを残して粛々と撤退を開始した。

 魔導士部隊がハイダラバード藩王国の都、アウランにたどり着いたのは、それから七日後のことである。

 先に帰還していた藩王ニザムは、彼らを王宮に迎え入れてくれた。


 藩王の謁見を済ませた魔導士たちは宿に下がることを許され、国境の戦いの詳細を報告するため、オコナー大佐だけが王宮に残ることになった。

 大佐の話をすべて聞き終えたニザムは、深い溜息をついて玉座に身体を沈めた。


「要するに、帝国が魔導士を投入して攻め込んできたら、我らはひとたまりもない――ということだな」

 藩王の言葉を肯定するのは、彼らを侮辱することにつながる。

 オコナーは無言のまま、ただ頭を下げた。


「だが、数多あまたの藩王たちと、その上に立つトルゴル王は、頑なに魔導士を認めまい。

 ここは余が貧乏くじを引いて、実績をつくるしかあるまいな。

 ケルトニアは、魔導士養成に助力してくれるのだろうな?」

「御意。陛下の英断には、このオコナーが身命をかけてお応えいたします」


「ふん、最初からそれが貴様の狙いであったのだろう、余を見くびるな。

 だが、やるからには主導権は渡さぬぞ?」

「と、申しますと?」


「知れたこと。

 そもそも我がトルゴルをはじめ、サラーム教国が魔導士を拒絶するのは、伝統的な呪術師の存在が大きく影響しているからだ。

 真に力ある呪術師が戦闘に加われば、帝国の魔導士を一蹴することも可能だからな。

 ただ、呪術師どもはなかなか言うことを聞かぬ。

 奴らは世俗には関わらぬと言いながら、内心では自分の価値を、高く売りつけることしか考えていないのだ。

 帝国やケルトニアの魔導士が、戦争の歯車として使い捨てられている現状を、奴らは見下し、嘲笑あざわらっておる」


 オコナーは落ち着いた態度で、藩王に言葉を返した。

「ですが、陛下が魔導士の養成に乗り出したと知れば、呪術師どもも慌てましょうな?」


 ニザムは小さく吹き出した。

「それも貴様ら、ケルトニアの魂胆であろう?

 まぁ、よい。余はサラーム独自の魔導士の実現を目指す」


 オコナーは少し表情を変えた。

「それはどのようなものでありましょうか?」


「呪術と魔術の融合――具体的に言えば、精神系魔法の開放だ」

「それは……!」


「貴様らケルトニアも帝国も、黒魔術を基礎にした精神系魔法を禁じているのは、余とて知っている。

 だが、呪術が生活に根付いている我が国では、そのような禁忌感情は存在しない。

 どうせ後発の魔法国家が、先進国である帝国に追いつく日など、永遠に訪れるわけがない。

 ならば、禁忌を犯すことでその差を埋めてやろう!

 我が藩王国でその試みが成功すれば、ケルトニアは労せずしてその果実を手に入れ、魔法戦での劣勢を覆せるやもしれん」


 藩王は玉座から身を乗り出し、じろりとオコナーを睨みつけた。

たびの作戦に、貴様という大物を派遣してきたケルトニアの真意……そこに隠された本音は、余の国を実験場にすることなのだろう?」


 オコナー大佐はにやりと笑い返した。

「はて、何のことか……愚昧な小官には分かりかねます。

 ただひとつ、言えることは、〝さすがニザム陛下、血は争えません〟といったことろですか」


 藩王は苦い笑いを浮かべ、手にしたケルトニア酒の杯を、ぐいと飲み干した。

「控えよ! さすがに皮肉が過ぎるぞ」


 オコナーは黙って胸に手を当て、こうべを垂れた。


      *       *


 ひと足先に宿に帰った王国の魔導士たちは、ありあわせの夕食を済ませると、物も言わずに眠りについた。

 何を食べたのか、思い出せる者がいなかったくらいに、彼らは疲弊していたのだ。


 翌日は、終日休養に当てられたので、魔導士たちはサラーム教国では当り前に存在する、公衆浴場に朝から押しかけた。

 何しろ半月以上、風呂に入っていないのだから、特に女子にとってその欲求は深刻であった。

 身体や髪を洗うのはもちろんだが、衣服をしっかりと洗濯できるのもありがたい。


 宿にも洗濯女がいるのだが、大規模な公衆浴場には、技術的に洗練された専門職の女性がいるのだ。

 エイナとノーマは、二日に一度は下着を替えて、自分の手で洗濯をしていたのだが、野営地では濁った排水しか使えない。お湯とシャボンを贅沢に使った浴場とは、仕上がりが段違いである。

 二人の女は、溜め込んだ洗濯物を恥ずかしさをこらえて籠に入れ、受付の女性に託した。


 夕方に帰る際には、洗濯を終えた衣類は完璧に乾かされ、ふんわりとたたまれていた。

 それを手にした彼女たちの感激は、男には絶対に理解できないだろう。


 男性陣に遅れること実に五時間、エイナとノーマが宿に帰ると、そこにはオコナー大佐とともに、意外な人物が待っていた。

 シルヴィアである。

 驚くエイナに、シルヴィアは事務的な口調で本国からの指示を伝えた。


「明日の朝、藩王陛下の宮殿前庭に、アラン少佐のロック鳥が迎えにくる手筈です。

 あなた方は搬送小屋に乗り込み、その日のうちに王都に帰還することになりますから、今夜のうちに出発の準備を済ませてください」


 敬礼するシルヴィアに、オコナー大佐の手前、エイナも仕方なく応じる。

 シルヴィアは大佐と打ち合わせがあるらしく、連れだって宿屋の中に入っていった。


 宿での夕食後、オコナー大佐は正式に作戦の終了を告げ、部隊の解散を宣言した。

 要するに、王国魔導士たちとケルトニアの傭兵契約が、解除されたということである。


 荷造りをしているエイナの部屋を、シルヴィアが訪ねてきたのは、それから一時間ほど後のことであった。

 彼女を迎え入れたエイナは、シルヴィアの肩を掴んで揺すぶった。


「何をしていたのよ! ユニさんもオオカミたちも、行っちゃったわよ!!」


 だが、シルヴィアは固い表情のまま、黙ってうなずくだけだった。

 エイナはその反応で、すべてを覚った。


「知って……いたの?」

 シルヴィアは再びうなずいた。

 その頬を、ぼろぼろと大粒の涙が零れ落ちた。


「あんたちが国境に攻め入る前に、ユニさんとは別れを済ませたわ。

 それよりごめん。あたしたちは、マグス大佐と即応機動大隊の動きを掴めなかった。

 結果的に警告ができずに、あんたたちを危険にさらした。

 空からの目を持っていながら、面目ないわ」

「ということは、あの戦いで上空にいたの?」


 シルヴィアの表情が、苦悶でさらに歪んだ。

「ええ。帝国魔導士の魔法攻撃があるから、高度を落とせなかったの。

 何も手助けができなくて……申し訳ないと思っているわ」


「いいの。シルヴィアは悪くないわ」

 エイナはそう言うと、ぽんぽんとシルヴィアの頭を撫でた。

 うつむいている彼女を見ると、何だかユニのオオカミたちを思い出してしまう。


 そして、ユニの遺品であるナガサを手渡すと、彼女はこらえきれずに号泣した。

 シルヴィアがどうにか落ち着いたのは、二十分以上後のことだった。

 エイナは親友が立ち直ったかどうか、自分なりに確認したうえで訊ねた。


「私、ユニさんとは直接話せなかったけど、オオカミたちがいっぱい伝言を教えてくれたわ。

 シルヴィアも何か聞いた?」

「うん……だけど、その話が大きすぎて、正直まだ受け止めきれないの」


 エイナは吹き出して、シルヴィアの肩をぱんと叩いた。

「じゃあ、私と同じだ!

 あとで時間ができたら、二人で一緒に考えましょう!」


      *       *


 翌朝、エイナたち王国の魔導士は、ケネス大尉とともにロック鳥が運んできた運搬用の小屋に乗り込んだ。

 エイナとケネスを別にすると、若い魔導士たちにとって、初めての空の旅である。

 案の定、初体験組は乗り物酔いの洗礼を受け、人生最悪の経験を味わうことになった。


 それはともかく、エイナを含む十二人の若き魔導士たちは、ひとりの犠牲者も出さずに帰還を果たした。

 両国軍首脳部に異なる思惑があっての作戦であったが、十分な成果を出したと言えよう。

 ただし、実際に戦闘に参加した彼ら自身は、反省ばかりを抱え込んでいた。


 選抜された魔導士たちは、一人ひとりが報告書を提出し、それに対する質疑も念がいったものであった。

 それは実質的な尋問で、エイナは慣れっこであったが、他の者たちは相当に消耗したようである。


 〝尋問〟を担当したのは、参謀本部と情報部の幹部将校であったが、エイナとシルヴィアだけは、マリウスが直接聞き取りに当たった。


 エイナはユニの最期を詳しく報告するとともに、遺品である衣服とブーツをマリウスに手渡した。

 ちなみに、現場には彼女の下着も残されていたのだが、それに関してはエイナがきれいに洗濯をした上で焼却され、その灰は後に辺境の森にある、ユニの小屋の周囲に撒かれた。


 マリウスは取り乱すことなく、エイナの報告に耳を傾けていた。

 彼もまた、事前にユニと別れを交わし、覚悟を固めていたのである。


 だが、エイナの報告に続く、シルヴィアの話は、彼の精一杯の強がりを打ち砕いた。


『マリウスに伝えてちょうだい。これまで楽しかったって。

 それと、愛しているって!』


 シルヴィアが泣きじゃくりながらユニの言葉を伝えると、マリウスは珍しく声を荒らげた。

「もういい、下がれ!」


 彼女はすすり泣きながら敬礼すると、急ぎ足で続き部屋に逃げ込んだ。

 そして秘書官のエイミーと抱き合い、二人とも声を枯らすまで泣き続けた。


 そうでもしなければ、執務室から洩れてくるマリウスの嗚咽を、掻き消すことができなかったからだ。

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