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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第八章 トルゴルの藩王
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三十三 発動

 戦いの火ぶたを切ったのはノーマだった。


 エイナは呪文の詠唱を続けていたし、味方であるオオカミたちは、彼女たちの前に並んで敵の攻撃を牽制してくれている。

 現状で攻撃ができるのは、ノーマだけである。


 彼女は得意な風魔法を発動させ、オオカミたちの前を境にして、帝国側にだけ凄まじい強風が吹きつけた。

 これは風系の基本魔法で、投入する魔力量によって、強さや範囲が自在に変えられる。

 殺傷力は期待できないが、多数の敵を相手にした時には、案外有効な手段であった。


 ここは森を切り拓いた荒れ地であるから、地面は剥き出しの土のままで、草も生えていない。

 風は乾いた地面から砂や小石を巻き上げて、褐色の砂嵐となって帝国兵に襲いかかった。


 マグス大佐を中心とする集団(歩兵一個小隊と二人の大佐、そして補助の魔導士)は、対魔法防御結界に包まれているので、その中では魔法の風は消滅する。

 ただ、飛んでくる砂や小石は物理現象なので、防ぎようがないのだ。

 顔に当たると結構痛いし、まず目が開けていられない。

 帝国兵は腕を上げて目を庇ったが、目隠し状態では移動できない。


 逆に、後方で円形陣を組んでいる本隊は、外周を構成する部隊が対物理防御を張っていたから、風はまともに受けるが、砂塵を弾くことができた。

 ただし、結界外では砂嵐のような風が荒れ狂っているので、視界が効かないという事実は変わらない。

 悲惨なのは、円陣の中心部にいる兵と魔導士だった。


 彼らは何の防御も持たず、特に魔導士は反撃に移りたくても、敵を視認できないままでは、攻撃魔法が使えないのだ。


 攻撃魔法を放つには、相手との距離や角度、気候条件などを把握して、その数値を呪文に置き換えて組み込む必要がある。

 目が明けられない魔導士はそれができないため、完全に攻撃を封じられた状態だった。


 そして、ノーマの風魔法にはもうひとつ、敵が展開する魔法防御結界の位置を掴めるという利点があった。

 その結果、風が無効化されているのはマグス大佐の一隊だけで、後方の本隊は魔法に対しては無防備だということが明白となった。


 ノーマは魔力の放出を続けながら、次の魔法の詠唱を始めていた。

 ちらりと横を見ると、エイナは相変わらず呪文を唱え続けている。


 彼女はいつもエイナの側にくっついていたので、指揮官の詠唱が段違いに短いことに気づいていた。

 それは、エイナが三重詠唱という、高等技術を会得しているという証左であった。


 実を言うと、ノーマも三重詠唱を使えたのだ。

 同期の誰もそんなことはできない。彼女が卒業したてで任官もしていないのに、今回の魔導士隊に選抜されたのも、それが大きな理由だと自負していた。

 その彼女に比べても、エイナの詠唱速度は段違いだった。


 それなのに、エイナはずっと詠唱を続けている。

 これはきっと、よほど大きな魔法を使おうとしているのだ。

 ノーマは憧れの先輩のために、是が非でも時間を稼ごうと決意していた。


 彼女は風の魔法を解除すると、敵に反撃の暇を与えず、即座にファイアボールを撃ち込んだ。

 何しろ敵本隊は百人近い集団である。どこに着弾しても、二、三十人はまとめて焼き殺せるし、その中には確実に魔導士がいるはずだった。


 帝国側もノーマの風魔法を喰らったことで、防御を対魔法用に切り替えようとしていたが、発動までにはあと数分の時間が必要だった。

 そんな中、いきなり風が止んだ。


 そして、まだ舞い上がっている砂塵を突き破って、光の球が飛び込んできたのだ。

 円陣の中央にいた帝国の魔導士は、目標を与えないまま、同じファイアボールを撃った。

 そして、手の先から飛び出した光球の軌道を強引に操作して、ぎりぎりノーマの魔法を迎撃することに成功した。


 ノーマの魔法が直線的に飛んできたことが、敵にとっては幸運だった。

 両者の距離が離れているため、彼女は着弾直前での迎撃に対応できず、回避が間に合わなかったのだ。

 二つの魔法は空中で激突し、小さな爆発を起こして瞬時に消滅した。


 この後は、壮絶な魔法の撃ち合いとなった。

 ノーマと帝国の魔導士は、ほぼ同じタイミングでファイアボールを放ち、相打ちを繰り返した。


 彼女が三重詠唱を使って、並みの魔導士では不可能な頻度で攻撃を繰り出しても、相手は正確にそれに合わせてくる。

 つまり、敵もエイナと同等の詠唱速度を誇る、手練てだれということだった。


 状況は互角の膠着状態のように思えたが、実際はその真逆であった。

 両者が撃ち合いを続けていることで、帝国側には時間がもたらされた。

 もうオオカミの群れは去ったから、円陣外周の魔導士たちは、物理防御の結界を解除できた。


 彼らは当初の混乱から、やむを得ず魔導士を中心とした小集団に分かれていたが、これで自由に移動して再編成が可能になったのだ。


 十数人の塊りは、集合して二、三十人規模の部隊を作り、それを魔導士が対魔法結界でまとめて保護をした。

 その結果、四人の魔導士が防御から解放され、彼らは攻撃に参加すべく、一斉に呪文を唱え始めた。


 現在、ひとりで敵の魔法を撃ち落している魔導士に加勢すれば、手数で圧倒できる。その時は、あとわずかにまで迫っていた。


      *       *


「こちらも魔法防御を解除して、攻撃に参加しますか?」

 イアコフがマグス大佐に訊ねたが、彼女は乱れた赤毛を揺らして首を振った。


「いや、駄目だ。あのエイナという女が沈黙しているのが不気味だ。

 いつ巨大魔法が撃ち込まれても不思議ではない。保険は掛けておいたほうがいいだろう。

 それより、お前の部隊との合流を急ごう」


 強風とそれに続く魔法の撃ち合いで、後方の本隊が前進を止めたため、マグス大佐たちは自分たちの方から後退を始めた。


 五頭のオオカミは間隔を保ったまま、その後を追っていった。

 彼らはユニとライガが消滅した地点に達すると、そこに散らばっていた遺品を口々に咥え、エイナの方へ引き返していった。


 呪文の詠唱を続けるエイナの頭の中には、その間にもるヨミの優しい声が響いていた。


『あたしには難しくてよく分からないけど、ユニの言葉をそのまま伝えるわ。

 この世界は歪んでいる――それは、人間が神と呼んでいる存在の仕業らしいの。

 ユニは、この世界は〝神々の実験場〟だって言っていたわ』


『だけど、それはもう限界に近づいているんですって。

 この世界は、確かに神々が創ったものかもしれないけど、どうしようもなく〝人間の世界〟なの。

 それは、神の力でも変えることはできないそうよ』


『だから、この世界はゆっくりと、少しずつだけど歪みを正そうとして、揺れ戻しが起きているらしいわ。

 あと何百年かかるかは分からないけど、エルフもドワーフも、そしてオークやゴブリン、妖精たちまでも、いずれこの世界を去っていく運命なんだって。

 彼らは、人間の世界に存在してはならない種族なの。

 そして、召喚能力を持つ人間も徐々に数を減らしていって、やがては消滅するだろうって言っていたわ』


 エイナの前に、ヨミがゆったりとした歩みで戻ってきて、彼女の足元にユニの上着を置いた。


『これからは、エイナのような人間の魔導士が、世界の主人公になっていくんですって。

 でもね、その魔法だって歪みのひとつだから、最後には魔導士も姿を消していくそうよ。

 その代わり、これまで不自然に押さえ込まれていた技術が開発され、人間は幻獣にも魔法にも頼らずに生きていくようになる。

 だけどその技術は同時に、これまでとは比べ物にならないほどの悲劇と災厄を、呼び寄せてしまうかもしれないそうよ』


 突然、ヨミの声がぶちぶちと途切れだした。

『ああ……駄目……だわ! ライ……呼んで……』


 目の前に座っていたヨミの姿が、いきなりぶれて不明瞭になった。

 そして、優しい〝母さん〟は、音もなく消えてしまった。


 エイナの足元に置かれた狩人風の衣服の上に、ミナが咥えてきたユニのズボンを置いた。

 ミナはライガとヨミの娘で、ハヤトの妻、そして双子姉妹の母でもある。


『少なくともエイナが生きている時代には、そんな極端なことは起こらないから安心してって、ユニは言っていたわ。

 でもこれからは、あんたたち若い者の時代だってことだけは、間違いないそうよ。

 頑張んなさい!』

 そう言うと、ミナもヨミの後を追うように姿を消した。


 トキはユニのブーツを丁寧に揃えて、地面にそっと置いた。

 彼もミナと同じライガとヨミの子どもで、身体の大きなオスであったが、とても穏やかな性格をしていた。


『もうひとつ、大事な言伝がある。お前の母親のことだ』

 エイナは詠唱を続けながら、目を見開いた。


『お前の母親は、いま帝国の南部に向かっているそうだ。

 そこに根を張る、真祖の吸血鬼と決着をつける気らしい。

 エイナの母もまた、この世界の歪みを正すための歯車のひとつなんだそうだ。

 だが、いくらダンピールとはいえ、真祖と戦うのは分が悪い。

 エイナは母親の手助けをするべきだと、ユニは言っていた。

 この情報はマリウスにも伝えているそうだ。国に帰ったら、あいつに相談してみるといい』


 トキは言い終えると、エイナの胸にどんと前足をかけ、彼女の顔をひと舐めしてから消えていった。


 続いてハヤトが、エイナの足元に、咥えてきたナガサをぼとりと落とした。

 彼は群れの中ではライガに次ぐ体格を誇るが、気の荒い性格であまり人間と馴れ合うのを好まなかった。

 ただ、娘のジェシカとシェンカ姉妹には、でれでれに甘い父親だった。


『どうやら、ライガの野郎と血縁が濃いほど、呼ばれるのが早いらしいな。

 このナガサは、シルヴィアに持っていてほしいそうだ。

 ドワーフ製だから頑丈で切れ味もいい、何より敵の接近を光って知らせるから、きっと役に立つはずだって言ってたぞ。

 それとな、……この際だから言っておく。

 俺はユニ以外の人間はあまり好きじゃないが、エイナとシルヴィアは割と好きだったぞ。

 じゃあな、もしいつかまた会えたら、耳の後ろを掻いてくれ』


 ライガは後足で頭をがりがり掻き、大きな身体を消した。

 最後に残ったのは、銀毛の美しいオオカミ、ヨーコであった。


 彼女はもともと人間の召喚士だった。転生した姿で、再びこの世界に戻ってきた珍しい例である。

 息子のロキの名は、召喚士時代に使役していたオオカミの名前でもあったが、彼女はその記憶を失っている。

 ヨーコはもう一本のナガサを咥えてきた。


『これはエイナの分よ。手槍にもできるから、背の低いエイナには使いやすいだろうって。

 あたしやゴーマ(マリウスが召喚した火蜥蜴サラマンダーで、元は召喚士)を間近で見ていたせいかしら? ユニは自分がオオカミに生まれ変わっても、必ずこの世界に戻ってくるって、信じ込んでいたわ。

 もしそうなっても、あたしみたいに人間時代の記憶は、ほとんど失っていると思うけどね。

 でも、本当にもう一度会えたら、素敵よね!』


 美しいオオカミは、離れた土壁の前で土人形ゴーレムと戦っている息子のロキの方を見やった。


『ジェシカとシェンカ、それにロキの三頭は、この世界で生まれたから、きっと消えるまで時間がかかると思うわ。

 もしエイナがあの子たちと挨拶をしたいのなら、帝国の連中をさっさと片づけることね。

 あたしにとって、この世界に戻ったことは、すごくいい思い出になったわ。

 何と言っても、お母さんになったんだから!』


 ヨーコは誇らしげに遠吠えをあげ、消えていった。

 オオカミたちの別れの言葉を聞いたエイナは、こらえきれずに嗚咽を洩らしていた。

 そして、ずっと続いていた呪文の詠唱は、いつの間にか止まっていたのである。


 彼女はごわごわする軍服の袖で乱暴に涙を拭うと、必死の形相で魔法を繰り出しているノーマに声をかけた。

「さっきの風魔法、もう一度撃てる?」


 ノーマは驚いたように振り返った。

「はい、あれだったら大した魔法じゃありませんから、時間はかかりません」


「そう。じゃあ、私が魔法を撃ったら、すぐにそれを使って。そうじゃないと、こっちまで巻き添えを喰うわよ!」

「了解です!」


「それと、もう一つ厳命しておくわ!」

「えと……、何でしょう?」


「たった今からだ。絶対に(・・・)! 私の方を見るな!!

 まっすぐ前を向いて、敵だけを見詰めていろ! いいな!?」


「わっ、わかりまいた!!」

 エイナの滅多に見せない怖い表情と口調に、ノーマは思わず噛んでしまった。


 ノーマが前を向いたのを確認すると、エイナは無言でズボンに手をかけた。

 かちゃかちゃと音をさせてベルトを外すと、思い切って膝まで下ろす。

 ズボンだけではなく、その下のズロースも一緒だった。


 彼女の白い下腹部には、刺青のような魔法陣が現れ、輝きを放っていた。

 今まで何度も絶対零度魔法は撃ってきたが、このようなことは初めてである。

 そしてその魔法陣から、もう一つの魔法陣が分離するように浮き上がり、数センチ先の空中で、ゆらゆらと静止した。

 

 下腹部の魔法陣は白く輝いていたが、浮遊するそれは青い光を放っている。

 エイナはこの現象の意味が分からずに戸惑っていたが、それを解析している余裕などない。

 彼女は魔法を発動させる鍵となる、短い呪文の一節を叫ぶと、子宮に溜め込んでいた膨大な魔力を一気に解放した。


 目がくらむような光で視認できないが、すべての分子活動を停止させる、絶対零度の世界が生まれていくのが感じられた。

 エイナは魔力の放出を続けながら、横目でノーマを見た。


「早く風魔法を!

 冷気が広がったら、一番最初に死ぬのは私たちだぞ!!」


「ひゃいっ!」

 ノーマはまた噛んでしまった。

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― 新着の感想 ―
感動のシーンなのにユニの下着がチラついてしかたない.......
謎の光!見えないんですねわかりますwwwww
服を脱がないと使えない必殺技!! いいよね、えっちで
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