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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第八章 トルゴルの藩王
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三十二 秘密

 ユニがこの世界を去る二日前のことである。


 森の中に見える池のほとりに、ぽつんと建っていた小屋の屋根からは、T字の丸太が突き出していた。

 この小屋に関するシルヴィアの記憶は、あまりよいものではない。


 それはアラン少佐の大型鳥類幻獣、ロック鳥が人員や物資を運ぶための小屋である。

 ロック鳥が掴むための取っ手を除けば、丸太づくりの小屋そのものであった。


 シルヴィアは何度かそれに乗って空輸されたことがあったが、乗り心地は最悪であった。

 とにかく揺れるのだ。

 遥か上空をかなりの速度で飛ぶのから、強風に煽られるのは当然である。


 眼下の小屋の周りでは、オオカミたちが上空を見上げ、歓迎をするように遠吠えを響かせていた。

 カー君は螺旋を描いて高度を下げ、小屋の傍らに着地した。

 慌ただしく固定ベルトを外し、地面に滑り降りたシルヴィアに、尻尾をちぎれんばかりに振りながら、オオカミたちが集まってくる。


 白い毛並みのロキが、彼女の肩にどんと前足をかけて(オオカミたちは後足で立ち上がると、シルヴィアを見下ろすほど大きい)、顔をべろべろ舐めまわしてきたが、彼女はそれを押しのけて小屋へ急いだ。

 扉を開けると、固定式の椅子にユニが座っていて、その足元にライガがのんびりと寝そべっている。


「ユニさん! どうしてこんなところに!?」

 大声を出すシルヴィアに、ユニは苦笑を浮かべつつ手招きする。

「寒いから閉めてちょうだい。この小屋、暖房がないんだから」


 シルヴィアがユニの隣りの席に着くと、彼女はポットから少し温くなったコーヒーを注いでくれた。

「体調はもういいの? 若いからって、あんまり無理をしちゃ駄目よ」

「ご心配をおかけしてすみません。

 それより、さっきの続きです。

 この小屋があるということは、ロック鳥が運んできたということですよね。

 どういうことですか?」


 ユニは自分のコーヒーをすすりながら、穏やかな表情で話し始めた。

「あんたがエイナたちのことを報告に来た時、あたしもマリウスの執務室にいたことは覚えているわよね?」

 シルヴィアは黙ってうなずいた。


「あの時あたしたち、いい感じでデートの打ち合わせをしていたのよ」

「は?」


「やぁね、そんなに驚かなくてもいいじゃない。

 あんただって、あたしとマリウスの噂ぐらい、聞いたことがあるんでしょ?」

「そんなことは……いえ、まぁ……はい」


 今でこそ参謀本部のトップを務めるマリウスであるが、そもそも彼が王国に亡命した経緯には、ユニが大きく関わっている。

 マリウスはユニを拉致、もしくは殺害するために、帝国からコルドラ大山脈を越えて侵入してきた。

 子細は省くが、マリウスは返り討ちにあってユニに捕らえられ、その場で亡命を申し出たのだ。


 それ以来、二人はさまざまな任務をともにこなしてきた。

 もと敵国人であるマリウスが、王国内で信頼を得ていったのは、そのお陰でもある。

 年下の彼はユニに好意を示していたが、ユニの方は軽くあしらっている感じだった。


 ユニは辺境に住んでいたし、マリウスは当時の参謀副総長、アリストアの子飼いとして、王都を本拠に活動していた。

 だが、ユニが王都を訪れてた際は、一緒に食事や酒を楽しんでいる姿がよく目撃された。

 マリウスがアリストアの地位を継いでからは、そうしたことはなくなったが、二人が付き合っているという噂が絶えることはなかった。


「あの日はシルヴィアと同じで、ちょっとした報告をしてたの。

 報告自体はすぐに終わったんだけど、久しぶりにご飯を食べようって話になって、どの店にしようかって相談してたの。

 そこへシルヴィアが入ってきたってわけ」

「そ、それはその……お邪魔して申し訳ありません」


「いいわよ、あんたが悪いわけじゃないし。

 でもね、あたしもシルヴィアの報告を聞いちゃったでしょ? だからレストランでの話題は、その分析に終始したわけ。

 その夜は、マリウスの家にお泊りする約束だったのよ。

 あたしだって女だから、そういう時は二人の思い出話とかして、いい感じに気分を盛り上げるつもりだったのね」


 シルヴィアの顔が、ぼっと火照った。

「え? お泊りって……、つまりその、そういうことですか?」

「そう、ムードも何もあったもんじゃないわ。

 ああ、そんな泣きそうな顔しないでよ。ちゃんとやることはやったんだから。

 その話はどうでもいいの。

 とにかく、あんたの報告を聞いた、マリウスとあたしの意見は一致してたわ。

 帝国側の魔導士は、ケルトニアの実験部隊が、王国の魔導士で構成されていることに気づいたに違いない。

 その事実は、すぐに帝国の軍首脳部に報告されたはずよ。あいつらの情報伝達網って凄いからね」


 ユニの表情が少し厳しくなってきた。

「実を言うとね、あたしは王都を訪れる前、二か月ほど帝国に潜入していたのよ。

 目的はいくつかあって、そのひとつがマグス大佐の動向を探ることだったの。

 あの女も偉くなったから、情報は簡単に入ってきたわ。彼女、ちょうど西部戦線の視察に出たばかりだったの。

 あたしが王国に戻るころには、その視察も終盤で、戦線の最南部に向かっていたはずよ」


「それでね、あたしとマリウスはこう考えたの。

 帝国軍は、ケルトニアと王国の共同作戦を絶対に看過しない。

 王国魔導士の実力を測ると同時に、わざわいの芽を叩き潰そうとするに違いないわ。

 そのためには、即応機動大隊を動かすのが一番手っ取り早い。

 ただ、あの部隊は深刻な局面に投入されているから、急には動かせないの」


「オコナー大佐だって馬鹿じゃないから、そのくらいは読めているはずよ。

 彼は国境地帯まで南部方面軍を追いやり、そこをひと叩きしたら、すぐに引きあげるつもりだわ。

 ぐずぐずしていると、敵の増援が到着するからね。

 でも彼は、マグス大佐が近くにいることまでは知らないわ」


「フランツっていう魔導士は有能らしいから、マグス大佐に直接報告を上げた可能性が高いわ。

 あの女は独断で即応機動大隊を動かす権限を持っているし、その行使を躊躇ためらわないでしょうね。

 それで、帝国側の動きを確認するため、急遽あたしが派遣されたの。

 部隊の指揮権はケルトニアにあるから、推測だけじゃ口出しできないでしょう?」


「幸い、今のところ大規模な部隊の移動は見られないわ。

 ただ、司令部周辺は人の目が多いから、オオカミたちもうかつに近づけないの。

 あんたたちなら、昼間でも偵察できるんだもの。協力してちょうだい」


 シルヴィアは冷めたコーヒーを飲み干し、大きくうなずいた。

「もちろんです。ユニさんのお手伝いができるなんて、光栄です!」


 それまで穏やかに話していたユニは、声を一段落として真顔になった。

「あんたも召喚士なんだから、あたしがもう長くないことは分っているわよね?」


 シルヴィアは何も言わずに、もう一度うなずいた。

「多分、明後日がぎりぎりだと思う。

 その前に、あんたにひとつだけ教えておくわ。カー君のことよ」


「カー君の……ですか?」

「そう。これは蒼龍様グァンダオ赤龍様ドレイクから口止めされていたんだけど、あたしが消える前に伝えておきたいの。

 カーバンクルっていうのはね……」


 ユニが打ち明けた秘密は、衝撃的な事実であった。

 シルヴィアはユニが話し終わっても、しばらく言葉が出てこなかった。


「口の軽いあたしに言えた義理じゃないけど、このことはカー君に知らせない方がいいと思うわ。

 こんな大それた夢、本当に実現するか分らないんだもの。

 でも、あんたはカー君の召喚主として、できるだけのことしてあげなさい」


 しばらくの沈黙の後、ようやくシルヴィアが重い口を開いた。

「初めてリディア様に謁見した時、ドレイク様がカー君との面談を所望されました。

 でも、いざ会ってみると、その態度はかなり冷ややかに感じました。

 それは、このことが関係していたのでしょうか?」


 ユニは小さな溜息をついた。

「そうね。龍族がカーバンクルを軽蔑してる……というのは、言葉が過ぎるかしら?

 ただ、あまりよく思っていないことは事実よ。

 でもグァンダオ様もドレイク様も、種族的な感情は別にして、理性的であろうとしてくださっているわ。

 だから、あまり気にしないことね」


「あの、これって、ほかに誰か……」

「蒼龍帝と赤龍帝は、当然知っているわ。

 それ以外だとマリウスだけね。彼はシルヴィアに協力してくれるはずよ」


 ユニはシルヴィアの肩を、ぽんと叩いた。

「召喚の儀式のことを思い出してみなさい。

 あんたは国家召喚士になるって、誰もが信じて疑わなかった。自分自身、そうだったんでしょ?

 だけど、実際に召喚したのはカーバンクルで、審問官のお爺ちゃんたちは、あんたを二級召喚士と判定した。

 でも、これで分かったんじゃない?

 シルヴィアだから、カー君を召喚できたのよ」


      *       *


 シルヴィアと合流するまで、オオカミたちの監視は困難を極めていた。

 南部方面軍司令部の警備は、さすがに厳しかった。


 日中は司令部からかなり離れた木立に姿を隠し、深夜闇に紛れて近づき、宿舎を嗅ぎまわるのが限界だった。

 シルヴィアの参加によって、ようやく昼間の活動――特に北からの移動に使われる街道の偵察が可能となった。


 魔導士部隊が攻撃を開始するまで、まだ二日の余裕があったから、もしマグス大佐の到着が間に合いそうだったら、早期に警告して撤退させればよい。

 ユニはそう考えていた。


 翌日からシルヴィアが偵察を開始し、街道沿いにかなりの距離を飛んだのだが、それらしき部隊の移動は発見できなかった。

 つまり、次の日にエイナたちの部隊が国境への攻撃を開始しても、陣地に籠る敵は南部方面軍だけだということになる。

 フランツという魔導士は警戒すべきだが、さすがに二度も同じ手を食うことはないだろう。


 だが、それはユニとシルヴィアの油断であった。

 実はマグス大佐とイアコフの大隊は、ユニよりも前に到着していたのである。

 フェルナンド少佐が、昼夜を問わない強行軍で百二十キロ余を踏破し、司令部に帰り着くまで二日かかった。


 それよりも遠い地で報告を受けたマグス大佐は、わずか三日で南部方面軍司令部に姿を現したのだ。

 密林の林道と、整備された街道という差はあっても、とんでもない速度である。


 しかも、マグス大佐が司令部に滞在したのは小一時間に過ぎず、彼女はイアコフの大隊を伴って国境地帯に移動してしまった。

 そして陣地の後方にテントを設営し、自ら工兵部隊を指揮して、陣地の強化に当たったのである。


 オオカミたちが監視を開始したころには、司令部はもぬけの空であった。

 一方、国境地帯を上空から偵察したシルヴィアも、敵に発見されないよう高度を取っていたため、土木作業をしている即応機動部隊と、現地部隊の見分けがつかなかった。

 これがロック鳥であったなら、猛禽類の驚異的な視力で判別できたはずである。


 エイナたちの攻撃が始まると、万が一の事態に備え、ユニはオオカミたちを率いて、後方から帝国陣地に接近した。

 その段階になって、オオカミたちはようやく気づいたのだ。

 南部方面軍とは違う臭いのする大集団がいることを――である。

 そして、その報告を受けたユニも、単眼鏡で赤毛の女の姿を捉えていた。


 シルヴィアは戦況を確認するため、かなりの高度に上がっていたから、ユニはこの事実を知らせることができなかった。

 結局、シルヴィアがマグス大佐の存在に気づいたのは、ダムド(局地戦用爆裂魔法)の炸裂が始まってからであった。


 シルヴィアは帝国軍に見つからないよう、陣地の後方に大回りしてから高度を下げ、超低空でユニが潜んでいる茂みに突っ込んできた。

 すぐにライガに飛び乗ったユニが駆け寄ってきて、まだカー君の背に乗ったままのシルヴィアに怒鳴った。


「あんたは今すぐ参謀本部に飛んで、現状を報告しなさい!

 あの魔女が相手となったら、エイナたちが苦戦するのは確実、のんびり空から眺めている余裕なんてないわ!

 エイナたちは、あたしとオオカミたちが必ず助けるから!!」


 シルヴィアは顔を覆うマフラーを引き下げて叫んだ。

「そういうわけにはいきません!

 あたしとカー君も参戦します!!」


 だが、ユニはその提案を一蹴した。

「これまでとは相手が違うのよ!

 今のカー君じゃ、火球の届く距離に近づく前に、魔法で撃ち落されるわ!!

 あたしの言うことを聞きなさい!!」


「だって、ユニさんはもう……!」

 シルヴィアの飛行用眼鏡ゴーグルから、涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。


 ユニはカー君の首筋を叩き、「いいから行ってちょうだい」とささやいた。

 そして、シルヴィアの方を見上げて笑った。


「あたしの死にざまなら、エイナがちゃんと見てくれるわよ。

 マリウスに伝えてちょうだい。これまで楽しかったって。

 それと、愛しているって!」

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幻獣召喚士の頃からずっとビールばっか飲んでたユニともこれでお別れかあ 寂しくなるなあ
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