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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第八章 トルゴルの藩王
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三十 決闘

 ユニとオオカミたちは帝国軍陣地の後方から忍び寄り、第三塹壕に飛び込んだ。

 ここには新兵揃いの南部方面軍の中でも、訓練校を出て配属されたばかりの、三十名余りが待機していた。

 彼ら自身、戦闘に参加するとは思っていなかったし、マグス大佐からも「勉強だ」と言われたので、気楽に前方の戦況を覗いていた。


 そこにいきなり巨大なオオカミの群れが飛び込んできたのだ。

 驚きと恐怖で硬直する兵士たちを、オオカミたちは容赦なく蹴散らし、噛み殺していった。


 恐慌に陥った新兵たちは、武器を放り投げて逃げ出した。

 彼らは塹壕の両端に殺到し、そこから地上に這い出て宿舎に駆け込み、閉じ籠ったまま震えていた。


 オオカミたちは守備兵が逃げ去ったことを確認すると、追いかけずに第二塹壕に連絡する縦溝に侵入した。

 第二塹壕に配備されていたのは、やはり南部方面軍の兵士、六十名ほどだったが、後方の塹壕で起きた騒ぎには、まったく気づいていなかった。


 彼らも目の前で起きている出来事――単身で向かってきたケルトニアの将校と、伝説的な英雄であるマグス大佐の対決に、夢中になっていたのである。


 当然、オオカミたちの不意打ちにはまったく対処できず、塹壕の中では一方的な殺戮が繰り広げられた。

 彼らが抵抗できなかったことはある程度仕方がないが、少なくとも塹壕の前に展開している、イアコフ大佐の部下たちに、襲撃の事実を知らせて警告すべきであった。


 それなのに南部方面軍の兵士たちは、第三塹壕の新入りたちと同じ行動しか取れなかった。

 ただ悲鳴を上げながら、狭い塹壕の端の方へと我先に逃げ出したのである。


 即応機動大隊の歩兵たちは騒ぎに気づいたものの、それが襲撃であるとは思わなかった。

 様子を見るために駆け寄ってきた兵士は、飛び出してきた巨大な獣に驚き、その場にへたりこんだ。


 オオカミは穴の中から次々に跳躍し、隊列の中へと突っ込んでいった。

 これで混乱するな、と言う方が無理である。

 着地点にいた兵士は、一瞬で喉笛を食い破られ、悲鳴の代わりに血飛沫ちしぶきを上げて絶命した。


 群れの中にはただ一頭、人間の女を背にのせていたオオカミがいた。

 そのオオカミはぎ倒した兵士の身体を踏みつけ、再び大きく跳躍してマグス大佐の方へと向かっていった。


 他のオオカミたちはその場に留まり、兵士たちを襲い続けた。

 彼らは素早く位置を変えながら、肩に短いマントを着けている者を見つけては飛びかかった。


 黒い短マントは、魔導士の印である。

 オオカミたちが手当たり次第に暴れているのではなく、明確な目的を持っているのは明らかだった。


 だが、皮肉なことにこの行動こそが、兵を混乱から立ち直らせた。

 戦場における魔導士は、攻防のかなめである。

 そのため経験を積んだ者の意識には、命に代えても〝魔導士を守る〟という鉄則が、自然に刷り込まれる。


「魔導士殿を守れーーーっ!」

 各小隊の指揮官が怒鳴るれば、それ以上の指示は不要であった。

 兵士たちは雷に打たれたように、反射的な行動を起こすのだ。


 彼らは一番近くにいる魔導士のもとに集まり、その周囲を取り囲むようにして、円周防御態勢を取った。

 乱れ切った隊列が、たちまち魔導士を中心にした、いくつもの小集団を形成した。


 魔導士に背を向けた兵士は、槍先を連ねてオオカミを牽制する。

 その円陣の中では、さらに数人の兵士が魔導士を守っていた。

 彼らは携帯弩を構え、的の大きなオオカミを狙う。


 射手は狂ったように射ちまくり、予備の矢がなくなると、盾役の兵士の腰から抜き取った。

 いくら動きが敏捷でも、至近距離で発射された矢を避けるのは難しい。

 オオカミたちの身体には、何本もの短い矢が突き刺さり、その毛皮を血で濡らしていった。


 それでもオオカミはひるまなかった。突き出される槍先を素早くかいくぐり、柄に噛みついて敵を引っ張り出さそうとする。

 円陣から引っこ抜かれた兵士は、あっという間に噛み殺された。


 兵たちに守られた各魔導士は、必死で呪文を唱え、次々に防御障壁を展開していった。

 ここまで入り乱れてしまうと、攻撃魔法は使えない。誤爆の危険以上に、自分たちが魔法の巻き添えになる恐れがあるからだ。


 防御結界に包まれた兵士たちは、息をするのを思いだしたように、大きく肩を上下させていた。

 彼らの周囲には、何人もの仲間の死体が無残な姿をさらしていた。

 喰いちぎられた頭があちこちに転がり、うつろに開いた眼球は砂にまみれている。


 すべての魔導士が防御魔法を発動させると、もうオオカミには攻撃手段がない。

 帝国兵は打ち合わせでもしたように、移動を開始した。

 ばらばらだった集団が集まり、ひとつの大きな円周防御陣を構築したのだ。


 その中心に入ったひとつ部隊の魔導士は、防御魔法を解除した。

 護衛の兵士たちは槍を上に向け、跳躍して襲ってくるオオカミに備え、射手は再び矢を放った。

 周囲からは、安全な防御結界を自ら抜け出し、続々と増援の兵士が参加してくる。


 誰が指揮したわけでもないのに、これだけの動きが取れたのである。

 第二即応機動大隊の兵士と魔導士たちが、いかに鍛えられていたかの証拠であった。


 そして、全体の中心に位置する魔導士は、いよいよ攻撃魔法の呪文を唱え始めた。


      *       *


 第二塹壕からオオカミたちが飛び出し、帝国軍に大混乱が起こっても、エイナたちは異変に気づかなかった。

 背後から轟音を立てて騎馬隊が迫ってくるのだから、当り前である。


 彼らの背後で立ちはだかっていたニコライの防御障壁は、二手に分かれた騎馬隊に避けられて、何の役にも立たなかった。


「ちいっ!」

 エイナたちと並走するケネス中尉は、振り向きざまに腕を振るった。


 たちまち後方に炎の壁が発生し、追ってくる騎馬隊の姿を掻き消した。

 敵魔導士の対魔法結界によって、炎が無効化されることなど承知の上だ。

 だが、馬にはそんなことは分らない。恐怖で棹立ちになるかもしれなかった。


 ケネスの淡い期待は、あっさりと裏切られた。

 炎を目前にしても、馬は少しも速度を緩めなかったのだ。

 彼らの軍馬もまた、爆炎だらけの戦場を駆け抜けてきた、歴戦の強者であった。


「くそっ!」

 ケネスは唾を吐いた。横を見ても、まだ土壁は十メートル近く続いている。

 絶望にかられて前に向き直った途端、彼は反射的に姿勢を低くした。

 何かが凄い勢いですれ違っていったのだ。


 次の瞬間、背後で甲高い馬のいななきが響いた。


「何だ!?」

 ケネスがもう一度振り返ると、騎馬隊の先頭の馬が二頭、棹立ちとなっていた。

 その太い首には、巨大なオオカミが牙を立ててぶらさがっている。


 そしてその頭上を、真っ白な毛並みのオオカミが、高々と飛び越えていた。

 先頭が急停止したため、後続の騎馬は止まり切れずに追突し、四、五頭が倒れて乗り手は地面に叩きつけられた。

 その内のひとりが、魔導士だった。


 白いオオカミは落馬した魔導士の上に着地し、一瞬でその頭を喰いちぎった。

 オオカミは勢いよく首を振り上げ、咥えた頭部を後方に放り投げた。

 それはケネスの足元まで、ごろごろと地面を転がってきた。


 馬の嘶きによって、王国の魔導士たちも異変に気づき、足を止めた。

 彼らは荒い息をつきながら、背後で起きている混乱を呆然と眺めていた。

 どこから現れたのか、三頭の巨大なオオカミが、騎馬隊を蹂躙しているのだ。


 後続の馬はオオカミの姿を前にパニックを起こし、全速で逃げ去ってしまった。

 転倒した馬も、もがきながら起き上がり、主人を見捨ててその後を追った。

 残された騎兵は馬を失い、なすすべなくオオカミのあぎとの犠牲となった。


 王国の魔導士たちは、何が起きたのか理解できていなかった。

 化け物のようなオオカミが敵を襲っているのは分かるが、それが味方であるという確信までは持たない。

 その中で、エイナとケネスだけが状況を把握していた。


 ケネスは駆け寄ってきたエイナに確かめる。

「ありゃあ、ユニのオオカミだな?」

「はい、ジェシカとシェンカ、それにロキです。

 向こうを見てください! 帝国の本隊を他のオオカミたちが襲っているようです。

 ユニさんもいるのではないでしょうか?」


「そのようだな」

 ケネスは振り返った。


「おい、お前ら集合! あのオオカミはユニっていう召喚士の幻獣だ!

 俺たちを襲うことはないから安心しろ!!」

 魔導士たちに怒鳴るケネスに、エイナが心配そうに訊ねる。


「騎馬隊の大半は無傷です。馬が落ち着いたら、また戻ってくるかもしれません」

「それなら心配いらん。そこに転がっている首は、敵の魔導士だ。

 もうオオカミがいなくても、俺たちだけで簡単に勝てる」


 魔導士たちが集まってきた。まだ呼吸が荒いままである。

 同時に、騎兵の始末をつけたオオカミたちも、血まみれの口から舌をだらりと垂らして、のそのそと歩いてくる。


 ロキが尻尾を振りながら、エイナの股間に鼻面を突っ込んできた。

 軍服のズボンが、敵兵の血で黒く汚れた。


 エイナはしゃがんでロキの頭を抱えて撫でながら、ケネスを見上げた。

「私はロキを連れて、オコナー大佐殿を救出に行きます。

 中尉殿は、みんなと〝あれ〟をどうにかしてください」

「あれ……だと?」


 ケネスはエイナの指さす方向を見た。

 それは目前に迫る土壁の終点だった。そこを回り込めば、味方のいるトルゴル側に戻ることができる。


 だが、その壁一面に丸い膨らみが生じていて、そこから背の低い土人形がぼとぼと地面に落ちていた。

 壁から産み落とされた人形は、ゆっくりと起き上がってこちらに向かって歩き出した。


「フランツという魔導士が仕込んだゴーレムです。

 我々が壁を迂回して逃げることに備えていたんでしょう。

 奴らはジェシカとシェンカに壊してもらいます。

 中に埋まっている呪符が露出したら、魔法の炎で焼いてください。

 そうしないと、破壊してもまた再生してきます」

「分かった……が、お前、どうやってオオカミに命令を伝えるんだ?

 ユニじゃなきゃ、話ができんのだろう?」


 エイナはにこりと笑った。

「この子たちは頭がいいんです。みんなこの世界で生まれたから、人間の言葉にも慣れています。。

 ね、あんたたち、私の言うこと、分かるよね?」


 三頭のオオカミたちは、尻尾を振ってうなずいてみせた。

 ケネスは〝ひゅう〟と口笛を吹いた。

「お前ひとりで大丈夫か?」

「いえ、ノーマも連れていきます」


 エイナは慣れた仕草でロキに跨ると、ノーマを呼んだ。

「お前の手助けが必要だ。私と一緒に来い」


 ノーマは、ぱっと顔を輝かせた。

 だが、エイナの真似をして、ロキに乗ろうとしても、うまく登れない。

 馬と違って鞍もあぶみもないのだから無理もない。

 彼女はエイナの助言でロキの毛並みを掴み、ケネスに大きなお尻を押してもらって、どうにか跨ることができた。


「私の腹に手を回して、しっかりしがみつけ。

 膝でオオカミの胴を挟みこむのを忘れるな!」


 ノーマは嬉々として命令に従ったが、前に回された彼女の手を、エイナはぴしゃりと叩いた。


「こら、どこを触っている!」


      *       *


 混乱する歩兵たちの中から飛び出したライガは、マグス大佐に向けて猛然と走り出した。

 さすがのイアコフでも、呪文が間に合わない。


「マグス大佐殿をお守りせよ!」

 イアコフが指示を出す前に、オコナーを包囲していた小隊の指揮官が叫んだ。

 歩兵たちはひとりを残し、すばやくマグス大佐の前に槍衾やりぶすまを作った。


 だが、ユニを乗せたライガは、その二メートルも手前で地面を踏み切った。

 勢いをつけたオオカミは大跳躍をみせ、歩兵の頭上を跳び越す。

 兵たちはとっさに槍を突きあげたが、それでも届かない高さだった。


 ライガはマグス大佐をも跳び越して、背後に着地しても止まらなかった。

 彼はオコナー大佐に槍を突きつけていた兵士に、頭から突っ込んだのだ。

 オオカミたちは牛や馬よりも大きいが、重さは劣る。


 そうはいっても、ライガの体重は四百キロを超す。

 そんな怪物の突進をまともに受けた人間が、無事であるはずがない。

 兵士の槍は分厚い毛皮に弾かれ、身体は数メートルも吹っ飛んだ。

 彼は背中から地面に叩きつけられ、後頭部をしたたかに打って意識を失った。


 ライガは呆然としているオコナー大佐の襟首を咥えると、ずるずるとその場から引きずっていく。

 十分に距離を取ったと考えたライガは、そこに大佐を置き去りにして、引き返してきた。

 その背中に乗っていたはずの、ユニの姿は消えていた。


      *       *


「ユニ! また貴様かぁーーーっ!!」


 マグス大佐が吼えた瞬間、ユニを乗せたオオカミは宙に舞った。

 その影が頭上を通過した瞬間に、大佐は長剣を頭上に突きあげた。


 乾いた音を立てて、剣の方向がわずかに逸らされた。

 青い火花を上げ、ナガサ(山刀)が長剣の刃をこすりながら落ちてきた。

 剣を握る指が落ちる寸前で、隊さは力任せに剣を振り払った。


 同時にユニの踵が頭上に落ちてくる。

 大佐はこれも身体を捻ってかわし、分厚いブーツの底は彼女の肩を浅く打つだけであった。


 着地したユニは、そのまま身体を反転させて回し蹴りを放った。

 側頭部を襲う蹴りを、大佐は首をすくめてやり過ごし、バランスを崩したユニの背中に剣を突き立てる。


 しかし、刺し貫いた手応えはない。

 ユニは地面に飛び込むように転がり、距離をとって素早く立ち上がった。


「があーーーーーーっ!!」


 獣のような咆哮をあげ、大佐が飛び込んでいく。

 脇を締め、大振りをしない袈裟切りが肩口を襲った。


 ユニは逃げようとせず、逆に身体を投げ出すように距離を詰め、二本のナガサで大佐の斬撃を受け止めた。

 両者の顔の至近で刃と刃が激しく打ち合わされ、こぼれた金属片が飛ぶ。

 それがユニの頬をかすめ、線のような傷口から玉の血が吹き出た。


「大佐殿をお助けしろ!」

 オオカミに跳び越された歩兵たちは、慌ててユニを取り囲む。

 その瞬間、マグス大佐が悪鬼のような凄まじい表情で怒鳴った。


「手を出した奴は殺す!

 これは私の獲物だ!!」

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