二十九 乱入
ケネス大尉がカウントを唱え、防御結界の外に飛び出したのは、オコナー大佐の二十秒ほど後のことであった。
結界内の魔導士たちには、その時間差の意味が分からなかったが、とにかく大尉は行動を起こした。
彼らも覚悟を決め、騎馬隊が待ち受ける方向へと走り出す。
ケネスが突き出した腕の先に光の球が現れ、勢いよく飛び出した。
彼我の距離は二十メートル余り、光球はあっという間に、密集隊形の騎馬隊に吸い込まれた。
しかし、期待した爆発は起こらなかった。
先頭の指揮官の数メートル手前で、瞬間的に炎が吹き出したが、すぐに消滅する。
「くそっ、魔導士がいやがるのか! 奴らも馬鹿じゃねえな。
おい、お前ら! 騎馬突撃が来るぞ!!
剣を抜け! 最初の一撃だけは何とか耐えろ!!」
ケネスが側方を走る部下たちに怒鳴った。
ファイアボールを撃ったばかりのケネスが、対物理防御を発動するまでは、どうしても時間が必要だった。
いつマグス大佐のダムドが炸裂するか分からないから、エイナたちは対魔法防御を切り替えられない。
敵騎馬隊は魔導士たちの動きに呼応し、槍を脇に抱えて馬に鞭を入れた。
ロジャー中尉が突然振り返った。
「総員、駆け足やめい! ニコライ、頼む!!」
「何をする気だ!?」
ロジャーの独断命令に、ケネスが血相を変えた。
騎馬突撃に対して、足を止めて防御陣形を取るのは最大の愚策である。
そんなものは巨大な軍馬の前では、何の意味もなさない。
むしろ、激突の直前にばらばらに広がり、瞬時の方向転換ができない敵の弱点を突く方がましなのだ。
逃げ切れないまでも、いく分でも被害を軽減できる可能性がある。
だが、魔導士たちの中で、ひとりだけが走るのを止めずに飛び出した。
二期生のニコライ少尉である。
彼はもう目前に迫っている騎馬隊の前に、両手を広げて立ちはだかった。
ケネス同様、彼も魔法防御の結界から出てしまったのだ。
「馬鹿野郎! お前まで死ぬ気か!?」
彼の怒声は、地を踏みならす馬の蹄の轟音で掻き消された。
敵の騎馬隊に混じっている魔導士が、何かを怒鳴っていたが、その声も聞こえなかった。
帝国騎兵たちは、ニコライの直前でいきなり二手に分かれた。
敵魔導士が対物理防御の発動を感知して、警告を発したのだ。
目に見えない障壁にまともに激突すれば、落馬は免れない。
指揮官は片手の指示だけで、部下たちにそれを伝えた。
騎馬隊は六人ずつきれいに方向を変え、王国魔導士たちの左右を走り抜けていった。
大きく方向を変えたため、すれ違いざまの攻撃が届かないのは、さすがに仕方がない。
それにしても、とっさの出来事なのに、見事な判断と統率力であった。
この騎馬隊は南部方面軍ではなく、イアコフの即応機動大隊に属する兵士たちである。
地獄のような戦場を幾度も経験し、生き抜いてきた者ばかりで、その技量は卓越していた。
「今だ、走れーーーーっ!!」
騎馬隊が走り抜けるとロジャーが怒鳴り、全員が再び走り出した。
彼らは物理結界の脇を通り抜けながら、ニコライに『すまん!』という視線を送った。
中には歯を食いしばり、泣いている者もいた。
敵の騎馬隊は、十メートル近くも行き過ぎてから、ようやく方向転換することに成功した。
反対側から遅れて駆けつけたもう一隊と合流すると、今度は後方から猛然と追い上げを始める。
その先に立ちはだかる、ケルトニアの魔導士(騎兵たちはそう思っている)は無視して、結界だけを避ければよい。
逃げ出した本隊には、あっという間に追いつくはずだ。
『次こそは仕留める!』
帝国騎馬兵たちは、槍を握る手に力をこめた。
* *
「反撃魔法って、確か禁止魔法ですよね?
少なくとも、自分は習っていないですよ」
イアコフが不思議そうな顔をしている。
マグス大佐は馬鹿にしたような笑いを浮かべた。
「それは誤解だ。
禁止はされていないが、教えてもいない――というのが正解だな。
だが、防御特化型の魔導士でも、腕のいい連中に限れば、習得している奴は珍しくない」
「でも、実際に見たことも、使われたという噂も聞いたことがありません」
「そうか? 私はあるぞ。……と言っても、もう二十年以上前の話だがな」
「名前からすると、相手の魔法を反射して攻撃をするんですよね?」
「ちょっと違うな。
まず、この魔法が発動すると、術者を狙った攻撃魔法は、すべて効果を出す前に吸収される。
それだけでなく、そいつを狙っていなくても、一定の範囲内を通過する魔法なら、無理やりに軌道を曲げて取り込んでしまうんだ」
「対魔法防御の強力版みたいな感じですか?」
「いや、防御結界のように魔法反応を無効化するわけじゃなく、攻撃魔法の原動力となる魔力そのものを、術者の体内に吸収するんだ」
「無茶苦茶ですね。でも、外から魔力を取り込んだりしたら、身体に負荷がかかり過ぎませんか?」
「そうだ。だから魔力容量の限界を迎えると、一気に全魔力が放出される。
簡単にいえば、爆発するんだな。
二十年前に私が見たのは、我が軍の防御系魔導士が敵の中に取り残され、包囲された状況だった。
損害が甚大だった我々は退却を始めていて、救出に向かうこともできなかった。
その魔導士は、物理防御の結界の中に閉じ籠っていたから、魔法攻撃の集中砲火を喰らうことになった。
最終的には、半径二十五メートルの敵数百名を道連れに、骨も残さず砕け散った」
「うわぁ……壮絶ですね。
ああ、そうか。使えば死ぬことが分っているから、表向きには教えないのですね?」
「そういうことだ」
「では、オコナーはどうします?
逃げ出した魔導士たちにも、うかつな攻撃できませんね」
「なに、種さえ分ってしまえば、どうということはない。
少し歩兵を借りる。行くぞ、奴を生け捕りにしてやる」
ゆっくり向かってくるオコナーを出迎えるように、マグス大佐が歩み寄った。
横にはイアコフ大佐が並び、その後を一個小隊の兵士がついてくる。
オコナーとマグス大佐は、三メートルほどの距離で互いに立ち止まった。
そこが対物理結界の範囲で、それ以上は近づけないのだ。
「貴官はケルトニア連合王国軍、魔導士総監のオコナー大佐とお見受けする。
私はイソルデル帝国軍魔導大佐、ミア・マグスだ。
横にいるのは同じく第二即応機動大隊長、イアコフ・ホフマン大佐。
お見知りおき願いたい」
マグス大佐の口上は型通りのものであったが、厳しかったオコナーの表情がわずかに緩んだ。
「これはこれは、お二人の噂はかねがね耳にしている。
こうしてお目にかかれたのは、小官の名誉と心得る。
して、帝国の魔女と名高いマグス大佐殿が、何故このような僻地にお越しなのかな?」
「なに、たまたま近くを視察中でな。
そこへ、オコナー殿のような大物が、リスト王国の魔導士を多数引き連れて現れ、あろうことか南部方面軍の新兵をいじめていると聞いた。
貴国の魔導士だけならともかく、他国の魔導士を引き入れているというのは穏やかでない。
ここは貴官にじっくりと事情を窺うべき……そう判断した次第だ。
おとなしく、我々と同行願いたい」
「なるほど、それについては少々誤解があるようだ。
確かに、小官の部下にリスト王国人が含まれていることは認めよう。
だが、彼らは同国の軍を退役した上で、我が国と傭兵契約を結んだ者たちだ。
信じられぬなら、外交ルートで正式に問い合わせればよかろう」
「聞きたい事情というのは、そのへんの経緯も含めてのことだ。
重ねて要求する。我々の指示に従ってもらいたい」
「断る、と言ったら?」
「知れたこと。不本意だが、実力を行使させていただくまで」
「私は防御魔法の専門家だと知っての上かね?
できるものなら、やってみたまえ」
「是非もないな……」
マグス大佐は腰の佩刀をすらりと抜き、ぴたりと正眼に構えた。
「イアコフ、やれ!」
彼女はそう叫ぶや否や、姿勢を低くして飛び出した。
そこにあるはずの防御障壁は、赤毛の魔女をあっさり通してしまった。
オコナーは少し慌てず剣を抜き、マグス大佐の打ち込みを横に払った。
彼女は流れた剣先を素早く反転させ、相手の剣をこすり上げるようにして手首を狙うが、オコナーは大きく飛び下がってこれを躱した。
「ほう、六十を過ぎた老いぼれにしては、よく動くな!」
「驚いたのはこっちだ。どうやって結界を消した?」
マグス大佐がにやりと笑うと、彼女の口端から耳の下にかけて醜く残る傷跡が、生き物のようにぐにゃりと動く。
「簡単なことだ。イアコフに対魔法防御を張らせた。お前とその結界ごとだ。
当然、その範囲内では、あらゆる魔法効果が消滅する。
ただ、貴様の体内で発動している、反撃魔法だけは別のようだな?」
「そこまで分かっていた……。道理で魔法を撃ってこないわけだ。
さすがに魔女の二つ名は、伊達ではないな。
こうなったら、せめてその赤毛の首を、地獄への手土産にしてやろう!」
だが、マグス大佐は一歩下がって剣を下ろした。
「年輩者の願いだ、付き合ってやりたいところだがな、私の立場がそれを許さん。
悪く思うなよ」
彼女が剣を鞘に収めた時には、オコナー大佐の周囲は、歩兵たちの槍の切っ先に囲まれていた。
「一応、忠告はしてやる。死にたくなければ、手を挙げておとなしく投降しろ。
下手な動きをしたら、容赦なく刺し殺す」
マグス大佐はイアコフの隣りに戻り、目を細めて(彼女は近眼だった)逃走した王国の魔導士たちの方を見やった。
「何だ、お前のところの騎馬隊は、まだ手こずっているのか?
仕方がない、ここはお前に任せる。
生きのいい若い連中の方が、嬲りがいがあるというものだ。
オコナーの近くでは魔法が撃てん。おい、誰か私の馬をひいてこい!」
マグス大佐が後ろを振り返った瞬間だった。
彼女のぼんやりとした視界を、何かの陰がよぎった。
それと同時に後方の塹壕から、悲鳴が聞こえてくることに気づいた。
「何事だ……?」
彼女は訝し気に目をこすった。
さっきまで盾としてた土塁を挟んで、土嚢が積まれた塹壕までの距離は、五、六メートルといったところだ。
そこにはイアコフの隊の魔導士と兵士が、数十名控えていた。
南部方面軍の新兵たちは戦力にならないので、塹壕の中で命令を待つよう言いつけられていた。
だが、経験豊富なはずのイアコフの部下たちは、明らかに動揺していた。
兵士たちは騒がしい後方に向け、槍や携帯弩を構えているが、狙いを定めるべき敵を捉えられずに狼狽えている。
そんな彼らを驚かせてやろう、とでも言うように、塹壕の中から化け物じみた獣の群れが一斉に飛び出してきた。
いずれも体長が三メートル前後、軍馬よりも大きい四つ足の猛獣だった。
動きが速い上に、逆光でよく見えなかったが、血に染まった凶暴そうな長い牙が目に焼き付いた。
その獣たちは、イアコフ隊の兵の中に飛び込むと、暴風のように荒れ狂った。
巨大な口が呻り声を上げて魔導士の喉元を襲い、次の瞬間には頭部が地面に転がった。
突き出された槍はあっさりと躱され、その代わりに肘から先が喰いちぎられた。
体当たりされた兵士の身体は吹っ飛ばされ、受け身も取れずに地面に頭を強打して、ぴくりとも動かなくなる。
偶然にも槍が獣に届いても、分厚い皮と針金のような毛並に滑って刺さってくれない。
獣たちは一瞬も同じ場所に留まらず、常に動き、跳躍し、衝突してきた。
人間の目ではその動きが追えず、兵士たちは防御陣形すら取れなかった。
そして、大混乱が続いている人と獣の塊りから、ひときわ巨大な獣が跳躍し、兵たちの身体を踏み台にして飛び出してきた。
獣の姿がみるみる迫ってくることで、マグス大佐の目の焦点が合い、ようやくその姿が視認できた。
それは信じられないほど巨大な体躯のオオカミだった。
そしてその背中には、青く光る山刀を手にした女が跨っている。
「ユニ! また貴様なのかぁーーーっ!!」
マグス大佐が絶叫し、収めた剣を再び抜き放った。
十数年前、彼女は単身突撃した敵陣で、ユニの腹をその剣で切り裂いたはずだった。
吹き出したユニの鮮血と、ぶち撒けられた内臓の鮮やかな色彩が、今でも生々しく脳裏に刻まれている。
その代償として、彼女はユニのナガサ(山刀)で頬を大きく切られたのだ。
だが、間違いなくユニは殺したはずだった。
それなのに、このオオカミ使いの召喚士は、まだしぶとく生きている。
何という理不尽か!
「があーーーーーーっ!!」
獣のように吼えながらも、マグス大佐は仇敵との再会を喜んでいた。
彼女の瞳は憤怒に燃えていたが、頬に走る蛇の傷跡が身体をくねらせ、薄い唇に凄絶な笑いを生み出していたのだ。