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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第八章 トルゴルの藩王
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二十八 決断

『ねえ、本当に平気?』

 シルヴィアの頭の中に、カー君の心配そうな声が響いた。


 分厚い革の飛行服は、内側に刻まれた呪文の祝福で、かなりの断熱効果を持っている。

 それでも三千メートルを越える高空を長時間飛んでいると、身を切るような風から、じわじわと寒気が沁み込んでくる。

 祝福の及ばない手袋やブーツはさらに悲惨で、もともと冷え性の彼女の手足は、とっくに感覚をなくしていた。


『あんたもいい加減しつこいわね! 何回同じことを訊けば気が済むのよ?

 大体、ほとんど山脈は越えたわ。

 もうちょっとで、エイナたちが埋まっていた山が見えてくるはずよ』


      *       *


 赤龍帝リディアの前で意識を失ったシルヴィアは、急遽呼び出された軍医の指示で医務室に運ばれた。

 下された診断は重度の風邪であったが、肺炎を併発している危険な状態であった。

 軍医は絶対安静を言い渡し、リディアは参謀本部への連絡を指示した。


 伝書鳩が運ぶ通信用紙は、非常に薄いがあまり大きなものではない。

 当然、細かい字を使っても、そう長い文は書き込めない。

 リディアは参謀本部のマリウスに対し、激烈な非難の言葉を延々とまくしたて、筆記する書記官を困らせた。


 冒頭の事実関係とシルヴィアの容態報告に続く内容は、概略以下のようであった。

『部下の健康状態も見抜けずに、ろくな休息も取らせず、過酷な任務を命じるとは何事であるか!

 ましてやシルヴィアは、か弱い(この点は異論があるが)女性である。

 彼女は赤龍帝の責任において、十分に恢復するまで赤城に留め置く。

 任務再開の是非は、自分が軍医の意見を容れて判断するから、左様心得られたし』


 書記官は並びたてられた罵倒の言葉を慎重に排除しつつ、どうにか簡潔な文書にまとめあげた。

 それでも、リディアの怒りは十分に伝わるものであった。


 シルヴィアは手厚い看護を受け、翌日には意識を取り戻したが、軍医が渋々出立を認めたのは、五日後のことであった。

 彼女は鍛え抜かれた大柄な肉体と若さ、そして任務遂行に対する強烈な意志によって、急速な回復を遂げたのだ。


 大幅に遅れた日程に焦りを抱きながら、彼女はカー君とともにトルゴル国境へ戻るべく、たびコルドラ山脈を越えてみせた。

 ある程度予想していたが、山の麓にあった帝国軍陣地は、すでにもぬけの殻だった。

 

 シルヴィアを乗せたカー君は、そこに降り立ち、簡易テントを設営した。

 まずは焚火をおこしてこごえた身体をほぐし、十分な食事と睡眠を取る必要があった。

 一刻も早くエイナたちを探したかったが、ここで無理をして、再び倒れてしまっては元も子もない。


 翌朝、テントを撤収して飛び立ったシルヴィアは、王国の魔導士たちの行方を追った。

 原生林を切り拓いた軍用林道は、上空からでもよく目立っていた。

 林道の途中には、おおむね三十キロごとに物資の集積所が設けられ、そこには小規模な陣地が構築されていた。


 物資らしきものは、すべて黒焦げになっていたが、陣地に戦闘の形跡は認められない。帝国軍が戦うことなく、事前に撤退していたことが窺われた。

 現在はトルゴル側が、物資輸送の中継基地として利用しているらしく、少数の兵が警備についていた。


 いくつかの集積所を通過し、三時間近くの飛行を続けたところで、ようやくエイナたちの部隊が見つかった。

 シルヴィアは彼らに気づかれぬよう、カー君に高度を上げさせた。


 ケルトニア軍の制服をまとった魔導士たちと、相当数のトルゴル藩兵も確認できる。

 エイナたちは、どうやら敵を急追することなく、十分な準備と兵力で占領地を回復することに注力しているようだった。


 シルヴィアはぎりぎり間に合ったことに安堵した。

 エイナたちの進路は簡単に予想がつく。恐らく彼らは、明日のうち国境地帯に達するだろう。

 シルヴィアはエイナたちを追い越して飛行を続けた。先回りして、帝国軍の状況を確認しようと思ったのだ。


 国境地帯の様相は一変していた。

 前回偵察した時には、帝国側には二重の塹壕が掘られ、監視用のやぐらが一基だけ、ぽつんと立っていた。


 ところが眼下に見える塹壕は延長された上、数も三本に増えている。

 その前には土嚢はもちろん、馬防柵や短い土塁といった障害物が出現しており、投石機や大型弩砲らしきものも、複数据えられていた。


 一番驚いたのは、第一塹壕の前に長大な土塁が築かれ、背後の櫓も増設されていることだった。

 まばらだった守備兵も、数倍の数がうごめいている。


 前に見た時から、まだ半月程度しか経っていないのに、この変わりようである。

 重力魔導士のことをよく知らないシルヴィアは、なぜこのような大規模な土木工事が短期に完成したのか、不思議でならなかった。


 シルヴィアは帝国軍の配置を頭に叩き込むと、そのまま敵司令部の上空へと向かった。

 帝国軍の司令部は、国境地帯から三十キロ以上北方にある。

 周辺はすっかり開拓された農地が広がり、まるで王国の辺境地帯のようだった。

 こちらは人影が少なくなっている程度で、以前とあまり変わっていない。


 彼女は自分の得た情報に満足をした。

『カー君、今日はもういいわ。夜森の奥に降りて野営しましょう』

『了解。国境から二十キロも離れれば十分だよね?』


 カー君は上空で大きく旋回し、南東方向に進路を変えた。

 国境の東部には、まだ人の手が及ばない、無人の原生林が広がっている。

 太陽の位置から計算すると、時間はまだ午後二時前である。

 明るいうちにテントを設営して遅い昼食を摂り、忘れないうちに帝国陣地の配置を書き留めるつもりだった。


 帝国の開拓地を離れると、カー君は高度をぐんと下げた。

 少しでも低空の方が、シルヴィアの負担が軽減するし、自分に必要な精気の吸収も楽になるからだ。


 シルヴィアはカー君の背中で手綱を握りながら、うとうとしていた。

 どうせ下を観察しても、黒っぽい森が続くだけである。

 これは、毎日のように飛行をするうちに、自然に身に着いた技術といってよい。


 どのくらい眠ってたのだろうか、シルヴィアの上半身がいきなりカー君の背中に押しつけられた。

 カー君が急上昇した証拠であり、彼女が落下しなかったのは、飛行服を固定する四本の革ベルトのお陰である。


「なに! どうしたの!?」

 目を覚ましたシルヴィアは、片手をついて上体を起こしながら叫んだ。

 すぐにカー君の声が返ってくる。

『下を見て! 小さな池の側に小屋がある!!』


 エイナは慌てて地上に目を向けた。

 身体を傾けて旋回するカー君の右眼下の密林に、ぽっかりと隙間が空いている。

 そこには上空からの明かりを受け、水面を輝かせる池と、小さな建物の屋根が見える。


「どういうこと? カー君、また開拓地に戻ったの!?」

『まさか! ここは完全な無人地帯のはずだよ。

 それよりシルヴィア、よく見て! あの小屋、何だか見覚えがない?』


 一度は急上昇したカー君だったが、彼は旋回をしながら徐々に高度を落としていった。

 それとともに、小屋の姿もより大きく、はっきりと見えてきた。

 そしてシルヴィアは、その屋根が普通ではなく、ある特徴を備えていることに気づいた。


「あれって、もしかして……!」

『間違いないよ、それにほら、彼ら(・・)だ! もうこっちに気づいているよ!!』


      *       *


 眼前に出現した土壁に退路を塞がれたエイナたちは、立ち止まって左右を確認した。

 壁の長さは五、六十メートルといったところだ。

 オコナー大佐の絶対防御の結界にいる彼らは、魔法を使うことができない。

 壁の破壊は不可能であるから、側面を回り込む以外に逃れる手段はない。


 だが、いつの間に現れたのか、壁の両端には完全武装の騎馬隊が回り込んでいた。

 もちろん騎兵に突撃されようとも、完全防御が撥ねのけてくれるだろう。

 何かが衝突しても、術者の周囲に展開された結界が動くことはない。

 それがよほど圧倒的な質量差でない限りは……である(山中で遭遇した土石流はそのよい例だ)。


 では逆に、こちらから排除対象にぶつかっていったらどうだろう?

 この場合は、術者よりも相手の質量が小さい場合のみ、押しのけることができる。

 つまり、一トン近い体重の軍馬に行く手を塞がれれば、それ以上は進めないことになるのだ。


 マグス大佐は上機嫌であった。

 彼女はもう、堂々と土塁の前に姿を現し、進退窮まった哀れな敵の様子を眺めていた。

 その周囲には七色の魔法陣が浮遊しており、相手の防御魔法が切れれば、即座にダムドを撃ち込める態勢を保っている。


「絶対防御魔法は、そういつまでも維持できないと聞きます。

 それまで待ちますか?」

 イアコフがにこにこしながら指示を仰いだ。


「馬鹿者、そんな悠長なことができるか!

 穴に籠って出てこない敵は、火攻めにすると昔から決まっている」

「了解です」


 イアコフは近くに控えていた部下に、二言三言ささやいた。

 命令が伝えられ、すぐに数人の魔導士が前に出てきた。

 そのうちのひとりが両手を前に伸ばすと、エイナたちの手前に炎の壁が出現した。

 長さは十メートル程度と短いが、炎の高さと勢いは、なかなかのものである。


 しかし、マグス大佐は不満げであった。

「ファイアウォールか、だがあれでは大した効果はあるまい。

 お前にしては、攻撃がぬるくはないか?」


 イアコフは笑顔を崩さずに答えた。

「まぁ、見ていてください」


 その言葉が聞こえたかのように、別の魔導士が手を前に伸ばす。

 彼が短い呪文を唱えて魔法を発動させると、敵の結界周囲に渦を巻く風が起こった。ノーマも使っていた、竜巻を発生させる風系魔法である。

 竜巻は燃え盛っている炎の壁をどんどん巻き込んでいく。


「ほう、複合魔法か……面白いではないか」

「名付けて火炎旋風です。あの渦の中では、長くは耐えられないでしょう。

 防御を解いて、魔法で打ち消すしか手はありません」


「絶対防御は簡単に再起動できん。

 あとは他の魔導士たちが、防御魔法を張り続けるしかないが……」

「はい。大佐殿のダムドを使うまでもありません。

 魔法と物理攻撃を同時に仕掛ければ、一瞬で片がつきます。

 敵は降伏する以外、死を逃れるすべがないはずです」


「そうすれば、王国の魔導士だけではなく、オコナーの奴も生け捕りにできる……というわけか。

 なぁ、イアコフ。せめて、半分くらいは殺さないか?」

「駄目ですよ。投降者への攻撃は、重大な条約違反です」


「お前はつまらん男だな。見せしめに敵を血祭りにするのは、戦場の習いだ。

 私はそのような軟弱者を育てたつもりはないぞ」

「何とでも言ってください。

 ほら、敵が絶対防御を解除しましたよ」


 だが、状況は予想とは真逆の方向に進んでいったのである。


      *       *


 炎を巻き込んだ旋風が防御結界を包み込むと、その内部はあっという間に地獄と化した。

 息をするのも困難な熱気が、全方位から押し寄せたのである。

 エイナは腕で顔の鼻と口を押さえ、オコナー大佐に向かって首を激しく振った。

 息を吸えないので声は出せないが、涙の滲む目で必死の視線を送る。


 その意味は明白である。

『自分が火を消しますから、防御を解除してください!』という訴えであった。


 大佐は大きくうなずき、片手を高く上げ、それを振り下ろした。

 その合図で、エイナは凍結魔法を放った。

 同時にノーマが逆回転の竜巻を発生させる。


 一瞬で周囲の大地が凍りつき、竜巻も力が相殺されて消滅した。

 他の者も傍観していたわけではない。

 ロジャーが最大出力のファイアボールを撃ち、すぐさま誰かが対魔法防御を張り直した。


 すべては打ち合わせなしに、各自の判断で取った行動だった。

 防御結界が発生すると、彼らはオコナー大佐とケネス大尉を取り囲むように集まった。

 ただ、誰も発言しない。全員が次の魔法のための呪文詠唱を始めていたためである。


 それまで何の指示も出さなかったオコナー大佐が、ようやく口を開いた。

「私が絶対防御魔法を使えるようになるには、あと半日はかかる」


 彼がそう言った途端、ぶんっ! という風切り音とともに、何かが彼らの側を横切った。

 どすっ! という鈍い音が、ほぼ同時に後方で響き、全員が一斉に振り返る。

 土壁に太い鉄の棒が突き刺さり、ぶるぶると震えていた。


 帝国軍が塹壕の前に据えていた、大型弩砲バリスタの一台から発射されたものである。

 それは魔導士たちから、一メートルと離れていない空間を通過していった。


 オコナー大佐は不敵な笑みを浮かべた。

「今のは試射を兼ねた脅しだな。次は当ててくるぞ。

 時間がない。お前たちは、このまま左の騎馬隊の方に向け、全力で走れ!

 私はこの場に残って、できるだけの時間を稼ぐ。

 ケネスは結界を出た瞬間に、攻撃魔法で敵騎馬隊を粉砕、後は単独で対物理障壁を展開し、部下たちの盾となれ」


「しかし!」

 エイナは我慢しきれずに詠唱を中断した。

 だが、即座にケネスが彼女の頬を引っぱたき、怒鳴りつけた。


「黙れ、抗命は許さん!

 三つ数える。貴様ら、死ぬ気で走るんだぞ!

 三、二、一! 行けぇーっ!!」


      *       *


「呆れましたね、奴ら降伏する気がないようですよ」

 走り出した魔導士たちを見て、イアコフは心外そうに溜息を洩らした。

 そして驚いたことに、ひとり残った指揮官が、こちらに向かって突っ込んでくる。


「絶対防御を使えるってことは、オコナーは防御特化型の魔導士ですよね?

 攻撃もできないのに、何のつもりでしょう?

 取りあえず、軽く攻撃させますか」


 マグス大佐は肩をすくめた。

めておけ。どうせ奴は防御を張っている」


「物理の方ですか?」

「そうだ」


「では、気絶させる程度の雷撃を……」

せと言っているだろう!

 奴はこっちが魔法を撃ってくるのを待っている。

 死ぬ覚悟を決めた防御型魔導士は、案外恐ろしいものだぞ」


 マグス大佐は不機嫌そうに吐き捨てた。

 イアコフの表情から、絶えることのなかった笑みが消えた。


「まさか……反撃魔法カウンターマジックですか!?」

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