表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔導士物語  作者: 湖南 恵
第八章 トルゴルの藩王
281/359

二十七 絶対魔法

「判断が早いですね。魔法の発動時間も驚くほど短い。

 あの黒髪の娘ですか、大佐殿のお気に入りは?」


 土塁に穿うがたれた覗き穴から顔を離した男は、横に立っている赤毛の女に、からかうような口調で訊ねた。

 軍帽からこぼれる金髪の巻き毛が、整った顔立ちの額に垂れている。


「言葉は正確に使え。気に入っているのではない、気にかけているだ。

 それに、いい加減〝大佐殿〟は止めろ。お前だって同じ階級だろうに」


 赤毛の女の物言いはそっけないが、どこか愛情が滲み出ていた。

 軍人なのに、まとめずに伸ばしたままの乱れた赤毛が、ふわふわと冷たい風に揺れている。


「無茶を言わないでください。大佐殿は中将待遇じゃないですか、呼び捨てになんかできませんよ。

 それに、いくらアレ(・・)な性格でも、一応は師匠ですからね」

 金髪の男はにこりと微笑んだ。若い娘なら、一発で腰がくだけそうになる、とろけるような笑顔である。


 彼はイアコフ・ホフマン大佐。西部戦線で〝金髪の悪魔〟の名を欲しいままにしている、第二即応機動大隊の指揮官である。

 その横の赤毛の女は、今さら説明するまでもない。


 〝帝国の魔女〟あるいは〝爆炎の魔導士〟として、あまりにも有名なミア・マグス大佐その人である。

 背の低い彼女は、つま先立ちになって、覗き穴からケルトニアの魔導士部隊の様子をじっと窺っている。


「それにしても、あの娘はどうして大佐殿の攻撃に対処できたんでしょうね?

 咄嗟の判断にしては、防御魔法の切り替えが早すぎる。

 まるで爆裂魔法がくると、最初から知っていたみたいですよ」

「ああ、あのエイナという娘とは、前に一度やり合ったことがある。

 その時にダムドを使ったから、覚えていたんだろう」


「ええ~、だって大佐殿が魔法を撃ったのは、この土塁の陰からですよ?

 透視能力でもない限り、分からないでしょう」

「しつこい奴だな、そんなことを私が知るか!

 次でとどめを刺すぞ!!」


 幅五メートル、高さ二・五メートルほどの土塁の裏には、土を固めた階段が築かれ、二人の大佐はその最上段に登っていた。

 最初の攻撃から、もう一分近くが経過しており、マグス大佐の両手の先には、すでに十分すぎる魔力が溜まっていた。

 彼女の周囲で浮遊する七重の魔法陣が、魔力に反応して明るく輝く。


 その光が、覗き穴からわずかに洩れていて、エイナは、その光を見逃さなかったのだ。

 大佐はそのことに、まったく気づいていなかった。


 どんっ!!


 重低音がびりびりと大地を揺らし、衝撃波が分厚い土塁に叩きつけられた。

 わずか二、三十メートル先で身動きできないでいる魔導士たちが、凄まじい爆発に巻き込まれ、吹き上げられる膨大な土砂で姿が見えなくなった。


 土塁の後方に控えていたイアコフの部下が、すかさず風系魔法を発動させ、上空に強風を送り出した。

 そうしておかないと、上空から降ってくる土砂が、こちら側に流される恐れがあった。


 マグス大佐のダムド(局地戦用爆裂魔法)は、敵が立つ地面そのものを根こそぎ爆破する。

 それだけでも恐ろしい威力なのだが、空高く打ち上げられた膨大な土砂が、広範囲に降り注ぐ二次被害の方がたちが悪い。

 運よく魔法防御で爆発から逃れたとしても、その後に降り注ぐ岩や土砂が当たれば、脆弱な人間など簡単に死んでしまうのだ。


「あ~あ、全滅ですか……。割とあっけなかったですね」

 イアコフがにこにこしながら、さらりと言ってのけた。

 だが、マグス大佐は首を横に振った。もじゃもじゃの赤毛が静電気を帯び、ぶわりと広がった。彼女の感情が高まった時の特徴である。


「いや、まだだ。

 手応えがおかしい。奴ら、また魔法防御を張ったようだ」

「この短時間でですか?

 あらかじめ詠唱を済ませていたなら分かりますが、それは初撃で使い果たしたでしょう。

 次の攻撃にまで備えていたとしたら、用心のしすぎですよ」


 だが、土埃が薄れてくると、敵の魔導士たちが身を寄せ合っている姿が見えてきた。

 確かに敵は、対魔法防御を間に合わせたようである。

 イアコフは首を捻りながら、下にいる部下たちに声をかけた。


「誰か矢を撃ち込んでみろ」

 数人の兵士が土塁の陰から飛び出し、携帯弩を構えて引き金を落とした。

 装填されていた太く短い矢は、ほぼ直線的に飛んでいく。

 この距離なら外しようはなく、矢は敵に向かって吸い込まれていった。

 だが、それは敵の手前、数メートルの空中で弾き飛ばされ、乾いた音を立てて虚しく地面に転がった。


 魔導士が身にまとうマジックシールドなら、身体の直前で矢を防ぐはずだ。

 つまり、敵はもう対物理防御の結界を張っているということである。


「おかしいですね。いくら何でも切り替えが早すぎます。

 これはどういうことでしょうか?」

 イアコフはさすがに驚いたようだった。

 だが、一瞬黙り込んだマグス大佐は、手品の種を見破った子どものように、突然笑い出した。


「そうか、そういうことか!

 いやいや、そうでなくては出張でばってきた甲斐がない!!」

「ええ~っ、意地悪しないで教えてくださいよぉ!」


「昔、一度だけ見たことがある。私が獣人の島に派遣された時のことだ。

 その時の部下だった、マリウスという男が、同じ魔法を使ったのだ」

「マリウスって……帝国を裏切って、リスト王国の高官になった魔導士じゃないですか!?」


「そういうことだ。

 ケルトニアで同じ魔法を使える奴と言えば……これは、とんでもない大物が釣れたな!

 おいフランツ、ちょっと上がってこい」

 マグス大佐は振り返り、こちらを見上げているフランツ中尉に声をかけた。


      *       *


 落雷のような轟音とともに、周囲の地面が膨張した。

 一度(えぐ)られた地面に、降ってきた土砂が溜まっていたのだが、それが再び爆破されたのだ。


 エイナは自身の死を覚悟した。わずか二十年の人生、今まで数え切れないことが起きたのに、死ぬときは呆気ないのだな。――それが彼女の実感であった。


『シルヴィアとカー君。ああ、それにロゼッタさんとユニさんにも、ちゃんとお別れをしたかった!』

 エイナはそんなことを思いながら、固く目を閉じ、自分の身体がばらばらになる瞬間を待った。


 しかしそんな時は、いつまで経ってもやってこなかった。

 そういえば、自分が立っている地面も、びりびりと揺れているのに、崩れていく感じがしない。


 彼女は恐るおそる目を開けた。

 周囲には濛々(もうもう)とした土煙が立ち込めているが、それは半球状の結界に阻まれて中までは入ってこない。


『あれ……?』

 エイナの脳裏に素朴な疑問が浮かんだ。

 マグス大佐が、ダムドの二次攻撃を行ったのは間違いない。

 それは対魔法防御によって、辛くも防がれた。誰が間に合わせたのかは知らないが、それはこの際、大した問題ではない。


 だが、彼女の周囲に広がっている結界は、土煙の侵入を防いでいる。

 対魔法防御には、そんな能力はない。それは対物理魔法の仕事である。

 ということは、ダムドを防いだ術者は攻撃直後にそれを解除し、誰か準備のよい者が、素早く対物理魔法を発動させたということだ。


 それはあり得ない。

 少なくとも、そんな芸当ができる魔導士など、このメンバーにはいないはずだ。

 小隊で最も防御魔法が得意なミハイルだって、これほどの素早い切り替えはできないだろう(そもそも、彼は魔力切れを起こしかけている)。


 わけが分からないでいるエイナの肩を、誰かが後ろから掴んだ。

 彼女は「きゃっ!」と叫んで、思わず飛び上がる。


「おい、正気に戻れ!

 小隊をまとめろ、撤退するぞ!!」

 煙草臭い息が鼻腔をくすぐった。それだけでケネス大尉だと分かる。


 エイナは即座に振り返った。

「この防御魔法……誰が!?」

「オコナー大佐殿だ!

 早くしろ、何でか知らんが、よりにもよって帝国の魔女が出てきやがった!!

 俺たちじゃ、とても勝てねえ! とにかく逃げるぞ!!」


 納得はできなかったが、まずは命令が優先である。

 エイナは自分の小隊を集め、簡単な状況説明をした。

「敵はマグス大佐、この魔法はダムドという爆裂魔法の一種だ。

 私にもよく分からないが、オコナー大佐殿が防御してくれているらしい。

 帝国の魔女が単独行動しているとは考え難い。形勢は不利、ひとまず撤退するぞ!!」


 部下たちは無言でうなずいた。

 その間にも、上空から大量の土砂が降り注ぎ、滝のような騒音を立てている。

 ロジャーの方も第一小隊を掌握し、オコナーとケネスの前に整列した。

 エイナの第二小隊もその横に並ぶと、ロジャーが険しい表情で質問をした。


「大佐殿、この防御魔法は何なのですか?」

 それは、まさにエイナが訊こうとしたことである。


 それに答えたのは、ケネス大尉だった。

「魔法と物理、両方の攻撃を完全に遮断する、絶対防御魔法だ。

 ケルトニアでこれを扱えるのは、大佐殿ただおひとりだ。幸運を感謝しろ!」


「しかし、それでは敵に追撃された場合……」

 思わずエイナが口走った。

 彼女は万能型の魔導士であり、防御魔法も使える。だから、絶対防御のことは知識としてある。

 だが、それはあまりに高度で複雑な呪文である上、発動には多くの条件が必要とされている。


 少なくともそれを実現できるのは、攻撃魔法を捨て、防御に特化した魔導士だけのはずだ。

 リスト王国では、マリウス参謀副総長が使えると噂されているが、エイナは実際に見たことがない。


 ただし、絶対防御はあらゆる攻撃を防ぐ代わりに、大きな欠点を持つ。

 あまりにも膨大な魔力を消費するため、持続時間が短いことが第一。

 もうひとつは、結界外からの攻撃をすべて防ぐ代わりに、中からも一切攻撃ができないことである。


 対物理防御なら、結界内から魔法が自由に撃てる。

 対魔法防御であれば、例えば矢を射ることができる。

 だが、絶対防御の結界内では、どちらも不可能となるのだ。


 つまり敵に追撃され、取り囲まれた場合は、進退(きわ)まるのだ。

 そして、いずれは魔力が尽きて防御が霧散してしまう。


「その時は俺が結界の外に出て、お前らを逃がしてやる」

 ケネスが『当然だ』とばかりに、さらりと答えた。


「しかし、それは……!」

 それは、ケネスが死んで時間を稼ぐという意味である。


「お前らがぐだぐだ心配することじゃねえ!

 貴様らは、ケルトニアに雇われた傭兵だ! 黙って命令に従え!!」


 ケネスが口元を笑うようにゆがめて怒鳴った。


      *       *


「ケルトニアの連中、逃げ出しましたね。まぁ、当然の判断ってわけか……。

 どうします、大佐殿。騎馬部隊を出しますか?」

「まだそれは早いな。もう少し舞台を楽しもうではないか」


 イアコフの提案を退けたマグス大佐は、上機嫌であった。

 彼女は根っからの戦闘狂である。戦いは長く激しいほどよく、諦めずに抵抗してくる敵は、絶好の餌であった。

 土塁の裏側に設けられた足場に、下からフランツ中尉が登ってきた。


「よう、フランツ。久しぶりだな。

 貴様がヘマをやらかして、情報部に飛ばされたという話は聞いていたぞ。そのお前が、どうしてこんな所にいる?」

「大佐殿はきっと面白がると思いますが、話すと長くなります。後にしましょう」


「大佐殿、彼は?」

 イアコフがマグス大佐に紹介を求めた。

 彼よりも年輩そうだが、初めて見る顔だ。


「ああ、こいつはフランツ・ブルーメ中尉といって、昔、私の部下だった男だ。

 お前が副官になるより、何年も前のことだがな。

 カメリアと同じで、土系魔導士のくせに攻撃もできる。なかなか使い勝手がいいぞ。お前もそういう奴を育ててみるといい」


 フランツはイアコフに向かって敬礼をした。

「ホフマン大佐の勇名はかねがね伺っております。お目にかかれて光栄であります!」


 イアコフが答礼を返すのを横目に、マグス大佐はフランツに命じた。

「さっそくだが仕事だ。見てのとおり、敵が逃亡した。

 退路を塞いで絶望させてやれ。例の土人形は仕込んでいるか?」


 マグス大佐がにやりと笑い、フランツも笑い返す。

「無論であります」


「では、やれ!」


      *       *


 退却を開始したエイナたちだったが、その足取りははかどらない。

 彼らの周囲は、マグス大佐のダムドによってすっかり掘り返されていた。


 数メートル分の土壌は、ばらばらになって上空に打ち上げられ、それが広範囲に落下した結果、えぐられた地面を半分ほども埋めている。

 地面はずぶずぶで、一歩ごとに膝のあたりまで沈み込むのだ。


 魔導士たちは焦りながら、何度も後方を振り返った。

 帝国軍は、彼らの行動を確実に見ているはずだ。当然、逃亡を阻止するために追撃してくるはずである。

 ところが、第二線の塹壕からも、あちこちに築かれた土塁の陰からも、一兵も出てこない。


 悪戦苦闘しながら十メートルほど進んだところで、ようやく固い地面にたどり着いた。

 理由は分からないが、敵は追ってこない。

「よし、ここからは駆け足だ!」


 ケネスが号令をかけたところで、いきなり地面がぐらりと揺れた。

 彼らはあっという間に足元をすくわれ転倒した。

 その目の前で、〝ごごごご……〟という地響きを上げ、地面が盛り上がった。

 ダムドのような激しい変化でなく、もっとゆっくりした動きだった。


 それは彼らがすでに見たことがある光景だった。

 大地を揺るがしながら、もこもことせり上がってくる土壁。

 間違いなく、山中でエイナたちを生き埋めにした、敵魔導士の仕業である。


 王国の若き魔導士たちが、のろのろと立ち上がると、彼ら越えてきた第一線の塹壕の手前に、絶望的な土壁が出現していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ