二十四 対魔導士兵器
「よぉし、お前ら!
作戦開始前に、俺からの訓示だ。よく聞けよ!」
車座になった魔導士たちを前に、ケネス大尉が腹に響く声を出した。
「今回の目標は、まず敵が築いた土塁を破壊し、突破口を作ることだ。
その上で、内部に侵入して敵防衛兵力の排除、並びに櫓の破壊を行う。
戦果が順調であっても深追いはするな。目的を達成したら、速やかに撤収しろ」
第一小隊のひとりが手を挙げて質問した。
「なぜ、そこまで慎重なのでしょうか?
敵の防壁を突破したら、できるだけ戦果を拡大するのが常道だと思いますが?」
ケネスはうなずいた。
「いい質問だ。
お前たちはあの土塁を、山中で遭遇したものと同じと思っているだろう。
だが、壁の表面を見ただけで分かる。あれはもっとまともな防壁だ。
恐らく内部に骨組みがある上に、土に石灰や油を混ぜて叩き締めている。
魔力で土砂を集めただけの見せかけとは、耐久度が段違いのはずだ」
「あれを抜くのは簡単じゃないぞ。
お前たちは、自分が思った以上の魔力を消費するはずだが、その状態で敵兵と櫓を排除することを要求される。
無論、お前たちならできるだろう。だが、その先はどうだ?
思わぬ反撃を喰らう前に、いったん下がって様子を窺うのが正解だ」
「敵はこちらが魔導士部隊だということに気づいている。
当然、今回はその備えをしているはずだ」
彼は固唾を呑んで聞き入っている若者たちに、にやりと笑ってみせた。
「帝国の魔導士対策はなぁ……えげつねえぞ!」
第一小隊長のロジャーが訊ねた。
「敵は我々に対し、具体的にどのような対抗策を取るのでしょうか?」
それは王国の魔導士たち全員が知りたいことだった。
一般兵が魔導士に、正面切って抵抗してくる……。
それは、少なくとも魔導院の教育課程では、習わなかった事態だ。
「定番は投石機と大型弩砲だな」
大尉はあっさりと答えた。
「それは……攻城兵器ではありませんか?
対人用に使うなど、聞いたことがありません」
「そうだな。要するにお前たち魔導士は、一人ひとりが城と同じ扱いってわけだ。
どうだ、敵に認められるのは誇らしいだろう?」
「しかし、我々は飛び道具に対しては、自動防御を備えています。
それが脅威となりえるのですか?」
「甘いな。マジックシールドは、あくまで不意の狙撃を防ぐための魔法だ。
他の魔法と干渉することなく、常時展開していても魔力消費が小さい。
何故だ? エイナ、答えてみろ」
ケネスの口調は、次第に魔導院での講義に似通ってきた。
指名されたエイナは、手を挙げながら答えた。
「それは、攻撃を感知した時だけ瞬間的に発動する上に、防御範囲が限定されるからです。
持続時間が短く、作用範囲が狭いほど、魔力消費は減少すると承知しています」
「うん、試験答案としては満点だな。
では、防御に費やされる魔力の上限値は、どのくらいに設定されている?」
エイナは言葉に詰まった。
「それは……分かりません。考えたこともありませんでした」
ケネスは勝ち誇ったように笑ってみせた。
「自分の使っている魔法も理解していないとは、ご立派なものだな。
いいか、世の中にそこまで都合のいい魔法など存在しねえ。
マジックシールドが防げるのは、矢、石礫、投げナイフといった武器だ。
すべて一キロに満たない軽量物で、逆にいえば、それ以上の質量を弾くだけの魔力が、この呪文には設定されていないってことだ。
攻城兵器が放つ大質量の岩石や木の杭を喰らえば、ひとたまりもなく吹っ飛ばされて死ぬことになる」
彼の表情からは、もう笑みが消え去っていた。
「いいか、俺と大佐殿は試験官のようなものだ。基本的にお前たちに細かい指示は出さない。
だが、これだけは言っておく。
常に対物理防御を張って、その範囲内で行動しろ!
俺が今説明したのは、あくまで基本戦術だ。敵がそんな単純な攻撃を仕掛けてくると思うな。
後は状況に応じて、お前たちが判断して対処しろ。しくじれば……本当に死ぬぞ。
俺からは以上だ!!」
* *
攻撃は二つの小隊が合流して行うことになった。
正面突破には、部隊を二つに分ける利点がないからだ。
ケネス大尉からの細かい指示はないから、作戦は自分たちで立てなければならなかった。
当然、小隊長のロジャーとエイナが話し合うことになる。
結果として、まず三人が防御役を割り振られた。
その筆頭はミハイルで、彼が全員をカバーする対物理防御結界を張る。
もうひとりは、万が一ミハイルの防御が破られたり、魔力が尽きた時のための予備役。
そして最後のひとりが、敵魔導士の攻撃に備えた対魔法防御を、いつでも発動できる態勢を取ることになった。
攻撃役は、まず二人が水魔法で放水を行う。
これは大気中の水分を集め、水流の束を撃ち込む魔法で、通常は暴徒鎮圧用の殺傷力の低い魔法である。
だが、大量の魔力を投入しつつ、範囲を絞ることで威力を倍加することができる。
これをもって土塁の表面を削り、十分に濡らすのが第一段階であった。
次に、別の二人が凍結魔法を放ち、水分を凍らせて固定する。
その後は、三人の魔導士がファイアボールを撃ち込み、水蒸気爆発を起こす手筈である。
山の中で土壁に対処した時よりも、段取りが効率化された手順であった。
指揮官となるロジャーと、その補佐役を務めるエイナは、予想外の事態に対応するための予備人員となった。
各魔法を確実に当てるためには、最低でも二百メートルまで接近する必要があった。
現在潜んでいるのは、土塁から約一キロの地点で、鬱蒼とした原生林に囲まれていて、敵から視認されていない。
これが土塁の三百メートル手前辺りになると、すべての樹木が伐採されており、軍用道路を外れたとしても身を隠せず、相手から丸見えとなる。
さらに、敵側に魔導士がいるのだから、エイナたちの存在はすでに把握されていると考えた方がよい。
つまり、攻撃地点につくまでの百メートルは、敵に撃たれ放題ということになる。
その間は、ミハイルの防御魔法を信じるしかないのだ。
王国の魔導士たちが立案した作戦は、ケネス大尉によって承認され、ただちに実行に移された。
実戦経験の豊富なケネスにしてみれば、不十分な計画なのだろうが、彼は何も言わなかった。
馬は相手の攻撃に驚いて暴走する危険があったので、攻撃は徒歩で行うことになった。
彼らは隊列を組み、森の中の軍用道路を整然と進んでいった。
森に紛れて進む手もあったのだろうが、感知魔法を使われていれば意味がないからだ。
十五分ほど進んだところで、急に目の前の視界が開けた。
道路は切り株だらけの荒れ地を真っ直ぐに突っ切り、黒々と聳える土塁へと続いている。
門らしきものは存在せず、人ひとりがやっと通れそうな穴が開いているだけだった。
そこへ突っ込むのは、罠に飛び込むようなものであるから、論外である。
開けた荒れ地に出ても、エイナたちは慌てて走ることなく、ごく通常の速度で進んでいった。
まずは敵の出方を窺いたかったからだ。
こうして、戦いは始まったのだ。
* *
帝国軍は不気味なほど静かだった。
堅固な土塁に向かってくる王国の魔導士たちの姿は、はっきりと見えているはずだった。
そうでなければ、何基もの櫓の上に配置されている帝国兵は、昼寝をしていることになる。
エイナたちは疑問を抱きながらも、とにかく進むしかなかった。
だが、あと二十メートルほどで、攻撃予定地点に達するというところで、ようやく敵陣に動きがあった。
空にイナゴの群れが飛び立ったかのような、黒い点々が舞い上がり、弧を描いて落ちてきた。
帝国側が、一斉に矢を放ったのだ。
ただ、その数は思ったほど多くない。せいぜい三十本前後と思われた。
矢は緩い風に流され、魔導士たちの十五メートルほど左側に落ち、川辺の葦のように地面に矢柄が立ち並んだ。
そして二十秒もしないうちに、第二射が射ち上げられ、今度は右側五メートルほどの地面に突き刺さった。
「今のもさっきのも試射だな。次が本番だぞ」
ケネスが注意を促すが、その口ぶりには余裕が窺えた。
果たして彼の言うとおり、また二十秒ほどの間隔で矢が舞い上がり、今度は魔導士たちの頭上にめがけ、まともに降り注いできた。
もちろん、ミハイルが防御障壁を展開しているので、矢はすべて弾かれ、からからと乾いた音を立てて、周囲の地面に転がった。
「構うな、前進しろ」
先頭に立つロジャーが振り返って命令した。
だが、誰も彼の顔を見ていない。全員の視線は、上空に向いていたのだ。
ロジャーが部下たちの視線を追って前に向き直ると、空にはお馴染みの黒い点がばら撒かれていた。
「無駄なこと――」
第一小隊長の言葉は、途中で途切れた。
これまでの三回の攻撃とは、様子が違うことに気づいたからだ。
弧を描いて飛んでくる黒い粒は、今までとは比較にならないほど大きかった。
「石だ!」
誰かが叫んだのとほぼ同時に、十数個の岩石が唸りを上げて落下してきた。
半分以上は魔導士たちの脇に逸れたが、何個かの岩石が防御結界に激突し、その衝撃波が結界内にまで伝わってきた。
外れた岩が周囲の地面にめり込む振動も、足の裏に感じられた。
いずれも人間の頭ほどの大きさがあり、まともに喰らえば、死ぬか重傷を負うのは間違いない。
岩石の雨は、その一度では済まなかった。
投石機は複数あるらしく、三十秒ほどして次の攻撃が来た。
櫓の観測兵から、初撃の着弾がずれたことが伝えられ、狙いを修正したのであろう。
今度は全弾が頭上に降り注いできた。
どかどかと音を立てて激突する大きな石に、魔導士たちは反射的に身を屈め、頭を庇った。
その行為に何の意味もないことなど、冷静になれば分かるはずだ。
しかし、その恐怖に打ち勝つには、王国の魔導士たちはあまりに若く経験が不足していたのだ。
エイナでさえも、その例に洩れなかった。
悠然と立ち続けていたのは、オコナー大佐とケネス大尉だけである。
ケネスはしゃがみ込んでいるミハイルの襟首を掴み、無理やり引き起こした。
「馬鹿野郎! しゃんとしねえか!!
どうだ、防御障壁は維持できそうか!?」
ミハイルは青ざめた顔で上官を見上げた。
「なっ……何とか大丈夫です。
ですが、がしがし魔力が削られていきます!」
「弱音を吐くな! 貴様が女みたいに気絶したら、次の一撃で全員お陀仏になるんだぞ!?
足を開け!
背筋を伸ばせ!
顔を上げろ!
目ん玉をひん剥け!!」
ケネスは唾がかかるほど間近で怒鳴り、ミハイルの頬を平手で張り飛ばした。
気がつけば、投石はいつの間にか止んでおり、他の魔導士たちも呆然として身を起こした。
ケネスは彼らに向かっても怒鳴る。
「貴様ら、野糞してえのなら結界の外でやれ!
今の攻撃は、まだまだ可愛いもんだ! 次はもっとヤバい奴が来るぞ!!」
大尉の縁起でもない予言は、不幸にも現実のものとなった。
再び上空に、十数個の黒い塊が飛び上がったのだ。
「石じゃない……壺?」
視力のいいエイナが、目を細めながら空を見上げ、つぶやいた。
彼女の言葉が正しかったことは、すぐに証明された。
魔導士たちの頭上に降ってきたのは、丸い素焼きの壺だった。
それらは目に見えない空気の壁に一斉に激突し、粉々に砕けた。
同時に褐色の液体がぶち撒けられ、半球状の結界の壁に沿って、ぬるぬると流れ落ちる。
「何かの油か?」
誰かがつぶやいたが、それをかき消すように叫び声が上がった。
「また来るぞ!」
投石の時と違い、ほとんど間を置かずに次の攻撃が飛んでくる。
今度も同じ陶器の壺だったが、それと同時に矢も降り注いできた。
しかも、その矢じりの後ろには、小さな玉がついていた。
いわゆる鏑矢と呼ばれる、音を出す装置であるが、それは音を立てる代わりに、炎と黒い煙を吹き出していた。
玉の中に油を染み込ませた布を入れ、火を着けてから射る〝火矢〟である。
もちろん、これらも防御障壁に弾かれたが、すでに撒き散らされた油に引火して、結界の周囲があっという間に燃え上がった。
さらに、第三弾、第四弾の陶器が続けざまに飛んできた。
それらも障壁や、燃え上がる地面に激突して砕けたが、今度の中身は液体ではなく、黄褐色の粉のようなもので、爆発的に発火した。
どうやら、硫黄と燐を主体にした粉末らしく、青い炎とともに大量の白煙が上がり、周囲の視界をあっという間に閉ざした。
「火を消せ! 放水魔法、いや凍結魔法で――」
ロジャーが怒鳴り声を上げたが、彼は途中で咳き込み、苦しそうに身を屈めた。
ミハイルが展開している防御結界は、直径が八メートル近い大型のものである。
それは敵の矢も、石も、炎さえも拒絶したが、熱や煙は素通しだった。
結界内にはたちまち熱と煙が押し寄せ、強い刺激臭で満たされた。
内部の魔導士たちは、魔法によって消火に当たろうとした。
彼らは発動の引き金となる、ごく短い呪文を唱えようとしたが、途端に激しく咳き込んでしまった。
咳は喉が枯れ、血を吐くほど続いても止まらず、目も開けていられなかった。
帝国軍が撃ち込んだ壺には、硫黄と燐だけでなく、刺激性の毒物が混ぜられていたのである。