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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第八章 トルゴルの藩王
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二十二 報告

 考えるより先に身体が動いた。

 エイナは藩王の傷ついた手を取り、自分の手を上から重ねた。

 口の端から早口の呪文が洩れ、しばらく経ってから彼女はようやく手を離した。

 傷口からの出血は止まっており、表面に白く濁った膜ができていた。


「ノーマ、薬と包帯を」

 エイナは部下に手当を命じ、ほっと息を吐いた。


「これも……魔法なのか?」

 藩王は片手をノーマに預けたまま、感心したようにつぶやいた。


「私は専門の治癒魔導士ではないので、できるのは止血だけ、傷が治ったわけではありません。

 王宮に帰ったら、きちんと医師の治療を受けてください」

「そうなのか? もう痛みも消えているが……」


「痛覚を一時的に麻痺させているだけですから、半日も経てばまた痛みだします。

 見た感じ、重度の火傷のような感じですね。多分、跡が残るのではないでしょうか。

 それにしても……」

 エイナはテーブルの上に転がっている、黒い宝玉に恐るおそる指先を近づけた。


「俺が持っていた時は、何ともなかったぞ?」

 ケネスが慌てて言い訳をする。

 彼の言うとおり、エイナがちょんと触れても何も起きなかった。

 彼女は思い切って宝玉を摘まみ上げ、掌に乗せて転がしてみたが、ひんやりとした感触しか伝わってこない。


 エイナは首を捻り、黒い玉をミハイルの前に差し出した。

 彼が受け取ってもやはり異常はなく、次に隣りにいたカールに渡ったが、結果は同じだった。

 結局、小隊の魔導士たちが順番に触ってみたが、全員が首を振るばかりであった。


 宝玉はエイナのもとに戻された。

 藩王に返したくても、このままでは安全性が担保できない。

 彼女は少し困ったような表情を浮かべて訊ねた。

 

「陛下、いかがいたしましょうか?」


 藩王はエイナの手の上で光る玉をしげしげと眺め、慎重に人差し指を近づけた。

 爪の先がわずかに触れた瞬間、じっ! という小さな音とともに白い煙が上がる。

 魔法の明かりに指先をかざしてみると、爪の先が溶けたようになくなっている。


「どうやら、余だけが嫌われているようだな。

 ふっ、……ふははははは! あーっははははははは!!」

 藩王が突然笑い出しその場の全員が驚いて彼を見詰めた。


 笑いは止まらないばかりか、次第に甲高く、狂気すらはらんでいった。

 彼の両の目からは、涙が幾筋も流れている。

 藩王はテーブルに両手を叩きつけ、骸骨のような遺骸に覆いかぶさった。

 そして、うつろな眼窩に触れんばかりに顔を近づけ、叫び出した。


「征服王よ! あなたの恨みはかくまで深いのか!?

 二千年の時を経ても、いいや、この先未来永劫、罪が許される日は訪れないというわけか!!

 余はそれを思い知らされた。どうだ、さぞかし満足であろう!?」


「陛下、そのくらいになさいませ」

 オコナー大佐が、後ろからそっと藩王を抱き起こした。


『えと、あの……大尉殿、どういうことでしょうか?』

『馬鹿野郎、俺が知るわけねえだろう!』


 エイナとケネスのささやき声が耳に入ったのだろう、藩王が振り返った。

 その顔は、酷く疲れた老人のようであった。

 そして、彼は独り言のように物語り始めた。


「余は最前から征服王、征服王と呼んでいるが、実を言うと本当の名は判然としないのだ。

 一般にはカリフ王とされているが、学者によってサラーフだ、いやハイダラだと諸説ある。

 だが、彼の王子たちの名はちゃんと伝わっている。

 特に、征服王に毒を盛って反乱を起こし、帝国を瓦解させた悪名高い長子は、エッカームといって、今でも忌み嫌われておる」


「彼が簒奪さんだつした王国は、周辺で次々と独立した兄弟たちの国から攻められ、あっという間に滅びた。

 エッカームとその家族は残らず捕えられ、父親殺しの罪で処刑された。

 幼い子はもちろん、その母、身重だった側室たちも皆殺しになったが、それ以外の女たちは許されて後宮から追放された。

 だがな、その女たちの中に、ひとりだけ子を宿していた者がいたのだ。

 まだ腹が膨れてくる前で、気づかれなかったのだろうな」


「女は、地方の有力部族長の娘で、両親の庇護のもとでひっそりと男子を産んだ。

 その子はエッカームの血筋だということを隠して育てられ、成人後は部族長を引き継いだ。

 その名をニザムという。……つまり、余の祖先だ」


「征服王は、自分を裏切った長男に、よほどの恨みを抱いたまま亡くなったのであろう。

 その怨念が、魔石に宿ったのだろうな」


「では、これは……?」

 エイナは途方に暮れて、掌の宝玉に目を落とした。


「いらぬ。どうせ触れることも許さぬのだ。

 持ち帰ったりしたら、どのようなわざわいを成すか分かったものではない。

 余は、この黄金の龍だけで満足だ。これを祀り、日夜祈りを捧げるとしよう。

 ……それでも、征服王は余を許してはくれんだろうがな。

 この洞窟は再び封印する。それが一番いいだろう」


 エイナは溜息をつき、魔石を征服王の遺骸の胸のあたりにそっと置いた。

 ところが、そこに横から手が伸びてきた。白い指が宝玉を摘まみ上げた。


「じゃあこれ、あたしが貰ってもいいですか?」

 あっけらかんとした声が洞窟に響いた。シルヴィアである。


「ちょっと、場をわきまえなさいよ!」

 エイナが慌てて取り戻そうとするが、背の高いシルヴィアが手を高く上げると届かない。

 じたばたするエイナを無視して、シルヴィアは藩王に訊ねた。


「陛下はご自分にできることなら、何でもあたしの願いを聞くとおっしゃいました。

 忘れてはいませんよね?

 でしたら、この魔石をいただけませんか?」


 生気を失っていた藩王の顔に、ようやく笑みが戻ってきた。

「ああ、余の言葉に二言はない。それはそなたに与えよう。

 だが、そんな物を何とする? 身を飾るには気持ちの悪い代物であろうに」


 シルヴィアもお返しのように、極上の笑みを浮かべた。

「うちのカー君の好物なんですよ。おやつにあげたら喜びます」


「ふっ、何の冗談だ? まぁよい。くれたものをどうしようと、そなたの自由だ。

 皆の者、余の我儘に付き合わせて済まなかった。

 もう邪魔をする気はない。帰還しようではないか」

 征服王は身をひるがえし、洞窟の入口に向けて足を踏み出した。


 その後に、シルヴィアとカー君が意気揚々と続く。

 エイナとケネスは、慌てて彼女を追い、両側からささやきかけた。


「おい、シルヴィア。お前、本当にそいつをカーバンクルに喰わせるつもりか?」

「少なくともここじゃまずいわよ!

 カー君がどう変わるかは、予想がつかないんだもの。大佐や藩王に見せるべきではないわ」


 シルヴィアは右手に握っていた魔石を、胸のポケットにしまい込んだ。

 彼女は微笑みながら、小声で答えた。

「いったん王都に帰って、マリウス様の許可を得てからね」


 以前シルヴィアは、ドワーフ族から贈られた白い魔石を、その場でカー君に与えている。

 王都に帰還後、彼女とカー君はマリウスからきつく叱られたのだ。

 公務で得た貴重品はまず報告して、その扱いを上層部の判断にゆだねるのが筋なのだ。


 ケネスとエイナは顔を見合わせ、うなずいた。

 カー君だけが、『僕のおやつぅ……』とぶつぶつ不満を漏らしていた。


      *       *


 帝国軍は、土砂崩れの跡を迂回して山を下り始めた。

 もちろんこの時点では、エイナたちはまだ土砂に埋まったままである。

 二時間ほど下り、そろそろ麓の陣地が近づいてきたところで、茂みの中から人影が飛び出してきた。


「曲者っ!」

 先頭に立っていたフェルナンド少佐とフランツの前に、直衛の兵士が剣を抜いて立ちふさがる

 だが、飛び出してきた男は帝国軍の軍服を着ていた。

 彼らはそれにすぐ気づき、倒れ込む兵士を助け起こした。


「おい、大丈夫か!?

 お前、陣地の防衛部隊だな? なぜこんなところにいる!?」


 陣地に残してきた兵たちは急襲を受けて壊滅し、生き残りは多くが森に逃げ込んだ挙句、トルゴル藩兵によって捕らえられた。

 だが、ごくわずかだが、山側に逃げた兵士もいたのだ。

 彼らが楽に早く逃げられる森を選ばず、あえて山に登ったのは、その先に味方の軍がいると知っていたからだ。


 兵士は泥まみれの顔を上げ、喘ぎながら陣地に起きた変事を報告した。

 ケルトニアの魔導士集団が、突然襲ってきたこと。

 味方の大半が成すすべなく殺され、どうにか逃れた者は散り散りになったことである。


 山に逃れた数名の兵士は、少しずつ合流し、森の中で息をひそめていた。

 だが、そのままでは追手がかかる恐れがある。そこで話し合った結果、本隊を探して山を登ることを決意した。

 ところが、登り始めてすぐに山津波が起こり、怯えた彼らは再び森の中で隠れていたのだった。


 事情を聞いたフランツは溜息をついた。

「少佐殿、聞いたとおり、もう陣地は敵の手に落ちています。

 これ以上近づくのは危険だし、味方はいません。意味がないんですよ。

 それよりも、司令部に戻って対策を取るべきです」


 陣地に戻ることに固執していたフェルナンドも、ことここに至っては決断せざるを得なかった。


      *       *


 少佐が率いる本隊は、麓の陣地を大きく迂回する形で山を下り、直近の物資集積所にたどり着いた。

 集積所を守っていた部隊は本隊に組み入れられ、運びきれない物資には火を放ってそこを捨てた。

 彼らは司令部に向かって北上しながら、同じように拠点の各部隊を吸収していった。

 そして、ケルトニアの魔導士部隊に追いつかれることなく、無事に帰還したのである。


 少佐の帰還後、南部方面軍司令部は、ほとんどパニック状態に陥った。

 新兵とはいえ、百名近い犠牲を出した今回の作戦を、どう取り繕うのかが、第一の課題であった。

 無理を重ねて占領した敵地をすべて放棄したこと、その過程で大量の物資を放棄したことも、上層部に言い訳しなくてはならない。


 フェルナンド少佐は司令官室に入ると、ただちに第一報の作成に取りかかろうとした。

 だが、それを邪魔するように、フランツ中尉が入ってきた。

 押し留めようとする副官を押しのけ、強引に入室してきたフランツを、彼はじろりと見上げた。


「誰も入れるなと命令したはずだが……何の用だ、中尉?」

 怒気を含んだ声で吐き捨てると、少佐は再びペンを走らせた。


「さすがにお忙しそうですな。

 その調子だと、通信魔導士は悲鳴を上げているでしょうね?」

「分かっているなら聞くな!

 君の役目も終わったのだ。こんなところでグズグズしていないで、とっとと東部に帰ったらどうだ?」

 そう応じながら、少佐はもう顔も上げなかった。


「そうもいかないんですよ。

 自分も立場上、情報部長に説明しなくてはいけませんのでね。

 その前提として、少佐殿が今回の件を軍司令部にどう報告したのか、確認をしておきたいのです」


「何だと?」

 少佐がやっと顔を上げた。


「軍司令部への報告は、南部方面軍総司令官であるスチュワート中将閣下を通すことになる。

 貴様のような尉官風情が、口を出すことではない!」


「そうはいきません。

 俺はあんたたちのおべっか使いには興味がない。

 だが、南部戦線にケルトニアの魔導士集団が出現したこと、そしてその中にリスト王国の魔導士が参加していることは、重大かつ緊急性のある情報だ。

 帝国軍人として、少佐殿は、当然軍司令部に一報を入れたのでしょうな?」

「い、いや、だからそれはスチュワート中将が……」


「少佐殿がまだ報告していないとすれば、自分は軍人としての義務を果たさねばなりません。

 現地指揮官がだんまりを決め込んでいる間に、情報部の将校から報告が上がったら、まずいことになりませんかね?」

「まっ、待て! それは困る!!」


「少佐殿は、ケルトニアの魔導士部隊の出現を報告の上、大至急で即応機動大隊の出動を要請すべきです。

 相手は十数名の魔導士部隊だ。この司令部を襲われたら、自分ひとりが抵抗しようと、ひとたまりもありません。

 躊躇している場合ではないと思いますが?」

「む、むう……」


「なぁに、洞窟や宝石の件まで報告しろとは言いません。そっちは中将殿とよろしくやればいい。

 だが、ケルトニアの魔導士部隊は、待ったなしの脅威だ。

 少佐殿だって、こんな辺境で討ち死にしたくはないでしょう?」

「し、しかし、ケルトニアの魔導士といっても、中身はリスト王国軍なのだろう?

 魔導士の育成を始めたばかりの後進国ではないか。そこまでの事態なのか?」


「俺は敵の王国魔導士のひとりと、つい最近戦ったばかりなんですよ。こいつは冗談なんかじゃない。

 その女は、カーン少将と戦って引き分け、しかもあの(・・)マグス大佐の護衛をしていたって聞いています。

 それでも不足ですか?」


 フェルナンド少佐はしばらく黙り込んでいたが、やがて目の前の執務机を拳で叩いた。

「分かった、貴様の言うとおりにしよう!

 だが、軍司令部は本当に即応大隊を回してくれるだろうか?

 相手は魔導士といってもわずか十数名、それに加えて、南部方面は戦略的にほとんど意味のない戦線だ。

 即応大隊は多忙を極めている。私が上層部だったら、要請を握りつぶすかもしれん」


「ふん……」

 フランツは鼻から息を吐いた。確かにその恐れはあった。

 現地で肌で感じる危機感を、お偉いさんが理解しないのは珍しい話ではない。


 だが、彼はいいことを思いついた。

 フランツは執務机に両手をついて身を乗り出し、顔を近づけた。


「だったら、いい手があります。

 ちょうど、マグス大佐が西部戦線を視察しているはずです。軍司令部だけでなく、彼女にも情報を流しましょう。

 大佐は筋金入りの叩き上げだ。誰よりも鼻が利く。現場から引っこ抜いてでも、要請に応じてくれるはずです。

 いや、血の気の多い彼女なら、自ら大隊を率いてくるかもしれませんぜ?」


「き、貴様! 自分が何を言っているのか分かっているのか!?

 あ、ああああ、あれはっ! 本物の魔女だぞ!?」

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あーあー泥棒を追い出すために家ごと爆破するような真似を……
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