二十 観戦
「そなた、ケルトニア軍ではないな。何者だ?
いや、それよりあの空を飛ぶ獣は何だ!?」
藩王は噛みつかんばかりの勢いで、シルヴィアに詰め寄った。
シルヴィアは軍服を着ているので敬礼を行ったが、その仕草からは隠しきれない育ちのよさが窺えた。
「自分はリスト王国軍の国家召喚士、シルヴィア・グレンダモア少尉であります。
かの獣は自分が召喚した幻獣、精霊族のカーバンクルです。
どうか、お見知りおき願います」
「リスト王国とな? ……確かにかの国では、召喚術を使って奇怪な魔物を呼び出しておると聞いたことがある。あれがそうなのか」
『シルヴィアは僕のことをカー君と呼んでるよ。
おじさん、王様なんだってね。そんな偉い人が、どうして山の中にいるのさ?』
カー君が引き上げ作業を続けながら、こちらの方をちらっと見た。
「今のはあの獣の声か!
人の言葉も操れるとは、ますます興味深い!」
不意打ちを喰らった藩王は、初めてライオンを見た子どものように興奮した。
彼はカー君と話したそうだったが、強い意志をもって、シルヴィアの隣にいるエイナに視線を移した。
もう口から笑みは消え、目がすっと細くなっていた。
「二人は旧知の間柄のように見えた。
もしかして、そなたもリスト王国の者なのか?」
「それは……私からは申し上げられません」
「オコナー、どうなのだ?」
藩王が振り返るなり、怖い声を出した。
二番目に救出されたオコナー大佐が、背後から近づいてきた気配に気づいたのだ。
「私とケネス大尉以外、この若者たちはすべてリスト王国の者です。
ケルトニアは、彼らを傭兵として雇用しております。
我が軍としては特に珍しい話ではありませぬゆえ、説明は不要と考えました」
「……ふん、まぁいい。その件は後でじっくり話そう。
で、これからどうするつもりだ?」
「まずは状況を把握し共有します。行動方針を立てるのは、その後になります」
「うむ。あまりに様々なことが一度に起きた。
状況を知りたいのは、余も同じである。話を聞かせてもらうぞ。
邪魔はしないから安心しろ」
大佐は黙って頭を下げた。
背後では救出が続いており、カー君だけではなく、第二小隊の面々もロープで先輩たちを引き上げていた。
その作業を見守りながら、オコナー大佐はケネスに話しかけた。
「意外に早かったな。やはり、そちら(第二小隊)の方が優秀か?」
「エイナは実戦経験が段違いですからね。
まぁ、今回は風系魔導士がいたことが幸運でした。
大佐殿こそ、藩王がいるのですから、さっさと穴から出た方がよかったんじゃないですか?」
大佐は苦笑いを浮かべた。
「陛下はお前が思っているより肝の座ったお方だ。むしろ、あの状況を楽しんでいたぞ。
それに、第一小隊の方でも、脱出の計画を組み上げたところだったのだ」
「ほう、どのような?」
「土壁を攻撃したのと一緒だ。彼らは自分たちの直上で、特大の水蒸気爆発を起こすつもりだった」
「それはそれは……。エイナもロジャーも、若い連中はやることが乱暴だ」
「ははは、王国の魔導士たちも、お前にだけは言われたくないだろう。
そろそろ救出が終わるぞ。後は貴様に任す」
* *
全員が穴から脱出すると、ケネスは彼らを集めて車座になった。
その輪には、藩王とオコナー大佐も入っており、敷物もなしに地べたに腰を下ろしていた。
まず、エイナから敵魔導士である、フランツ中尉についての説明がなされた。
彼女が辺境の森で対決し、死闘の末にどうにか退けた顛末である。
この話は口外を禁じられていたが、現実に向き合っているのであるから、軍機など糞喰らえである。
土壁を出現させる大魔法、そこに仕込まれた土人形は、敵の常套手段である。
フランツはそれに加え、急斜面と薄く不安定な表土を利用した土砂崩れを起こしたのだ。
エイナは敵の手の内を知っているからこそ、自分たちに起きた事態を説明できた。
そして敵の目的は、魔導士十四名という、圧倒的な戦力を誇るエイナたちを閉じ込め、時間を稼いで逃亡することだろう。
彼女はそう、自分の考えを付け加えて話を終わらせた。
ケネスはうなずくと、部下たちを見回した。
「敵の魔導士はフランツひとりだけだ。お前たちも同じ手を喰うほど間抜けじゃないだろう。
エイナが言ったとおり、戦力としてはこっちの方が遥かに上だ。
敵は百名前後の大部隊だから、動きは早くない。今から追えば十分に追いつけるはずだ」
「俺たちの選択肢は二つある。
このまま追撃に移って決戦を挑むか、いったん麓に戻って態勢を整えるかだ。
前者の場合は、司令官を含む敵の主力を叩くことで、一気に大勢を決することができる。
後者を選択すれば、帝国軍の集積所を掃討しながら、着実に戦線を押し上げ、占領された地域を徐々に挽回できる。まぁ、手堅い作戦と言えるな。
お前たちの意見を訊きたい」
ケネスの問いに対し、敵を追跡する案に挙手をしたのは、第二小隊の後輩たち四人だけだった。
エイナとミハイルは、一時的な撤退案を指示したということになる。
第一小隊は全員が一致して、トルゴル藩兵との合流を主張した。
「決まりだな」
ケネスが全員の顔を見渡して、決断を下した。
そもそも、この魔導士部隊の大目的は、戦闘を何度も重ねて経験値を得ることにある。
上級生たちは、その点をわきまえていたのだ。
「待ってくれないか」
ケネスが腰を浮かせかけたところで、藩王が口を開いた。
「結論を出す前に、余はリスト王国のグレンダモア少尉から話を聞きたい。
そなたはなぜ、余たちの危機に駆けつけることができたのだ?」
全員の視線がシルヴィアに集まった。
藩王の疑問は、誰もが知りたかったことなのだ。
議論の行方を黙って見守っていたオコナー大佐も、同意を示した。
「それについては、部隊責任者である私からも訊ねたい。
これは我がケルトニア軍と帝国の戦闘である。
帝国との国交を維持しているリスト王国は、あくまで中立国のはずだ。
貴官が許可なく参戦するのは、筋が通らないのではないか?」
エイナたちは、ケルトニア軍と傭兵契約を結んでいる。
したがって、大佐の主張はまっとうなものであった。
だが、シルヴィアはまったく動じなかった。
「私は観戦武官として派遣されました。
契約書の付帯事項には、その派遣を任意で認めるとあります」
「なるほどな。観戦するのであれば、大人しく空から眺めていればよいだろう?」
「もちろん、私は戦闘への介入を厳に禁じられております。
ですから昨日はもちろん、本日の戦闘にも一切手出しをしておりません。
私は上空から戦況を観察していましたから、帝国軍の動きもほぼ把握していました。
その気になれば、事前にその情報を流すこともできましたが、それもしませんでした」
「では、なおさらだ。なぜ今になって、私たちを助けたのかね?」
「戦闘への介入は禁じられていますが、緊急時における人命救助はその限りではありません。
それも勝手に手を出したわけではなく、あくまでケルトニア軍の要請に応じたまでです」
シルヴィアはきっぱりと答え、エイナに向かって片目をつぶってみせた。
彼女が穴の縁から顔を出し、エイナに『助けてください』と言わせたのは、そういう意味だったのだ。
「ケネス、そのような事実があったのか?」
「は、大佐殿。確かに我々の側から、グレンダモア少尉に救助を要請しました」
「ならば、仕方あるまい」
オコナー大佐は矛を収めた。
この問題は本質ではない。ケルトニアの面子が立つなら、それでよいのだ。
「では、私も君に懇願することにしよう。
少尉は帝国の動きを把握していたと言った。彼らはこの山の中で、何をしていたのだ?
我々は情報が欲しい。教えてくれ、このとおりだ」
少佐はあぐらをかいた両ひざに手をつき、大げさに頭を下げた。
シルヴィアはまんざらでもない顔で微笑み、前置きをした。
「まぁ、そこまでおっしゃるなら、友好国として拒むことはできませんね。
ですが、私は帝国軍に気づかれぬよう、かなり高度を取っていましたから、あまり詳しくは分かりません。
いえ、彼らの行動の意味が分からない――と言った方が正確です」
「帝国軍は最初のうち、まっすぐに山頂を目指していました。
彼らは六合目あたりまで登ったところで停止し、何かを探しているようでした。
その後、山を下って洞窟らしき穴に入りましたから、そこが目的のひとつだと思います。
一時間ほどすると、今度はそこから北に進路を変え、斜面を真横に進んでいきました。
彼らの行く先には、最初と同じような洞窟が見えましたから、私はてっきりそこを目指すものと思っていました」
「ところが、帝国軍はその中間あたりで停止してしまいました。
そこは何の変哲もない岩肌で、洞窟らしきものもありません。
そこに留まっていたのは、三十分ほどでしょうか。
彼らは突然山を下り始め、谷間の待ち伏せ地点で戦闘が起きた……というわけです」
* *
「グレンダモア少尉、そなたに礼を言おう!」
それは、藩王ニザムの口から発せられた言葉だった。
シルヴィアだけではなく、他の者たちも驚いて藩王の顔を見た。
藩王は少し紅潮した顔で、魔導士たちの顔を見回した。
「先ほどそなたたちは、いったん麓に戻ると衆議を一決した。
そこにはいろいろの理由があるだろうが、余の同行が負担であることも、そのひとつであろう?」
彼の問いに、誰も答えなかった。
『はい、そうです』などと言えるはずもないが、かといって否定もできなかった。
藩王を行動をともにしている第一小隊が、全員一致で帰還を選択しているのが、何よりの証拠である。
「それが分からぬほど、余は愚かではない。
だが、それを承知の上で、余はもう一つの選択肢を提案する。
帝国軍の足跡を追う。
逃げた奴らを追うという意味ではない。彼らが山の中腹で小休止したという地点を調べるのだ」
「陛下、その理由を教えていただけますか?」
大佐が穏やかに、だが、きっぱりと問い質した。
「当然だな」
ニザムはうなずき、おもむろに話し始めた。
それは古代に存在した大帝国と、征服王の末路の物語であった。
トルゴル人なら誰もが知っているが、オコナー大佐を除く者たちにとって、初めて聞く話である。
「征服王が最期を迎えた洞窟の場所は謎であったが、遥か昔から探し求める者が絶えなかった。
何しろ伝説の宝剣だけではなく、世間では洞窟に莫大な金銀財宝が隠されている、と信じられていたからな。
王が逃げた抜け道が、東の夜森に通じていたことは間違いない。
そして洞窟が存在するなら、原生林の中よりも、夜森の先にあるコルドラ大山脈だろうと、容易に想像がついた」
「そのため、一攫千金を夢見る多くの盗掘者が山を目指したが、洞窟を発見した者は誰もいなかった。
余の家系は征服王の血筋に連なる。それだけに、世に知られた伝説とは異なる話が代々伝わっている。
征服王の宝剣の柄には、世界を滅ぼそうとした暴龍ナムグルが飾られていた。
宝剣の力の源は黒の魔石で、それは柄先のナムグルの両鼻の間――かの暴龍の急所に埋まっている。これはよく知られている話だ」
「だが、余の家に伝わる伝承では、その先があるのだ。
王家の最後の隠れ家となる洞窟は、呪術によってその存在が隠されている。そしてその位置は、龍の急所にある――とな。
少尉が見たという二つ洞窟は、龍の鼻穴に擬せられた目印に違いない」
「なぜ、帝国軍がそれを知ったのかは分からん。
だが、奴らの目的は、征服王の洞窟を暴くことだと、余は確信する。
もはや荒らされているだろうが、余は遥か二千有余年の祖先の眠る洞窟を、この目で確かめずにはいられない!
余の我儘であること、そなたたちに迷惑をかけていること、百も承知だ。
それでも頼む、余の願いを叶えてくれ! このとおりだ!!」
藩王は両手をつき、黒いターバンを地面にこすりつけた。
先ほどのオコナー大佐とは真逆の、真に迫った懇願であった。
「陛下、頭をお上げください。それは王たる者のとる態度ではございません」
「では!?」
大佐は苦笑いを浮かべた。
「私は、かつて陛下に大恩を受けております。どうして断れましょう?
何、まだ日は高いのです。その洞窟を調べてから山を降りても、問題はありません。
グレンダモア少尉、聞いたとおりだ。帝国軍が留まっていたという地点まで、案内を頼む」
シルヴィアは肩をすくめた。
「ご立派な殿方が、二人揃って頭を下げられたのです。
大佐の真似ではありませんが、どうして私に断れましょう?」
「無論、ただとは言わん。
余にできることなら、何でもそなたの願いを聞こうではないか」
「陛下、安請け合いは怪我のもとですぞ!」
大佐が慌てて諫めたが、時すでに遅しである。
シルヴィアはエイナが見たこともない、悪い顔で微笑んでいた。